思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「民主制社会」から「日本主義社会」への転落

2007-02-28 | 社会思想

東京都(石原都知事)は、「君が代」伴奏を拒否した教師を処分しましたが、その処分を最高裁は27日「合憲」としました。「校長の職務命令は、憲法19条の思想・良心の自由を侵害するとは言えない」というものですが、この最高裁の判決で判然としたのは、日本という国には、思想的自由がないということです。(注・歴史的事実として、「君が代」は、「現人神」とされていた明治天皇賛歌としてつくられた曲です)

民主制国家とは、市民の自由を守るために存在するのですが、いまの日本政府は、「近代天皇制」を国是として市民に強制してその自由を抑圧する「国体」思想に汚染されています。人権と民主主義を守るというほんらいの「政府」の使命からは、大きく逸脱していると言わざるをえません。少数意見を行政権力・国家権力でつぶすというのは、民主主義国家の【自殺行為】でしかないのです。

今回の判決を下した5人の裁判官のうち、ただひとりの公共的良識人である藤田宙靖さんは、「反対する人に斉唱や伴奏を強要することは、直接的抑圧となることは明白」と述べていますが、この当然の判断ができる人間が少数派では、日本社会に未来は開けません。

また、文部科学大臣の「大和民族がずっと日本を支配してきた」「人権を尊重しすぎたらメタボリック症候群になる」というのは、愚か者ここに極まる!という発言ですが、このような頭脳―思想の持ち主ばかりを集めたのが今の安倍政権です。右翼的な国家主義の改憲団体「日本会議」のメンバーばかりです。

同じ日に東京高裁は、「母親が外国籍の場合、父親が日本人、認知しても(その時期が赤ちゃんの誕生後ならば)、日本国籍を認めない」という判決を出しました。裁判所がここまで国家主義に染め上げられ、市民・個人の側に立たないならば、司法権は死んだも同然です。行政権力の形式主義から弱い立場の個人を守るという司法の役目を放棄した裁判官たちのテイタラクには、激しい公憤を覚えます。

民主制社会とは、個人の開かれたパワーに依拠するものですから、ひとりひとりの思想、信条、良心を育て、徹底して守る必要があります。そのためのサポーター役が官・政府なのです。
閉じた「国家主義」という精神は、人々から自由と悦びを奪い、社会を硬直化させ、必ず国を滅ぼしていきます。これは歴史が証明するところです。

武田康弘





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「人のために、は間違い。自分のために、も間違い」へのコメント

2007-02-26 | 恋知(哲学)

12月5日のブログー「人のため、は間違い。自分のため、も間違い。 」クリックは、
よい人間関係をつくる基本条件についての私の考えですが、これに対して、未知の方からコメントを頂きました。私の補足的説明と共にお読み頂ければと思い、記事にします。


コメント

[ ヨウ ] [2006/12/06 11:22]
ハッとさせられ、教えられることが多い素適なメッセージでした。
日々の暮らしの中で、親子、夫婦、友人達との関係を振り返り、心して活かしていきたいと思います。
エゴではない良き関係性を保つには、それぞれに人としての精神的自立と自律がなければ難しいのでしょう。
一人ひとりが良く生き、心の内からの充足と喜びがあってこそ、配慮や真の愛が生まれ育つんですね。それを「道徳教育」や規則で無理矢理教え込もうとしても無理なわけですよね。

――――――――――――――――――――――――
[ タケセン ] [2006/12/06 19:33]
ヨウさん(女性の方ですか?)コメントありがとうございます。

私は、自分の「欲望」を見つめるところからしか「共生」も「愛」も生まれないと思っています。公共性・ルールも、欲望存在である人間を見据え、肯定するところからしか生じないと思います。人間の自己中心性の事実から逃げ、誤魔化せば、ウソと建前だけの世界に陥ります。自己中心性を引き受ける、徹底して引き受けると「奇蹟」が起きる(笑)。精神とは、そういうダイナミズムを本質とするのでしょう。
己の存在に耐えられるような自分として生きることができれば、最高!ですね。

―――――――――――――――――――――――――
[ ヨウ ] [2006/12/06 22:17]
自らの心の奥深くにある欲望を真摯に見つめ、しっかりと対峙することで己を知り、自他への「愛」や「思いやる心」を持つことが出来るのですね。優れた芸術文化には心の深部から発する叫びが凝縮しているように感じるものが多いです。うわべだけ取り繕っても真に人の心を打つものは出来ませんね。
「自己中心性を引き受ける、徹底して引き受けると「奇蹟」が起きる…」 そうですね、
楽ではないと思いますが、かっこつけずに誤魔化さずに真っすぐ生きたいと思います。ありがとうございました。

――――――――――――――――――――――――――
[ taro ] [2006/12/07 00:30]
いい話ですね。ホットします。私もそう生きていきたいと思います。

――――――――――――――――――――――――――
[ サイガミ ] [2007/02/25 17:09] [URL]
何のために?とか自分のため!とか考えてばかりの人生でした。衝撃を受けました。
この武田さんのメッセージに辿りついた自分は実にラッキーボーイだと宣言したいです。
変なエゴと他人の愛を無残にも踏みにじる恥ずかしい人生でした。
意識の広がる心地よい感覚がします。覚えるまで印刷して持ち歩きます。
ありがとうございます。

――――――――――――――――――――――――――
[ タケセン ] [2007/02/26 09:33]

サイガミさん、励まされるコメント、とても感謝です。

私は、日々の生活の中で(仕事や家事をし、人と関わり、新聞やテレビを見、本を読み・・・)感じるところ・思うところを見つめて、自分の頭で考えることを悦びとしています。

まったく未知の方にここまで感じ入ってもらえるというのは、ほんとうに嬉しいことで、励みになります。ありがとう。

(ついでに、私が提唱している「民知」とは、知のありようの変更、知への対し方の変更を訴えるもの。哲学の初心=恋知としての哲学とも言えますが、人が人として生きるためには何より大切な営み、と思っています。)

武田康弘。




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グルダの弾くモーツアルトを聴きながらー天才とふつう

2007-02-25 | 私の信条

「ふつう」が偉大であること、
「当たり前」にかなうものはないこと、
これ以上はない至高のものとは、飾らず、武装しない「裸の人間」からしか生まれないこと。
グルダのモーツアルトはほんものです。
聴いていていつも感じるのは上記のような哲学です。

グルダのピアノは、明るくて愉しいです。
テンポは確実です。
何もしていなように自然ですが、実は、細部まで濃やかな神経が行き届いています。
即興演奏のように自由なのに、大人の落ち着きがあります。
動と静が一体なのです。

秀才とは、既成秩序の枠内の小さな才ですが、
天才とは、自由に飛翔する才のことです。
グルダは、まさに天才ですが、天才とふつうとは、実は同じ側にあるもの。
秀才は、既存の思考枠・価値観に固執して生きるしかない気の毒な才のこと。

ゲーテの「天才を与えよ。さもなくば死を与えよ。」は、まだまだ修行が足りないのです(笑)。「ふつう」を獲得すればいいのですから。

私が好きなのは、天才とふつうです。


グルダの弾くモーツアルト・ピアノソナタ17番(KV576)
 幻想曲(KV475)
 ピアノソナタ16番(KV570)
(1978年9月、ミュンヘン・ヘラクレスザールでの録音)
を聴きながら。


武田康弘



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警察によって市民が拉致される国はどこでしょう?わが日本です。

2007-02-24 | 社会思想

「冤罪(えんざいー無実の罪)天国」と言われるほどわが日本という国は、市民の人権を警察(及び検察)という行政権力が踏みにじっています。
私のブログでも昨年触れたように鹿児島県の小さな村で起きた「鹿児島県警による選挙違反でっち上事件」は、昨日鹿児島地裁で12名全員の無罪判決が出ました。
脅迫まがいの取り調べによって自白を強要し、それを唯一の根拠とし、物的証拠もないのに起訴・抑留し、裁判にかけるというこの法治国家にあるまじき「暴挙」は、まさに警察(およびそれと共謀した検察)による市民の拉致事件だと言えるでしょう。

一つの物的証拠もないのに一年間近く塀の中に閉じ込め、取り調べをする国家=わが日本国は、北朝鮮を拉致国家だと非難する資格がありません。自国の市民を警察が拉致する国なのですから。行政権力=官が民を支配する国では、法律はないも同然です。「日本国憲法」など完全無視の民主主義国家!? 法律は権力者の恣意的解釈でどうにでもなる国を「美しい国」(安倍首相)ないしは、「希望の国」(キャノン御手洗会長)というようです。

(少しそれますが、市民は政府の言う通りに生きればいい、労働者は資本家の言う通りに生きれいい、それが日本という希望に溢れた美しい国だ!!!!逆らうやつは非国民、国旗を拝まないやつ、君が代をしみじみと歌わないやつは、非国民(被告民・笑)というわけです。)

今度の事件では明白なアリバイがあったから無罪になったものの、無実の罪を着せられたままの人は大勢います。後に真犯人が出てきてようやく解放された「罪人」の言を聞くと、権力の持つ恐ろしさがよく分かります。「疑わしきは罰せず」という法治国家の基本さえ守られない国を一体なんと規定したらよいのでしょうか?名著『日本権力構造の謎』を書いたウォルフレンのいうように「官僚独裁国家」なのでしょうか。

私が小学5年生のときに暗記した「日本国憲法」には以下のようにありますので、警察、検察のみなさんも知って下さいね。もっとも安倍首相のブレーンである八木秀次は『反人権宣言』(ちくま新書)で、人権などというのはヨーロッパ人のつくったものであり、日本人には合わないと言っていますので、「基本的人権の尊重」を定める憲法も無視するのがよいと思っているのかもしれませんが。

日本国憲法 第3章 第38条
1. 何人も,自己に不利益な供述を強要されない。
2.強制,拷問若しくは強迫による自白又は不当に長く抑留若しくは拘禁された後の自白は,これを証拠とすることができない。
3.何人も,自己に不利益な唯一の証拠が本人の自白である場合には,有罪とされ,又は刑罰を課せられない。

3にあるように、【物的証拠がない場合、刑罰は科せられない】のです。憲法に明白に規定されていることさえ守らないのでは論外ですよ。

武田康弘



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「起源」と「本質」は違います。

2007-02-22 | 恋知(哲学)

私は、昔からずっと学問を職業としている人と対話・討論をしてきましたが、しばしば学者は、本質(○○とは何か?ということ)と起源(ものごと・ことばの始まり)を混同し、起源を知ることが本質を探ることの代わりになっています。

どうしても活字や活字的論理を中心に生きていると、日々の生活世界の経験が貧弱=パターン化してしまうために、概念的思考(言語中心主義)に囚われ、ナマの現実を体験=直観として捉える能力が劣ってしまうようです。これは、ひとり「学者」の問題ではなく、われわれ現代人に共通する欠陥だと思えますが、とりわけ思想や哲学は、現実の人間の生には意味のない概念遊戯に陥りがちです。

その結果、物事の本質をナマの具体的経験から探るということが不得手となり、知識によってこれを解決しようと横に逃げることになるために、本質の探究が起源の探究へとずらされ、上滑りしてしまうのです。

たとえば、哲学の中心問題である自己と他者の問題でも、これを起源の問題にしてしまうと、「幼児の発達心理学」という視点から、自我の意識は他我の認識に照らされてはじめて成立するという「事実」をもとに、自我を先立てることが間違いだ、という結論になります。そこから、自我と他我と世界は同時に考えられるべきだ、という言説が「哲学」の世界では当然のように出てきます。

しかし、「哲学」に犯されていない多くのふつうの人にとっては、これはまったくリアリティーのない「お話」でしかありません。誰であれ、幼児期に自我意識が形成された後では、自分という中心を持ち、そこから事象や物事を見ます。いわゆる「自己中心性」から離れることはありませんし、離れることは不可能です。自分のことを考えるのが先なのです。それが「本質」です。他者や世界の中に自己も同時に存在するという事実は、自己の優先という「本質」を覆すことはできません。

他者や世界の問題は、どのようにして、どういう順番で「私」にとって切実な問題になるのか?それを考え・言わなければ、ほんらいの哲学(恋知としての哲学)にはならないのです。結論を言えば、自我が他我と共によく生きることができる条件は、自我意識を薄めたりごまかしたりするのではなく、自我を真正面からよく見ることです。欲望存在としての己のありようを正直に見据える営みがなければ、他我や世界認識も、ことば=理論に留まり、生活世界には届きません。それでは、自我も他我も世界も永遠に宙に浮いたままになってしまいます。言語上の整理や、理論的な整合性を優先させると、人間の生の赤裸々な現実を言語の中に閉じ込めてしまう愚を犯すことになるのです。

私がどう生きるか?人間の生とはどういうものか?は、あらかじめ決まってはいませんし、決めることもできません。現代人は、「実存の冒険としての生」を引き受けざるを得ないのですが、ここに自由と不安が生じます。「起源が○○だから、本質も○○だ」、という想念は、根源的な不安感情への打ち消しとして生じるのでしょう。規定しようのない人間の生のありようを、言語=理論の世界に固定することで「安心」を得ようとするのですが、こういう作業をやめることが、本質的思考・原理思考をもたらす条件だ、と私は見ています。

武田康弘




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中江兆民と植木枝盛ー自由民権の思想と21世紀の民知

2007-02-20 | 恋知(哲学)

中江兆民は、
〈義(普遍的な原理)という公と利益を求める私とは別々のことに思えるが、義を追い求めて自分の利益に拘(こだわ)らなければ自ずと私のためにもなる〉という一元論の思想を持ち、個人の行為が義(普遍的な原理)に合致すれば、自ずと個別性を超えて大きな広がりをもつとしました。
彼は、驚くほどの「複眼的」な思想をもった人で、福沢諭吉の欧化(ヨーロッパ化)の路線に対して、欧米の思想と共に漢学(中国の古典)を学ぶ教育の必要性を訴えました。もし兆民が、福沢+文部省に敗北していなければ、その後の日本の歴史は全く違っていたと思います。中国や朝鮮へのひどい蔑視は、福沢イズムによってもたらされたのですから。

(私は兆民の敗北の原因は、?原理の突き詰め・徹底と、?現実の人間の赤裸々な姿の認識・肯定と、?問題を現実的に解決していく柔軟な論理、の3つを立体化して用いることが出来なかったところにあると見ます)。

ただし、兆民が求め、基準としたものは、ルソー(西欧)でも、老子・孟子・孔子(中国)でもなく、概念を実体化させてしまう日本的な考え方でもありませんでした。新たな理念=人民に立脚した義(普遍的原理)であったのです。彼は政治における人民を手段ではなく目的そのものとしました。「人民は本(もと)なり、政府は末なり、人民は源なり、政府は流れなり、人民は表(しるし)なり、政府は影なり。・・・官は末なり、民は本なり、官は流れなり、民は源なり、官は手足なり、民は脳髄なり。」(「国会論」1888年)

私(武田)はこの兆民の思想を発展させ、【主観性の知に立脚した生きた対話の哲学】を提唱しています。それが哲学の初心=恋知としての哲学=民知です。各人の生々しい経験に立脚した思索を広げ、その成果を共有するためには、書物や権威に頼らない生きた自由対話が必要です。生活世界の只中で自分の心身の声を聴き、自分の脳を使って、ふつうの言葉で考えることの実践がほんらいの哲学です。【天皇教・靖国思想、官僚主義・東大病】という権威主義・客観神話から解放されない限り、まだ何事も始まらないのです。ほんとうによいものとは、〈主観を掘り、刷新し、豊かにする〉ところからしか生まれません。これは原理でしょう。


以下に、中江兆民研究の第一人者・松永昌三さんの『自由・平等をめざして 中江兆民と植木枝盛 』(清水書院・新書)の冒頭部分を書き写します(ワード作業は大学生の染谷裕太君にしてもらいました)。

自由民権運動

 自由民権運動は、立憲制の樹立と民主主義の実現をめざし、国民的規模で展開された政治運動であった。政治(権力)からつねに手痛い打撃を受けてきた日本の民衆は、幕末維新の動乱を生きぬき、三〇〇年の幕藩体制がもろくも崩壊することを体験することで、自己のエネルギーを発見した。民衆は、おりから導入された欧米の近代民主主義思想を武器として、みずからが望む国家を構築するため、主体的に政治に参加し、彼らが居住する地域から全国に貫通する組織を結成し、強く連帯し、自由を抑圧しようとする専制政治とたたかった。このたたかいは、明治一〇年代を中心に、明治の前半期をおおった。

 この運動には、国民各層がさまざまな仕方で参加した。学問的素養のあった士族は欧米の近代思想を摂取し、著作・新聞・雑誌・演説等を通して民衆に伝えた。また結社を組織して運動の推進役となった。それまで学問や知識はほとんど支配階級の利益のために存在した。民権運動は、学問を民衆に役立つものとしてとらえなおした。官に依拠するのではない在野の知識人が、この時期大量に出現した。

 農村在住の豪農たちは、村落の指導者としての自覚を発揮し、刻苦して民権思想を身につけた。彼らは同志とグループを結成し、資金を出しあい、各地域からの情報を吸収し、村落と国家の将来に着目した。彼らは政社を結び農民を組織し運動を指導する人々となった。知識人や村落の指導者たちに媒介され、生活体験を通し民権思想を主体的に受けとめた農民大衆は、労働に汗を流しつつ運動のにない手に成長した。

 自由民権運動は、こうした国民各層をつつみこんで、明治政府の専制と対決したのである。直接的には、国会開設(国民の政治参加)、憲法制定(国民の自由・権利の保障と政治権力の制限)を要求した。
 明治政府は、この民権運動に対し、きわめてきびしい弾圧でのぞんだ。運動内部にも弱さや欠陥があった。知識人の大半は官に吸収されていき、社会の未成熟は民間の知識人の生活基盤を支えることができなかった。豪農たちは彼らの存在をおびやかす中小貧農の動向を警戒し、政府のほうへにじり寄っていった。明治一〇年代後半の松方財政の過程で、没落する一部の士族と農民は、いっきょに専制政府を打倒しようとし、各地で蜂起するが、いずれも官憲や軍隊の圧倒的な力でつぶされてしまう。

 明治立憲制(天皇制)は、この自由民権運動を鎮圧しつつ形成されていった。明治憲法は、民主主義理念とはほど遠い君権主義の産物で、日本の民衆は臣民(天皇の家来)の境遇におとされた。国会は開設されたが、参政権はごく一部の者にしか認められず、民衆の大部分は、実質的に近代国家の構成員=国民として認められなかった。しかしきわめて不満足なものとはいえ、明治立憲制は、十数年にわたる自由民権運動なくしては生まれえぬものであった。かつての民権派の指導者たちは、国会(衆議院)に進出し、明治立憲制の正統なにない手たることを主張して藩閥政権と争った。やがて彼らと藩閥政権とのあいだに妥協が成立していくのである。

中江兆民

 中江兆民・植木枝盛は、この自由民権運動を代表する思想家である。どちらも土佐藩の武士の子として生まれ、卓抜した民主主義者に成長し、民権運動の渦中にあって、民権思想の質を高め、その普及に全力投球した。
兆民は武士でも最下級の足軽の子であった。父と早く死別したが、生来の学問好きが認められ、長崎留学の機会をつかんだのが一転機となった。向学心は強く、さらに江戸に出てフランス学を修め、幕末維新の動乱期も、ほとんど学問一途であったようだ。さらに大久保利通の目にとまりフランス留学の大望を果たした。フランス留学時代に、ジャン=ジャック=ルソーの著作に親しみ、おそらく自由主義思想家エミール=アコラスに学んだことであろう。帰国後は仏学塾を開きフランス学を教授するかたわら、漢学者の門をたたき、また禅宗の導師に教えを乞うたこともあった。兆民は、長崎留学以来、つねに当代第一級の学者についた。こうして兆民は、すぐれた内外の学者から積極的に学び、自己の学問を確立していく。兆民の思想に時代を先取りする進歩性がある一方、伝統のなかから良質のものを発見しこれを継承発展させようとする志向がみられるのは、おそらく兆民の学問の仕方に関係があろう。それに兆民は、儒学的教養を身につけてからフランス学を始めている。
兆民にとってフランス留学は大きな意義をもった。アメリカ、イギリス、フランスという近代資本主義文明の母国を実地に見聞し、とくにフランスのパリやリヨンの市民の生活実感に直接ふれた。またエジプト・インド・セイロンなどの植民地の実情についても一瞥する機会を得た。この留学体験は兆民の思想の強固な核を形成した。
兆民は十九歳で長崎に留学して以後、郷里高知に一時帰ることはあったが、生活の本拠は高知以外にあった。幕末から高知を離れ遊学生活をおくったことが、兆民をして土佐藩人士の系列から比較的自由にさせた一因である。立志社や自由党にも正式にはいった証拠はない。推測をたくましくすれば、最下層の足軽の子として武士階級の序列構造のみにくさを感じていたため、士族中心の立志社やその流れをくむ自由党にはいらなかったのであろうか。いずれにせよ、兆民は、集団に親しむことをあまりせず、自立した精神、醒めた認識をもちえた個性的人間であった。
兆民の主要な関心は、現実の矛盾を解明し、明日のための理論を構築することにあった。みずから学んだ学問を後進に伝え、彼らの成長に期待を寄せた。兆民は、近代民主主義思想の真髄を体得していた。理想のためには妥協せず、原則を貫徹し、あいまいさを排した。権力への迎合を何よりも嫌った。また兆民は、東洋の文化的伝統と日本の民衆を深く愛した。しかしその獲得した思想の質の高さと在野性の保持が、兆民の存在を孤高的なものにした。そこに明治の留学派民権知識人の悲劇があった。

植木枝盛 

植木枝盛は中等藩士の出身であり、少年期には、当時としては標準的な武士の子弟としての教育を受けている。明治維新後の比較的開明的気運のなかで少青年期をおくるのであるが、郷里高知で学習していたこともあって、武士的教養と士族意議は濃厚であった。二度目の東京遊学後、福沢諭吉や明六社の啓蒙思想を積極的に学び、文明の精神を理解するのであるが、板垣退助の庇護を受け、板垣と行動を共にすることが多かった。二年間の東京生活が枝盛に与えたものは大きく、また二か月間の入獄は、自由と専制の問題を鋭く意識させた。
 枝盛の生活は、前後二回あわせて三年間弱の東京生活を除けば、ほとんど郷里高知での生活に限られている(民権期以降は各地で活躍する)。それに板垣に早くから近づいたこともあって、枝盛は立志社にはいり、その社員として、おおよそ、立志社の運動と自己の活動とが一体化している。しかしきわめて意欲的な独学、旺盛な知識吸収力により、枝盛は欧米近代思想の本質を理解していく。兆民訳のルソー民約論稿本を筆写したのは、西南戦争の最中で、ちょうど立志社内部が動揺しているときだ。
 枝盛は、立志社という組織のなかで、土佐の先輩後輩の人的環境のなかで、自己を民権論客にきたえていった。さらに民権運動の渦中に飛びこみ、演説・遊説・著作・オルグとめまぐるしいまでの政治活動を続け、その実践を通して大衆を理解し、自己の思想を高めていった。枝盛は、自己を育てた立志社―土佐民権派の系列から大きく離れることはなかった。枝盛は民権運動のなかから生まれ育った理論家であり、その枝盛の思想がさらに運動を発展させていった。枝盛はいわば土着の民権家、生粋の民権家といえよう。」

(☆植木枝盛についての記述は、ほとんど家永三郎さんの研究による、と松永昌三さんは述べています。なお、枝盛についてはこの下のブログを見て下さい。)

武田康弘





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植木枝盛の人と思想(高野岩三郎・鈴木安蔵らによる憲法草案への導きの糸)

2007-02-17 | 社会思想

いまの『日本国憲法』は、明治の「自由民権運動」から地下水脈として脈々と受け継がれてきた民主主義思想が結実したものであること=最良の日本人たちのリレーの上にあることを、2月10日(土)夜10時~11時30分放映のNHK(教育テレビ)・ETV特集『焼け跡から生まれた憲法草案』は、見事に示してくれました。

アメリカ占領軍(GHQ)が日本政府に示した憲法案は、高野岩三郎・鈴木安蔵ら七人の民間人がつくった憲法草案を下敷きにしていて、その思想内容はいまの日本国憲法そのものですが、彼らが日本国憲法草案をつくるにあたり、一番大きな影響をもったのが、明治の自由民権運動の思想家、植木枝盛の私擬憲法草案でした。
ソフィーの世界の訳者である池田香代子さんの講演文もご参照下さい・クリック)


では、植木枝盛の思想とはいかなるものであったのか?
以下に、家永三郎著「革命思想の先駆者―植木枝盛の人と思想―」(岩波新書1955年初版・現在は絶版)を参照して、簡潔にまとめてみましょう。


植木枝盛(うえきえもり)は、1857年1月20日、土佐(現・高知県)生まれ。一人子で激しいいたずらをする悪童であった。父の直枝は、国学に造詣が深く、枝盛の学問好きは、父譲りのもの。1890年(明治23年)に第一回衆議院議員選挙に当選。1892年(明治25年)36歳で病死(毒殺説も)。

若き頃、福沢諭吉の近代精神―啓蒙思想に影響を受けるも、藩閥政府の専制的開明政策に協力する姿勢をもった福沢ら啓蒙思想家の事なかれ主義には満足しなかった。
大久保利通や伊藤博文等と「官民調和」の相談をする福沢は、明治政府を日本近代化の推進者とみていたが、植木枝盛は、
今の政府は文明開化をはかっても、私利のためであり、国民のためにはなっていない、人民を拘束するための細かい法令をつくりながら、政府の人民に対する圧制は依然として続けられている。維新の改革は政府の変革であって、単に治者と治者の間だけのできごとに過ぎず、被治者には何の関係もないことであった。明治政府は専制政府であり、明治維新は家を建てようとして牢屋を建てたようなものである。」(1877年~81年・明治10~14年の論説の要旨)
として、福沢ら啓蒙思想家の維新観と鋭く対立した。

1876~77年(明治8~9年)に明治政府による激しい言論弾圧があり、枝盛も新聞への投書「猿人政府(人を猿にする政府)」のために禁固二ヶ月の刑に処せられたが、強靭なる精神は、かえって弾圧によって鍛えられていく。枝盛は政府に対する反抗の決意を一層固くし、板垣退助と意気投合し、板垣のつくった立志社に入り、土佐自由民権運動の組織に身を投じ、文筆と実践の両面から民主主義改革のために挺身することとなる。枝盛は板垣にはなくてはならぬブレーンとなり、民権派の最も有力な理論的代表者に地位に就いたのであった。

「古今の書物はみな糟粕なり、顧みるに足らず」と公言し、欧州に遊学し学んだとてそれだけでは何の役にも立たぬ。それよりも民主主義化した主体的精神を持っているかどうかが問題であるとして、「ロンドン・パリにて学問してきたるものは畏るるにたらず、心中にロンドン・パリをつくるものこそ恐るべけれ」と言った。ルソーの社会契約説も、ベンサムの功利主義も、別にヨーロッパ人の専売特許ではなく、東洋にもその思想的伝統を求め得る普遍的真理であるとし、どこまでも日本的現実立脚した自己の主体性の上に、その思想を形成しなければならないことを自覚して、独自の思想を築き上げていった。

枝盛は、単なる実践的活動家ではなく、職業的文筆人も及ばぬほどの著作を書き続け、充実した思想の体系を残した。彼の場合、思想と実践とは分かつことのできない一体となり、社会問題・家族制度・風俗改良等について驚くべき民主的見解を示した。子どもの独立原理、男女の完全なる平等、家父長制度・長子相続の廃止、などすべてにおいて徹底している。また、封建制の風俗の象徴としての「おじぎ」を廃止し、代わりに「握手」を奨励、徳川の政略による「あきらめ」主義への痛烈な批判等々は、すべて合理主義的生活改良の目標から出ている。娼婦を毎夜抱いた枝盛が女性解放を唱えるのに疑義を挟む人もいるが、逆に女性のために心魂を抜き去られるほどの多情多感な人物だからこそ、全力で女性解放に取り組んだ、とも言えよう。

彼の憲法草案は、立憲君主制で、天皇の存在を認めている(ただし「皇帝」と改名)が、自分と天皇をまったく平等の存在と見なしていて、民主的機構さえ確立しておけば、当分の間存置しておいて問題はない、やがては共和制に移行するのが理想、と考えていたようである。「君主はこの俗世界の政治にあずかるものである。日本の天皇陛下が神であるならば、すみやかに日本の政治法律世界を抜け出し、一瞬でも早くこの穢れた国家をお離れ遊ばして、清浄無垢の天に行ってしまわれるようにして上げずばなるまい」(1881年・明治14年)

また、国民の公論によって政治を行うためには、なるべく国家を小さくする必要があるとし、日本を幾つかの州に分けて自由独立を保障する=連邦国とするのが望ましい、とした。人権については極めて強く配慮し、特に警察の人権侵害に対しては神経質にならずにはいられなかった。死刑も廃止している。憲法草案の冒頭・第一編は、「国家の大則及び権利」である。「皇室及び皇族」については、ようやく第四編で取り上げられている。

植木枝盛は、国家の主体を人民に求め、人民の主体性にもとづいて国家を運営していくとし、また人が自主独立を保つためには、財貨がなければならず、経済の理を軽んじてはならぬとした。私有財産の権利を謳う枝盛の思想は、面白い事にいま私(武田)が参照している家永三郎の「革命思想の先駆者―植木枝盛の人と思想―」において、まだ「社会主義」にまで至っていない弱点として語られているが、逆に左翼よりもはるかに「進んで」!いたわけだ。

国家の主体は人民であり、政府はたんに人民に雇われてその事務をとるにすぎないとした枝盛は、「人民の力が衰えれば国の力も衰えることは議論の余地がない、国とはもともと人民が集まってできたものであるから、国の権を張るには、まず人民の権を張らねば、ほんとうの国権は張り切れず、人民の独立がなければ、国家の独立もおぼつかない」(要旨)と『民権自由論』で述べている。

また、福沢諭吉の態度(「日本の権利を外国に主張していくためには、国内の人の苦痛などかまっていることはできない・・国権伸張のためには東アジアの隣国を犠牲にするのもやむをえない」として「官民調和」を主張)を批判し、「福沢の態度は、ただ自ら官民の中間にたって、一種の方便を用いようとするものであって、その言は理を失えるもはなはだしい。元来、国は民権のために立てたものである。故に人民が国家などいらないといえば、国家はなくてもすむのである。民権は国権の奴隷ではない。民権を張ろうとするのは民権を張るためのみで、国権を張るものもまた民権のためにこれを張るにすぎない」(1880年・明治13年)と主張した。

彼の哲学は人間の内に神性を認めるものであり、キリスト教の核心である神の前におののく罪人という意識は全くなかった。人の能力は使えば使うほど発達して、けっして限界はないという確信をもっていた。「ああ大いなるかなこの人間、ああ大いなるかな人間の力、天上天下に貴重高大にして有力有勢の者は、それ唯人間か」と人間賛歌を謳った。

最後に、
家永三郎は次のように述べている。
「彼(植木枝盛)が横文字を解さなかったのをとり上げて、彼は西洋の学問や思想を正確に理解しなかった、というふうに批評するものもあるようだ。・・しかし、外国語に熟達するというのは、たんなる技術であり、真理を獲得するための手段にすぎない。いったい横文字を自由自在に解した学者たちの誰が、彼以上の高度の民主主義精神に到達したというのであろうか。明治30年代の以前の知識人の中から実例をあげてもらえたら、幸いである。むしろ、横文字を自由に解した学者たちの多数は、その尊い武器を逆用して、専制政治や反民主主義の政治のために忠勤をぬきんでたのではなかったか。・・彼は、横文字を解さなかったにもかかわらず、横文字を解した何人よりも、西洋近代精神の精髄を的確に把握することに成功したのである。われわれはそこから無限の教訓をくみとるべきである。」

武田康弘


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〈恋知としての哲学〉はじめの一歩=絶対の一歩

2007-02-14 | 恋知(哲学)

人が現実に生きる中で、どのように考え・どのように行為したら、自他の生を深く肯定でき、人生の悦びを広げることができるか?人生と社会の困った問題を解決する可能性を開くことができるか?を考えるのが私のいうほんらいの哲学=恋知です。そのためにまず必要なのが、自分自身の存在がどのようなものか?を静かに見つめる作業です。それが人間と社会の問題を考えるための絶対の前提=基盤です。

そういう意味で哲学はどうしても必要なのですが、
しかし、いま、哲学や思想といわれるものは、みな、過去の哲学書(者)の紹介であり、あるいはそれらの研究です。自分の日々のさまざまな具体的な経験から自分の頭で考えること=自問自答や、考えたことを他者と交換する対話による思考の広がり・深まりとは無縁な営みになっています。哲学的対話というと、哲学書(者)の言葉=概念を用いて話すことになり、いまの自分たちの置かれた状況=生活世界からふつうの言葉によって自分の頭で考え、心身に届くものにする、というようにはなっていません。

哲学書は、特殊な哲学クラブというサークルの中でだけ通用するものとなり、生きた英知とは無縁です。もちろんそういう「哲学サークル」という趣味の世界があっても一向に構いませんが、それは将棋や碁やコンピューターゲームと一緒で、ひとつの趣味に過ぎず、人間みなにとって必要な知・世界ではありません。

私のいう哲学とは、哲学の初心=恋知としての哲学=民知のことです。自他の生の実感にまで届く思考によって、人生を多彩で重層的でよろこびの多いものにする営みです。誰とでも話を深めつつ広げることが可能な頭を育てることです。そのために必要なのは、第一に静かに自分の心の声を聴く練習です。意識の水面下を見る練習、沈思です。言葉ではなく、言葉以前の世界を掬(すく)い取るように感じ知る力、直観=体験能力の育成です。これは誰にでもできます。つまらない偉がりや外的評価に怯える強迫神経症から自由になり、正直に自分の赤裸々な心を見ればいいのですから。それが、恋知としての哲学のはじめの一歩、絶対の一歩です。

武田康弘




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自分のことは自分でしなさい。

2007-02-12 | 恋知(哲学)

自分のことは、自分でしなさい!
とは、よく小さいころ言われた言葉です。
最低限、自分のことは自分でする、できるようになる。それが大人になるということではないですか?
ところが、今の男の大人には、会社、役所、学校・・・に勤めに行くだけで、自分の衣食住の基本さえ満足にしない、できない人がいるようです。
ママにやってもらっていたことを、奥さんにやってもらう?バカバカしいもいいところですが、こんな偏った生き方をしている無能力者が、社会的地位にものを言わせて、人を啓蒙する!?という図は、愚かの極みです。それをありがたがって聴く人、読む人がいるとすれば、オメデタイとしかいいようがありません。

子育てをしていない人、したことのない人が、よい子育てとは?と論じる。
教育に主体的に取りくみ、よき成果を出したこともない人が教育について語る。
具体・現実の人間・社会問題を解決した経験もない人が政治家になる。
既成秩序の枠内でしか生きていない人が社会改革を論じる。
古い常識に縛られた生き方しかしていない人がこれからの人間や社会は?について説教する。
いまの日本は、自分が主体的にとり組んでいないこと・ろくにできもしないことに口を挟むという「お笑い劇場」でしかありません。表層言語を振り回すだけの批評家や学者や官僚や政治家、それにテレビ受けする現場人!?が大手を振るうというのは、悲劇というより喜劇です。こうした愚か者たちの集合が醸(かも)し出す空気に合わせて生きるのではあまりに哀しいです。

活字や映像やの情報に操作操縦され、また逆に操作操縦している気になって人も自分も騙(だま)すような生き方をしていると、生き物としての基本―衣食住という自分の身の回りのことさえろくに出来ない・しない人間になってしまいます(少し話しが逸れますが、それどころか最近は、運動・感覚神経の未発達な人間も増えているようです。幼少の頃から全身で遊ぶ・生きるという基本がないために、特定のスポーツは出来ても、体の芯が弱く、全身の神経連絡が悪くてギクシャクした動きをする人が多くなっています)。現代の日本の教育は、テスト勉強だけが出来る「おりこうさん」(本質バカ)を拵(こしら)えて、それを「エリート」と呼ぶ底なしの「狂気」に陥っているようです。私はわが国のこの集団精神疾患を「東大病」と呼んでいます。

ママにやってもらわないで、自分のことは自分でしましょう!(笑)。それができないと、助け合う・共に働くもできません。人間の関係性を広げる、とは言葉・概念ではなく具体的な行為のことなのですから。

武田康弘




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市民自治を創る(福嶋浩彦我孫子市長・武田康弘教育館館長)

2007-02-09 | 社会思想

白樺教育館ホームページに、
市民自治を創る(福嶋我孫子市長・武田館長)がアップされました。
ご覧下さい(クリックで出ます)


「白樺教育館」ホーム

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シリーズ「公共哲学」(東大出版会)の三元論への疑義と解答

2007-02-07 | 恋知(哲学)

現在まで刊行されている20巻のシリーズ「公共哲学」(東京大学出版会)の表紙にはすべて、4つの基本編集方針が掲げられています。

そのうちの2番目には『従来の「公」と「私」という二元論ではなく、「公」と「私」を媒介する理論としての公共性を考える。』と記載されています。
「公共哲学」の関係者は誰でもが知っている有名な「公・公共・私」の三元論ですが、この理論に対しては、白樺同人から強い疑義が出されていて、12月23日の『白樺討論会―金泰昌氏(「公共哲学」の中心者)を迎えて』においても話題になりましたが、明瞭に整理されるには至りませんでした。

私は、この問題は、以下にように考えればよいと考えます。

 ? 従来は、実際上、「官」(地方政府においては市役所、政府においては各省庁)が公(おおやけ)ないし公共であるかのように振る舞い、そう目されてきたわけで、その限りでは、「公」(ないし公共)と私との二元論が成立します。

 ? こうした現状に対して、私の集合である市民という立場にたって「市民的な共通の利益」を考え、これが本当の公ないし公共なのだから、官の立場で言われる公(公共)に対して、私という立場=単なる私益を超えて、市民が自らつくる公(公共)という概念を対置すると考えれば、三元論になるわけです。ただし、この場合三つが並列しているのではなく、民から開く公(公共)こそが本来的なものという思想が含意され、上位にあるとされるわけです。

 ? ?のように現状を変革する理論としての三元論に対して、市民主権=民主制社会の原理論として考えれば、次のようになります。
「官」とは、もともと市民が生活を営むのに必要な公共性=市民的な共通利益のために働くシステムであり、市民(国民)のサービス機関です。役人は市民(国民)サービスマンであり、それ以上でも以下でもありません。
「私」の利益に対して、市民としての共通利益=公共を考える主体者は、あくまで一人一人の私であり、それが自由で対等な対話によって公共をつくりあげるわけです。
そう考えると、これは一元論(現実には不可能ですが)のようになります。公共とは市民的な共通利益のことであり、それを下支えする組織として「官」がある。市民=民が「官」をつくり養うわけですから。

したがって、まず何よりも大事なことは、?の市民社会の原理をいつも明晰に意識しておくことであり、その上で、現状の問題を解決するための柔軟な思考と態度を持つことです。

公共哲学に関心を持つ方、および関係者のみなさん、いかがでしょうか?

☆なお、金泰昌氏は、「公・公共・私」を、三元論というよりは、「三次元相関性」と捉え、「公私二元論」という平面理論では、市民から生まれる公共性が出てこないと考えています。公共性は、ダイナミックな運動=三次元的思考によって生み出されるものとしているわけです。その真意が一般の大学人にはよく理解されていないために、現在おかしな混乱が生じていると私は見ます。大至急、認識を改める必要があるでしょう。


武田康弘



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【愛の対象となりうるものは抽象的なものではないからさ】田村隆一・詩「愛ってなあに?」

2007-02-05 | 社会思想

国を愛する態度を養う!?(新教育基本法)
この極めて愚かな思想、ほんとうのことは何ひとつ分からない愚か者集団がつくった理念を、田村隆一さんの詩「愛ってなあに?」は、これ以上はない平易な言葉によって無化するものです。以下に全文を載せます。

愛ってなあに?

青年のときは、

という言葉がぼくは苦手だった
とくに詩のなかで

という言葉がどうしても使えなかった
人類や国家や世界を
愛するなんて
ぼくにはできない なぜなら
愛の対象となりうるものは
抽象的なものではないからさ
人 血のリズムによって存在するもの
物 小さな物 その存在によって
人の心に平安とやすらぎをあたえてくれるもの
それだけが愛という言葉に答えてくれるのだ
その愛によって人は
人類と国家と世界を新鮮な眼ではじめて
見ることができる
あるお嬢さんがぼくにたずねた
「愛ってなあに?」


「続続・田村隆一詩集」現代詩文庫111(思潮社・刊)より

-----------------------------------------
知を愛する、ということについてミクシィ内からコメントがありましたので、
以下に載せます。

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2007年02月05日
23:27
ヨッシー

タケセンさん

 上手く言えないですが、具体物しか愛せないとなると、知を愛する、という表現をどのように把握するとよいでしょうか?

 田村さんの詩の意味からは、少し説明しにくいと感じました。勿論、愛国心とかを批判する趣旨は理解できますし、力強いメッセージだと感じますが、・・・。

 この力強さは、「民知」に通じると思うのですが、如何でしょう?

ヨッシー
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

2007年02月06日
00:39
タケセン

ヨッシーさん
よいご質問、感謝です。
法学や政治学やの個別専門知を愛するとはいいませんが、
恋知としての哲学の世界で「知を愛する」というのは、それがナマの具体的な生に直接応答するからです。人間の生きる意味や価値という抽象的に思える課題を、生々しい生の具体の場で言葉にする作業だからこそ「恋愛する」ことが可能なのです。
この点に他の学や知との根源的な違いを見たところから恋知=哲学は始まった(「パイドロス」の最後の部分をご参照ください)わけです。
民知とは、哲学の初心=恋知としての哲学のことですから、言葉=概念を生活世界の具体に届くように(手に取れ、目に見えるように)使うことで始めて成立するもの。言葉は生の具体的経験の中から、後から出てくるわけです。力強さがあるのは当然!です(笑)。
現行の大学内哲学や哲学書オタクは、その意味では恋知(哲学)とは無縁です。単に抽象的な概念遊びにすぎませんからね。

武田康弘





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【女の子は奴隷を産む機械】 田村隆一作 『恋歌』

2007-02-03 | 社会思想

今朝の東京新聞(26面)に、戦後を代表する人間愛の詩人であり、日本最高の詩人とも評される田村隆一さん(1923-1998)の『恋歌』が紹介されています。
戦前の日本政府(近代天皇制国家)により兵隊という「機械」にされた田村隆一さんは、現代社会の人間蔑視の構造を鋭く抉る作品を書き続けました。
『恋歌』では、【女の子は奴隷を生む機械】という表現で、人を人とはみなさない「エリート」支配の人間機械化社会を痛烈に批判しています。以下に全文を書き写します。


『恋歌』

男奴隷の歌

恋をしようと思ったって
ひまがない
手紙を書くにも字を知らない
愛をささやく電話もない
それでも赤ん坊が生まれるから
不思議な話
男の子は奴隷の奴隷
女の子は奴隷を生む機械
それでも恋がしてみたい
それでも愛をささやきたい
言葉なんて無用のもの
目と目で
生命が誕生するだけさ

女奴隷の歌

わたしは機械を産めばいい
いつのまにか
お腹が大きくなって
満月の夜に
わたしは機械を産むの
男の子だったら機械の機械
女の子だったら機械を産む小さな機械
仔馬の赤ちゃんだったら
生まれたとたんにトコトコ走って行くけれど
人の子って
ほんとに世話がかかる
ヨチヨチ歩きまで三百日
機械になってくれるのが三千日
奴隷になるのに六千日
愛って
ほんとに時間がかかるもの
それでもお腹だけはアッというまに大きくなるわ

コーラス

奴隷には
涙も笑いもいらない
働いて働いて
ただ眠るだけ
鳥や獣や虫がうらやましい
遊んでばかりいて
たっぷり眠り
たっぷり恋をして
そのくせ
機械を産まないんだもの
そのくせ
機械を産まないんだから

--------------------------

自由、はつらつ、伸び伸び、
断固として、思いきり、これでいい、
ふかぶかと、豊かに、大きく、
自分性を貫く、ためらわずに、私は私。
このように悦びと共に生きるのが、奴隷でなく、人間。

奴隷男の子どもを産む奴隷女が、生んだ子を奴隷として育てる。一元的な価値観を仕込み、既成秩序の奴隷にするのが仕事。こういう生は生きるに値しない。

武田康弘





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30数年ぶりに反戦運動を広げたいー久間防衛大臣の発言をキッカケにして

2007-02-02 | 社会思想

親米右派の安倍内閣の中から、「ブッシュのイラク開戦は間違いだった」とする防衛大臣の発言が出でいますが、これを民主党のように閣内不一致として批判するのでは全く話になりません。

もっとはるかに大きなスケールで、タカ派安倍内閣を弱体化させる絶好のチャンスとして生かさなければならないはずです。

防衛大臣の発言を重みのあるものとして積極的に取り上げ、安倍内閣の好戦思想―アメリカ軍との軍事的一体化路線を鮮明にするのです。

「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)以来30数年ぶりの大反戦運動を盛り上げるための先導役を久間防衛大臣の発言に担わせることは、市民運動の隆盛と安倍内閣弱体化の二つの効果をもたらします。

あらゆる分野で急速に進む国家統制により、今わが国は極めて危険な状態にありますが、これにストップをかける市民的な公共運動を展開するチャンスとして、こういう政府要人の発言を積極的に取り上げることが大切です。民主党は一体何をしているのでしょうか?良識ある市民は積極的に反戦の声をあげ、若者たちに範を示すことが必要です。

学校で、地域で、良識ある大人は公共的な発言と行動をする義務があると思います。反戦の思想と行動がない社会は極めて不健全で、危険です。

武田康弘




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人を利用する!?(白樺MLメール)

2007-02-01 | メール・往復書簡

以下は、「白樺ML」内のメールです。

○○さま。

利用されていいのです。
利用されながらでなければ、悦び豊かな「よい」考えを広げることもできません。
よろしければ、どうぞ、どんどん利用して下さい、というスタンスでいればよいのです。

ほんらいは、システムや機械や物であれば利用することはできますが、誰であれ、人を利用する!?ことはできません。そういう発想は根源悪ですが、もしも、そういう発想でいる人がいたとすれば、警戒するのではなく、どしどし利用してくださいな、どうぞご自由に!!!という態度でいるのがいいのです。人を利用しようとする人は、必ず自分の策に溺れて人生を失います。惨めな生しか与えられないのです。本道を歩む人、堂々としている人は、何もしなくてもただそれだけで必ず勝利します。存在そのものが輝iいているからです。

世間的・既成道徳的にではなく、実存的に正直であること、このよき生の原理に忠実に生きる、つまらない自我主義・偉がり・程度の低い自尊心から無縁な人生、あっけらかんとまっすぐに、ただそれだけがよいのです。無策であることが最上の策をもたらします。無自己であることが最高の得と徳をもたらします。ただただ深い納得に徹することです。

武田康弘





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