続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『博学な樹』②

2018-03-23 07:00:37 | 美術ノート

 現実の法則から解放された世界である。
 まず重力がない、そして眼差し(目)が自由に浮遊しており、しかも半分は床面に刺さっている。人間の体を失い、目という機能が一つの印(象徴)になっている。
 長方形の平板は四角いが歪んでもいて、どこかに当てはまる要素を失っているし、大きな穴(長方形の空き)によって遮蔽の意味をもたない。角張って折れたものもあるが穴(空き)のかわりに眼がついているという具合である。見ているのか見られているのかも不明な眼差しは、どこへ向かっているのだろう。
 カーテン(遮蔽)らしきものも、質を変換(布~板状)されている。

 装飾(刻み)を施された擬人化をにおわすポールはいかにも頼りなげ(倒壊しそう)であるが、枝葉は途方もなく伸び、あるいは伸び続けているという風である。

これらはピンクという質感を想起し難い面の上に、不思議な並列状態で存在している。

 主題は『博学な樹』である。何でも知っている樹・・・白く美しいポールは女体を暗示する形であり、繁る枝葉は《再生》へのエネルギー(情熱)を感じる。
 異世界、冥府(死後の世界)における眼差し、あらゆることを熟知し、お見通しであるが、現世との連絡手段のない隔絶された世界にいて、ただ佇むだけである。

 母なるものは、ガラクタの中で内なる愛(枝葉)を育てて現世(子供である自分)を見ているに違いないという、マグリットの思い(空想)ではないか。


(写真は新国立美術館『マグリット』展/図録より)


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