『哲学者のランプ』
白蛇を思わせるくねくねしたロウソクの灯りに照らされた哲学者(マグリット)の鼻が、自らが吸うパイプの口にまで延び侵入しているという図である。
眼差しは灯りを背けてこちらを見ている。
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。(略)すると、二人の目が開け、自分たちの裸であることがわかったので、いちじくの葉をつづり合わせて、腰に巻いた。(創世記・第三章より)
善悪を知り、目が開けるという知恵の実である。
その灯りに照らされながら、男は陰を見つめている。「これはパイプではない」と提示したパイプをくわえ、拡大化した鼻をその中に連結させている。
イメージの否定・現実ではないものへの懐疑は、意味を仲介するというプロセスを断ち切る。
「パイプではない」ということは、観念の全否定であり、新しい認識への導入口である。
このろうそく(人工の光/人智)は思考の原初かもしれないが、あえて目を逸らした先に自分の確信がある。
哲学者にとって、ランプ(蛇の灯り/善悪・知恵)は、世界の真偽を問う道場の入口であり、否定こそが大いなる肯定を導き出す鍵ではないか。
(写真は国立新美術館『マグリット』展・図録より)
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