長い日本の歴史において、ある一時期を除き天皇家が国家の中心にあったことはなく、天皇とは神主組合の代表者に過ぎませんでしたが、明治政府は、【天皇教】という新しい宗教をつくり、天皇を現人神(あらひとがみ)として神格化し、同時に現実政治における最高権威者にして国家の主権者とし、また軍隊の統帥権をも与えました。
明治政府は、近代国家に適した新宗教(天皇政府に味方した者の戦死者だけを祀る)の施設として明治2年に『東京招魂社』をつくり、これを10年後に『靖国神社』と改名し日本古来の宗教であるかのごとく装いましたが、それに留まらず、政府の宗教である靖国思想を従来の神道の上に置くという暴挙をも断行しました。
残念ながら今日までわが日本は、この種の「詐術」に基づく暴挙が横行し、常態となっています。
明治政府は、タイムマシンの現実化、古代の絶対王制を近代社会に蘇らせるという凄まじい【禁じ手】を用いて日本の資本主義化と形式的で儀礼的な民主主義化を成し遂げたわけですが、その現実次元における政府の中心思想が「脱亜入欧」でした。アジア蔑視はこの時から始まったのです。その延長が15年戦争時の「大東亜共栄圏」という思想ですが、アジアで唯一近代化を成し遂げた日本が中心となり、アジア全体を支配化に置くという構想でした。
このように戦前の日本国家は、明治政府が作成した詐術の上に構築されましたが、領土問題の根もそこにあります。明治政府の言動を正当化して「日本固有の・・・」を主張しても世界性、普遍性は得られないことを理解しないようでは、先行き真っ暗です。
われわれ日本人は、いま、明治維新後の日本のありようを見つめ、明治政府が行った驚くべき詐術から解放された目でわが日本のこれからの姿を考える必要があるはずです。「常識」となっている見方が、実は「近代天皇制国家」をつくるために明治政府が行った詐術に基づくものであることがいかに多いか、それを知ることなしには、人間性豊かな未来は拓けないはずです。
武田康弘