ハリックの診断即治療&虹彩と、Kenさんの経済学&スケッチ

虹彩には、体質や、現在、過去、未来、のデータが秘められています。虹彩学による虹彩分析を針灸、巨針、食事療法の指針に!

速効療法19:頚椎の調整と手首の痛み

2022-05-31 09:32:49 | 診断即治療と虹彩学


七星循環図



易の原理では、
『易に両儀あり、両儀、四象を生じ、四象、八卦を生ず。八卦吉凶を定め万物を生す』
というようなことを教えられます。(易占では六十四卦まで展開されます)

私が七星論を考える場合、人体は惑星に関係しているのではないかと考え、太陽と惑星に当て嵌めて考えました。
つまり、「太陽・水星・金星・地球・火星・木星・土星」と順序よく並べてみたのです。
そして、それにスパイラル運動を加えることで「活動」まで表現する事が出来たのです。

ところが、五行論でもそうですが、スパイラル運動が具体的に組み込めないのです。

鍼灸治療では、経絡の調整と筋腱の調整、そして前後左右の屈曲に対しての治療が多いものです。
しかし、3年ほど前に「回旋鍼」というテクニックを考えてから、前後左右の屈曲にプラスして、捻れ(回旋)まで調整することが出来るようになったのです。

そして、それを臨床に取り入れて行ったら、今まで手の届かなかったところまで手が届くようになったのです。
上図は、その基本的な図案になるのですが、図案は何年も前から考えていたのです。
しかし、それをどのように鍼灸実技に反映させるかがわからなかったのです。

でもそのテクニックは、鍼灸独自のモノになるので、これからやる「手技療法」には、新たに考えなくてはなりません。
方法はまだ予想もできませんが、きっとあります。‥‥きっとある。
いままでがそうであったように!

たとえば、頚椎の調整は、7~8年前まではカイロでアジャストをしていました。
しかし、カイロは首の硬い人には「危険かな」と考えるようになり、アジャストをしない方法に替えていったのです。
そのやり方だと、手技に慣れてない人でも頚椎の調整ができるようになります。

頚椎が調整できるようになると、いろんな不調が整えられるようになるので、手技療法には欠かせないテクニックだと考えています。
先日のセミナーでも、「手首付近が痛い」という方がいましたが、頚椎を調整したら、
「楽になりました」と言っていました。(多分、お世辞ではなかったと思います)

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[日本の薬の歴史」、吉田裕子先生大いに語るat神戸酒心館ホール(スケッチ&コメント)

2022-05-31 09:06:13 | スケッチ


大阪大学薬学研究科招聘研究員の吉田裕子先生

画・江嵜 健一郎



第129回「酒蔵文化道場」が2022年5月28日(土)午後4時から約2時間神戸酒心館ホールにカウンセリングサロンHappy-pharm代表、大阪大学薬学研究科招聘研究員の吉田裕子先生を講師として開かれ楽しみにして出かけた。会場の様子をいつものようにスケッチした。

話しはメソポタミヤ文明、世界の医薬の起源からはじまった。あと本題の日本の医薬についての話に入った。縄文から飛鳥時代(祈りや呪詛)に始まり、奈良~平安時代(仏教、僧侶の医薬関与)、鎌倉時代(医薬の大衆化、開業医の始まり)まで時代ごとに吉田先生は特徴を上げながら話を進めた。

鎌倉時代の話では冒頭、正面のプロジェクターの画面に僧栄西の像が写された。栄西は1168年、1187年の2度、中国の宋に渡り,禅を習得、医療として茶の薬用効果を日本に広めた。栄西は「喫茶薬養生択」を後鳥羽上皇に献上していると紹介した。

室町時代~戦国~安土桃山時代(戦乱による外傷治療、南蛮医学の伝搬による西欧医学校の建設)、江戸時代(鎖国、生薬の自家栽培、薬問屋の増加、黒船来航、医薬変化の潮流)と続く。日本初の麻薬では華岡青洲の妻の物語も紹介された。

江戸末期,安政の大獄(1856,57年)では西欧の薬が使われるようになった。文献は残っていないがと前置きして、吉田先生は「「匙を投げる」という言葉があります。匙は薬を調合する医匙のことで最早見込みがないという意味で生まれた」と紹介された。

明治時代から生薬から洋薬にころっと変わった。生薬が信じられなくなったため西洋医薬一辺倒へ変わってしまった。一方、薬事、医療の法制化が進められた。

大正時代~昭和初期では第一次世界大戦勃発、薬品製造産業が発展し、自給化が促進された。第二次世界大戦では原材料不足により医薬品の生産と品質が低下した。

ここで吉田先生は「正露丸」と「征露丸」の2つの絵を並べてプロジエクターに映した。ラッパのマークの大幸薬品「征露丸」だった。そもそもは1830年、ドイツ化学者、カール・ライへンバッハがヨーロッパ・ブナを蒸留して作った防腐剤だった。殺菌力があり整腸剤として「正露丸」の名で現在に至ると紹介した。

吉田先生はまとめとして「薬(クスリ)は「リスク」です。薬は生体にとっては異物です。遺伝子工学を駆使した最先端技術による薬品開発の未来に期待したい。多くの日本人医薬品学生が海外で活躍しています。一方、「一人一人の医薬品との付き合い方も大切です」と話し講演を終えた。

質問の時間では「お酒は百薬の長と言われます。先生のご意見をお聞かせ下さい。」と質問した。吉田先生は「適度のお酒はよろしいのではと思います」と笑顔で答えられた。

恒例により名前は聴き洩らしたが、この日は新酒の濁り酒が参加者全員にお猪口一杯づつ振る舞われた。一口でも空き腹には効く。ご機嫌で帰路に就いた。(了)

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