『自転車の車輪』
美しいともいえるバランスであり、黒と白は一種、墓標のような孤立の態である。
人は有用性を求め、不要なものは排除する傾向にある。これは明らかに機能性を失している。椅子という有用、車輪という機能を併せることで無用の長物と化している。
人為的に不要を作り出す滑稽、無意味の景を作り出す熱意はどこからきているのだろう。
《存在・有用・意味、しかるべき在るものへの反逆》反逆というより《解放》かもしれない。こうすればこうなるという順当な仕組みを外している。車輪は椅子の上で【点】を支えに倒立しており、危うい形・状況であるが、あえてそれを固定し作品として提示している。指でほんの一突きすれば崩れるに違いないバランスである。
もちろん、その危うさ(バランス)に意味はなく、ただ任意の組み合わせにすぎないが、この作品を前に鑑賞者は息を殺して見入り、また静かすぎる歩みで作品から離れていくだろう。倒壊の危機を孕む形に対する畏敬の念、神など信仰の対象でもなく、ただ恐れるのである。存在の裏に潜む危機感、今在るものが突然消えて無くなる、消失、崩壊は平穏に見える日常を脅かしている。
『自転車の車輪』は、すべての人に対する《警鐘》である。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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