NetIB-News(福岡の経済メディア)では、政治経済学者の植草一秀氏のブログ記事から一部を抜粋して紹介する。今回は「旧統一協会と自民党関係者との間の金の流れの実態にメスを入れる必要がある」と訴えた7月29日付の記事を紹介する。
安倍晋三元首相が銃殺された事件の捜査で山上徹也容疑者に対して奈良地検が4ヵ月間の鑑定留置を求め、7月22日、奈良地検がこれを認めた。奈良地検は鑑定結果を踏まえて山上徹也容疑者を起訴するかどうかを決める。
この措置は山上徹也容疑者から発せられる声を封じることを目的とするものだと思われる。
山上容疑者は旧統一協会に対する恨みを強く抱いていたと見られる。
その延長線上で攻撃の対象を安倍晋三氏に向けたと見られる。
理由として挙げられているのは安倍晋三氏ならびにその一族の旧統一協会との関わりの深さ。
当初、マスメディアは山上容疑者が両者の関係が深いと「一方的に思い込んでいた」ことを強調して報道した。
しかし、その後に事実関係が明らかになり、両者の関係が深いことは山上容疑者の「一方的な思い込み」でなく、客観的事実であることが浮かび上がっている。
これ以外にも安倍晋三氏を標的とした理由についての山上徹也容疑者供述が当初は報じられた。
それは、旧統一協会の問題が極めて重大であるにもかかわらず、警察が適正な捜査を行わないこと、その理由として安倍内閣の影響があると山上容疑者が認識し、憤慨していたことだ。
この点に関する供述は、当初のメディア報道に含まれたが、その後はまったく報じられていない。
メディア情報の情報源の大半は警察発表情報。
山上容疑者は勾留されており、警察以外に山上容疑者の現在の発言を確認できる者はいない。
安倍晋三氏銃殺事件について当初、「言論を封殺するテロ行為」との位置付けが喧伝されたが、その後の捜査によって、山上容疑者の旧統一協会ならびに安倍晋三氏に対する怨恨が動機の殺人事件との性格が浮き彫りになっている。
実際に、山上容疑者の母が旧統一協会に入信し、1億円を超える寄付を行い、山上家の財産が失われ、母が自己破産に追い込まれた事実も判明している。
山上容疑者は裕福な家庭に生まれながら、経済的困窮に陥り、大学進学も諦めざるを得なくなったことが判明している。
それだけでなく、父や兄が旧統一協会問題を背景に自死に追い込まれた経緯も明らかにされている。
旧統一協会による高額献金強要や霊感商法による高額品販売問題は、重大な社会問題として世間を賑わせた。
しかし、第2次安倍内閣発足後は問題が隠ぺいされる傾向を強めた。
この過程で旧統一協会の名称変更が安倍内閣により突然認められた事実も明らかになった。
参院選における旧統一協会票の取り扱いについて安倍晋三氏が深く関与したとの情報も浮上している。
安倍晋三氏秘書を務めた井上義行氏が統一協会と極めて深い関係を有していることも明らかにされている。
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1968年4月に日本で創設された「国際勝共連合」の発起人に安倍晋三氏の祖父である岸信介氏、笹川良一氏、児玉誉士夫氏が名を連ねた。
国際勝共連合は旧統一協会と一体の関係にある組織。
日本における反共活動の拠点とも言える組織である。
1973年には旧統一協会の開祖である文鮮明氏と岸信介氏が写真撮影している。
1974年に旧統一協会の創設者である文鮮明、韓鶴子(現在の同協会総裁)夫妻が来日した際には帝国ホテルで晩さん会が開かれ、当時の福田赳夫蔵相(後に首相)ら国会議員が出席している。
福田赳夫氏は
「アジアに偉大な指導者現る。その名は“文鮮明”である」
と絶賛した。
岸信介氏の流れを汲む自民党派閥「清和政策研究会」を率いたのが福田赳夫氏であり、安倍晋三元首相である。
自民党清和政策研究会と旧統一協会、国際勝共連合の関係は極めて深いと見られる。
敗戦後日本の最重要転換点は1947年。
米国の外交政策路線がトルーマン・ドクトリンによって大転換した。
連動して対日占領政策の基本が民主化から非民主化=反共化=再軍備化に転換した。
この路線転換のなかで米国の指令に沿う日本統治の役割を果たしたのが戦犯釈放者であったと見られる。
その代表が 岸信介氏、児玉誉士夫氏、笹川了一氏の各氏である。
この3名が国際勝共連合創設の中心人物であったと言ってよい。
安倍晋三氏銃殺事件は図らずも敗戦後日本史の核心に光を当てるパンドラの箱開示の意味を有していると言える。
※続きは7月29日のメルマガ版「植草一秀の『知られざる真実』」「清和研議員と旧統一協会の金の流れ」で。