続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

マグリット《9月16日》

2015-10-06 06:56:26 | 美術ノート
 神秘的な絵である。
 まっすぐ伸びた樹は真正面から描かれているが、視点である地平線は低く、三日月は樹の手前にある。
 切り離された対象物を並べ替え、あたかも自然であるかの錯覚を抱くように描かれている、つまりコラージュ的手法である。

『9月16日』、916は逆さにしても916と読める。この思いがけない一致(合致)と、月は地球上の事物の向こうに在るという絶対的な事実を逆にした構成の、微妙なバランスの妙。


 三日月が南中するのは真昼であるから、通常の視覚では見ることは出来ない。その南中を夜の景色に設置した心象風景。(三日月を認識できるのは夕刻太陽の光が弱くなってからであり、月影は傾いている)
 現実的に考えるならば、月を手前にして風景を望むことができるのは、視点を月のさらに向こうに・・・否、断じて有り得ない風景である。


 ①月の南中は見ることは出来ない。②樹の視点と周囲の風景の視点が異なる。③月の南中は日中であって夜に三日月を見ることは有り得ない。
 これらの不一致、不条理を描いて『9月16日』と名付けたその根拠は何だろう。
 「天地がひっくり返っても」と、根拠のない話を絶対的に否定する。

 天地がひっくり返ってもあり得ない現実を、まことしやかに証明した作品は、語ることなく沈黙のまま鑑賞者の首をひねらせている。
 この微妙なニュアンスこそが、マグリットの真骨頂かもしれない。崇敬の自然に対する遊び心である。


(写真は『マグリット』㈱東京美術刊より)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿