続・浜田節子の記録

書いておくべきことをひたすら書いていく小さなわたしの記録。

🈞マグリット『旅の想い出』③

2019-02-08 06:59:07 | 美術ノート

 壁に掛けられたフレームの中の絵…これは空想的な実現不可能な天に届く塔の建設ではないか。崩れてしまった「神の門」であるバベルの塔の痕跡。不可能を可能にしようと試みた限りある人智の悟りである。
 机の上の果実…これは知恵の実であり命の実と称された命の糧の象徴、燭台の灯りは必ずや尽きるべき命のイメージをも含有している。
 初老の紳士(学術経験を熟知)と坐した百獣の王であるライオン、二者は対立ではなく並置(平等)の構図である。

 これら人類の歴史を辿る旅は、勝者でも敗者でもなく生命の連鎖を示唆している。
 決して届かない神の門への挑戦は掲げられるべき記念碑である。

 人類の賢愚混濁の旅の歴史も遥かな未来には、懐かしく懐古される日が来るかもしれない。旅の想い出として・・・。

 輝く彩色もなく石化(質的変換)し果てたこの時空は、長い時間を要した人類の旅のプロセスが隠れている。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)


『オツベルと象』㊼

2019-02-08 06:34:12 | 宮沢賢治

 その次の日だ、
「済まないが、税金が五倍になつた、今日は少うし鍛冶場へ行つて、炭火を吹いてくれないか」


☆字で化(教え導くこと)を採(選び取る)。
 贅(不必要なもの)や禁(戒め)を悟(理解する)媒(なかだち)は、教(神仏のおしえ)である。
 化(教え導くこと)の照(あまねく光が当たる=平等)の譚(物語)である。
 二つを常に案(考えている)譚(物語)である。
 化(教え導くこと)を推しはかる。


『城』3123。

2019-02-08 06:22:19 | カフカ覚書

「わたしは、この件をさらに追跡してみる用意がありますよ」と、ビュルゲルはつづけた。「当地のやりかたでは、専門的な力を使わずにおくというようなことは、あってはならないのです。それに、こんなことは、あなたにたいしても礼を失していますからね。


☆わたしはこの事柄をさらに追求する覚悟があります、とビュルゲルは先へ続けた。わたしたちはここにいますが、それにもかかわらず専門的な力の必要を失うようなことは絶対にありません。


抽選・当たったけど…。

2019-02-07 07:34:22 | 日常

 年賀状の当選番号を確認すると、何と二等が!
 喜んで郵便局に行くと、手渡されたのはパンフレット。だいたい二千円相当の品物が各種・・・。
 しばらく考えて選んだのは《お味噌》、何とも質素なわたしの選考。750gを4袋(これで当分お味噌は買わなくて済む)と、安堵のわたしでした。


🈞マグリット『旅の想い出』②

2019-02-07 07:03:41 | 美術ノート

 この画の中には壮大ともいえる時間が三つ流れている。

 まず壁に掛けられたフレームの時代(時間)。高い塔の崩壊は遺跡であり蓄積された権威の名残りである。
 初老の男とライオン(学識を積み何かを究めた人と百獣の王であるライオン)が互いに同位置にいるという平等の認識、叡智の探求の時代。
 そして、それらすべてが石化され時間を止めた時空を客観的に見ている超未来の未知の時代。

 まさに人智を超えた旅の記憶/旅の想い出である。
 テーブルの上の燭台の灯り・・・心の内なる旅である。
 高台のついた皿の上の果実(有機/水)がつないだ生命の連鎖、とめどなく続行を可能にするかもしれない途方もない未来から見た『旅の想い出』である。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)

 


『オツベルと象』㊻

2019-02-07 06:54:56 | 宮沢賢治

 晩方象は小屋に居て、八把の藁をたべながら、西の四日の月を見て
「ああ、せいせいした。サンタマリア」と斯うひとりごとをしたさうだ。


☆判(可否を定める)法(神仏の教え)の章(文章)は照(あまねく光が当たる=平等)を憶(思う)拠(よりどころ)也。
 破(形を崩した)講(話)は済(救い)の詞(言葉)であり、化(教え導くこと)を合わせ兼ねた詞(言葉)である。


『城』3122。

2019-02-07 06:46:37 | カフカ覚書

なんとかくつろげる姿勢はないものだろうかといろいろやってみたが、この姿勢がいちばんらくだった。こうしていると、ビュルゲルの言葉にもいくらかよく注意をはらうことができるのだった。


☆なんとか都合のいい運命は無いものだろうか、と何度も試してみたがこの運勢がすべてのうちで一番都合がよかった。
 それにビュルゲルの言うことも多少は尊敬できるのだ。


ただ、ザクザクと。

2019-02-06 11:25:36 | 今日の一枚。

 今日は月イチの「歩こう会」実施日だったけど雨天のため次週に延期。
 パソコンの不具合もあり、ブログの更新を諦めていたけど(おまかせサポート)で解消。そのうち今日は72才の誕生日だということに気づいた。

 ところで最近、ダイソーの刺繍糸セットを4種購入し、ザクザク縫い込んでバックなどを作ってみた。何の構想もなくひたすら縫い込むだけの乱暴な造り。
 そのうちこれはわたしの人生そのものだと気づいた。何の指針もなくただザクザクと歩いてきた72年の月日。
 無雑作で成り行き任せ・・・知らぬ間の歳月。
 
 でもそれなりの出来でバック造りは終了。わたしの人生はまだ続くらしいけど、こんな感じかもしれない。
 雨の誕生日、せめてゆっくりしたい。


🈞マグリット『旅の想い出』

2019-02-05 06:54:22 | 美術ノート

   『旅の想い出』

 室内の光景・・・壁にかかった額には亀裂の入った塔が描かれ、それは険しい山中に囲まれているという図である。
 初老の紳士、傍らにはライオン、共に生きたまま瞬時の石化、そしてテーブルの上には果実の乗った皿、燭台の明かりは絵の中心に在り周囲を照らしている。
 総て石化の質であるのは、時間を超未来の設定、時空の移行である。

 初老の紳士は右手に本を左手にハット、着衣はコート、蝶ネクタイ姿であり、それなりの地位と学識の人という感じである。傍らのライオンについては自然界を熟知した老いたライオン(百獣の王)の静謐な姿であり、人類と動物の対峙というより競合の果ての調和、同じ空気に生かされたもの同士である同質(平等)を感じる。しかし、双方の眼差しは真逆にあり、相容れない世界を見つめている。 
 壁に掛けられた絵については、栄華を極めた城(権力の象徴として)の崩壊、時代の終焉、過酷な状況下にも新しい草木の芽生えが見える、…たぶん循環を示唆しているのではないか。

 テーブルの上の果実は食べることは生きることであり、生産と消費、生命活動の要を象徴している。中央の蝋燭は人智により存在を浮上させており、人智(叡智)の照度を仄めかしているのではないか。人類の成果とは、これほどの光でしかなかったのだと。
『旅の想い出』の語り部は誰なのだろう。
 人類(動物世界)を俯瞰して見ている永遠なる《神》を想定したのか、あるいは自分自身を超未来に蘇生させ眺めたファンタジーかもしれない。


(写真は国立新美術館『マグリッㇳ』展/図録より)