昨日の続き。
首途八幡宮から織成館へ向かって歩いていると、綺麗にお化粧された地蔵さんがおられた。
本隆寺さんの北壁に沿って雨宝院さんに寄ってみた。
雨宝院さんの壁に仁丹看板発見。
雨宝院さんにお参り。
立て看板には以下のように書いてあった。
雨宝院(西陣聖天宮)北向山雨宝院と号する古義真言宗の寺で、「西陣の聖天さん」として親しまれている。 本堂に安置する本尊「聖天(大聖歓喜天)像」。
雨宝院(西陸径天宮)は、八二一年、弘法大師(空海上人)が嵯峨天皇 の御悩平癒を祈願して安置したものとされ、それが当寺の始まりと伝えられる。
観音堂に安置する千手観音立像は、重要文 化典に指定されており、また、大師堂の本尊は 汗をかくほど辛いことでも助けてくれるという「阿吽あせかき弘法大師像」として知られている。
境内束南には、その水を深物に用いるとよく 深まるとして有名な「祭殿の井」があり、夏の干ばつ時でも個れることがない。また、本堂前の「歓喜桜」は、御室の八重桜と同種のもので、 根元から八重の花を咲かせる。
その隣にある 「時雨の松」は、久邇宮朝彦親王が当院参詣の折、その下でにわか雨をしのがれたと伝えられ ている。
時雨の松。
広がる枝を支えるため、藤棚のように木が組まれている。
雨宝院さんには色々なお堂があり、順番にお参りすることができる。
織成館近くの岩上神社。
木陰で休憩。
赤いポストを見ながら北へ向かって歩いた。
千本通の手前から南へ向かい五辻通り。
五辻殿跡の立て看板があった。
五辻殿は,五辻南・大宮西・櫛笥末に位置した後鳥羽上皇(1180~1239)の院御所。
首途八幡宮に戻り、自転車で細い道を東に進んだ。
堀川通りに出る手前に応仁の乱で有名な山名宗全の邸宅跡があった。
京都の街をうろちょろしていると、こういった歴史的なものがいたるところで発見できる。
立て看板探しも面白い。