思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

白樺教育館・ソクラテス教室では、8年ぶりに生徒募集をします。

2024-01-25 | 教育

  2016年以来8年ぶりに生徒募集をします!!

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天皇象徴という文化では、最大の価値は金と名誉。 自由はいいから、お金と名誉を!

2024-01-14 | 恋知(哲学)
大多数の日本人は金が第一の価値だ。自由ではなく金品だ。天皇や皇族を象徴とする文化は、裕福と他者承認を至上の価値とし、そのためなら自由の価値は二の次という文化の象徴だ。だから日本には人間=哲学なしが続く。縛られてもいい、大金をくれ(笑)ついでに名誉も。
 
 
鈴木 英男
彼ら(どなた?)にとって金は自由の象徴だ。
 
 
武田 康弘
うん、金があれば何でも、買える~~~~~。心も精神も健康も金次第じゃ、超すばらしい天皇象徴文化の日本は世界一!(笑)

関口徹
激しく同意です👍
 
Itaro Yoshida
関口徹 さん その上続けるほど年金がふえる。
 
鈴木 英男
世界唯一と言って誇り、他には見られないと言って自嘲する。
 
武田 康弘
特別天然記念物として、ユネスコに有形文化財として登録しよう。
自由がなければ、とっても保護されて特別待遇になれる見本です。自由なんてどうでもよい、人間ではなく、神話から続く神もどきなので~~~
鈴木 英男
天の皇、ゼウスが聞いたら怒ります。
 
武田 康弘
多神教のギリシャ神話で大王のゼウスは、かみさんにはへいこらで頭があがらず、
恋愛の神エロースには、かないません。
面白いですよね~~
 
 
 
 
 
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一神教ほど酷い人権侵害はないのです。あなたも神の被造物!という。

2024-01-13 | 恋知(哲学)
一神教ほど酷い人権侵害はないのです。あなたも神の被造物!という。自然の自然性により生まれた宇宙も地表の生命も人間もみなOneGodの創造物なので、信仰せよ??これは、精神の病ですが、超がつく上から目線でしかなく、人権を大元から奪います。最悪です。
一神教徒は、自己絶対化の底意を背後に隠し持ち、神の名によって自分の信仰する道徳を他者に押し付けます。従わない者には、神をも畏れない悪者という烙印を押すわけです。
 
金時綾小路
ほんとに最悪ですね。例えば安倍晋三は名称はいろんな形で変えるが統一教会と癒着、政治的目的の為。一方でその信徒の凶行ですが、これは信徒に取っても不幸な事であるが、これまた宗教の病気。安倍晋三の死に様は、言葉と行動に一致しないいい加減な行動の結果と考えます。敗戦後、今が最悪。
関口徹
とてもよくわかる話です。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
Hideo Isoyama

信じる、
信じないは自由ですが、
太古から現在まで、
いやこれから未来永劫
信仰は続くんです。
誰がどうさからっところで
信仰は無くなりません。
 
 
ーーーーーーーーーーーーー

武田 康弘
自分が「神」がいると思うのは、その限りではもちろん自由なわけですが、
クリスチャンと話をすると、わたしたちの最大のミッションは布教することです。と言います。
神はいる、神に従え(聖書なり教会なりの教え)と言いますから、
否、あなた方の妄想は大きな迷惑になっているから、やめてください、と言います。それももちろん私の自由です。
人を惑わす信仰の世界に入らないように、というのがわたしの活動です。自分の内奥にある善美の座標軸に基づいて生きるのが、よき生です。超越者を外部に求めるのは不幸の源です、とね。
 
ーーーーーーーーーーーーー
 
松島 義雄
神は存在するとは思ってません。(多分書物に触れてからでは、)生まれた時は誰もが無垢です。どう変わるかは環境だと思います。神も仏様も両親に連れられて神社仏閣に行ったときに自然に生まれたものではないでしょうか、神、仏様を信じたから生活が特段良くなることも悪くなることもありません良否は個人の度量(努力)にあると思ってます。
信じるか信じないは本人次第です。人に進めるものではないと思います。
やり取りを楽しませて頂きました。
金時綾小路
強烈に流布する創価学会の信徒の経験ありの私。職場にて約3ヶ月の体験あり。この体験により、宗教教義の帰結は実利と洗脳です。信じる人、信じない人と言う程度では個人的核を失うと思います、血も涙もない侵略行為は宗教流布と密接な関係です。信じるのは勝手にしていただいで他宗教を批判蔑視するなと。余計な物は要らない。あえて云えば愛が神。搾取する神、人殺しを止められない神、税をむさぼり食う天皇と言う神、こんな哲学の無い神も珍妙だ。
 
=========================


「自己反省なき他者攻撃」というのと、「高踏的な上から目線」というのは、同じ精神の裏表だな、と思います。結局は、「自分と自分ち」だけで、「公共性=社会問題への批判精神」がないのです。ダメの見本で、自他を活かす愉悦感がありません。皆に広がる面白さなし。

武田康弘
 
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武田哲学の土台 「欲望」という基本原理 60年が経ち一巡り。 恋知する実存者として生きる。

2024-01-08 | 恋知(哲学)

 2024年辰年の幕開け~ 


武田哲学の土台 「欲望」という基本原理 60年が経ち一巡り。 恋知する実存者として生きる。

 わたしは、ちょうど60年前、小学6年生の時に、ある考え(悟り)に至りました。父、祖父とも浄土真宗大谷派の僧侶でしたので、欲望についての悩みでしたが、終止符をうったのです。

 人間が生きるのは「欲望」であり、あらゆる営みは欲望による。だから考えなければいけないのは、欲望の質である。自分も皆も社会もよくする欲望はすばらしいが、逆はダメだ。何がよくするか、よいとは何か、を考えて生きることこそが根本だ。

という基本原理を得たのです。

 自他の欲望のありようをよく見ると、存在がどのようなものか、炙り出しのように浮かび上がります。

 その地点から自分自身のことだけではなく、社会悪・公共悪とも戦ってきました。60年が経ち一巡しました。ここからまたガチンコで自分を鍛え、よい教育実践をし、公共悪と戦います。よい理屈を言っても結局は、「自分と自分ち」ばかりで公共世界への寄与がない人には、厳しくします。

 それを伝えるのが恋知の営みです。恋知する実存者として生きる!

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新春 わたしのFb語録ー1             

 音楽家は身体が自然と音楽になっいています。写真家は身体が写真眼になっています。
 恋知者(哲学者)は身体が自然と思考しているのです。
 思考が本質に向かって進み、ピントが合う。直観と体験能力が卓越して働いているからです。活字を読み理解するレヴェルとは異なるのです。

 なぜだろう、と考えることは、自分自身の実存からしか出てきません。生きるという地点からしか生まれません。だからAIのような生きていない存在は、考えないで処理するのです。
 いまの受験知は、考えないで処理する正確さとスピードをつけるものですので、「優秀」になるほど、人間でなくなります。内的に生きる意味が消えていきますから、

 お金や肩書きや名誉などの外なる価値を追うしか生きられなくなります。【精神死】に至る病で、「人間は死んだ」となるのです。

 

わたしのFb語録ー2

 私はず~~と「ふつう」が凄い・素晴らしいを求めてきました。日々の行為・思想・食事・住まい・音楽・写真・学習。世間やTVは特別がいいと言い、世俗的上下の価値観です。わたしは全然違います。ふつうにこそ偉大があるという確信で生き「最高のふつう」を追求する哲学です。

 

「ふつう」というのは、世間価値ではまったくありません。わたしの心身にフィットすること。呼吸が楽になる生き方です。他者承認などに惑わされない心と頭のこと。自己承認できる思想で、世俗的な価値観に染まらぬことです。自慢もなく自己卑下もなく、自然体で生きることです。理論家や理屈屋さんではなく、微笑んで生きるのです。こどもたちの笑い声のようにね。それが「ふつう」です。

 

武田康弘

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安富歩東大教授の談=優秀者は自分というものがない。互いに矛盾した思想もかまわず頭に入れて置いて模範解答を書く。

2024-01-06 | 教育
安富歩東大教授の談(以前のものですが)

「わたしが担当した経済学部の授業のテストで経験したことです。私は経済学の思考方法そのものを考える授業をしました。
 すると、きちんと出席して授業をうけていた学生より、出席しなかった学生の方が成績がよかった。なかには満点という学生もいました。
 なぜかというと、出席した学生は経済学の思考方法が呑み込めないから授業に出ていたし、自分の頭で理解しようとした。だから試験はできるところもあれば、できないところもあるのが当然なんです。
 ところが出席しなかった学生には自分の考えというものがない。試験に出るものは、互いに矛盾した思想であろうが、かまわず頭に入れて置いて、模範解答を書く。だから点が取れる。彼らがやっているのは、上手な処理というだけのことで、考えるという行為ではありません。
 彼らに「君の意見はなんですか?」と聞いたら応えられないと思います。何でも受け入れられるけど、自分というものがない。
 学問というものは、いろいろなところに矛盾が隠されているものです。だからふつうの人が勉強して矛盾に突き当たると、分からなくなる、それが当然なのです。
 ところが一部の人たちは矛盾など気にせずにスパッと割り切った上で、そこから先を無矛盾に構成する。この能力の高い人が「勉強ができる」人になり「専門家」になるんです。この問題が端的に現れたのが原発事故後の対応でした。」

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
48 Shinji Omura、Takamichi Yamaguchi、他45人

Shinji Omura
素晴らしい論考、深い洞察に感心した。
流石当たり前田の武田はん❣️
 
武田 康弘
なぜだろう、と考えることは、自分自身の実存からしか出てこない。生きるという地点からしか生まれない。だからAIのような生きていない存在は考えないで、処理するのです。いまの受験知は、考えないで処理する正確さとスピードをつけるものですので、「優秀」になるほど、人間でなくなります。内的に生きる意味が消えていきますから、
お金や肩書きや名誉などの外なる価値を追うしか生きられなくなります。【精神死】に至る病で、「人間は死んだ」となるのです。
Takamichi Yamaguchi
武田先生、教えていただきありがとうございます。
 
武田 康弘
安富教授らと四者会談したときのBlogです。
山下 友宏
衝撃的ですね、、、
自分で考えられない東大生
ちなみにAI怖いは間違いで、
今のAIは人の気持ちはわからないし、東大にも絶対に合格できないのは明らかなんです。
そのAIが合格できない東大の経済学部の学生が、、、、
AIは所詮は計算機、
数式で表せないものはわからない。
人の気持ちは数式にはできない。
これがわからない人がテレビ新聞に出てくる怖さ、、、
今のAIは、ビッグデータから確率統計的に、もっともらしい答えを出すだけです。
だから、人に得意なところと、AIが得意なところがある。
以前、原子力災害の、内部被曝の危険性を隠す、IAEAやICRPの偽科学になぜ、理系や医学系の学生が騙されてしまうか?
Y先生やO先生に聞いたことがあります。
安富先生の経済学の話に近いものを感じました。
 
末永節男
間尺に測ると云う思考も、
ですね?
ほんとにそう思います。
幼児向けのお受験塾にお子さんを入れてる人からの話。
何かをしてるときに先生が「はい、おしまいです」と言った時、すぐにお片付けができる子がいい子なんですって。
好きなことだからと夢中になって続けてちゃ「お受験」には受からない…
命令に従う人間が「上」に立つ仕組み…怖いです
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イスラエル人歴史研究者シュロモ―・サンドの「ユダヤ人の起源」要約的インタビュー (必読です)

2024-01-03 | 社会批評


川上泰徳 /中東ジャーナリスト 

 以前Xで紹介したことがあるイスラエル人歴史研究者で「ユダヤ人の起源」 (ちくま学芸文庫)の著者シュロモ―・サンド・テルアビブ大学教授に2010年6月にインタビューした内容を共有します。
 日本語で読んでも難解な歴史書ですから、最初から「インタビューに2時間ください」と時間をとってもらいました。そのためかなり詳しいインタビューになっています。インタビューの詳細は、当時、私が朝日新聞社のデジタルサイトで主宰していた「中東マガジン」に掲載されました。

 教授は歴史資料をいくら探しても、2000年前の「ユダヤ人の離散」を裏付けるものはないということから、ではシオニズムを掲げてパレスチナに帰還してきたユダヤ人は何者なのか、離散しなかったユダヤ人は、その後、どうなったのか、などの疑問を解きあかしていきます。
 
 「ユダヤ人の離散」がなければ、古代のユダヤ人はパレスチナに残り、ユダヤ教を維持した者たちもいれば、ローマ帝国の下でキリスト教徒になったり、さらにイスラム帝国の下でイスラム教徒になった者たちもいるということになります。イスラエルのガザ攻撃のさなかで、その時、サンド教授が言った「ハマスの活動家が古代のユダヤの民の子孫である確率は、私よりも大きいでしょう」という言葉を読むと、改めて軽い衝撃を受けます。

 サンド教授の研究は、ユダヤ人は2000年前にパレスチナを追われたユダヤ人の祖先で、アラブ人は後からきた征服者の末裔という二項対立を突き崩します。パレスチナ問題は「2000年前にさかのぼる宗教紛争」などという「神話」が日本でもまかり通り、紛争は解決不可能であるかのような印象を与えていますが、そのような神話の呪縛を解くことで、より現実的な解決に向けた理解が可能になるでしょう。
現在のようなガザ攻撃の中だからこそ、サンド教授の最後の言葉「(私たちは)誤ったアイデンティティーから脱却して、イスラエル国民として、アラブ人とともに国づくりをするような未来をつくらねばならない」という言葉に一抹の希望を感じます。
ーーーーーーーーーー

 ――ユダヤ人の追放や離散については、誰もが事実として信じています。
 シュロモ―・サンド教授 しかし、ユダヤ人がパレスチナの地から追放されたことを伝えるユダヤの歴史書は一冊もないのです。これは奇妙なことです。英国人がユダヤ人の追放について書いた本が一冊ありました。それはローマでユダヤ教への改宗者が増えたために、ユダヤの地に追放されたことを書いた本でした。私はユダヤの古代史を専攻している研究者のところに行き、「これはどうしたことか。ユダヤ人の追放がなかったと知らないのは私だけなのか」と聞いたのです。すると、彼は「我々は追放があったとは書いていない。破壊に伴う移民や災難のことだ」というのです。じゃあ、ユダヤの地に難民キャンプがあったのか、大量の移民がどこに行ったかは分かっているのか、と私は聞いたのです。大量の移民があったという証拠もないのです。

 ――ユダヤ人の追放がなかったと知ったのはいつごろですか。
 サンド教授 12年前に、そのようことを初めて聞きました。しかし、7年前でも、私はユダヤ人の追放を信じていました。私は若いころ、マツペンという左派グループに属していましたが、聖書の歴史的な記述に疑問を抱いたことはありませんでした。私はユダヤ人が2000年前にパレスチナの地を追われ、ずっといなかった人々が、いきなり戻ってきて、ここに1300年以上住んでいる人々よりも多くの権利があると主張するのは、愚かなことだと思っていたのです。私が左派で反シオニズムであったときにも、私はユダヤ人が2000年前にこの地を追放されたと信じていたのです。私がこの本を書いたのは、追放そのものがなかったということを知って、衝撃を受けたからです。

 ――ユダヤ人が追放されなかったということは、彼らは土地に残ったということですね。
 サンド教授 追放がなかったということから、2つの問いが生まれます。1つは、パレスチナにいる人々は何者かという問題と、世界中に存在するユダヤ人は何者かという問題です。追放については、シオニズム系の歴史家から、1世紀のローマ帝国による追放はなかったが、追放が起こったのは7世紀のイスラムの征服のときだという理論が出てきました。しかし、それはより愚かな理論です。アラブ人が現地にいた人々を追い出したというのです。しかし、しかし、アラブ人がユダヤ人を追放したことを示す記録も証拠も全くありません。
 7世紀にアラブ人がこの地にやってきたとき、彼らは小規模の軍隊でした。現地の人々はキリスト教徒かユダヤ教徒です。アラブ人はここにやってきて砂漠から新たな預言者が現れたといいました。ムハンマドはそれまで現れたモーゼのように預言者です。彼らは聖書を受け入れていました。ユダヤ教徒にとって、イエスを神の子とするキリスト教徒を受け入れるよりも、ムスリムになることのほうが宗教的には抵抗は少なかったはずです。ユダヤ教の農民たちはイスラム教徒になるという改宗の自覚もなく、アラブ人の宗教を受け入れることで、自分たちの宗教の継続性を得たのです。
 さらにもう1つ重要なのは、アラブ人の宗教を受け入れれば、人頭税を払わなくてもすんだことです。多くのユダヤ教の農民がイスラム教徒になったことでしょう。ユダヤの地にいた人々の多くは農民でした。農民は簡単には土地から離れません。

 ――パレスチナ人は古代のユダヤ人の子孫だということですか。
 サンド教授 アラブ人も様々に混血していますから、ここにいるアラブ人がそのまま古代のユダヤの民の子孫だとは言えません。しかし、ヨルダン川西岸にいるハマスの活動家が古代のユダヤの民の子孫である確率は、私よりも大きいでしょう。誰も、アラブ人と古代のユダヤ人の関係について研究していません。そして、私は、パレスチナ人が本当のユダヤ人だと言ってとして非難されています。しかし、最初にそういったのは私ではありません。ベングリオンなのです。

 ――ベングリオンは1948年にイスラエルが独立したときの初代首相ですね。
 サンド ベングリオンは初期の入植者としてパレスチナに来たシオニストの指導者ですが、彼が若いころに書いた文章を見つけました。彼はパレスチナにいるほとんどのアラブ人は古代のユダヤの民の子孫だと信じていたのです。ベングリオンが友人のイツハク・ベンツビとともに執筆した本の中で、「彼ら『農民』の起源は、紀元7世紀にエレツ・イスラエルとシリアを従えたアラブ人にあるのではない。征服者は、そこで出会った農耕者である住民を排除しなかった」と書いているのです。

 ――ベングリオンがそのように書いていたことはイスラエルでは知られていたことではなかったのですか。
 サンド教授 ベングリオンがそのように書いたのは1918年ごろで、イスラエルをユダヤ人の国と規定した建国宣言から30年も前に書かれたものです。私は20年以上も前に、初期のシオニズムの思想家が昔、同じようなことを書いていたことを読んでいます。その時は深く考えなかったのです。しかし、今回、ユダヤ人の追放・離散がなかった、ということに衝撃を受けて、調べていくうちに、いろいろなことが分かってきて、つじつまがあってきたのです。そして、ベングリオンが若いころに書いた本を図書館で見つけて、思わず「私は正しかった」と言いました。そのころは、出てくる材料が同じ方向に向かっているのを感じて興奮していました。最初、確信はありませんでしたが、だんだんつじつまがあってきたのです。そして、「私が書いているのは、陰謀論などではない」と確信できたのです。
 ベングリオンや初期のシオニズムの指導者たちは、ユダヤ人の離散が起こらなかったことを知っていたのです。パレスチナにいるアラブ人は血を同じくするものたちだから一緒になって国をつくることができると考えていたのです。しかし、29年にヘブロンでアラブ人の暴動があり、ユダヤ教徒が虐殺されました。そして、36年にアラブ人の大反乱を経て、ベングリオンは47年に建国宣言の起草に参加した時、ユダヤ人はこの地から追放されたと書くのです。ユダヤ人の追放と離散が、ユダヤ人が国をつくる理由を説明し、正当性を与えたからです。アラブ人とともに国をつくるという考え方は放棄されたのです。

 ――ベングリオンは考えを変えたのですか?
 サンド教授 ベングリオンはパレスチナ人との抗争の結果、同じ血を受け継いでいるものだからアイデンティティを共有できるという考え方は放棄しました。彼が考えを変えたのは30年代だろ思います。彼にとって、西側のキリスト教世界がユダヤ人の追放と離散があったと信じていることは重要だったでしょうし、彼自身もそのように信じるようになったのではないか、と思います。その後、誰もがユダヤ人の追放と離散を事実として語り、若い左派の人間だった私でさえも、そのことを何も疑わなかったのです。

 ――東欧にユダヤ人が数多くいる理由として、ハザール王国の末裔だと書いていますね。
 サンド教授 ユダヤ人の追放と離散がなかったとすれば、世界にいるユダヤ人はどこからきたのかという問題がでてきます。その理由を調べるうちに、かつてユダヤ教は積極的に布教する宗教だということを知ったのです。そうなると、追放ではなく、改宗によって世界にユダヤ教徒が増えたことになります。その例が黒海とカスピ海の間にあったハザール王国です。この国は8世紀から9世紀にかけてユダヤ教の布教を受けて、ユダヤ教を国の宗教としました。13世紀にモンゴルによって滅ぼされますが、ロシアや東欧に大勢のユダヤ人がいることは、改宗ユダヤ教徒ハザールの子孫と考えることが自然です。
 ハザールは王国で、その下には多くの部族がいました。トルコ系もいましたし、スラブ系もいました。東欧から来た私は、トルコ系かもしれないのです。
 私は20年ほど前に、アーサー・ケストラーが書いたハザール王国についての本を読みましたが、その時は大して関心を持ちませんでした。それが本当だとは信じられなかったからです。しかし、この本を書くうちに、ハザールだけがユダヤ教を採用した王国ではないことが分かったのです。南アラビアのヒムルヤ王国など、いくつものユダヤ教王国がありました。

 ――ユダヤ教が積極的に布教したことはほとんど知られていませんね。
 サンド教授 私もユダヤ教は布教しない閉鎖的な宗教だと思っていました。しかし、キリスト教が広がる前に、ユダヤ教は盛んに布教していたのです。ユダヤ教が布教をやめたのは、ローマ帝国がキリスト教を採用した後、キリスト教の支配の下で強いられたことでした。イスラムも同じでした。キリスト教もイスラムも、ユダヤ教が生き延びるために1つの条件をつけました。それは小さな宗派として存続し、決して異教徒の改宗を求めないという条件です。ユダヤ教は生き延びるための布教をやめ、閉鎖的になったのです。
 ユダヤ教が盛んに布教していたころ、それを担ったのは、兵士であったり、戦争捕虜であったり、移民であったりします。ローマ人がユダヤ教徒を奴隷にすると、連れていかれた先で、奴隷が宣教師となって、現地の人々をユダヤ教に改宗させたのです。私は本の中で、地中海周辺で多くの改宗があったことを書きました。私が証拠を見つけることができなかったものも多く、実際にはもっと多かったでしょう。この問題では、私を誰も助けてくれる人間を大学でも見つけることができませんでした。だから、一人で事例を探したのです。キリスト教やイスラムに布教しないことを強いられた後も、一神教ではない異教の世界では、ユダヤ教は布教を続けました。その最後の例が、ハザール王国ということになります。

 ――この本では、歴史学だけでなく、聖書学、考古学まで幅広い領域を含んでいますね。執筆には、どれほど時間がかかりましたか。
 サンド教授 1年半ほどです。毎日大学で教えて、毎日、図書館から30冊ほどの本を抱えて帰って、書き続けたのです。私は夜も昼もこもって、とれも速やかに仕事は進みました。私の考えは広がっていき、次に書くことはどのような展開になるのかさえ想像できないほどでした。最初は聖書は歴史ではない、ということを書いて、一冊の本をつくろうと思ったのです。しかし、調べるほどに背中を押されるようにテーマは広がり、深まって行きました。

 ――イスラエルで19週連続でベストセラーになったそうですね。反応はどうでしたか。
 サンド教授 多くの人が私の本を読むとは予想していませんでした。私はイスラエルで本が読まれたことはうれしい。テレビやラジオに番組に次々と招かれ、新聞や雑誌でも好意的に取り上げられました。多くの手紙をもらいました。よい手紙も、悪い手紙もあります。反発も強く、死を宣告するような手紙もあります。「ナチ」とか「反ユダヤ主義者」「国の敵」など様々に攻撃する電話もかかってきます。外国で行われた講演で、講演の後、近づいてきて私に殴りかかろうとしユダヤ人の女性もいました。しかし、反応は激励の方が多いのです。
 この本はユダヤ系イスラエル人にとって、これまで教えられた多くの悪いことの反対のことを書いているのです。あるイスラエルの作家は「あなたの本を読んで、自分の両親が実の両親ではなかったかのように感じました」と率直な感想を書いてよこしました。本に対する反響は、それだけで一冊の本ができるほど興味深いものです。
 一方でシオニストの歴史家たちの反応は最悪です。私に話しかけなくなったどころか、私の目をみることすらできないような調子です。
 私が左派だったころ、何を言っても誰かを困らせることはありませんでした。私が占領反対を唱えても、パレスチナ国家の樹立を支持すると言っても、反応はありませんでした。ところが、この本を書いたとたん強い反発を受けました。この本は関わる歴史的な問題を通して、ユダヤ系イスラエル人のアイデンティティーに挑戦しているからです。

 ――イスラエルのユダヤ人にとっては衝撃的だったでしょうね。
 サンド教授 一週間ほど前のことですが、私はある夕食の会で、ある女性に私の本について話をしました。彼女は困惑した表情で、「私は古代のユダヤ人とつながりがないのですか」と聞いてきました。私は「どういう意味でのつながりですか、文化的というならありますよ。あなたはユダヤ教の伝統をもっているのですから。宗教はとても重要です。ユダヤ教は、イスラムを含めて、西洋文明の基礎になったのです」と答えました。
 彼女は「祖父は宗教的でしたが、私は宗教的ではありません。私がいうのは生物学的なつながりです。もし、それがないとすれば、どうやっと私は自分がここにいることを正当化できるのでしょうか」と聞くのです。彼女はとても正直でした。私は彼女に言いました。「シオニズムはユダヤ教徒のための近代国家をつくろうとしました。しかし、宗教というだけでは領土や国を所有する権利はありません。しかし、民族ならばあります。だから民族としてのユダヤ人をつくったのです。それがシオニズムの秘密です」と説明しました。

 ――外国での反応はどうですか。
 サンド教授 私はパリ、ロンドン、モントリオール、ベルリンなど様々な場所で講演会や会議に出席します。ユダヤ人の反応は反発と歓迎に分かれています。しかし、多くの高齢のユダヤ人は、私に感謝を示します。彼らにとっては新しいことではなく、それは長い間隠されていたのです。私が何か新しいことを発見したわけではありません。すでにある材料を集めて、秩序立てて考えたのです。
 米国のユダヤ人の精神分析医からとてもよい手紙をいただきました。「この本にとても感謝しています。私の85歳の誕生日に、この本はとてもよい贈り物でした。本当にありがとう。もし、私の患者たちがこの本を読めば、精神的な問題はずっと少なくなると思います」と書いていたのです。つまり、彼は自分はユダヤ人だが、他のみんなと同じように普通の人間なのだということをこの本を読んで感じたのです。

 ――ユダヤ人が普通の人間だというのは、どういうことですか。
 サンド教授 シオニストは自分たちは古代のユダヤの民の子孫という特殊性を持ち、だからこそ、ここにいることができると説明しているのです。私は、歴史の分析を通じて、ユダヤ人は古代のユダヤの民の子孫ではなし、ユダヤの地を終われて世界に離散した民でもないと主張しているのです。
 シオニストは私を反ユダヤ主義者だと非難します。しかし、私はユダヤ人は中東から追われてやってきたよそ者ではないということを証明しようとしているのです。
 フランスでも、ウクライナでも、ユダヤ人とよばれている人々はキリスト教が広がる前に、ユダヤ教が布教をしていたころに改宗した現地の人々であり、北アフリカではキリスト教やイスラム教が来る前に、アラブ人が来る前に、ユダヤ教の布教を受けてユダヤ教に改宗した人々なのです。ユダヤ人はロシア正教が広がる前にユダヤ教に改宗した人々ですといえば、みんなショックを受けるのです。
 私はユダヤ人は特別な民族ではないというのは、ユダヤ人と呼ばれているのは現地にもともといた人々で、ユダヤ教に改宗した人々の子孫だということです。

 ――それはユダヤ人の多くの人々には受け入れられないことでしょうね。
 サンド教授 私は、イスラエルでの多くの正当性の根拠、特に歴史的な正当性の根拠を覆したので、私は多くの友人を失いました。特に大学ではひどい状況です。人々にとっては、私が書いていることを受け入れるのは困難なのです。ある者は私に話しかけようともしなくなりました。彼らはユダヤ人であることは何か特別のことだったのです。私はそれを崩してしまったのですから。彼らは3000年前に聖書を書いた人々と生物学的につながっているということが重要で、そうではないという事実を受け入れることができないのです。
 多くのユダヤ系イスラエル人にとって、それを受け入れるのは難しいでしょう。彼らは自分たちがここにいることを過去によって正当化しているからです。イスラエルでは聖書を歴史として教えるのです。私は6歳から18歳まで学校で毎週、聖書の授業があります。宗教書としてではなく、歴史書として学びました。試験があるのです。決して宗教学校ではなく、普通の世俗的な学校での話です。私の本は、聖書を自分たちの歴史とするのは事実ではなく、あなたたちは決して古代のユダヤ人の子孫ではないと書いているのです。
 若い世代は受け入れることができます。彼らは自分たちの存在は、事実であって、歴史に正当性を求めようとはしないからです。若い世代は歴史的な正当化には関心がない世代です。彼らは言うのでは「ユダヤ人がここに来たのが間違いであっても、私たちはここにいる」というでしょう。彼らはここで生まれました。彼らの両親もここで生まれました。私がポスト・シオニズムというのも、ユダヤ人の存在が政治的な現実になっているからです。シオニストの夢想を打ち砕けば物事が済むわけではありません。すでに2世代がここにいるのです。彼らはここにいる権利があります。歴史的な事実が間違いであっても、歴史を戻ることはできません。歴史を正していくことはできます。
 ユダヤ系イスラエル人はアイデンティティーの危機に直面しているのです。私は若いころ左派でしたから、自分のアイデンティティーが否定されても、より容易に受け入れることができます。しかし、多くの人々にとっては困難ですが、それはイスラエルの未来と関わるのです。もし、ユダヤ系イスラエル人が中東で未来を望むならば、自分たちには古代のユダヤの民の子孫だという誤ったアイデンティティーから脱却して、イスラエル国民として、アラブ人とともに国づくりをするような未来をつくらねばならないのです。
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2024年迎春 コラボ写真の年賀状です。今年もよろしくお願いします。

2024-01-01 | 恋知(哲学)
わたしは、年男です。ちょうど60年前(小学6年生)、人間の欲望について、悩みに悩み、考えに考えて、ついに結論(悟り)を得ました。

それは簡明にして不動のもので、
人間が生きるのは「欲望」であり、あらゆる営みは欲望による。だから考えなければいけないのは、欲望の質である。自分も皆も社会もよくする欲望はすばらしいが、逆はダメだ。何がよくするか、よいとは何か、を考えて生きることこそが根本だ。
という基本原理を得たのです。

その地点から自分自身のことだけではなく、社会悪・公共悪とも戦ってきました。60年が経ち一巡しました。ここからまたガチンコで自分を鍛え、よい教育実践をし、公共悪と戦います。よい理屈を言っても結局は、「自分と自分ち」ばかりで公共世界への寄与がない人には、厳しくします。

昇竜の年にしましょう~~~~! 共に。

 

 

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