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『泳ぐ犬』
泳ぐというタイトルがなければ、不明な作品である。
『泳ぐ犬』というタイトルによって犬の顔がこちらへ向かって来る。顔(口)からの下部は見えない。向かって来るからには相応のエネルギーが隠れているはずである。
泳ぐというからにはこの相は水なのだろうか。少なくとも空気よりは水の方が抵抗があるに違いない。
地上を走るより抵抗が大きい相の選択、向かう時のエネルギーの振動は少なくない。
向こうからこちらへ接近するときに発する呼吸や身体の振動、生命体が水(あるいは空気)を押しのける振動の量は見えず計れず霧消する。しかし、綿密に測れば現象の中にも移動の痕跡である相の形が残存するはずである。
(はずである)という仮想は実感と混ざり合って質的変換を可能にする。泳いでいる犬の形態ではなく、『泳ぐ犬』の不可視な相の提示である。
写真は『若林奮『飛葉と振動』展・図録より 於:神奈川県立近代美術館
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