思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

よいバッグに大満足! 男性も女性用を活用したい。

2015-03-31 | 趣味

  女性は、男性ものも使いますが、どうも、男性は、女性ものを使いません。
それでは損じゃ~~。男はゴツイものだけを使うというのは「刷り込み」でしょう。
わたしは、性差別なく「よい」ものを探します。

  数年前にぶらりと入り、店主=経営者と仲良くなった『Bring』は、女性ものバッグを扱うお店で、かみさんは大喜び。千代田線・千駄木駅の団子坂口近くですが、店主は、柳宗悦や濱田庄司の民芸思想に共鳴していて、「白樺」のわたしとはいろいろな面で意気投合。

  昨日、墓参りにいく道すがらに寄り、女性ものですが、わたしが使いたいと思うよいバッグを見つけました。A4が入りますので、仕事で毎日使えますし、さりげなく大型カメラを入れることもできます。手提げ、肩掛け、リュック、切り替えなしでOK。デザインや色気もよく、大満足!

  写真のように、フルサイズ一眼にツァイス・プラナー85mmF1.4にフードを付けた状態でも余裕です。底部はマチ付きです。



   

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「軍事依存国へ」の転向は、右へならへ!で簡単ーこれが日本集団人?さてと、元から変えよう!!

2015-03-28 | 社会批評

アメリカ軍部に100パーセント同調、
外交素人のお粗末があんまり徹底しているので、非現実的政策が現実的!のように見えてしまいます。
笑えない笑話でしかない安倍政治に翻弄される人々の群れを見ると、情けない、としか言えませんが、とても危ない状況です。
まともな人の声と顔がテレビから次々と消えて、ほとんどが、あ~あ、のレベルの人ばかり。淀み、濁り、臭み、ボケ、卑屈で、真善美を感じることは極めて稀です。


優れた考えを生む「理性」=総合的判断力は、恋知=フィロソフィの実践なくして得られませのんで、「私」の日々の体験に照らし「私」の頭で考える営みを広げる活動を充実させなくては、と思いを新たにします。今日は、土曜日、「大学クラス」。準備を整え、はりきるぞ!!


以下は、昨日の『東京新聞』の一面「筆洗」と、こちら特報部の「デスクメモ」です。
理性と良心のある人は、自民党への投票をせず、安倍政治に「ノー」を示します。

「世界の良心」と呼ばれるチョムスキー(言語学者)の英国・王立国際問題研究所での講演

 アフガニスタンで活動する「現代の偉人」中村医師の言葉。

 集団的自衛権の本質を明瞭にした元自衛官・泥 憲和さんの名演説も併せてご覧ください。

 




 

 

 

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「一般人」の視線で己を見る神経症で一生を終えては、損も損。

2015-03-24 | 恋知(哲学)

わたしはいつも感じるのですが、

どうも多くの人は、

自分の内から湧くエロースをまっすぐに肯定できず、

世間=外の価値意識に照らして(一般的な見方に囚われて)、ビクビクと生きているようです。

だから、ためらいなく己の内側の精神に向かうことができず、

「一般者」の視線で己を見る、という神経症者のままに一生を終えるのではないでしょうか。

発する言葉は、いつも広義の「言い訳」でしかなく、ほんとうの意味の自己主張と行為がないようです。

生のよろこび(エロース)が薄い人生を歩む、上位者の意向に【自分から従う】という深いドレイ精神から抜けられない、ああ、同朋よ!

幸福は、「自分自身として生きる」ところからしかやってきません。これは、生の原理中の原理なのです。

気付かないと、一生が無駄になってしまいます。

 

(クリックで拡大。私の「お気に入り」ーとても使いよく、民芸の「用の美」を象徴する絶品。だいぶ前に益子の陶器市で2500円で購入)

 

武田康弘

 

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音楽ホール設計者・小林宅サロンで、とっても贅沢なコンサート・ピアニストの松本和将さんら7名で。

2015-03-18 | 芸術

  3月15日の日曜日、小林洋子宅の小ホールでの演奏会に招待されましたので、自由が丘まで出かけました。神田と文京が実家のわたしは、世田谷区は遠い存在で、等々力には45年ぶりに行きましたが、あまりの変わりように浦島太郎気分(笑)田舎だったのに!
わたしは、いまは手賀沼に臨む白樺派のコロニー・我孫子を故郷としていますので、行くのに2時間かかります。
  でも、行った甲斐がありました。演奏会の内容は、表現意欲に溢れ、若々しくエネルギッシュで、小空間は豊穣な音響で満ち、なんとも贅沢な音楽時間。国際的にも活躍する実力者たち7名の奏者に、座席は20名という昔の王侯貴族のような演奏会でした。

 
  5時開演の予定が20分ほど遅れ(リハが伸びて)、最初は、クラリネットとピアノで、サジェの「コンクールのための独奏曲」
  本濱寿明(もとはま・のぶき)さんの有り余るパワーのクラリネットは圧巻、松本和将(かずまさ)さんの表情豊かなピアノとピッタリで、まったく知らない曲ですが、面白かったです。

 

  次は、チェンバロのためのヴィヴァルディ「ソナタ第1番」(作品47)を、ファゴットで演奏。柔らかく快活な曲と演奏は、親しみやすく気持ちよい。蛯澤亮(えびさわ・りょう)さんの演奏技術も高く素晴らしい!

  3曲目は、ボサの「森にて」。これも作曲者の名前すら初耳の作品、ホルンの最高音から最低音まで使った曲との説明がありましたが、マニアックですね~。すぐ近くで聴くホルンの音は楽しく美しく、遠い昔、ブラスバンド部の頃(高校生)を思い出しました。わたしには、若いホルン奏者・井上華さんの髪型と顔立ちが、ブランクーシの彫刻「ポラニー嬢」のように見えました。

   

前半最後は、ハチャトリアンの「クラリネット、ヴァイオリン、ピアノのための三重奏曲」。
エネルギ-溢れる強烈な三重奏曲。ハチャトリアンはたたみかけるような「剣の舞」があまりに有名ですが、室内楽曲でもパワフル。
表現意欲の強いピアノの松本さんとクラの本濱さんに、華奢に見えるヴァイオリンの上里はな子さんも全然負けていない、実力者です。

 

           15分間の休憩

      本さんと蛯澤さん

  

    休憩後、ストラヴィンスキーの「兵士の物語」。これは、ピアノ三重奏版での演奏、ナレーションまで入り、よく分かる。日本語訳した歌詞は、クラの本濱さんが編集し、ファゴットの蛯澤さんが「語り」ました。改めて、ストラヴィンスキーは天才だな!と思いました、独創の鋭さとオモシロさ。

    

 
  なんと次は、シューベルトの「ソナチネ1番」です。名演です。ヴァイオリンのはな子さんは、濃やかだが音に広さと大きさがあり、目をつぶると、おおきな楽器が鳴っているように聞こえます。わたしの手元にシャハムがギター伴奏で入れたCDがありますが、松本さんのピアノ伴奏によるこの演奏は、よりシューベルトの本質を感じる演奏で、しみじみと心に入りました。

 
   いよいよラスト、大曲です。
ヤナ-チェクの「コンチェルチーノ」これは、変則的な編成の曲ゆえに演奏機会がないとのことですが、まさに不思議な曲です。ヤナ-チェクは弦楽四重奏曲の「内緒の手紙」にも感じる〈熱〉が特徴ですが、これは更に激しい情熱に溢れた曲で、シューベルトの次にこれがくるのですから、ピアノの松本さんの「熱」も見上げたもの~~(笑)。
実質は、通常のピアノ協奏曲以上にピアノが活躍するピアノコンチェルト!情熱的なピアニストである松本さんが「この曲、やりたかったんです!!」というのがよく分かります。
ここで、二人の方が参加して奏者は7名に。まだ高校生(芸大付属)のヴァイオリニスト・木村瑠菜(るな)さんと、指揮者でもあるヴィオラ奏者の阿部真也さん。

    

 

 

みなさん、熱い一夜をとっても感謝です。ブラボー!!

なお、主宰者の小林さんは、公共の音楽ホールなどの設計者です。音響的にも視覚的にもたいへん美しいと評判の「ミューザ川崎シンフォニーホール」は彼女の設計です。


 主宰者の小林さん、林さん

            
この小画面の写真は、クリックでアップし、高画質で表示されます。


武田康弘

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昨日は、泥さんと初顔合わせ。柏まで来ていただき、ありがとう~~

2015-03-17 | 日記

昨日は、泥 憲和さんと初顔合わせ、とても楽しいひと時。

白樺教育館のメンバーとの会合です。

泥さん、遠いところをありがとう!!

白樺同人の川瀬優子さんがいろいろ手配してくれました。

FBをどうぞ。

 

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タケセンがいっぱいにな~~~れ。

2015-03-15 | 学芸

「タケセンが雨みたいに空から降って来ればいいな、み~~んなタケセンになればいい!」

(小学4年生の男の子)

 

「昨日、夢見たの、どこかの島にいったんだけど、そこにいる人は全部タケセンなの。何百人もいたよ。」

(小学5年生の女の子)

 

こういうこと言われると、死んでも頑張るぞ!と思ってしまいます(笑・嬉)。




武田康弘(タケセン)

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自分自身として生きることができない、これが、日本人の特徴です。

2015-03-14 | 恋知(哲学)

分自身として生きることができない、これが、日本人の特徴=不幸でしょう。

たえず、外なる価値に強迫され続ける人生を歩みます。

 

自分は何番か、どこいらへんにいるか、という序列の意識で縛られ、自分の人生を楽しむことができません。

 

みなが強迫神経症かもしれませんね。「序列意識」と「」をなくしたら何もない、笑えない笑い話でしかない人生を続けます。ニンジンをぶら下げられた馬のごとく走り続けるしかないようです。

 

内容、中身が希薄。形式と儀式の国。序列を競う競走馬のような人間の群れ。

 

自分の中から湧き上がるエロースを殺す「半分死んだような人生」を自他に強要するウイルスに犯されているために、表情に乏しく、心も頭も身体も固い、こわばっています。

 

のびのび、しなやか、堂々、嬉々としてる、優しさと愛に満ちている、とは正反対。

学校の入学式・卒業式はその象徴、一人ひとりの人間ではなく、儀式が偉い!?!?おかしな宗教と同じですが、いつまでもそれを続ける底なしの愚かさ。

 

自信ありげな日本人はといえば、外的価値を所有しているために、心理的に人の上にたつ序列上位者のみ。彼(彼女)らは、他者を見下す人々。自分では意識しなくても、そうい場所で生きている人は、潜在的な人間差別者。

 

上と意識する、下と意識する。---こういう愚かな想念から自由になるには、フィロソフィ=善美への憧れをもち真実を探求する心をもつことが不可欠、とわたしは考えています。

 

わたしを輝かす、わたしが輝く素晴らしい営みが恋知=フィロソフィです。

ぜひ、「恋知」第二章を。

(クリックで拡大)


武田康弘

 

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こども抑圧、「型ハメ」の子育てと教育をやめよう!人間を幸福にしない根源悪です。

2015-03-13 | 教育

いまの子育てを見ていると、親によるこどもの型ハメが目立ちます。

親の思う「よさ」(○○らしく)に誘導しようとするために(おそらく親世代の管理教育の影響)、こどもの自然性ーなんでも試す好奇心、めちゃくちゃをやってみることが禁止されてしまい、強く豊かな生命力の発達が抑圧さています。

どろどろ。べたべた、びちょびちょ、という混沌の経験は、何よも大切なもので、それがないと、「意味のある秩序」(外からの力で押さえつけたり、上手いこと誘導するのではなく、内から心で納得できる秩序)がつくれないのです。

混沌、デタラメを経由して自己納得のもとにつくる秩序がないと、大人になっても自分自身として生きることができません。そういう人で溢れているのがいまの日本という国です。精神疾患者だらけ。

どんなに幼い子も、自分自身で考える力をもっています。状況を認識し対処する能力は、驚く程のもので、1歳、2歳でも、親しく接していると、その能力の高さには唖然となります。感動あるのみです。

こどもをおとなの鋳型にハメるのではなく、こどもの示す行為の意味を知ろうとする心が必要です。こどもの目線になり、こどもの行為を肯定する態度をもって接し交わると、こどももおとなも驚くほどの発展、深さの世界が拓けます。生きることの悦び=人生の意味が了解され、ほんとうの豊かさが得られます。

わかった風なことを言う大人こそ、この世の悪の源泉です。まして、何も見えない愚かな政治家が権力を使って教育に介入するなどは、地獄堕ちの行為です。よく弁えなさいよ、変えなくてはならないのは、あなたの生き方=考え方=態度の方です。幼子に学ぶ心をもつことが、あらゆる人間問題と社会問題を解決するための原理中の原理なのです。


武田康弘

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明治の国家主義の二度目はない、早く気づけよ、わが日本人。

2015-03-09 | 学芸

 

    二度目はない、許せば、地獄。
 わたしは、今の安倍政権が進めるままに、軍事力を行使する国に戻れば、日本は終わりだと思っています。
昨年から始まった「戦後の平和主義」をチャラにし、欧米と同じように軍隊を海外に出すという国家戦略は、「無知の上に成り立つ愚挙」に過ぎないのです。

 戦前の日本の軍国主義を可能にしたのは、「天皇現人神という国家宗教」(天皇教=靖国思想)でしたが、これへの思想的反省がないままに(ないどころか、その思想による東条内閣の重要閣僚だった岸信介を敬愛する安倍首相が進めるのが明治以来の国家主義)再び、軍事力を行使できる国にするならば、イビツな「日本人という集団」が出来てしまいます。

 恐ろしい結果を招来した「国家犯罪を支えたイデオロギー」への真摯な反省をせずにアメリカに追随すれば、いまの明仁天皇も嫌がり否定している「近代天皇制」を復活させてしまい、個々人の想い・考え(一般意思)に依拠する民主政は、その根元がグズグズと溶けて「日本人」という独特の集団に陥ります。

 「普遍性をもつ人間」という土台の上に成立する日本人ではなく、「特定の色に染まった」日本人という団塊が出現すれば、第二次大戦後の世界の秩序は壊れます。普遍性を謳う「世界人権宣言」(エリノア・ルーズベルトが中心となり起草し国連で採択)の思想は、日本から消えていきます。その作業をしているのが、安倍首相の長年の友人で政府の教育再生実行委員を務める八木秀次(麗澤大学教授)です。ちくま新書の『反 人権宣言』では、「われわれはもう〈人権〉という言葉におびえる必要はない、日本人は、〈日本の常識〉に戻ればよいのだ。」と主張し、天皇陛下の慈悲により成立する「明治憲法」を讃えていますー『明治憲法の思想』PHP新書。

 戦前思想への真面目な取り組みと批判がないと、日本の国を支える思想は、近代市民社会に依拠するのとは逆に、明治の保守主義がつくった日本主義(国体思想=靖国思想)に戻るほかなくなります。
 個々人の実存から出発する社会思想・公共思想をしっかりつくる知的営為がないのは、致命的欠陥なのです。早く気づけよ、わが日本人。明治の国家主義の二度目はない。

 

 武田康弘(元「参議院行政監視委員会調査室」客員調査員 哲学講師)

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3月7日、サロネン・フィルハーモニー管弦楽団とヒラリー・ハーンの演奏会。見事!

2015-03-08 | 芸術

二曲のシベリウスにブラームスにベートーヴェン、みんな素晴らしい演奏で、元気満々!!

サロネンは、強靭なパワー、癖のない透明な解釈。オケもニュートラルな音色、クラリネットとホルンにわずかな出だしミスがあって惜しい。エロイカでのホルンの強奏は見事。ティンパニーの過度応答のよさ(立ち上がりと立下りの速さ)はギネスもの。有り余るパワーに圧倒された。

一曲目のシベリウス「トゥオネラの白鳥」とアンコールの「悲しみのワルツ」は、豊かな感情を指揮棒なしで表現、絹ズレのような美しい音に唖然。こんなに見事なシベリウスを聴いたのは初めて。サロネンはシベリウスと同じフィンランド人。

ブラームスのヴァイオリン協奏曲は、ハーンが全身を使い、女性的な迫力に満ちた快演。かつての美少女は、自信に満ち、自身のソロが休止の時は、オケのヴァイオリパートを見て相槌を打つなど余裕綽々。サロネンとの相性もピタリで、感情は豊かだが、都会的ですっきりとした抒情性の世界。快適なテンポで気持ちよく、とても満足。演奏が終わるや、サロネンとハーンは、互にしっかり抱き合ったー素敵な光景!
アンコールは、バッハのパルティータ3番。明快・端正で規範的演奏。

ベートーヴェンの3番・エロイカは、明快でノリがよく、快適なテンポ。
サロネンはよい意味でアマチュア精神を残し、若々しくキビキビとし、同時に歌心のある見事な演奏。オーケストラの指揮を楽しんでいる。第二楽章の葬送行進曲のみ指揮棒なしで表現。
作曲家らしく、この曲の「革新性」を明確にしつつ素晴らしい力で進む、50分があっという間。

明快な理念をもち、鋭敏な感覚と運動神経を武器に、明晰な楽曲分析によりつくられる音楽は、情感の豊かさにも欠けない。

アマチュア精神とさえ言いたくなる「初々しさ」まであり、
上質のエネルギーが身体に充填されたようで、楽しく、とても得した気分になった。



武田康弘

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かのクレンペラーのオーケストラ「フィルハーモニア管弦楽団」(サロネン指揮)明日・3月7日。残席あり。

2015-03-06 | 芸術

20世紀最大の指揮者ーオットー・クレンペラーのオーケストラ、イギリスのフィルハーモニー管弦楽団の演奏会が、明日・3月7日(土)にありますが、

まだ、SSとSとAに席が残っています。

指揮は、才人で作曲家でもあるサロネン、 ソリストは、現代最高のヴァオリニストの一人、ヒラリー・ハーンです。都会派コンビの現代的解釈のブラームスとべートーヴェンは、聴きものです。

会場は、東京芸術劇場(池袋)。開演は、午後2時です。

わたしは、明日の演奏会をとても楽しみにしてきました。皆さまもぜひ~~~

武田康弘

 

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NHKにんげん日本史「伊藤博文」 本質がよくわかる優れた教科書です。みなの必読本。

2015-03-06 | 書評

  伊藤博文は、吉田松陰の死刑(安政の大獄)で、桂小五郎(=木戸孝允)らとその遺骸を引き取る時、師の教えであった『尊王攘夷』(天皇を敬い、天皇中心の国をつくり、外国を打ち払う)の実現を心に誓い、その思想(イギリスへの密航留学で『尊王開国』に変わるが)に基ずく「維新」と国づくりに生涯をかけました。

 

  NHKにんげん日本史「伊藤博文」(出版は10年前)は、明治政府の中心者・伊藤博文の「思想と行為の意味」を簡明に知るには、とてもよい本です。冷静・公正でよく意味が分かる《近現代史の教科書》として強く推薦します。彼を評価する(功罪を考える)上で、とても役立ちます。

  小学生高学年から中学生の必読本と言えますが
こに書かれている「意味内容を把握している人は、大学生でもほとんどいないのが現状です。

  こういう基本の事実とそれがもつ意味を知ることは、いまの政治を判断する上でも欠かすことができませんので、大人の方もぜひお読みください。大きな活字と、分かりやすい説明で、すぐ読めてしまいます。

  ネット時代、ヒドく歪んだ見方や、一面的な情報飛び交いますので、基本をしっかり理解しないと、こわいです。


  武田康弘

 




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南京事件(殺人、暴行、強姦、略奪、放火)の日本軍資料による事実ーー泥 憲和(元自衛官)

2015-03-04 | 学芸

  以下は、当時の日本軍資料と兵士の証言による南京事件(殺人、暴行、強姦、略奪、放火)の事実です。
日本人みなが知るべきことが知らされていません。恥べきことです。

 

【南京事件の解明はどのようになされてきたのか】    泥 憲和(元 防衛ミサイル部隊所属の自衛官)

 

 前の記事(南京大虐殺の映画の紹介にコメントがついたのだが、コメント欄で回答するのは難しいのでタイムラインに上げる。

  
  南京事件は国際軍事法廷で事実として認定され、虐殺数は「30万人」と判決された。
  これを否定する側との激しいたたかいの中で、南京事件の事実性はますます確固たるものとなった。
  「30万人」が正しいのか正しくないのか、そんなことはいまさら分からない。
  こういった巨大な事件について、10倍程度の誤差があるのは普通のことだし、30万人が10万人でも帝国陸軍の手柄になるはずがない。

 いまから書くのはそういったバカバカしい論難を脇に置いて、否定派研究者とまともな研究者のちがいを知っていただこうとするものだ。
  あわせて、ひとつの事実を確定するために歴史学者がどれほど苦労しているかを述べるので、南京事件否定派の論難のくだらなさを実感していただきたい。

※※※

 南京大虐殺否定派の畝本正己氏は『証言による南京戦史』を書きました。
  これは南京大虐殺を全力で否定するために書かれた本です。

 たとえば歩兵33連隊の『作戦詳報』には、捕虜の「大量処刑」が記録されています。
  これは連隊長と師団長の決済印のある公文書です。
  やってもいない捕虜殺害を、部隊が公文書に書くはずもないと思います。
  しかし畝本氏は、「そんなことしていない」という一人の元兵士の、「証言」ひとつで、これを全面的に否定してしまうという蛮勇をふるっています。
  一方で、虐殺があったという中国人の「被害証言」は、根拠なく「ウソ」だと決めつけています。

 しかしこんな本でも「捕虜の不法殺害」や「市民の虐殺」を認めている。
  それは当事者が証言しているし、公文書の裏付けがあるので、否定しようがないのです。どんなに取り繕っても隠せない事実があるのです。
  さて、こういう研究とはどのように行われているのか。

 ひとつの例として、第114師団を上げます。
  この師団は有名です。

「八、午後二時零分連隊長より左の命令を受く
      左記
  イ、旅団命令により捕虜は全部殺すべし
   其の方法は十数名を捕縛し逐次銃殺しては如何」

 この記録が、第114師団のものなのです。
  この命令が本当にあったのか、また実行されているのか、それが研究テーマとなりました。

 師団行動を記録した公文書がたくさん発見されました。

☆ 『第百十四師団作戦経過の概要 昭和12.11.7~12.14』 
☆ 『第百十四師団「戦闘詳報」 昭和12.12.6~12.14』 
☆ 『第百十四師団「戦時旬報 第5号」 昭和12.12.11~12.13』 

 これらには「赫々たる大武勲」が書き連ねてあります。

 ここには捕虜の処断も正直に記録してありました。
  悪いことだと思っていないから、正直に書いてあるのです。
  この部隊行動が一部隊による勝手な行動でないことは、以下の命令群で裏付けられました。

☆ 一一四師作命甲第五十九号 昭和12.12.10 
☆ 一一四師作命甲第六十号 昭和12.12.10 
☆ 一一四師作命甲第六十二号 昭和12.12.13 
☆ 歩一二八旅命(右翼隊命令) 昭和12.12.12 
☆ 歩一二八旅命第六十六号 昭和12.12.13 

 これらの命令文書がつぎつぎに発掘されたのです。
  命令に従った下級部隊の実行を裏付ける部隊記録として、以下のものが見出されました。

☆ 「歩兵第六十六聯隊戦闘詳報」
☆ 「歩兵第六十六聯隊第一大隊 南京附近戦闘詳報」
☆ 「戦闘詳報」第六号 歩兵第百五十聯隊

 作戦に参加した兵士の証言も、たくさん見つけられています。

☆「城塁・兵士たちの南京事件」阿羅健一(月刊『丸』潮書房、1989年1月号~1990年12月号)
☆「郷土部隊奮戦記」(サンケイ新聞栃木版、昭和37年)
☆「野州兵団の軌跡」(栃木新聞、昭和54年~55年) 所蔵:国会図書館
☆『野州兵団奮戦記』高橋文雄(中央通信社、1983年) 所蔵:栃木県立図書館
☆『われらの大陸戦記 歩兵第66連隊第3中隊のあゆみ』西沢弁吉・第3中隊長 
☆『聖戦の思い出』手塚清・第4中隊長 
☆『わが人生の歩み』高島惣吉・第2機関銃中隊長(高島剛編、1993年出版) 

 これらの史料を発見、収拾するのに、研究者がどれほど苦労したでしょうか。
  山のような公文書をかき分けて見つけ出したのです。
  週刊誌なんか、いつどの本に載ったのかを、どうやって突き止めたのでしょうか。
  その手間と努力のかげには、空振りに終わった探究も数限りなくあったことでしょう。
  研究者の努力に、心からの敬意を捧げます。
  これらを基礎に、歴史事実が確定されているのです。
  言っておきますが、これは南京事件全体に関する話ではなく、たったひとつの現場に関するものなのです。
  全体の資料はそれこそ膨大です。


  さて、東中野教授という否定派の大物がいます。
  「百人斬り裁判」の証人として出廷した経歴があり、右翼から専門家として持ち上げられている人物です。(判決で「研究の名に値しない」とみなされたのですが)
 その東中野教授が114師団のことを弁解するのに持ち出したのは、つぎの話です。

>激戦の最中に捕虜に食事を与えている

 これだけです。
  だから殺すつもりがなかったことがわかる、と。
  いまから殺す相手に飯を食わせるはずがない、と。
  しかし、事情があって殺してしまった、と。

 これが捕虜虐殺の弁解になると思っているのは、東中野教授くらいのものです。
  これで歴史が語れるのなら、私だってそうします。

 否定派は楽なもんです。
  資料なんか読まないネトウヨ相手だから、ちょっとした話術さえあればたちまち人気者で、講演会に呼ばれ、セミナーで稼げます。
  講演会に行けば企業や商工会が動員した聴衆で満員です。
  セミナーでちょろっと話せばン十万円。

 こんな奴らに愛国だのなんだのとおだてられ、根拠もなく他国を罵倒して喜んでいる奴らってなんなんでしょうか。
  まっとうな研究がこれほど軽んじられ、日の目を見ない時代って、絶対病んでますよ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

以下は、コメント欄より、泥さんの補足説明です。

 

Suzuki

先のコメ欄より。何よりも研究が必要で、また世に知らせるべきは中国側のロジックの構造であると理解いたしました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

泥 憲和

   銃を構えた敵国兵士が街をうろつく恐怖を体験したことのない私たちが何よりも知るべきなのは、作戦に参加した日中両国兵士、および南京にいた民衆が味わった地獄のような日々の体験ではないかな。

 南京アトローシティというのは殺人だけじゃなくて、暴行、強姦、略奪、放火などの犯罪を含む。

 大規模な略奪を総司令官にとがめられた師団長が「命を取り国を取るときに物を取るぐらい何かあらん」と堂々と抗弁してやったと自分の戦中日記に書いています。略奪を多少は後ろめたく感じていたのか、ある師団長は「○○は奪った家具や美術品を貨車で内地に送ったそうだが、自分にはそこまではできん」と書いています。豚や鳥をかっぱらってたらふく食って「戦争は面白い、亡国の民は哀れですね」と戦中はがきに書いた兵士がいます。

 強姦の激しさは日本軍の公式記録にあらわれています。

 12月に夏服で戦わされた日本兵は寒さに震え、「そこら中の家から板をひきはがして燃やすから不始末による火災が後を立たず」という記録があります。「先を行く部隊が家々を焼いてしまうから自分たちは寝る場所もない」との不満が兵士の陣中日誌に記されています。

 揚子江を埋め尽くした船には避難民や逃亡兵が満載でしたが、それらをかたはしから砲撃して沈めていった手柄話を書いているのは海軍の記録です。
 こうした渦中に置かれた民衆がどれほど悲惨だったか、30万人ではないという一言で消え去るものではありません。
 中国が日本領土を一寸でも侵したのですか。いいえ、日本軍が一方的に攻めかかり、すべて彼の地で起こしたことです。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

繁 周作

  いつだったか否定派と思しき人ががテレビで…

中国は最初3千人と言っていた。それがいつの間にか3万人になり、しまいには30万人になった。そんな話を信じろと言う方が無理ですよ!」と言っていました。

でも、そんなの、それこそ人数の問題じゃないですしね。
最初は中国側には資料はいので数えようもなかったのでしょうし、資料が揃って研究が進むに連れて犠牲者数が増えてきたって何の不思議もないと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

泥 憲和

繁さん
 その話は国際連盟で中国代表がした演説だと思います。
 「 南京で日本兵によって虐殺された中国人市民の数は二万人と見積もられ、その一方で、若い少女を含む何千人もの女性が辱めを受けました。」
 占領地の様子がわからないため外信で報道された内容を述べているだけなのです。

 必死で国際社会の支援を求める中国に、列強は同情したものの何の行動も起こしませんでした。まるで今日のパレスチナのようです。
 当時の帝国日本は、現在のイスラエルのように奢り高ぶっていました。その軍事力の前に、世界は手をこまねくしかなかったのです。しかしものには限度があります。その後の日本の運命を私たちは知っています。

 

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中江兆民と自由民権運動の本質ーー21世紀の民知としてのフィロソフィー=恋知

2015-03-03 | 社会思想

以下は、8年前に出したblogですが、いま、重要な視点と知識だと思いますので、再録します。

長いですが、ご参考までに。

 

中江兆民と植木枝盛ー自由民権の思想と21世紀の民知

2007-02-20 | 恋知(哲学)

中江兆民は、
義(=普遍的な原理)という公と、利益を求める私とは別々のことに思えるが、義を追い求めて自分の利益に拘(こだわ)らなければ自ずと私のためにもなる〉という一元論の思想を持ち、個人の行為が義(普遍的な原理)に合致すれば、自ずと個別性を超えて大きな広がりをもつとしました。
彼は、驚くほどの「複眼的」な思想をもった人で、福沢諭吉の欧化(ヨーロッパ化)の路線に対して、欧米の思想と共に漢学(中国の古典)を学ぶ教育の必要性を訴えました。もし兆民が、福沢+文部省に敗北していなければ、その後の日本の歴史は全く違っていたと思います。中国や朝鮮へのひどい蔑視は、福沢イズムによってもたらされたのですから。


 

  (私は兆民の敗北の原因は、原理の突き詰め・徹底と、現実の人間の赤裸々な姿の認識・肯定と、問題を現実的に解決していく柔軟な論理、の3つを立体化して用いることが出来なかったところにあると見ます)。

  ただし、兆民が求め、基準としたものは、ルソー(西欧)でも、老子・孟子・孔子(中国)でもなく、概念を実体化させてしまう日本的な考え方でも
ありませんでした。

  新たな理念=人民に立脚した義(普遍的原理)であったのです。彼は政治における人民を手段ではなく目的そのものとしました。「人民は本(もと)なり、政府は末なり、人民は源なり、政府は流れなり、人民は表(しるし)なり、政府は影なり。・・・官は末なり、民は本なり、官は流れなり、民は源なり、官は手足なり、民は脳髄なり。」(「国会論」1888年


  私(武田)はこの兆民の思想を発展させ、【主観性の知に立脚した生きた対話の哲学】を提唱しています。それが哲学の初心=恋知としての哲学=民知です。各人の生々しい経験に立脚した思索を広げ、その成果を共有するためには、書物や権威に頼らない生きた自由対話が必要です。生活世界の只中で自分の心身の声を聴き、自分の脳を使って、ふつうの言葉で考えることの実践がほんらいの哲学です。【天皇教・靖国思想、官僚主義・東大病】という権威主義・客観神話から解放されない限り、まだ何事も始まらないのです。ほんとうによいものとは、〈主観を掘り、刷新し、豊かにする〉ところからしか生まれません。これは原理でしょう。

 

 

武田康弘

 

以下に、中江兆民研究の第一人者・松永昌三さんの『自由・平等をめざして 中江兆民と植木枝盛 』(清水書院・新書)の冒頭部分を書き写します(ワード作業は大学生の染谷裕太君にしてもらいました)。

自由民権運動

 自由民権運動は、立憲制の樹立と民主主義の実現をめざし、国民的規模で展開された政治運動であった。政治(権力)からつねに手痛い打撃を受けてきた日本の民衆は、幕末維新の動乱を生きぬき、三〇〇年の幕藩体制がもろくも崩壊することを体験することで、自己のエネルギーを発見した。民衆は、おりから導入された欧米の近代民主主義思想を武器として、みずからが望む国家を構築するため、主体的に政治に参加し、彼らが居住する地域から全国に貫通する組織を結成し、強く連帯し、自由を抑圧しようとする専制政治とたたかった。このたたかいは、明治一〇年代を中心に、明治の前半期をおおった。

 この運動には、国民各層がさまざまな仕方で参加した。学問的素養のあった士族は欧米の近代思想を摂取し、著作・新聞・雑誌・演説等を通して民衆に伝えた。また結社を組織して運動の推進役となった。それまで学問や知識はほとんど支配階級の利益のために存在した。民権運動は、学問を民衆に役立つものとしてとらえなおした。官に依拠するのではない在野の知識人が、この時期大量に出現した。

 農村在住の豪農たちは、村落の指導者としての自覚を発揮し、刻苦して民権思想を身につけた。彼らは同志とグループを結成し、資金を出しあい、各地域からの情報を吸収し、村落と国家の将来に着目した。彼らは政社を結び農民を組織し運動を指導する人々となった。知識人や村落の指導者たちに媒介され、生活体験を通し民権思想を主体的に受けとめた農民大衆は、労働に汗を流しつつ運動のにない手に成長した。

 自由民権運動は、こうした国民各層をつつみこんで、明治政府の専制と対決したのである。直接的には、国会開設(国民の政治参加)、憲法制定(国民の自由・権利の保障と政治権力の制限)を要求した。
 明治政府は、この民権運動に対し、きわめてきびしい弾圧でのぞんだ。運動内部にも弱さや欠陥があった。知識人の大半は官に吸収されていき、社会の未成熟は民間の知識人の生活基盤を支えることができなかった。豪農たちは彼らの存在をおびやかす中小貧農の動向を警戒し、政府のほうへにじり寄っていった。明治一〇年代後半の松方財政の過程で、没落する一部の士族と農民は、いっきょに専制政府を打倒しようとし、各地で蜂起するが、いずれも官憲や軍隊の圧倒的な力でつぶされてしまう。

 明治立憲制(天皇制)は、この自由民権運動を鎮圧しつつ形成されていった。明治憲法は、民主主義理念とはほど遠い君権主義の産物で、日本の民衆は臣民(天皇の家来)の境遇におとされた。国会は開設されたが、参政権はごく一部の者にしか認められず、民衆の大部分は、実質的に近代国家の構成員=国民として認められなかった。しかしきわめて不満足なものとはいえ、明治立憲制は、十数年にわたる自由民権運動なくしては生まれえぬものであった。かつての民権派の指導者たちは、国会(衆議院)に進出し、明治立憲制の正統なにない手たることを主張して藩閥政権と争った。やがて彼らと藩閥政権とのあいだに妥協が成立していくのである。

中江兆民

 中江兆民・植木枝盛は、この自由民権運動を代表する思想家である。どちらも土佐藩の武士の子として生まれ、卓抜した民主主義者に成長し、民権運動の渦中にあって、民権思想の質を高め、その普及に全力投球した。
兆民は武士でも最下級の足軽の子であった。父と早く死別したが、生来の学問好きが認められ、長崎留学の機会をつかんだのが一転機となった。向学心は強く、さらに江戸に出てフランス学を修め、幕末維新の動乱期も、ほとんど学問一途であったようだ。さらに大久保利通の目にとまりフランス留学の大望を果たした。フランス留学時代に、ジャン=ジャック=ルソーの著作に親しみ、おそらく自由主義思想家エミール=アコラスに学んだことであろう。帰国後は仏学塾を開きフランス学を教授するかたわら、漢学者の門をたたき、また禅宗の導師に教えを乞うたこともあった。兆民は、長崎留学以来、つねに当代第一級の学者についた。こうして兆民は、すぐれた内外の学者から積極的に学び、自己の学問を確立していく。兆民の思想に時代を先取りする進歩性がある一方、伝統のなかから良質のものを発見しこれを継承発展させようとする志向がみられるのは、おそらく兆民の学問の仕方に関係があろう。それに兆民は、儒学的教養を身につけてからフランス学を始めている。
兆民にとってフランス留学は大きな意義をもった。アメリカ、イギリス、フランスという近代資本主義文明の母国を実地に見聞し、とくにフランスのパリやリヨンの市民の生活実感に直接ふれた。またエジプト・インド・セイロンなどの植民地の実情についても一瞥する機会を得た。この留学体験は兆民の思想の強固な核を形成した。
兆民は十九歳で長崎に留学して以後、郷里高知に一時帰ることはあったが、生活の本拠は高知以外にあった。幕末から高知を離れ遊学生活をおくったことが、兆民をして土佐藩人士の系列から比較的自由にさせた一因である。立志社や自由党にも正式にはいった証拠はない。推測をたくましくすれば、最下層の足軽の子として武士階級の序列構造のみにくさを感じていたため、士族中心の立志社やその流れをくむ自由党にはいらなかったのであろうか。いずれにせよ、兆民は、集団に親しむことをあまりせず、自立した精神、醒めた認識をもちえた個性的人間であった。
兆民の主要な関心は、現実の矛盾を解明し、明日のための理論を構築することにあった。みずから学んだ学問を後進に伝え、彼らの成長に期待を寄せた。兆民は、近代民主主義思想の真髄を体得していた。理想のためには妥協せず、原則を貫徹し、あいまいさを排した。権力への迎合を何よりも嫌った。また兆民は、東洋の文化的伝統と日本の民衆を深く愛した。しかしその獲得した思想の質の高さと在野性の保持が、兆民の存在を孤高的なものにした。そこに明治の留学派民権知識人の悲劇があった。

植木枝盛 

植木枝盛は中等藩士の出身であり、少年期には、当時としては標準的な武士の子弟としての教育を受けている。明治維新後の比較的開明的気運のなかで少青年期をおくるのであるが、郷里高知で学習していたこともあって、武士的教養と士族意議は濃厚であった。二度目の東京遊学後、福沢諭吉や明六社の啓蒙思想を積極的に学び、文明の精神を理解するのであるが、板垣退助の庇護を受け、板垣と行動を共にすることが多かった。二年間の東京生活が枝盛に与えたものは大きく、また二か月間の入獄は、自由と専制の問題を鋭く意識させた。
 枝盛の生活は、前後二回あわせて三年間弱の東京生活を除けば、ほとんど郷里高知での生活に限られている(民権期以降は各地で活躍する)。それに板垣に早くから近づいたこともあって、枝盛は立志社にはいり、その社員として、おおよそ、立志社の運動と自己の活動とが一体化している。しかしきわめて意欲的な独学、旺盛な知識吸収力により、枝盛は欧米近代思想の本質を理解していく。兆民訳のルソー民約論稿本を筆写したのは、西南戦争の最中で、ちょうど立志社内部が動揺しているときだ。
 枝盛は、立志社という組織のなかで、土佐の先輩後輩の人的環境のなかで、自己を民権論客にきたえていった。さらに民権運動の渦中に飛びこみ、演説・遊説・著作・オルグとめまぐるしいまでの政治活動を続け、その実践を通して大衆を理解し、自己の思想を高めていった。枝盛は、自己を育てた立志社土佐民権派の系列から大きく離れることはなかった。枝盛は民権運動のなかから生まれ育った理論家であり、その枝盛の思想がさらに運動を発展させていった。枝盛はいわば土着の民権家、生粋の民権家といえよう。」

(☆植木枝盛についての記述は、ほとんど家永三郎さんの研究による、と松永昌三さんは述べています。)


武田康弘

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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わが孫と猫のツーショット6枚ーこどもや動物は、「軍事力行使への欲望」につかれた悪の政治家を許しません

2015-03-01 | その他

軍事力を行使したいという「欲望」を抱えもつ国家権力者の「悪業」がわが日本を支配している現状を前に、書きたくもない「愚劣」な政治話題ばかりとなっていますので、
今日は、気分を変えて、孫と猫のツーショットです(写真は、昨日)。

2歳と13歳の対話かな? 
13歳が2歳を受け止めてる、とういのが正解でしょうね。

赤ちゃんとこどもたちや動物たち(それに大多数の女性)は、戦争が大嫌いです。戦争に参加したいという「醜い欲望」(「強〇魔」の精神と同じ)をもつ政治家は、「人間悪のシンボル」としか言えませんが、それを支持する人も、心根(こころね)は同じです。あなたは大丈夫ですか(失礼)。

愛とリベラルの精神をもたない人は、人間性に欠け、自他を害する人です。平和主義を貫く日本でなければいけないのです。

 

 

 

 

 

 

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