続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット『記憶』

2015-08-08 07:03:59 | 美術ノート
 暗雲垂れ込める空と海の景色、ひどく汚れた不気味でさえある雲は、彼方の白雲を隠蔽している。しかし向こうも青空ではなく、どこまでも不穏な空気が漂い海と空の境も曖昧なほど全体に淀んでいる。
 さざ波は途切れることなく沖の方まで波打っている。

 この嵐の前触れのような怪しくも不吉な空気を背景に、古代彫刻の頭部の石膏像(美の女神の象徴のような)が平面の板の上に置かれている。
 鈴(言葉…伝達・噂・流言・誹謗)がポツンとあり、左端には一輪の赤いバラが置いてある。


『記憶』と題されている。石膏像の女神の記憶なのか、作者の記憶なのか、鑑賞者が喚起される記憶なのかは定かでない。
 白い石膏像の顔には痛々しくも赤い血が滴っている。

 鈴(言葉)・薔薇(永遠でないことの証明)・石膏から流れる血(痛み、悲しみ)、そして地獄をも思わせる不気味な背景。


 女は仮想の女である、作り上げられ祀られた女の象徴。出る筈のない血(痛み・悲しみ)を流している。古代神話の中の女神は、なぜ悲しむのだろう。

 女は海…この宿命は言葉から生まれた。そして明らかに死に至る運命であるにもかかわらず、偶像化された女がいる。打ち消すこともできず、暗雲の漂う海原にいて静かに記憶の糸を探っている。

 神話、伝説の中の女のアイロニー、皮肉の主張ではないか。しかし、永遠の叫びが届くことはない。
 古代(原初)の偶像(女神)は神格化され、誰も疑わず、記憶の糸に触れようともしない。


 しかし、また、この像が世間一般の女、すべてを集約するものだとしたら…。女の執念、呪いのような一面を垣間見ることも可能である。鑑賞者の眼差しに制約はない。


(写真は国立新美術館『マグリット展』図録より)

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