堀文子展:三重県立美術館
江嵜企画代表・Ken
早朝に起きてCNBC,ワールドWaveMorningのニュ―スを聞き、外国の通信社のレポートに目を通し、それをA4一枚の原稿にまとめて投稿することがほぼ日課となっている。その間3~4時間かかる。書き終えてハリックさんに投稿したあとある種気が抜けた状態になることを白状する。
今朝、お昼過ぎ大阪茨木で中国問題の講演が予定されていた。にもかかわずである。家族と出かけた先は、三重県立美術館だった。堀文子さんの個展を見たい。帰るまで先約があったことに全く気がつかなかった。帰宅後お約束した知人に面目丸潰れだったが無礼お許しの電話をした。
堀文子さんの個展は感動的だった。三重県立美術館も想像以上に落ち着いた雰囲気でゆったたりとしたスペースに、時代ごとに並べられた堀文子さんの一枚一枚の絵がまるで場所をわきまえたように出迎えてくれた。
会場入ってすぐの部屋が第一展示室で、「未知なる世界」(1996~2010)と銘打って、最近15年の作品52点が展示されていた。いつものように会場の様子をスケッチした。スケッチは禁止されている雰囲気だったが、即興で委細構わず描いた。画面正面左の絵は牡丹(2007)、右手の絵は「アフガンの王女」(2003)である。
第二室は、「言葉に寄りそう」で、雑誌「サライ」などに描かれた原画54点は圧巻だった。「どくだみ」「水仙」「山吹」「菖蒲」が印象に残った。
第三室は、「目と手の記録」と題して、デッサンを中心に54点を堪能した。第四室は「新しい日本画を目指して」と題して、女子美術専門学校時代の最初の作品にはじまる若き日の作品34点を楽しんだ。
近鉄「津」駅を午後5時10分のなんば行き特急の時間待ちに、駅のスタンドで7日付けの中日新聞夕刊を買った。土地柄であろう、一面トップは、「浜岡停止受け入れへ、中電が取締役会」と出ていた。
一面の大部分が原発関連の記事であった。「使用済み核燃料、1~5号機に6,625本」とあり、「想定外」の地震が起これば、「原発を全面停止しても、発熱が続き簡単に持ち出せない」などと語る専門家の意見が出ていた。
原発停止となれば、火力発電所を再開せざるを得ない。浜岡原発の代替と見られる主な火力発電所として、三重県立美術館のある津市の伊勢湾を介して、目と鼻の先の対岸に知多第2、武豊、渥美火力発電所の所在が地図に出ていた。
電気のない生活は現実問題として今の世代は想像できない。1918年、東京生まれの堀文子さんは、戦後の停電、戦争中のロウソクを灯した生活を経験しておられる。原発で揺れる今の日本をどのような気持で日々の生活を送っておられるのだろうかと妙に気になった次第である。(了)