『前兆』
岩窟から覗き見た山稜は、鷲が羽を広げ今しも飛び立とうとしている形態に酷似している。近づくことを決して許さないような険し勾配であり、人為の挑戦を拒否しているかに見えるほどの神秘である。
前兆とは何かが起こる前触れが、この画の中にあるという。
何かが起こる前兆・・・わたしたちは目の前にある物を厳然と知覚するだけであるが、経験はその情報量により《錯視》という現象を呼び覚ますことがある。
山稜は山稜として厳然と存在しているに過ぎないが、そこに鷲の頭部並びに飛翔のイメージを重複してみることが可能である。
流雲に、何かの形態を感じることは誰しもが経験することであるが、その感覚に類したイメージの重複である錯視を予感する。
この作品を見て、単に(山の峰)と感じる前に《鷲の頭部、もしくは飛翔の前兆》と確信する人の方が圧倒的に多いに違いない。もちろんそう見えるように描いているからであるが、山(無機質)が鷲(有機質/生命)の変化するとは誰も信じない。
『前兆』とは、知覚する対象をほかのものに置換して感じうる錯視の現象を指しており、イメージという正体の出現の前兆である。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録)
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