とても充実で、とても疲れた~。9月26日(土)と28日(月)二夜にわたり。
小学生からの教え子たち(中学まで、大学クラスまでといろいろですが)。
長~く一緒です。いろいろありすぎで書くことができません。中身が濃すぎて、言葉はないのです。
9月26日(土)
28日(月)
(in 白樺教育館)
武田康弘
とても充実で、とても疲れた~。9月26日(土)と28日(月)二夜にわたり。
小学生からの教え子たち(中学まで、大学クラスまでといろいろですが)。
長~く一緒です。いろいろありすぎで書くことができません。中身が濃すぎて、言葉はないのです。
9月26日(土)
28日(月)
(in 白樺教育館)
武田康弘
新型コロナウイルスの感染者で、重篤化する極めて稀な人をわざわざ探しだして、繰り返し報道する。通常のコロナウイルスによる風邪でも、重篤化したり、おかしな症状は出るのに、それは一切報道しない。
大多数は、なんでもない軽い症状なのに、ペストやコレラに罹ったごとくに、感染者が出た~~~と深刻な顔して報道する。深く、大きく、頭が犯された「新型コロナ精神病」で満ちる日本列島、批判するものバカバカしくなるほど。
東南アジアでは、K型コロナで免疫ができた後で、G型(武漢型)が入り、今では大多数にT型の獲得免疫があることが、京都大学医学部ビッグデータ科の上久保教授(医師)が明快に説明しているのに、まだマスクをつけている。免疫があるのに危険なワクチンをうつという(愚)。
PCR検査とは、ウイルスを増殖して測る機器で、感染症の検査には適さないことがPCRを扱う科学者や会社経営者からきちんと説明されているのに、いまだにPCR検査を拡大しようとする。ウイルスを見つけるPCRで陽性となっても、ただの曝露者で感染者でないのに、感染者と報道するのは、ひどすぎる嘘。ウイルス数が最低でも10万はないと感染しないので、陽性者のうち感染者は1パーセント未満。それでも隔離する(呆)。「抗体検査」の方がはるかに正しいのだから(それでも相当な間違いがあるとのこと)「PCR検査」はやめるべきなのにやめない。
何の症状もない陽性者(感染してない)からうつるという神話を拡散し、恐怖感を持たせる。頭を治せ!たくさんのウイルスが体内で増えれば症状が出るのは当然。症状がない人がうつすというのは、あまりにも馬鹿げた話。
死者数は、毎年のインフルエンザの死者数=3000人以上(関連死は1万人)よりはるかに少ないのに、新型コロナが恐怖だと言う根拠は何なのか?呆れる。K型コロナが入らずにG型が入った為、免疫がなかった欧米と同じように論ずるのは愚かもいいところ。日本は東南アジアなのだ。
今、一番必要なのは、新型コロナという精神の病を治すにはどうすべきか、を考えることだ。
ここに書いたことは、主に大橋眞 徳島大学名誉教授(感染症の専門研究者)の「学びラウンジ」と、京都大学医学部ビッグデータ科の医師・上久保教授の話に基づいています。
左が上久保教授
武田康弘
とても愚かで恥ずかしいことです。みなが知ることが大切です。
以下の今日の「東京新聞」をよくご覧下さい。謝罪と反省が不可欠です。
以下は、小笠原信也さん(ラカンやハイデガーの研究者で精神分析医)との討論的対話の続きです。
小笠原さんは以下のように書いています。
「・・今や,地球上のどこであれ,科学と資本主義が支配的であるところは すべて「西洋的」である — アジアであれ アフリカであれ.それは,現代の科学と資本主義が,西欧において始まり,西洋諸国から出発して 全世界を支配するようになったからにほかならない.
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対話の核心中の核心である「形而上学」についてわたしの見方をご紹介します。
日本では馴染みのない言葉ですが、
古代エーゲ海文明(エーゲ海周辺の現地人とアーリア人の混血による)を【換骨奪胎】して自分たちのもとした西欧人(【我田引水の見本】ですが)には、馴染み深い言葉=概念です。
形而上学は、プラントの弟子のアリストテレスに始まります。
以下に、2013年に書いた「恋知」第2章の結語から一部です。
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プラトン(ソクラテス思想)に教えを受けたアリストテレスは、恋知・哲学の核心であるイデア論を否定し、再び「自然哲学」を中心とする思想に戻ってしまいます。倫理学も自然哲学から導かれるものとなります。
彼の『自然学』(正式には『自然学講義』)は、自然研究の原理論ですが、『形而上学』第一巻は、『自然学』において定義された概念・思想を前提にしていますので、『自然学』は、アリストテレス哲学全体の原理を提示したもの、と言われます。
そこには、有名な「四種類の原因」が提示されています。生成と消滅、自然におけるすべての変化の「原因」は4つあり、それは、「質量・素材因」と「形相ないし範型」と「始動因」と「目的因」だとされます。いま詳しい説明は省きますが、問題は、最後の「目的因」です。当然、人間の製作物なら目的はありますが、自然(の変化)に目的があるとは?彼は、自然の研究者は、四原因をすべて知らなければならないと言い、雨が降るのも偶然ではなく、穀物を成長させるという目的がある、と言います。
この「自然によって存在し生成するものの中には目的が内在する」という主張は、キリスト教が水と油のギリシャ哲学を換骨奪胎していく原因となった、とわたしは見ています。神=創造神が人間を含む全自然をつくったとする一神教であるキリスト教(前身のユダヤ教・旧約聖書に始まる)にとって、人間と自然の一切を説明する「神学≒学問」をつくることは必須でしたが、そのためには、キリスト教思想とは全く異なるギリシャ哲学(世界最高峰の知)を使うほかありませんでした。
ソクラテス・プラトンの「善美への希求という座標軸」(それがイデア論の核心)をもつ恋知においては、自然研究(研究者の知的好奇心による)と、人間の生き方(万人にとって必要な探求・吟味)とは次元を異にする知との考え方でしたので使えませんが、アリストテレスの哲学は、すべてにおいて「万能の神の計画」があるというキリスト教神学には好都合で、ピタリとはまります。自然学と倫理学とは一つになり、壮大な物語がつくれますので、全世界・全人類をキリスト教神学≒学問で覆う(支配する)ことが可能となったのです。
では、なぜ古代ギリシャのアリストテレスが「目的因」という非学問的な思想を哲学の中心に入れたのでしょうか。それは、彼が、知の核心であるイデア論を否定することでタレスに始まるプラトンまでの全ギリシャの知を統一しようとする意図をもったからなのですが、今は詳しくは書けません。
問題の核心は、「善美のイデアへの希求」という座標軸がなくなると、人間の生の意味と価値について吟味する足場が失われてしまうので、人間と自然のすべてを貫く「目的因」という物語をつくらざるを得なくなったことにあります。これによって、倫理や政治までも自然学から演繹されることになりましたが、それは、近代のドイツ観念論を通して遠く戦前の日本を代表する哲学者・田辺元(数学・物理学・哲学)にも影響し、天皇制の正当化の理論=「天皇を中心とする日本の国体は、太陽系と同じで、宇宙の原理に合致する」にもなっています。
このように自然学から意味不明の演繹をする異様な思考は、すべてに目的があるとする神話的な考え=「目的因」と重なっていますが、わたしはそこに、幼児のもつ「万能感」の延長がつくる歪みを感じ、怖さを覚えます。肥大した外的自我の怖さです。それは、国家主義の論理を生み、一人ひとりの生への抑圧を正当化します。更に言えば、自然征服という人類中心のエゴイズムが生じたのも、この「目的因」という強引な概念のねつ造に深因があるように思えます。
武田康弘
写真は、昨日、中津川督章さんのアトリエで 撮影は古林治さん。
実験結果を見れば、だれでも一目瞭然です。
また、多くの医師が(8割)マスクは不要どころか有害であると答えています。
マスクは、咳などで、唾・飛沫がかかるのを防ぐには役立ちますが、そうではい場合には、他者にうつすのを防ぐ役割さえないことが明らかです。
それでもまだマスクを!というのは、頭がおかしいとしか言いようがありません。
悲しいことです。
【新型コロナ】マスクの効果について! ■YouTube全動画・2020/9/18
https://www.facebook.com/268759603556377/videos/3257457847686853
PCRは、遺伝子の断片を調べるものであり、病原体ウイルスを検査ことには、適していません。PCRが、感度と特異性が非常に高いために、病原体ウイルスの検査にも使えるという誤解があるようです。
PCRの発明者キャリーマリスも、PCRは、感染症の検査に使ってはならない」という趣旨の発言をされていたようです。この発言の出処について議論があるようですが、この発言の意味についてはあまり議論がされていません。今回の騒動の中心的役割を果たしているPCR検査の何が問題なのかを明らかにすることが必要です。
PCRの検査する遺伝子断片は、わずか100塩基ほどの長さであり、PCRの高い特異性は、この範囲内のことにすぎません。全長3万塩基の新コロゲノムの300分の1に過ぎないのです。残りの300分の299の領域について、何の情報も得ることはできないのです。300分の1が似ているからと言って、全体が似ているという保証はどこにもないわけです。
むしろ、病原性は強いといって恐れているウイルスを保有していれば、多くのPCR陽性者が無症状であるという事実を説明できません。PCRは、新コロウイルス以外のウイルスを引っかけていると考えたほうが自然です。ウイルス数も少ないことからも、病原性を有するとは考えられません。現在のPCR陽性者は、ほとんどが偽陽性の可能性が高いのです。これを明らかにするために残りの300分の299の情報を開示する必要があります。
現在無症状感染者がたくさん出ているわけですから、その情報を集めることはできるはずです。もし、仮に完全に中国論文と一致したとしても、その病原性の確認が重要です。無症状と病原性の関係を明確にする必要があります。
また、たんぱく質の構造に変化を与えない遺伝子の同義的置換は、理論的には、非常に多くの変異体があることになります。PCRで、確認できるのは、この変異体のごく一部に過ぎません。すなわち偽陰性が非常に多く発生する可能性があるのです。すべての変異体を検出するには、数万種以上のプライマーで検査を行う必要があります。しかし、これは実際には不可能でしょう。そのために、多量の偽陰性の発生は、避けられないのです。
このような偽陽性、偽陰性を防ぐには、PCRに反応するウイルスの現地調査、変異体の存在の地域分布などをあらかじめ調べておく必要があります。遺伝子バンクに登録されているのは、病原性ウイルスなど医学的に重要なものだけです。それ以外の無数とも言える常在ウイルスについては、遺伝子バンクには、基本的に何の情報もないのです。
PCRを病原体ウイルスの検査に使うためには、このような地域ごとのウイルス分布についての基礎調査が必須です。しかし、このような調査は、莫大なお金と時間が必要です。病原性もよくわからないウイルスの調査を、莫大な予算をつかっておこなうのは現実的ではありません。したがって、PCRは、病原体ウイルスの検査に使えないのです。マリス博士の発言には、このような背景があるのです。
「前時代の遺物」という言葉があまりにもピタリなので笑えます。
権力主義&権威主義で、あらゆることが「形式と序列」の二文字に収まってしまう国は、中身・内容が空疎になりますが、かなしい日本人をいつになったらやめられるのでしょうね。
わたしは、個人的には、とっくの昔にやめていますが。
【形式・肩書中心の生】から、《意味充実の生へ》!ですが、政治も早いとこ直してください~~~~。
正装の写真です。
大坂なおみ
以下、シェアします。竹田ダニエルさんの記事です。
https://number.bunshun.jp/articles/-/845038?page=4
9月12日、無観客で開催された四大大会の一つである全米オープンの女子シングルス決勝で、大坂なおみ選手がベラルーシのビクトリア・アザレンカ選手を破り、2018年以来2度目の全米オープンのタイトルを獲得した。23歳未満でメジャー3冠を達成したのは、2008年にマリア・シャラポワが達成して以来初めてである。しかし女子アスリートとして歴代最高の高給取り(フォーブス調べ)の22歳が成し遂げた偉業は、スポーツにおける実績だけでは決してない。
私は、大坂選手と同じハーフで、同世代。そして現在アメリカで暮らしている。この記事では、彼女のこれまでの言動と英語圏で報じられている大坂選手の活躍に関するニュースを振り返りながら、「私はアスリートである前に黒人女性です。」と語る彼女がどのように取り上げられているのかを紹介したい。
大坂なおみの7枚のマスクは多くの人を「当事者」にした
いま、アメリカから広がっている人種差別反対運動は、「Black Lives Matter」が合言葉になっている。不当に黒人を殺害した警察官たちがあまりに多くの場合で罪に問われていない現状や、その犠牲となった人たちの名前をSNSやメディアを通して何回も社会に思い出させることが必要であること(“Say Their Names(彼らの名前を言おう)”)が特にネット上においてBlack Lives Matter(以下BLM)の中心的メッセージだ。
大坂選手が人種差別問題への啓蒙を行うために、殺された黒人たちの名前(Breonna Taylor、Elijiah McClain、Ahmaud Arbery、Trayvon Martin、George Floyd、Philando Castile、Tamir Rice)が書かれたマスクを7枚用意し、世界中の人々が注目する全米オープンの各ラウンドで着用したことは、「#Say Their Names」というハッシュタグをよりリアルに、より広く伝える行動だった。大坂選手は決勝後のインタビューで記者から「7回の試合で7枚のマスクを使いましたが、伝えたかったメッセージは何ですか?」と聞かれ、「あなたが受け取ったメッセージは何ですか?というのがより重要な質問です。社会が問題提起を始めることが意義であり目標です」と答えている。
警察官に殺された黒人たちの名前が書かれたマスクを着用することで、模範的な声の上げ方で社会へ問題提起を行い、殺人を犯しているのに警察官たちが罪に問われない事実を人々に伝え、「それっておかしいんじゃないの?」と考えるきっかけを与えた。大坂なおみはスポーツを通して、世界中の観衆をこの問題の「当事者」にしたのである。
大坂なおみ選手と7枚のマスク ©AFLO
「ウェスタン&サザン・オープン」準決勝のボイコット
アメリカにおける長年の制度的人種差別や構造的人種差別に対する反対運動は、様々な条件が揃ったことによって、ここまでのムーブメントとして拡大してきた。そのなかで大坂選手もBLMに関する情報をSNSで共有し続けてきている。ときには、「スポーツに個人の意見を持ち込むな」と彼女の言動を否定的に捉える人々もいたが、そういうコメントに対して反論することもあった。そしてその言葉を実際に行動にも移していく。
6月に平和的な抗議デモに参加するためにミネアポリスに出向いた。7月には非常にパーソナルな内容のオピニオン記事をEsquire誌に寄稿し、「自分の人生で何が実際に重要なのかを再評価しました。私は自問自答し、テニスができなかったら、私は何をして変化をもたらすことができるのだろうか?と考えた際に、私は声を上げる時が来たと決めた」と書いている。(https://www.esquire.com/sports/a33022329/naomi-osaka-op-ed-george-floyd-protests/)
そして8月、ウェスタン&サザン・オープンの準々決勝で勝利した後、黒人男性ジェイコブ・ブレイクさんが警官に銃撃されたことに抗議し、現地時間の26日に準決勝の棄権を表明した。
このとき、大坂選手は自身のツイッターにて、「私はアスリートである前に黒人女性です。今は私がテニスをする様子を観るよりも、重要なことがあると思います。また、白人が多数を占めるスポーツにおいて問題提起を行い、会話を始めることができれば、正しい方向への一歩だと思う」とコメント。彼女の後に続くように、多くの選手が声を上げている。カナダのミロシュ・ラオニッチは準々決勝に出場していたが、試合後の記者会見で大坂選手を支持。現代テニス界を牽引し、男女平等を訴え、差別撤廃運動にも尽力した人権活動家ビリー・ジーン・キングも、大坂選手の決定を支持するツイートをしたテニス選手の一人である。
「大坂なおみによる、スポーツ界の抗議運動を支持するための勇敢でインパクトのある行動。彼女は明日の準決勝でプレーする予定でした。選手たちがプラットフォームを活用することには多くの意味がある。沈黙してはいけません。#BlackLivesMatter」(https://twitter.com/BillieJeanKing/status/1298812323767947269?s=20)
大坂の棄権発表の直後、USTA、WTA、ATPツアーは大会を中断し、共同声明にて「人種的不平等と社会的不公平に反対する姿勢」を取ることを表明。国際テニス連盟も声明でサポートを表明し、大坂選手の名前にも言及した。
置かれた現状や社会の課題を批判するだけでなく、自身が持つ影響力や社会的責任と向き合い、問題提起をしながら行動を起こすこと。大坂選手の言動は、実際にスポーツ業界や他のスポーツ選手に大きな影響を与えただけではなく、世界中の視聴者にも人種差別について考えるきっかけを与えたのである。
アメリカでは大坂なおみの姿はどう映っているのか
こうした大坂選手の言動は、インタビューやメディア記事を通して「スポーツの世界にしか存在しない選手」ではなく、「思想や言論をしっかりと持った一人の人間」として世界へと伝えられている。その大きなリーチ力を持ったプラットフォームを活用して、社会問題と向き合い、発信を続ける努力は米国内では一般的に強く賞賛されており、米国代表でないに関わらず、全米オープンでは多くの視聴者が大坂選手に応援の言葉を送るという現象が見られた。
日本を拠点とする著名なアフリカ系アメリカ人の作家であり活動家でもあるバイエ・マクニール氏は、大坂選手をボクサーのモハメド・アリやの陸上競技選手のジェシー・オーエンスのような偉大な黒人アスリートたちに続く活動家だと見ている。
「モハメド・アリは、自分が不当だと思ったことや間違っていると思ったことに抗議するために自分のキャリアを危険にさらした。そして、なおみはその道を歩んでいると思う」(https://www.reuters.com/article/us-global-race-japan-tennis-osaka-featur/osaka-a-jesse-owens-of-japan-for-racial-injustice-stand-idUSKBN2630F4)
そして、日本でも「芸能人が政治的発言をするのはどうなのか」という議論が年々変化しているように、アメリカでは、影響力を持つ個人としてのスポーツ選手のあり方が常に変化し続けている。米国でも、かつてはスポーツ選手がスポーツ以外の主張をすることを好意的に捉えない人がいたのだ。しかし現在では、ほとんどのメディアやスポンサー企業がそれに対する変化を後押ししている。
「スポーツと社会」に対するブランドの向き合いは変化している
2016年8月当時、有色人種への差別や暴力への抗議を表明するために試合前の国歌斉唱中に起立することを拒否して跪いたことでNFLから事実上追放されたNFLのSan Francisco 49ersに在籍していたコリン・キャパニック選手を、2018年にNikeが広告に起用。その広告が最優秀マーケティング賞に選ばれ、Nikeの話題性やブランドイメージ向上に大きく貢献したことも記憶に新しい。もはや「スポーツ選手が社会問題に対して抗議をしたり発言をすること」は異例のことではなく、企業もスポンサードしているスポーツ選手の支援方法やBLM等についてどのように言及するか、積極的に模索を続け、スピード感を持って行動をとるような傾向が強まっているのだ。
大坂選手の優勝直後に、Nike Japanの公式ツイッターアカウントが「この勝利はじぶんのため この闘いはみんなのため」と書かれた画像を投稿した(https://twitter.com/nikejapan/status/1304909292928073728?s=20)。スポーツ選手としてコートの上で戦う選手像と、社会に蔓延る不平等のために声を上げ、行動を続ける大坂選手個人への敬意が込められており、「スポーツと社会」に対するブランドとしての向き合い方がメッセージとして強く伝わる。
特に自分が応援しているスポーツ選手は、その思想や言動も含めて応援したくなるものかもしれない。その心理状況を活用して、ブランドという一見無機質なものとスポーツ選手の結び目の延長線上に顧客を置くことで、より「人間的なストーリー」を描くことは可能だ。だからこそ、スポーツ選手の「人間的な部分」や「社会に対して抱くパッション」は否定したり隠すべきことでは全くなく、むしろ社会的な議論を前に進めたり、問題提起の認識を広めるための重要な役割を果たすとして米国では尊重される場合が多い。
社会的影響力を持つ大企業が、個人として大きな影響力を持つスポーツ選手をスポンサーとして支援する理由は、知名度の拡散だけではなくなってきているのだ。日本ではスポンサー企業が社会的メッセージを提示することは少ないが、SDGsへの意識が高まり、グローバル化が進んでいる中でより広い視野で社会問題を取り上げることが企業やメディアとしてメリットになる。
22歳の女王が訴えたことから何を学びとれるのか
女子シングルス世界ランキング3位(9月14日現在)の大坂選手は、世界中の人々に「人種差別」という普遍的な社会問題について問題提起を続ける力を持ち、日本の社会問題にもアメリカの社会問題にも言及できる能力を持っている。そして多面的な人間である彼女を応援しながら、共に学ぶことで、我々も社会の一員として前に進むためのヒントを多く見出すことができるはずだ。
大坂なおみ選手 ©BUNGEISHUNJU
極度の人見知りでシャイだと自身でも発言しているように、ここまで発言力を持つようになるまでの道のりは大坂選手にとって長かった。さらに個人的な葛藤とともに、アスリートに対する「政治には口出しするな」という奇妙なスティグマにも直面し続けなければならない。激動の時代に企業や個人が「社会との関わり方」を再考するにあたって、スポーツ選手の言動をどのようにして受け取るか、そして社会が彼らから何を学びとれるかを考え続ける必要がある。
「日本は、本当に先進的な国。何が許され、何が許されない(言動)なのかを誰もがもっと学ぶ必要があるだけだと思います」
(https://time.com/5851730/naomi-osaka-speaks-out-sports-justice/?playlistVideoId=6164699968001)
「恥ずかしがり屋でいるのはもうやめる。本当に時間の無駄。 多くのアイデアを共有できたのに、色んな人と話せたのに、学べたこともたくさんあったのに!自分で自分にリミッターをかけているだけだった」(https://twitter.com/naomiosaka/status/1257483374458843136?s=20)
勝ち続けなければ黒人の犠牲者たちの名前を伝えられないというプレッシャーを試合へのモチベーションへと変化させ、自分の信じるもののために立ち上がることを恐れなかった大坂選手に、私は最大の敬意を表明したい。
わたしは、スポーツ選手は人間だと思います。
ロボットではなく、上意下達の哀れな存在ではなく、組織の駒ではなく、運動バカではなく、人間です。
人間は、自分の考え=生き方を創造しながら生きる存在です。
社会問題・政治問題を知り、自分の頭で判断し、意見を言い、主張する存在でなければ、自立した人間とは呼べません。
日本のスポーツ組織の多くは、人間を奴隷にします。いまおな上位者に服従という封建道徳=儒教思想でしかありません。
選手は人間ではなく、組織・団体貢献、国威発揚のために存在するかごとくです。
政治的意見を言ってはいけない!?? まったくアベコベですね。政治的意見を表明できるしっかりとした個人=人間にならなければいけないのです。
日本の常識は世界の非常識で、後進国もいいところ、ああ、いつになったら日本人も個人=人間になるのでしょうか。まるで昆虫!底なしの愚かさのスポーツ団体。
大坂おみに拍手喝采、祝杯をあげよう!!
彼女は、テニス選手?スポーツ選手? である前に、それ以上に個人としての人間だ!!すばらしい。
武田康弘
ウイルスはカオスの世界 PCR検査は意味がない。
PCR検査は、遺伝子の断片を調べるものであり、それ以外の目的に使うときには細心の注意が必要になる。今回の騒動の原因は、PCRが病原体ウイルスの検査に使えると、安易に考えたことにある。遺伝子を調べることと、病原体を調べることと似たようなものと思っている人がいるようだが、実際には似て非なるものの典型だろう。
PCRは、プライマーと呼ばれる短い領域の遺伝子の一致(または高度な類似性)があると反応する。遺伝子の少し離れた2か所で挟み込む形で増殖反応をさせるので、遺伝子の高度な類似性を見るのは、合計40塩基ほどの長さの遺伝子である。この領域は、たんぱく質に翻訳させる部分なので、遺伝子の変異があっても、翻訳されるたんぱく質に変化のない変異であれば、たんぱく質に変化は生じないので、ウイルスの機能としては、ほぼ同じと考えられる。3つの塩基で1つのアミノ酸をコードしている、40塩基の遺伝子は、少なくとも12のアミノ酸をコードしている。20種のアミノ酸をコードする3つの塩基の組み合わせ(コドン)は、60種としても、一つのアミノ酸たり、平均3種のコドンが存在する。12のアミノ酸では、3の12乗通りの遺伝子多型が存在する可能性がある。
このような多様な遺伝子型のうちで、今回のプライマーセットのPCRに反応するのは、ほんのごく一部である。今回のウイルスが、それほど問題というのであれば、同じ表現型をもった他の遺伝子型についても調べる必要がある。遺伝子の多型は、プライマーとして用いた領域以外にも当然ながら存在しうる。無数というほどの遺伝子多型が存在する中で、中国のグループが発表したひとつの遺伝子型の存在の有無だけをPCRで見つけることに、一体どんな意味があるというのだろうか。 PCRの特異性が高いという特性は、一見すると特異的に病原体を検出するようにも感じるが、実際には病原体の検出という目的には使えないことになる。このような遺伝子多型の存在しうるウイルス存在の有無を調べる目的には、まったく不向きであり、役に立たないということを肝に命じる必要があろう。
以上は、大橋眞(感染学・徳島大学名誉教授)のビデオでの話を担当者が要約したものです。改行と太字はわたし武田によります
PCRとは、何を検査しているのか? ビデオで解説(大橋眞)
PCR検査の精度に関しては、多くの方が問題点を指摘されています。偽陽性に関しては、1%程度の偽陽性が避けられないので、ある特定の集団に対して全員検査という形は意味がないという考え方が一般的です。
しかしながら、これは遺伝子を調べるときのPCR検査の精度に関するものです。 本来PCRは、遺伝子を調べる方法であり、病原体を検査するものではありません。ウイルスの遺伝子を調べているのだから、病原体を調べているのとほぼ同じであるという理解をされている人が多いように思います。
政治家の中には、コロナ対策の要としてPCR検査体制の充実を指摘する人もいます。また、いくつかの地方自治体においては、独自にPCR検査の体制の充実を図り、コロナ対策を強化するという動きもみられます。
しかしながら、PCRにより検出した遺伝子が病原体のものであるという証明は、いまだにされていません。病原体であるという証明は、コッホの4原則を満たすということになります。
本当はコッホの4原則を完全に満たすことが必要ですが、現在のところは、その第一項目である、一定の病気には一定の微生物が見出されるということすら、確認できない状況です。
この感染症の病変部位から、その病変を引き起こすのに十分なウイルスが見つかったという論文も見当たりません。
感染実験においては、完全に純化したウイルスを使っておらず、感染に用いたウイルスの純度の記載がないものがほとんどです。また、病変部位からその病変を説明できるウイルス量が存在することの記載や、そのウイルスが感染に用いたウイルスと一致するという記載がないのです。
また、PCR検査のサイクル数から、少数のウイルス数が確認された場合でも、感染者としているケースが大多数を占めています。 このように、PCR検査は遺伝子を検出する方法としては高い精度を有している反面、病原体検査としては全くあてにならないというのが現実です。
PCR検査を病原体検査に使う場合には、遺伝子をもった微生物が病原体であることがコッホの4原則に基づいて証明されていること、遺伝子に変異がないこと、類似の遺伝子の関与が否定できることなどの条件があるのです。今は、それらの条件がまったく満たされていません。したがって、今の条件でのPCR検査は、病原体検査には使えないのです。
以上は、大橋眞(感染症の専門研究者で、徳島大学名誉教授)さんのお話を番組作成者が要約したものです。
改行と太字は、わたし武田です。
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「新型コロナウイルスを考える会」について 世界中で新型コロナウイルスの影響を受ける中、真実を誠実に追い求めたい。そんな気持ちで発足しました。 入会申し込みフォームは下記のURLにあります。(大橋眞) https://forms.gle/TSYXaRBKxG6p7rbs5
小沢一郎「すぐの選挙でも自民党に勝てる」3度目の政権交代に挑む〈週刊朝日〉
9/10(木) 8:00配信
小沢一郎氏(左)と田原総一朗氏 (撮影/写真部・小黒冴夏)
かつて2度の政権交代を実現した衆院議員の小沢一郎氏(国民民主党)が、3度目に向けて動き出した。野党合流の裏側や、早くもささやかれている解散総選挙に向けた意気込みについて、ジャーナリストの田原総一朗氏が切り込んだ。 【アンケート結果】テレビを見ていて信用できないと思う人1位は? 【前編/河井前法相事件の金は? 小沢一郎「自民党の正式な経理では出ていないのでは?」】より続く
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田原:安倍内閣ではスキャンダルを連発してきた。選挙になれば野党は政権奪取のチャンスだ。
小沢:菅(義偉官房長官)さんが総裁になって、すぐに選挙というリスクを冒すかどうか、そこはちょっと疑問ですが、新党の体制を早く整えられれば、すぐの選挙でも自民党に勝てると踏んでいます。
田原:菅さんが難しいのは、安倍さんの政策の失敗を否定できない。森友・加計問題も桜を見る会も調査するとは言えない。
小沢:安倍政権の数々の問題、森友問題も桜を見る会も、そして河井夫妻のスキャンダルも、政権がひっくり返って枝野(幸男・立憲民主党代表)内閣になれば、すべて明るみに出ますよ。ところが、わがほうの玉木(雄一郎・国民民主党)代表は、別の新党を結成する構えを見せています。
田原:何で玉木さんは枝野さんと合意できなかったんだろう。
小沢:枝野さんとの関係がおもしろくないという意味ではなくて、やっぱり国民民主党の代表として自分の好きなパフォーマンスをするのがいいんでしょうね。説得は続けますが、平野(博文・国民民主党)幹事長にはもう早く新党をスタートしようとせかしています。
田原:玉木さんと会ったら、自民とも維新とも組まないし、枝野さんともけんかする気はないと言っていた。まあ、いいとして、非自民政権はこれまで2回とも小沢さんがつくった。1993年の細川内閣と、2009年の鳩山内閣。多くの国民は3度目を期待している。
小沢:三度目の正直です。何としても、その期待に応えたいと思っています。
田原:応えないと、自民党というより日本全体が劣化する。枝野さんも、志位(和夫・日本共産党委員長)さんも、今度の選挙は小沢さんでやるしかないと言っている。06年に小沢さんが民主党の代表に就任して、急に選挙が強くなった。翌07年の参院選で60議席を獲得して参院第1党となり、ねじれ国会の状態をつくった。みんな驚いた。
小沢:その代わり、きついからみんなに嫌がられましたよ(笑)。でも田中角栄先生もロッキード事件になってから、みんなに優しくなりましたが、それ以前は選挙にはものすごく厳しかった。「おまえ、何万人と握手してこい、何万軒歩いてこい」と言って。
田原:安倍さんや麻生(太郎・副総理兼財務相)さんのようなリーダーは、そういう苦労をしていない。安倍さんは岸信介さんの孫、麻生さんは吉田茂さんの孫。やっぱり世襲がダメなの?
小沢:それは地元で選挙運動をしていないからです。選挙運動が一番勉強になります。安倍さんも麻生さんも東京出身ですから。僕も2世だけど、ずっと田舎で生まれ育ってきましたからね。地元で育ち、そして選挙運動をやっていれば、大衆の心がわかるんです。東京にばかりいたらわかるものではない。それが民主主義の基本です。大衆の心がわからないで、どうして現実の政治ができるのか。英国ではどんなに偉い人でも地元に帰って、選挙運動を徹底的にやります。
田原:小沢さんには全面的に期待がかかっている。小沢さん、連立政権をつくるために何をどうする。
小沢:連立!? 田原:立憲・共産。 小沢:共産党と? 共産党と連立になるかどうかはわかりませんが(笑)。志位さんは連立って言っていましたか?
田原:もちろん、大賛成だって。志位さんが一番尊敬している政治家は小沢さんだと言っていた。だったら党名を変えろって言ったの。そうしたら「党名を変えたところは世界中で全部失敗しているから考えさせてくれ」と。その代わりどんな妥協でもすると言っていた。
小沢:選挙戦は現実として共産党の協力を受けなければ勝てません。間違いなく、共産党は重要なパートナーなんです。
田原:志位さんは、共産党は大臣を出すなって言われたら出さなくてもいい、連立政権をつくったら何でも妥協する、と。
小沢:まあ、とにかく思い切ったことをしなきゃ、いままでの惰性でやっていてはダメです。結局、09年の衆院選で300超の議席を獲得したのに、民主党政権はわずか3年で終わってしまいました。細川政権もあと2年続いていれば、自民党はつぶれていたはず。僕は自民党がつぶれてほしいというわけではないけれど、もう一度新しい自民党に生まれ変わればいいと思っています。ですから、今回3度目の政権交代は何としてもという気持ちで取り組みます。今度は枝野内閣になりますから、枝野さんには思い切った政策を実践してほしい。
田原:国民は自民党に反対する野党に飽きてる。アベノミクス批判なんて聞きたくない。安倍さんの経済政策をいいと思っている人なんていないんだから。具体的な案。政権を取ったら何をするのか。
小沢:民主党時代の07年には「国民の生活が第一。」という標語を掲げました。何としても政権を取り、そういう政治に転換しないと、日本社会そのものが崩壊してしまうと思っています。安倍さんの下で健全財政論というのは事実上崩れました。大量に国債を発行して日銀が買い入れて、その金をどう使ったか。株を買ったり、為替操作をしたりといったところに使って、国民には一切お金が下りてきていないということが一番の問題。
田原:安倍さんはデフレ脱却を目指し、日銀の黒田(東彦)総裁と組んで、異次元の金融緩和を行った。がんがんお金を刷れば内需は拡大して景気がよくなると。でも実際には内需は拡大せず、借金が増えただけだった。
小沢:年収200万円以下の貧困家庭が増えていて、どんどん格差が広がっています。景気というのは基本的に個人消費ですから、個人の収入が減れば景気がよくなるわけがない。
田原:非正規社員は4割もいる。
小沢:それが新型コロナで今どんどん解雇されているでしょう。財政健全化路線を金科玉条のように維持していたのではこの困難は打開できません。その考えは捨てていいと思います。たとえば、トランプ大統領は200兆円の財政出動をすると言っているけれども、われわれならそのお金で社会保障、暮らしのセーフティーネットを作る。年金でも農業や漁業の所得補償でも、個人の暮らしを守るためにその金を使う。そのためには赤字国債を発行したっていいと思うんです。
田原:09年当時の民主党でも小沢さんは同様のことを主張していた。でも民主党が事実上、分裂したことで民主党政権は3年3カ月で終わった。分裂させたのは検察。世の中的には民主党が下手だったとか言うけど、全然違う。小沢さんの秘書が逮捕されるなど、検察につぶされた。結局、不起訴処分で何もなかったんだけどね。なんで検察は小沢さんをつぶそうとしたんですか。
小沢:僕は官僚支配をやめて政治主導ということを一生懸命言っていましたから、「官僚制度を破壊する男だ」「許すな」と思われたんでしょう。その典型が検察だったんでしょうね。
田原:官主導から政治主導にしようという考えは正しいと思う。検察による小沢つぶしがなければ、小沢さんが総理大臣だった。何度も言うようですが、三度目の正直、期待しています。
小沢:まさに今がチャンスと考えています。頑張ります。 (構成/本誌・秦正理、亀井洋志) ※週刊朝日 2020年9月18日号より抜粋 (太字は武田による)
わたしには、「ぴったり一つ」という音楽があります。
どこにも齟齬がなく、まるで音・音楽が自分自身であるかのように感じられます。
そういうCDがあるのです。
ベートーヴェン交響曲3番「英雄」クレンペラー指揮・フィルハーモニー交響楽団の1959年のスタジオ録音です。30年間に何百回聞いたか分かりません。音楽が鳴ってる時空間が「わたしそのもの」なのです。
もともと3番は大好きで、高校生の時に最初に買ったLPは、カール・ベーム指揮ベルリンフィル盤で50年以上前です。その後でフルトヴェングラー指揮ウィーンフィル盤を買い、ワルターやトスカニーニ、それにスポーツカーのようなカラヤンも聞きましたし、だいぶ後ですが、学芸会のような小沢・サンフランシスコ響も。
このクレンペラー盤は、CDになってからで、輸入盤を1990年に買ったのです。
英雄のCDは、手元に20種類以上あります。レイホビィッツの演奏も大好きです。気分最高!
ただ不思議なことに、クレンペラーの演奏は、即自=対自の理想のようで(あり得ない話ですが)まるでわたしと一つです。ベートーヴェンがわたしであり、クレンペラーがわたしであるよう。わたしが音楽なのです。こういう経験はこのCD一枚だけのこと。
これは、1990年に購入した輸入盤。
いまは、日本盤、輸入盤ともに音質が改善されたCDが出ています。
わたしも新しいものを買い、聞いています。
https://www.youtube.com/watch?v=KBlGlQf5E4U
武田康弘
来る2023年は、親鸞生誕850年。
生誕は1173年5月14日ですので、2023年に850歳を迎えます(太陽暦での誕生日はわたしと同じ・嬉)。
また、浄土真宗開宗800年です。
茨城県(稲田や八郷、国府など)での開宗ですので、
県では、大きな行事を行うとのことです。板敷山 大覚寺の板敷真純さんからメールでお知らせを頂ました。
鎌倉時代に日本の精神革命を成し遂げた親鸞の浄土真宗開宗800年は、日本ルネサンスの基点と言えましょう。朝廷=京都の天皇家支配を廃した北条政子と義時、泰時を支えた精神の世界、朝廷の神秘的儀式を用いた縛りを超えて、新たな時代を支えた法然とその門徒の親鸞の宇宙は、豊かな人間性復興のシンボルです。「御同朋御同行」の自治=民主思想の実践を蘇らせるのは、明治の国体思想という国家主義が復活しつつある今、とても大切な営みです。
親鸞の思想の開拓地=実践地は、常陸の国、今の茨城県が中心ですので、悪名高き「後期水戸学」とは次元を異にする800年前の世界的思想(晩年のハイデガーは西欧哲学を捨てましたが=「シュピーゲル対話」で明言、親鸞思想に傾倒と言われます)を蘇らせることができれば茨城の汚名挽回ともなり、最高に素敵です。
日本の民主主義は、親鸞の浄土真宗開宗から800年の伝統があります。その先進性を明晰に自覚し、明治による天皇主義(『明治政府がつくった天皇という記号』)の負の遺産を乗り越え変えていくことは、実に有意義で楽しい営みと思います。
武田康弘
図は、今井雅晴著「常陸の親鸞聖人」2ページをお借りして、
武田が着色・写真貼り付けしたもの