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そもそも停止原基とは何だろう。偶然の一刹那・・・。
「世界の始まりは《まったくの偶然》であって、どこかに《決定的な必然性》があったわけではない」という暗喩だろうか。
一つの偶然が二つになり、三つになる、偶然が必然になる条件である。偶然こそが永遠の原基であり、動かしがたい時空の証明を孕んでいるのだろうか。二度と再びその形をなぞることができない、その形につて言及することもできないという不確定。
この作品を前にして、丁寧に設えられた保管箱の厳重さは尊厳にも等しいほどなのに、容易に開けることも可能なのである。解放された秘密の不思議。
製作は時間を経ているが、提示された三つの停止原基なるものには、時間がない。不特定であり、衆目の認可には首を傾げざるをえない。むしろ強制的な静かなる威圧(作家の主張)さえ感じるのである。『さぁ、どうだ!』と詰問されているような《問いの形》である。
停止原基の不変・・・流動・変化こそが自然であり、大いなる原基である。刻々変化せざるを得ない宇宙真理において、この一刹那こそ掲げられるべき『停止原基』であり、三つとは永遠の現在・過去・未来という時間差にすぎない。
写真は『DUCHAMP』 www.taschen.comより
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