ペーパー・写・楽

ペーパークラフト、京都の写真、カブ、自転車、軽自動車で楽しんでいます。

スーパーカブで雲ヶ畑

2022-06-23 16:40:28 | カブでとことこ

 このところyoutubeでスーパーカブのアニメを見たり、カブレストアを見たりしている。
それらを見ていると、自然とカブを走らせたくなる。

で、雲ヶ畑までカブでトコトコ。


加茂街道を通り柊野ダムにとうちゃこ。


ここまで来ると涼しさ満点。


雲ヶ畑集落の入り口に来ました。
山間の集落でとても静か。
野鳥の鳴き声しか聞こえません。


出合橋。


雲ヶ畑小学校。


厳島神社。


さらに奥に進み岩屋橋を渡ると惟喬神社があった。


初めてお詣りします。
惟喬神社と書いて「これたかじんじゃ」と読む。
ご祭神は惟喬親王(これたかしんのう)

ウィキペディアより↓
祭神である惟喬親王は文徳天皇の第一皇子であり、幼少から聡明で次の皇位を嘱望される人物であった。
しかし、時の権力者である右大臣藤原良房の娘と文徳天皇の間に第四皇子である惟仁親王(後の清和天皇)が生まれると、親王は良房らの圧力により皇位を奪われ、都を離れなくてはならなくなった[1]。

神社のある雲ケ畑町に残る伝承として、親王は867年(貞観9年)に現在の桟敷ヶ岳辺りに隠棲していたが、翌年には乳母の招きで岩屋畑(現・北区雲ケ畑)の地に迎えられて造営された高雲宮(現在の雲ケ畑出張所付近)に移り住み、出家後は耕雲入道を名乗り耕雲殿(現在の高雲寺)を営んだとされる。
そこで親王が書写された大般若経最初の一巻が現在も遺されている。間もなく病を得て余命が残りわずかであると悟った親王は、『この地は内裏の上流であり墓所とするには失礼である。山向こうに移りたい』と述べた。村人たちと別れを惜しみつつ、岩屋山を越えた東河内(現・北区大森東町)に向かわれたというものがある


丁重にお詣りしました。


岩屋橋のバス停で休憩。
涼しいというより冷気が降りてきて寒いくらい。


以前は京都バスが走っていましたが、今は「もくもく号」。
北大路駅まで1日2本だけ。


近くの洛雲荘さんを覗いてみました。

ひんやりした空気の中をカブのエンジン音だけが聞こえたりする。
のんびりと走るにはカブは最適です。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする