法隆寺境内
江嵜企画代表・Ken
小学2年の孫のお守を兼ねて奈良見物で終日過ごした。娘からJR尼崎駅で孫を預かり大阪環状線回りで関西線の王子駅で降りた。たまたま大阪駅で乗った電車が紀の国快速だった。これから紀三井寺へお花見に出かけるのだというおばさま達御一行から「お嬢ちゃん、ここへお座り」と親切にも声をかけられ、おまけにのど飴までいただき、孫はご機嫌のスタートとなった。
王子駅から市内バスに乗り約15分で法隆寺に着いた。10時半からはじまった五重塔の前での坊さんの話を聞きながら右に金堂を描き込んで、あわただしくスケッチした。坊さんは法隆寺は世界最古の木造建築だと力説していた。
大人700円の参拝券は、西院伽藍、大宝蔵院、東院伽藍(夢殿)通し切符になっていた。丁度聖徳太子ゆかりの秘仏の特別展が開かれており別料金で500円払った。小学生は半額だった。仏像を拝観しながらよその拝観客に、「法隆寺は1400年の世界最古の木造建築と言いますが、材木の7割はその通りです。しかし、建物そのものは昭和のものです」という係のひとの声が聞くとはなしに聞えて来た。
こういう話こそ、黙って聞いていた孫にとってもいい教育になる。焼けたあと建て直したり、修理を繰り返して今日の姿がある。宝物殿でも法隆寺の履歴が書いてあった。創建以来の建物だ、いや、そうではないと、激しい論争が戦前あったそうだ。そもそもが1400年前の話である。北九州にあったお寺まるごと斑鳩の里に移して建て直したという説や聖徳太子自体実在しなかったという学説を唱えるひともおられるそうだ。
法隆寺でタクシーに乗り最寄駅JR法隆寺から奈良に出た。JR奈良駅前から市内循環バスに乗り、春日大社、奈良公園、東大寺と型どおり回って午後4時過ぎに神戸の自宅に帰った。孫は、大仏さんにはさすが驚いたようで、「天井まで仏さんの頭がつかえてた」となんども口にしていた。柱くぐりも出来て「面白かった」とニコニコしていた。
法隆寺でも奈良公園、東大寺でも三分から五分咲きだったが大勢の観光客が桜を楽しんでいた。鹿が散策する風景は奈良独特ののどかな景色である。東日本大震災の惨状が日々伝えられる最中であるだけに関西は正に別天地であることを改めて痛感した。
ただ、外人さんの姿をほとんど見かけなかった。中国語が全く聞こえない世界には異様な感じさえ受けた。風評被害は益々エスカレートしてきているようだ。原爆の洗礼を受けた日本が、今や世界の海に放射能汚染水を垂れ流す許し難い国といった不名誉な烙印さえ押されようとしている。
今回の原発事故は最初の記者会見で事実関係を隠蔽しようとした東電の体質が裏目に出たに違いない。ここまで事実関係が表ざたになってしまえばそう簡単には修復出来ない。観光立国としてこの先生きていかなければならない日本としても外国人観光客の日本離れをなんとしてでも食い止めるために政府民間共に長期的視野の元、じっくり腰を据えて取り組む必要に迫られていると思われる。(了)