『知事抹殺』ー佐藤栄佐久著(前・福島県知事)平凡社 2009年9月刊
以下は、2年近く前に出た上記の本からの抜粋です。
★佐藤前知事は、1988年の知事選で、建設業界推薦の候補と闘い、脱金権政治を進めた気骨ある政治家で、圧倒的な支持を得ました。(しかし、検察特捜部の「国策捜査」により逮捕された。東大法学部卒の政治家が逮捕されたのは、この半世紀ではじめてのこと)
1988年
一地方の首長選挙にまで口をはさんでくる傲慢さに、参議院議員だった私は激し怒りを感じた。中央が好き勝手に役人を担ぎだして知事選に出馬させる。民主主義の危機である。
安倍晋太郎氏から自民党幹事長室に呼ばれた。・・要は「降りろ」というのである。・・私は、「それはできない。知事は県民が選ぶのだ」と拒否した。
「保守王国福島」にあって、世代交代の風穴を開けようとした私を、県民は熱狂的に迎えてくれたのである。
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2002年8月29日、
原子力保安院からのFAXは恐るべき内容だった。
「東京電力福島第一・第二原発で、原発の故障やひび割れなどの損傷を隠すため、長年にわたり点検記録をごまかしてきた」と書かれていたのである。
やはり「国と電力会社は同じ穴のムジナ」だった。考えられない内容の不正行為に私は言葉を失った。
当事者の東電よりも、告発を受けながら二年間も放置してきた
国と原子力保安院に対して感じた怒りのほうが大きかった。私は副知事に檄を飛ばした。
「
本丸は国だ。敵を間違えるな」
翌8月30日、私は記者団に囲まれた。
「国(※自民党政府)、経済産業省はこの二年間何をやってきたのか。トラブルを二年間伏せておいて、経産省は、『安全文化の向上』と言っていた。茶番をやっているのか。一番安全に関係する福島県民のことをどう考えているのか。」
「この問題を東電がどうした、当事者の誰がどうした、プルサーマルが進まなくなる、などと矮小化してはならない。原子力行政全体の体質が問題だ。政策そのものを考え直さないといけないのではないか。」
「日本は、原発に対し世界の共通の常識を持つべきだ。」
県庁に戻り、今後の対応について打ち合わせをした。
「
われわれの相手は経済産業省である。・・官僚はさっと抜け穴から逃げるので、ドジョウを逃がさないだけの目の細かい『ざる』を用意しなければならない。いよいよ本番、決戦が来た」――これから霞が関の官僚と交渉することになる県職員への私の檄であり、アドバイスだ。
この頃(2003年1月)私と国の原子力行政・東京電力との闘いはピークに達しつつあった。・・私は、一度県知事として承認を与えた福島原発でのプルサーマル計画事前了解も白紙撤回しており、この三カ月後には、日本の原発がすべて停止する事態に発展する。私にとっても、前年から常に緊張の毎日が続いていた。
翌年の2004年は、新潟県中越地震をはじめ、台風、集中豪雨などの天変地変が相続いた一年だった。
1月24日、秘書課長が、『アエラ』のコピーをもってきた。
「知事大株主企業の不可解取引」大きな見出しが躍っていた。郡山スーツが行った、私がしらない土地取引と木戸ダム建設工事発注の件を、無理やり結び付けて「疑惑」としている。
しかし、発売翌日、『アエラ』の本社で会議であり、「(この件は)事件性がない、と結論づけた」
(以下、経緯が長く複雑なので、しばらく省略)
2006年10月23日、『毎日』『読売』の夕刊に「前知事、逮捕」という予測記事が大見出しで載った。
電話は、午後にかかってきた。
「東京地検特捜部ですが、事情をお聞きしたのでお会いしたい。準備ができ次第、ホテルハマツの地下駐車場に来てほしい」・・・・
クルマを降りると、茶色のワゴン車に移乗するように指示された。同じ型の車、二台が来ていた。窓にはカーテンがめぐらせ、外が見えないようになっている。・・
私は、ちょっと驚いて、
「ここで事情を聞かれるのではないのですか」
と聞くと、男性は「検察事務官だ」と名乗り、東京に向かうのだと答えた。
車中ではほとんど会話は交わさなかったが、県庁から持って帰った資料の整理が途中だったのを思い出し、携帯電話で電話した。妻に、
「
応接間の原発関係の資料は、裏の倉庫に入れておくよう」
と指示すると、検察官らしい人がすぐにどこかに電話して、何か指示していた。「
・・裏の倉庫」と聞えた。翌日、私の自宅も家宅捜査を受けることになるが、それは保釈されてから知ることになる。
・・・車はそのまま小菅の東京拘置所に入った。
車を降りたところで逮捕状を見せられる。
そこには「収賄罪」と書かれていた。