思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

オスプレー、横田基地周辺の騒音と振動。市街地では飛行禁止のアメリカだが日本ではOK!奴隷のような国。

2019-01-29 | 社会批評

これほどフザケタ話はないでしょう。
オスプレーの騒音と振動の酷さと事故の多さゆえに、アメリカでは市街地では飛行禁止ですが、日本ではOK。ここまで馬鹿にされ、米軍の好き勝手の通る国は、世界広しとえいども日本だけです。

安倍晋三首相は、兵器もトランプ大統領の言いなりで購入を決め、鰻登りの軍事費です。何の得もなく、ますます近隣諸国との軋轢を増すだけのこと。国民生活にはマイナスにしかなっていません。
これほどまでに極端にアメリカ・米軍追随の政府に憤りをもたないなら、ますます好き勝手にやられるだけのこと。

オバマ前大統領も、普天間などの沖縄の基地はグアムに移すべき、と言っていますが、日本政府は、美しい辺野古を埋め立てて、巨大な米軍基地をつくることに邁進しています。
離島にも自衛隊の基地を次々とつくり、軍事大国=日本への道を切り開いているのが安倍政権ですが、首相の軍国日本への郷愁=明治政府礼賛は、狂気性をもち極めて危険です。

これでもまだ、安倍自民党に投票する国民なら、戦前と同じで自業自得、自分で自分の首を絞めるだけのことです。戦前とは違い特高警察や拷問がないのに自民党に入れるのはあまりに罪が重いと言えます。戦前の強権と自由弾圧の政府の孫たちが今の自民党の中心者なのに、再び彼らの好きにさせるとは、呆れ返るしかありません。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員)



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愚かなニッポン主義とは無縁の女神・大坂なおみの存在は、実に美しい。

2019-01-29 | 社会批評




日本人、日本国籍、ニッポンちゃちゃちゃ・・・


そんな概念で語ったり、一つになろうと叫んだりする言動=思想の愚かさ、レベルの低さ=いやらいさを大坂なおみさんは、一人で(もちろん家族やコーチ陣も含めてだが)吹き飛ばしてしまいました。

東京タワーの日の丸照明のバカバカしさは笑えますが、ニッポンだの日の丸だの君が代だの、そういうレベルでしか見れない人では、日本はお終いです。内容なしもいいところ。何事であれ、中身の豊かさこそが問題なのに、です。

いまの自民党安倍内閣とウヨク団体「日本会議」に集う頭の軽いニッポン主義者、天皇陛下万歳などと叫ぶ人(明仁さんは嫌がっています)が大手をふるう国とは「馬鹿者の集合」としか言えません。

民主性・民主制・民主政とは、単なる形式のことではなく、その内容として人権思想をもつのですが、そういう常識さえ弁えないで、個人抑圧の国家主義、ニッポン人だから云々、というのでは、あまりに愚かでお先真っ暗です。

水のように自然で強い大坂なおみさんの存在は、いまの愚かな日本主義=戦前思想を元から消去します。実にすばらしい! 一人ひとりはみんな個人なのです。これは原事実であり、誰も覆せない真実です。


武田康弘

 

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ヴィーナス・大坂なおみ、水のようなたおやかな強さ、ナショナリズムとは無縁の個人の美しさ。

2019-01-28 | 社会批評

最初から最後までテニスの試合を見たのは、生まれてはじめてのこと。大坂なおみの準決勝の試合に惹きつけられて立てなくなったのです。魅惚れたのです。

その2日語に行われた決勝戦、白樺ソクラテスの大学クラスの時間、最後の30分を見ました。おわって、なにか言い様のない感動におそわれました。


大坂なおみの「」のように自在でたおやかな強さに、今までみたことのない世界をみたのです。



いま、日本中がフィーバーしていますが、ふと思いました。

お母さんは日本の人、お父さんはハイチ共和国の人。母国語は英語(米語)で、コーチはドイツの人、国籍はアメリカと日本の二重国籍とのこと。

テニスという厳しく個人が問われる競技、ナショナリズムなどちっぽけな思想は入りようがない。これは、再び軍備拡大と神社神道という戦前回帰のような安倍政治とは正反対

ドロドロとして臭い日本の現実とは無縁の爽やかな風は、なんとも気持ちがよい。強権的な国家主義者のいやらしさ・おぞましさとは対極の美しさです。

もう一度言いましょう。水のような強さ、柔よく剛を制す、まるで老子の世界のよう。



武田康弘

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元号問題 明仁さんは、明治維新の思想(天皇現人神)を嫌悪し、それを絶ったのです。

2019-01-24 | 社会思想

 元号問題についてです。

 いま天皇という役にある明仁さんが自身の意思で「退位する」ことにより、明治維新がつくった「天皇教」(国体思想=靖国思想=国家神道)は壊されることになりました。
 現在、靖国神社の理論的中心者である小堀圭一郎(東大名誉教授)は、嘆き憤っていますが、大多数の国民にとっては、岩倉具視や伊東博文らのつくった天皇現人神(てんのうあらひとがみ)というカルト的思想がなくなるのは、とてもよいことです。
 天皇を神とするので、元号は天皇の死によってのみ変わるもの、というのが明治維新の思想でした。ですから、昨年の「明治150年祭」の式典には、明仁さん、美智子さんは参加しませんでした。



以下に、2004年8月31日に書いたものを再録します。


 一人の人間の死によって時代の名称―区分を変えるというのは、古代王政の空間・領土とともに、時間・時代も王が管理するという思想に基づくものですが、この制度が世界に唯一つ生き残ってしまったのがわが国の元号問題です。

 その死によって時代の名称や区分までも変えてしまう制度―誰も手の届かない超越的な人間が存在しているという感覚は、日本人の意識の奥深いところで、個人の自由意識と責任感を萎えさせてしまいます。「対等な個人がその自由と責任に基づいて公論を形成し社会を作り上げていく」という市民社会の原理がボヤケテしまうのです。新たな時代を開き歴史をつくる主体は、市民=公民=社会人としての自分であり、特権者はいないのだ、というシチズンシップ(市民精神)の育成を深層において阻害するのです。「エリート主義」という歪んだ考えを生み出してしまいます。

 また、この元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。例えば、天皇主権から国民主権へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます。これでは、ほとんど星占いと同じレベルで歴史の意味が語られる!というお粗末にしかなりません。「平成の世」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなるのです。パブロ・ピカソー1881年~1973年、棟方志功-明治36年~昭和50年では困ります。

 したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきでしょう。現在、役所は、自民党―中曽根内閣が強行採決で決めた「法律」により、元号を強制されています。北朝鮮も驚く国粋主義!ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればいいのです。

 世界的にはイスラム暦も多く使われているので、ほんとうは、ギリシャのソクラテスの誕生年(紀元前469年)を起点とする暦を「世界暦」とするように国連が各国に提唱すればいいのですが、現在のところ、これは夢物語でしょう。(ギリシャ文化を受け継いだのがアラビア=イスラム文化ですし、仏教思想もギリシャ思想と出自―基本が同じですので、世界的な了解が得られるはずです。)


武田康弘(2004年8月31日)

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マイヨール賛 写真集 パリとバニュルスで。撮影・染谷裕太 

2019-01-23 | 学芸

マイヨール 賛  (クリックで、白樺教育館ホームに掲載の写真集に飛びます)

 

 マイヨール(アリスティード・ボナヴェンテュール・ジャン・マイヨール)の彫刻の数々を染谷裕太君がパリとバニュルスで撮影してきました。内側から湧出する美の傑作です。撮影は2015年秋。(掲載の写真は、クリックで大きな画像を見ることができます


 マイヨールの彫刻は内的豊穣の極みであり、内側から湧き上がる豊かで強い美は20世紀最高の彫刻と見るわたしの要望を受けて、裕太君が優れた写真をたくさん撮ってくれました。裕太君は、その作品群が眠るマイヨールのアトリエを改装したバニュルスのマイヨール美術館に一泊させてもらうという体験までしたのでした。おお、なんということでしょう~~

 ※1. なお、ここに公開する写真は、どなたでも使用できますが、
「染谷裕太さん撮影ー白樺教育館ホームページより」 と明記してください。
明記されないと、著作権違反となりますので、ご注意ください。

 ※2. 最後の2枚は、国立西洋美術館にある「夜」です。2013年にわたしが撮影しました。
染谷君の写真を含めて機材は、ソニーRX-1R(ツァイス・ゾナー35㎜F2)です。
一部にソニーα6000(レンズはツァイス)
 

武田康弘

 

 パリには、日本語の話せる(ペラペラではないですが)フランス人のお宅に泊まらせてもらい、一週間ほど滞在しました。その間、連日カルーセル庭園に通いつめ、他にもルーブル、オルセー、ポンピドゥ(モダンアートの美術館)と、浴びるように毎日芸術に触れましたが、このような体験ははじめてで、フランスは、街並みを含めて優れた芸術作品が当たり前のように傍にあることに驚き、日本との差を感じました。

 武田先生からは、パリのマイヨール美術館も行って欲しいと頼まれていたのですが、残念ながら改装のため閉館中。ということで、もしかしたらマイヨールの生誕地バニュルス=シュル=メール(南フランスのスペインとの国境近く)にも美術館があるのでは?と思い、調べると、バニュルスにもマイヨール美術館を発見。元々はマイヨールのアトリエだった建物を改装した美術館は、町から少し離れており、本当にこっちで合ってるのか?と疑いたくなるような細い小道を通って辿りつきました。どこかの国と違って、雰囲気を壊すような看板や賑やかしの幟(のぼり)は一切なく、マイヨールがそこにアトリエをかまえた意味を伝える様に、ひっそりとありました。これはエクス=アン=プロヴァンスにあるセザンヌのアトリエでも同様でした。

 美術館で働く職員の方に、マイヨールの彫刻について少し英語で説明をしてもらいましたが、マイヨールの彫刻では「体幹」の部分がとても重要で、そこがパワーの源だと考えられている。マイヨールの彫刻は手足などの末端で表現する「ラテンの文化」ではなく、古代エジプトや古代ギリシャ、そしてアジア(これは意外だった)の文化が入っている、とのことでした。そして、ひとしきり説明を受けた�後、美術館に泊まらせてもらうという想像もしなかった展開に。マイヨール美術館に泊まったのは、たぶん日本人初のことと思います(笑)

 そして、今年2018年の春から夏にかけては、総まとめの旅としてトルコ、ギリシャのエーゲ海沿岸、古代ギリシャ文明の地を旅し、マイヨールを感嘆させた古代ギリシャの彫刻群もたっぶり見てきましたが、マイヨールとロダンを足して強化したようなギリシャ彫刻はやっぱり凄かった! (笑) 西ヨーロッパとは異なるエーゲ海文明の旅の様子は現在まとめているところで、完成次第、白樺教育館ホームページで公開されますので、お楽しみに!

染谷 裕太


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NHKあさイチで痛烈な検察批判!元厚労省事務次官・村木厚子さんがゲスト。行政監視では全政党が憤ったこと。

2019-01-18 | 社会批評

 

 厚労省の村木厚子さんが大阪地検特捜部に逮捕、起訴されたのは、
2010年、わたしが、参議院行政監視委員会調査室の客員調査員に任命され、職員の皆さんにソクラテスによるフィロソフィーの定義と日本国憲法の哲学的土台についての講義(問答的授業)をしていた時のことでした。

 この時、それまでは閑古鳥が鳴くと言われたほど「仕事」が少なかった参議院の行政監視委員会とそれを支える官の組織である行政監視委員会調査室は、故・山下栄一委員長(公明党)の情熱により、どこよりも忙しい場に変わっていました。猛烈なまでの勢いで行政機関(官庁とその出先機関)への視察を行ったのです。それは『行政監視と視察』(山下栄一著)として一冊の本になっています。

 村木さんが釈放された後、参議院の行政監視委員会のメンバーは、大阪地検に行政監視に入り、村木さんが取り調べをうけていた部屋や拘留されていた部屋を見て、自民党の委員も共産党の委員も全政党の委員はショックを受け、憤りました。そこは、まるで戦前の映画にでも出てくるような殺伐としたスペースでした。拘留されていた部屋には冷房も暖房もありません。取り調べ室はゾッとするような威圧的な空間で、固く小さな椅子に長時間座らされて取り調べを受けていたことが分かりました。実際に現場を見ると、言葉では言い表せない現実が肌身で感じられ、政党の区別なく、参加したすべての委員が強い憤りの念をもちました。

 ただし、国会(国権の最高機関=憲法41条)からの行政の監視というもっとも大切な仕事は、それを支える職員が数名しかいなく、かつ強制力のある立ち入り調査の権限等がないために極めて不十分な監視しかできないのが現状です。それでも、視察を続ければそれなりの効果はあるのですが、委員長が交代した後は、だんだんと減ってしまったようで残念です。


 前ふりが長くなりましたが、今朝、偶然に見たNHKのあさイチという番組に、村木厚子さんが出演しているのを見て驚きました。実は、昨晩寝る前に、「ああ、そうだ、検察庁(特捜検察)への批判に、村木さん事件のことを書こう」と考えていたからです。それが、朝テレビに出て、事件のことを話ていたからです。

 村木さん自身の口から上記の検察での取り調べの様子や、自白(してもないことを自白)するように誘導された(=執行猶予がつくから認めなさいと)ことも話されました。拘留がいつ終わるのか、先が見えないことが一番辛かったと話されていましたが、この恐怖感から多くの人は、本意でないことを「自白」する(検察官のつくったストーリーに従う)のです。村木さんは、視聴者からの問いに応えて、ゴーンの拘留の長さへの批判もにじませ、不当と思うことには皆が声を上げなければ、と言いました。

 余談ですが、わたしの亡父も村木さんと同じ労働省勤務でした。なにか親近感が湧きました。それにしても検察庁という役所はなんとかしないといけません。「疑わしきは罰する」という憲法違反の恐ろしい思想者の集まりでは、民主制(政)が壊されます。まるで検察独裁のような日本国(法務省も検察官が支配している)を変えないと、大変です。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員

以下は、大島九州男さん(参議院議員で行政監視委員)のコメントです。
「実はこの村木さんを呼んで参議院の行政監視委員会を、開催させて頂いたのは、私が行政監視委員会の筆頭理事の時でした!

最高検察庁の視察も行い、徹底した調査を行いました!」

※大島議員は、国会議員として立派だと思います。武田康弘




追記
以下は、にこにこニュースより転写



 18日放送のNHKあさイチ」(月〜金曜、午前8時15分から)に、郵便不正事件で誤認逮捕された元厚労省事務次官の村木厚子氏が生出演。ツイッターのトレンド入りするなど、ネットで大反響があった。

 村木氏は「結婚・出産しても働き続けたい」と男女雇用機会均等法が施行される8年前に労働省に入省。しかし2009年、全く身に覚えのない「郵便の割引制度をめぐりうその証明書が発行された事件」で逮捕・起訴され、その後、無罪が確定。その勾留期間は、164日にも及んだ。極限状態の村木氏を支えたのは、家族と友人からの支援、何よりも娘への思いだったという。37年半の公務員生活では、子連れで地方への赴任も経験し、家事・育児と仕事はどのように両立してきたのかを放送した。

 これにネットでは「村木厚子氏が『役所の隠蔽は、悪いことをしようとしてやっているというより、何らかの圧力がかかっていたり、ひずみが背景にある場合が多い。それをなくすためには、外の目を入れてプロセスオープンにして隠せないようにする必要がある』とコメントしていたが同感」「皆さん、自分が逮捕されるとは思っていない。でも、私のように間違いで逮捕されることもある。そういう気持ちでニュースを見てほしい。この言葉、すごい。」「逮捕されて辛い目に遭ったのに、誰も恨んでないし人のせいにしてない。家族との絆も深くて、信頼関係が強くて幸せそう。人間、考え方を変えればいくらでも幸せになれるし、不幸にもなれる」と感動の声が相次いだ。

 また、朝から検察批判を行った同番組について、「ディレクター勇気ある」との声も。脳科学者の茂木健一郎氏も自身のツイッターを更新し、「NHKあさイチ、 村木厚子さんが出ているとトレンドで知る。 <珍しく>グッドジョブ! 」と反応。「いつもは、自局の番宣がらみか、『芸能村』の内輪話しかしないのに(笑) このような社会性のあるキャスティングを少なくとも30%くらいにしたら、NHKの評価も上がると思うよ」とつづった。

 茂木氏の言う通り、NHKの“株”も上がった?

 

 

 

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1月20日は我孫子市長選挙  (24年前の福嶋市長誕生時の資料 No2)

2019-01-17 | 社会思想

今月の20日()は、我孫子市長選挙ですが、

昨日の続きで、24年前、1995年1月の我孫子市長選挙(千葉県初の非自民市民派市長=福嶋浩彦誕生)の資料です。現代史の1ページですが、今日的意味があると思います。


『緑と市民自治』紙(新聞折り込みで我孫子市全域に配布=4万部)は、いつもは福嶋さんとわたしの二人でつくっていたのですが、
この10号は、福嶋さんが市長候補なので、わたし一人でつくったものです。若い人に発言してもらおうと考え、主に教え子たちに頼みました。
直接参加民主主義」を理念にして、新しい政治をつくるための哲学探求と政治実践をしてきましたのでみなの思いや考えを集めたのです。

※この10号は、元旦とその数日後の2回、新聞折り込みで配布し、さらに手配りもしました(発行は11万部)

 



エピソード
そういえば、この24年前の市長選で、
選挙通?とかいう人が事務所に来て、
「なんだ、これじゃ、女子どもの選挙じゃないか!」と言うのを聞き、「その通り!だから勝てるのだよ」とわたしは笑ったのでした。

武田康弘

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我孫子市長選の投票日は20日(日) 24年前の我孫子市の変革=福嶋市長選とダブる。現代史の証言=写真。

2019-01-16 | 社会思想

1月20日は、我孫子市長選挙。候補者は市民派の優れた市議の飯塚まことさん(49才)前知事の福嶋浩彦さんと全野党の推薦で、現職の星野市長に挑んでいます。現 星野市長は、公約で3期12年間までを謳いましたが、4期目の立候補です。

ふと、わたしは、24年前の市長選を思い出しました。千葉県初の非自民の市民派市長=福嶋浩彦の誕生は、大きな希望で迎えられ、その後の国政変革のさきがけとなったのです。

その時の選挙はどうようなものだったのか、 当事者のわたしは、その記録を開示しないといけない(公共的義務がある)のですが、
まず、はじめに、わたしのアルバムに整理された写真をご紹介します。


貴重な現代史の1ページですので、後でまとめてホームページにも載せます。

以下は、アルバムのコピー写真です。 明日には資料と説明文を載せます。


1994年11月27日~~1995年1月26日
 (投票日は1月22日(雨)でした)




拙宅で。


武田康弘




 

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元東京地検のおじさん(ニュースステーションでの解説者)の愚かさには呆れる。

2019-01-15 | 社会批評

ゴーンの拘留の長さは当然と言い切る東京地検特捜部の元検事で弁護士のおじさんの言葉には呆れました。笑いが出るほどにです。

この人は、本質的に愚かな人間の象徴で、まさしく受験病の頭脳。刑法でそのように決まっているので当然、と言い張るだけ。

人権という思想は、法律に正当性をもたらす基盤であり、人権侵害をゴーン夫人から訴えられているのですから、
長期間の拘留、別件での再逮捕を繰り返して長引かせる手法、さらには、真冬にも関わらず暖房もなく、食事も悪く、時間外での取り調べまで行われていることが、人権侵害に当たらないことを主張しなければいけないのに、それはスルー。

それをせず、刑法上問題ない、というのは、人間を人間として見ない精神疾患者の発言としか言いようがありません。論外であり、最低。

こういう頭脳しか持ちあわせないのが検察官ということは、精神的異常性を持った人の集まりが検察官ということにになりますね。ネクロフィリアという病です。

いままでも数限りなく冤罪事件を起こしている検察ですが、なにもおとがめなし、反省なし、その理由がよく分かります。公共的人間としての常識 イコール 人権思想」をもっていない人間の集まりが日本の検察庁という役所なのです。

抜本的に改革しないと、いつまでも戦前と同じ。狂気性=非人間性をもった国家権力、という事態を変えらません。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員、哲学と日本国憲法の哲学的土台を講義)

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悪いのはみな他国ーもう頭が狂っているとしか言えない日本の安倍政府。夜郎自大の極地。

2019-01-10 | 社会批評

対ロシアにしろ、対韓国にしろ、対中国にしろ、安倍外交とは、安倍のこどもじみた威張り、手前勝手なニッポンが正しい!の調子のいい話ばかり。

日本がいまあるのは、ポツダム宣言を受諾して、敗戦文書に署名したから、という超がつく基本を踏まえない外交とは、世界史に例のない狂気としか言えないのです。

首相がわずかA4で2枚程度の「ポツダム宣言」(=戦後最重要の文書)を読んでいない(「つまびらかには読んでいない」と国会答弁)という国は、終わっています。

なんとも病気の世界ですが、そういう程度でしかない人間=安倍晋三が、堂々としていられるとは、言葉を失います。

正月から、NHKのテレビでは、またまた大嘘=辺野古のサンゴ礁や希少生物は別の場所に移してあります!!??もう、人間おわっています。

なんでこんな人が首相でいい、というのでしょうか? 誰が総理をやろうが、安倍晋三よりはマシでしょうに。

で、テレビは、スポーツ選手と芸能と、ニッポン偉い、すごい、の番組だらけ。

日本人には理性があるのでしょうか。情けないにもほどがあります。頭の病気の集まりなのか。

 

武田康弘

 

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検察独裁国家の日本。こんな国、どこにもありません。ゴーンは生贄。人権はない。

2019-01-09 | 社会批評

 軍事独裁国家や共産圏でなければ、日本の検察庁のような独裁的権力は持ちません。

 起訴内容を否認する人は、裁判が始まるまで1年であろうと拘留できるのが日本の検察行政の特徴で、これほど検察権力が個人を抑圧する国は、日本だけです。

 そもそも法務省という役所の課長級以上は、全員が検察官なのですから、完全な独裁体制であり、民主制国家とは到底言えません。

 検察庁が、司法権力を一手に握っているというのは、異常な事態ですが、その異常性は戦後、ずっと放置されています。とんでもない話です。

 そういうありえない仕組みと思想が、ゴーン逮捕により誰の目にも明らかになりました。そして抑留期間が過ぎれば別件で再逮捕をし、それを繰り返そうとする日本の検察庁には、世界中から非難が浴びせられています。

 わが国には人権という思想がないことが事実により立証されているのです。凶悪犯でもない経済事件で、まだそれが罪に当たるかどうかさえ分からないのに抑留を続けるのは、個人に対する国家権力による犯罪行為です。森友と加計問題で安倍首相およびその関係者を逮捕できなかった検察の目くらまし、ゴーンはスケープゴードとして利用されたのです。



 

 話は変わりますが、この日産の事件は、日本人のいやらしさの象徴と言えるでしょう。倒産寸前で、どうしようもない事態に陥った日産は、リストラという恨まれる仕事を外部の人間であるゴーンにやらせ、会社再建という大事業に成功しましたが、大変な仕事、嫌な仕事はゴーンにやらせ、それが済んで順調になれば、その剛腕実力者が邪魔になり、検察庁に日産側からリークしてゴーンを切る。

 わたしも何度も体験しましたが、誰にもできない大きな仕事・難しい仕事を頼み、それが成就して順調に行けば(お金や地位が手に入れば)、あとは、知らん顔をしたり悪口を言って、そんなことなかったことにする!人たち。「自分の力でやったんだ」といわんばかりなり、こういう狡知な人が、名を得て、よい地位につくのがわが国の伝統のようです(笑)


 

武田康弘(元参議員行政監視委員会調査室・客員調査員)


 

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植木等、ジェリー・リー・ルイス、柳兼子、クルレンツィス、 なんじゃ? 深い共通点があります。身体の内部から湧出

2019-01-06 | 芸術

 

 1960年代ずっと爆発を続けた植木等の底抜けに明るく強い面白歌。

 1950年代から60年代にかけてスキャンダルに見舞われるまでは、アメリカNo1(プレスリーも抜き)のロックピアニスト&歌手のジェリー・リー・ルイス、彼の強烈な超絶技巧のピアノと過激なまでの歌は一度聴くと虜になる。

 戦前、2番がいない日本最高のアルト歌手であった柳兼子(白樺派ー柳宗悦の妻)は、90歳過ぎても自ら歌い、弟子たちの指導を続けた驚くべき女性。

 いま、世界で最も光輝く指揮者=革命家、クラシック音楽なのにロックコンサートのような熱狂をロシアや欧州全土で巻き起こしているクルレンツィス。わたしは彼を「古代アテネからの使者」と名付けたが、来月2月に初来日。

 みな音楽家とはいえ、一見、関係なさそうな四人ですが、昨日、「大学クラス」で植木等の歌をはじめて聞いた32才の染谷裕太君(長年の教え子で白樺同人、自転車で世界を旅した)は、「ジェリー・リー・ルイスに似ている」と言いました。そして、今日、百代さん(かみさん)は、暮れにサントリーホールで聞いたノット・東響のモーツァルト「フィガロの結婚」と比べると言い、クルレンツィスの同曲をCDで聞きながら、「自然ね!」と言い、「歌っている人がみな兼子さんのような歌い方」と言いました。

うん、そうだね~ です。

 村一番の豪傑で、相撲は誰にも負けたことのないお兄さんを一方的に負かすまでになった(数年間、真浄寺での修行=肉体労働をした後)植木等は(映像は紅白でのメドレー)その強い体幹から、よく通る明るく強い声で歌いました。戦争中に「反戦」を言い、特高警察の拷問を受けても平然としていた親父さん(三重県の浄土真宗の寺の住職)ゆずりの精神が、押しだしの強い、聴く者の内にまで届く歌唱を可能にしたと言えます。

 ロックの神様、最も危険は男(若い女性が失神してしまう)といわれたルイスの独学でのピアノと歌の過激なまでの強さ=魅力は、一度、見、聞けば、誰でも納得ですが、身体の中から恐ろしいまでに弾け出すリズム(映像は20代のはじめには何度聞いても唖然となります。

 賛辞を言い出したらキリがない白樺の柳兼子の歌と人生映像はNHK、大島久子さんのお話もですが、彼女は、ドイツリートを歌う時も、和服できちんと帯を締め、身体をブラさずに声帯に頼らず、身体の奥深くから声を出し、眉間から断固たる意思を押しだすかのように歌いました。

 とんでもない次元の指揮者=クルレンツィス映像は2017年楽大学出のソフィスティケートされた音楽を否定し(ただのジュースに過ぎない!)、観念優先の音楽のツマラナサを自身が組織したオケと合唱団(ムジカ エテルナ)の新次元の演奏で、証明し続けています (日本でもCDは2年連続の「レコードアカデミー賞」の大賞となる)。本拠地のシベリアのペルミを始め、ドイツやオーストリアなど欧州各地で聴衆総立ち、時に「暴動」と見まがう歓呼で迎えられています。昨年秋からは南西ドイツ交響楽団のトップも務めていますが、ここでもまた熱狂を巻き起こしています映像はマーラー3番。彼は、身体全体で音楽イデーを楽員に伝えます。踊り、歌い、足踏みしながら。見事に鍛えられた身体は、バネのようですが、その身体をふるに用い、言葉は豊富ですが、身体から湧き出るものが土台です。

 そう、みな観念優先のひ弱ではなく、身体の中から、内側から音楽が溢れだすのです。だから、ほんとうの意味で「自然」で「強靭」なのです。身体の呼吸、躍動、リズムがよいので、まっすぐに深くまで届きます。す ば ら し い。
 現代の閉塞感ーインチキな騙しの政治、人々の自由、こどもの溌剌を抑え込む根元悪とは対極にある音楽たちを愛でようではありませんか。ジャンルを超えて。

(クリックでそれぞれのユーチューブに飛びます。)


武田康弘

 

 

 

 


 

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NHKの音楽解説者の無知には呆れました。クルレンツィスは民主的でない指揮者!?(笑)

2019-01-04 | 芸術


 1日のウィーンフィルによる恒例のニューイヤーコンサート(マンネリであまり面白くないですが)の後で、

音楽評論家のような人が、世界中で高評価のクルレンツィスに注目、と言い、現代に珍しい民主的でない指揮者と話しました。うむうむ、なにも知らず、聴けていない=見えていない人で、NHKの解説者としてはピッタリと変な納得をしてしまいました(笑)。

 かつてのカラヤンがつくったのは全体主義のような音楽ですが、クルレンツィスのはアベコベなのですよ。
 例えばモーツァルトのレクイエムを聴けば、歌手も奏者も一色で全体一致のカラヤンはファシズムのようですが、昨年、ザルツブルク音楽祭でのクルレンツィス+ムジカエテルナのライブを聴くと、歌手もオケも個性と自由をもって歌い奏しているのがよく分かります。つくられる音楽は、命令による一致ではなく、曲のもつイデーへの共感による一致なので、聴く者は、指揮者の自我とそれに従う演奏家の世界に引き込まれるのではなく、曲のイデーに直接触れるかのようで、深い感動を持ち痺れるのです。

 要するに、運動会や軍隊のような機械的な統一・マスゲームのような統一(そういうものに感動するタイプの人も多いですが)でしかない昔のクラシック音楽とは異なり、一音一音が嬉々として輝き、生きている音楽を生みだすのがクルレンツィスなのです。宗教の教祖のような絶対ではなく、ソクラテスのフィロソフィーのような納得をつくるのです。これをして民主的ではない指揮者!?とはな~~にも知らない人で、さすがNHKの解説者ですが(失礼)、彼のようなアベコベの見方の人も多いのでしょう。

 民主主義には、稟議制(みなでガヤガヤやりながらまとめる)とリーダーシップ制(皆が認める人が中心になりまとめる)の両方があり、意見・考えの合意のつくり方は、その二つでは大きく異なるのですが、どちらが適当かは、分野や目的により決まります。
 リーダーシップ制で、もし皆の共感や合意がつくれないなら、リーダーば辞めるしかなく、そこに権力的な上下関係(パワハラ)がないのが民主主義なのです。

 もう少し、物事や言葉の意味を学んでほしいものです。

第九の練習風景と公演のラスト2018(必見です)。



武田康弘

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