続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『ガラスの鍵』③

2019-02-14 06:58:15 | 美術ノート

 任意の場所(時空)である。手掛かりはなく、ただ高山の山頂(山稜)に巨岩石が位置しているという条件だけである。
 崇高な美の光景と言えるかも知れないが、地球上に於いて各所至る所で見られる場所の一つに過ぎない。ただ違っているのは石があり得ない状態で位置していることである。
 実在の光景に心理的な光景を被せる、この手法はあまりにもさり気なく同質なものの位置変換を為しただけなので、真偽を曖昧にし、(もしかしたら)の状態を維持している。
 もしかしたら・・・現実と架空がすれすれの接点をもって拮抗している。

 自然の理を考えれば、この石は落下し崩壊の憂き目にあうことは必至であるが、奇跡的にこの位置にある。この位置に在るということは、余程(膨大な)のエネルギーが必要である。
 これを支えるものは自身の生命活力であり、即ち石は自分自身なのであり、自身の生き方、生活、総てを写す鏡なのである。

・・・石に対峙する自身、そのバランスの鍵を握るのは間に流れる空であり、見ることの叶わぬ『ガラスの鍵』の存在である。開けることは即ち崩壊(破壊)を意味し、幻と帰していく時空への鍵である。


(写真は国立新美術館『マグリット』展/図録より)


『オツベルと象』㊿

2019-02-14 06:50:02 | 宮沢賢治

 その晩、象は象小屋で、七把の藁を食べながら、空の五日の月を見て
「ああ、つかれたな、うれしいな、サンタマリア」と斯う言つた。


☆番(組み合わせる)章(文章)の衝(重要なところ)は、照(あまねく光が当たる=平等)也。
 死地を把(手につかむ)講(話)である。
 空(根拠がない)語(言葉)で化(形、性質を変えて別のものになる)を合わせると、兼ねた詞(言葉)が現れる。


『城』3126。

2019-02-14 06:40:26 | カフカ覚書

おれが招聘されることになった経緯、この招聘が村や城で出くわしたさまざまな障害、おれが村に滞在しているあいだにすでに起った、あるいは起こりそうになった厄介な出来ごと、この男は、そういうことをなにも知らない。


☆いかなる自覚が生じたか、村や城にいるあいだに出会った困難、すでに明らかになった混乱を、通告されたことなどの事情を彼は何も知らない。


🈞マグリット『ガラスの鍵』②

2019-02-13 06:56:29 | 美術ノート

 祈りの光景である。
 飛んで行くことはないが、常に落下の危機(死)を孕んでいる。

 今日、わたしはここにいるが、明日、一寸先は分からない。今、この状態が保たれていることは奇跡である。正しく今在る奇跡、さかのぼれば誕生の奇跡だと言い換えてもいい。

 隕石ならば地を割り山の稜線に立つことはなく、どこかの山の噴火で飛ばされてきたのかもしれないが、その是非、物理的な現象は論外である。
 なぜならば、精神界の光景に物理的な根拠は不要だからである。現実に在り、見えるものの光景に被せた世界こそが真実なのである。

 わたくしという存在に対峙するもの、わたくしそのものを写すもの、決して触れることの出来ない《わたくし》である。

 マグリットは自分自身でさえも触れることのできない神秘の自画像を描きあげたのだと思う。
 開けようとすれば、この調和は壊れるしかない『ガラスの鍵』である。
  

(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㊾

2019-02-13 06:44:57 | 宮沢賢治

 象はのそのそ鍛冶場へ行つて、ぺたんと肢を折つて座り、ふいごの代りに半日炭を吹いたのだ。


☆照(あまねく光が当たる=平等)の譚(話)は、字で常に考えて視(気を付けて見る)説(物語)である。
 座(その場の雰囲気)で他意の判(可否を定める)。
 化(教え導くこと)の譚(話)を推しはかる。


休みが続くと…。

2019-02-12 07:44:34 | 今日の一枚。

 三連休、この年になると休みは無関係だと思っていたけれど、ブログを休みにしたら大好きな縫物が出来、日がな一日中チクチク・・・。
 手提げバックは枕カバー(199円)を解いて縫ったもの。小さい肩掛けはアップリケ、他にも小さな物入れも・・・。(裏地・ファスナー付き)

 バカだなぁ、と思いつつ同じようなものを作っている(バカだなぁ)。


🈞マグリット『ガラスの鍵』

2019-02-12 07:00:50 | 美術ノート

   『ガラスの鍵』

 高山の稜線に置かれた石、登頂が困難であり、人が近づくことを拒否するかの高所。 
 天に近い場所(領域)、その稜線(尾根)に乗った巨大な石の存在を問う作品である。

 自然の法則に従えば当然落ちるしかない状態を、あたかも普遍のように描いている。もしこの存在が実在であれば奇跡としか言いようがないが、物理的にありえないことも心象世界ではあり得る光景となり、その接点を結ぶのは《信仰》という強い信念に他ならない。

 要するに、この石の存在を動かし難くできるのは強い信念であり、精神と石との関係性にある。
 精神と石(崇め奉るものの象徴)、精神と神と置換してもいいかも知れない関係性。この崩壊は雨風嵐といった自然現象によるものでなく、一個人の精神の歪みによってのみ生じるもので、《地球の上のわたし、わたしの中の地球》という一存在の奇跡の中にのみ生じる調和ある信仰によって成立する光景である。

 岩石が山上に上りつめる奇跡は、一人生にも等しい驚異であり、すべての誕生に等しく見出される重要な価値ある神々しさである。

 マグリットの発見である。この結論こそが『ガラスの鍵』を持ってしか開けられない、要するに決して開けることの出来ない世界観(幸福論)なのだと心服している。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㊽

2019-02-12 06:41:35 | 宮沢賢治

「ああ、吹いてやらう。本気でやつたら、ぼく、もう、息で、石もなげとばせりょ」
 オツベルはまたどきつとしたあ、気を落ち付けてわらつてゐた。


☆推しはかり翻(形を変えてうつす/つくりかえる)記である。
 即ち析(分けることで事柄を明らかにすること)が基(土台)であり、絡(筋道)は二つある。


『城』3124。

2019-02-12 06:31:32 | カフカ覚書

あなたは、こんな侮辱を受けても平気なのですか」
「それは悩んでいますよ」と、Kは言って、ひとりで苦笑した。というのは、いまにかぎって、それをちっとも苦にしていなかったからである。


☆「侮辱されることに我慢し散ます」と、Kはゆっくり言った。これに対する復讐を、というのは今まさにそのことを大変重く堪え忍んでいたからである。