http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori192.htm
「私と共和制」+「人類思想の三分類と恋知」をアップしました。
極めて重要な論考でタイムリーです。平易に読みやすく書きましたので、ぜひご一読をお願いします。
拡散も希望します。みなさま、よろしくお願いします。
武田康弘
http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori192.htm
「私と共和制」+「人類思想の三分類と恋知」をアップしました。
極めて重要な論考でタイムリーです。平易に読みやすく書きましたので、ぜひご一読をお願いします。
拡散も希望します。みなさま、よろしくお願いします。
武田康弘
平成最後の~~
平成時代のベストなんとか~~
新元号だ!ワイワイ、
東大合格!
東大卒業~
一番頭がいいのが東大生、他はそれなり~~
「東大病」の「東大教」なので、アインシュタインのような成績不振の落第生は東大生より下!?と思う偉~~い国=ニッポン。
セザンヌのデッサン力では芸大には入れないーゆえにニッポンの芸大は、セザンヌより上?(笑)とかもあります。
なにがなんでも金メダル、
一番いい色のメダル!!
ワイワイ、
皇室とは偉い人の集まりなので、敬語で遇します。天皇陛下を「さん付け」で呼ぶ武田とかいう輩は非国民じゃ。日本から出ていけ~!?
ニッポン人として生まれたからには、個人の自由なんてものはありません。忖度忖度、東大法学部卒の官僚を見習うべし。皇室ー天皇を敬い、最大限の敬語で遇しなければなりません。
憲法14条「人間の平等」=生まれによる差別は認められない、とはお題目なのですよ。天皇や皇族は偉いのです。上なのです。対等ではありません。金持ち・財産家が偉いのです。しっかり弁えなさい。
これが、世界に冠たるニッポンの常識~~~~~!!!
とにもかくにも「明治政府がつくった天皇教ー靖国思想・東大病ー官僚主義」なのだ。 おお、なんということでしょう~~~。「人間性」!そんなのお金になりませんよ~~~~~、勝ち組はそういうツマラナイことは言いません。勝てば官軍!ー靖国神社(ほんらいの神社ではなく長州藩の招魂社)をつくった明治維新の志士たちが言いました。
武田康弘
元号制度は、世界との通時制―共時性を薄め、日本にのみ固有の時代―時間があるという観念を生みます。
例えば、天皇主権(現人神としての裕仁天皇)から国民主権(人間宣言をした裕仁天皇)へと国の基本のありようが変わっても同じく「昭和時代」などという時代区分で歴史が記述されます(裕仁天皇は、敗戦の時、周囲から退位するように勧められましたが拒否しました)。これでは、歴史の意味は不分明になり、現実の世界感覚も薄れて日本の独りよがりになりがちです。
「平成の時代」「昭和時代」などと言われると、何か分かったような気になってしまい、世界の中の日本という意識が育ちにくくなります。パブロ・ピカソー1881年~1973年、棟方志功-明治36年~昭和50年では困ります。また、歴史の連続性の意識も薄れ、無責任になりがちです。
したがって、年号は、出来るだけ通し番号の「西暦」(事実上の世界暦)で表すようにすべきです。現在、役所は「元号法」により、元号使用を要請されています。北朝鮮も驚く国粋主義ですが、これは当然逆にすべきです。元号は使いたい人だけが使う、とすればよいのです。 公共の場や会社では世界暦(西暦)表記にすべきです。
(※元号は、古代王政の「王が時間も空間も支配する」という思想=制度でしたが、それが世界で唯一残っているのが日本です。明治維新政府がつくった天皇教(国体思想=靖国思想)に基づく制度です。)
武田康弘
水の国・日本にふさわしい「民主共和党」
わたしは、小学生(文京区立誠之小学校)の時に、ふつうに「正しい」ことが言われない自分の国はなんか変だな、と思い、先生に頼んで「政治クラブ」をつくってもらいましたが、それから50数年が経った一昨年に、ついに政党を立ち上げました(笑)。2017年の秋にフェイス・ブックで【バーチャル政党・水の国=日本にふさわしい「民主共和党」】をつくったのです。一円の費用もかからず、労力も時間もかからないので、できました。1年数カ月たち党員?は250名を超えましたが、超ミニです。参加者は、自由にいろいろ投稿しています。出入り自由ですし、利害損得がないので、活発に議論が行われますし、党首?であるわたしへの異論・反論も出て、活気ある楽しい場です。
以下は、そのコピーです。
民主政を前に進める共和政、瑞々しい「水の国=日本」にふさわしい人間に優しく平等な国へ~~~~~
まず、首相のほかに【大統領】(日本の顔=元首で政治権力は持たない・ただし、首相の国会解散を拒否する権利をもつ)を選ぶ。
ふさわしいのは学問・芸術に通じた品格の高い人ー例えば石橋湛山(哲学者・経済学者・ジャーナリストで55代総理大臣。美濃部亮吉(豊かな学識をもち東京都知事を務めた品格のある人)。※高野岩三郎(戦前に東大教授を辞して大原社会問題研究所所長・戦後に改組されたNHKの初代会長。庶民派にして高潔)。大原孫三郎(中国電力やクラレの創始者で白樺派の同伴者ー心優しい博識の実業家)のような人。
国旗は「日の丸」が候補。国歌は「さくら」(日本古謡)が候補。国花もさくらなので、ピッタリと思う。共に国民の自由な議論で決まります。
元号は個人で自由に。役所と公共機関では、世界歴(西暦)を使用する(今の元号の義務付けは不合理で間違いが生じやすいので。例えば、パブロ・ピカソ1881年~1973年、棟方志功 明治36年~昭和50年ではとても困ります)。
天皇家は、ほんとうの住まいである京都御所に。江戸城は、江戸公園として国民みなに開放。
天皇は、国事行為は行わず、文化的行為と国際交流を行い、基本的人権が保障される(いま天皇がしている国事行為は大統領が行う)。
簡単ですが、骨子です。この線で市民憲法案も出さねば、です。
なにはともあれ、、オープンに共和制の意味や意義について語られる状況を生みだすことは、とてもよいこと、大事なことです。大きなタブーがあることは、ひどく不健康ですからね。
細かな話はともかく、みなが、明治維新政府によってつくらた水戸学に基づく「明治天皇制=国体思想=靖国思想=国家神道」の国家カルト的な精神風土から解放されて自由になることは、何より大切な「はじめの一歩」と思っています。
集団同調でもなければドライな強権でもなく、水の国=日本にふさわしいしなやかで自由な共和政治って、いいでしょ~~~
ーーーーーーーーーーーーー
ここには記載しませんでしたが、日本の初代大統領としては、優しさと強さを併せ持つ人、明晰で品位の高い人、国際感覚に優れた人が適していますので、わたしは、官邸の圧力で降板させられるまではNHKの顔だった国谷裕子(くにや ひろこ)さんを推します。
大切なのは、古代と近代では「国の形」が根本的に異なることの自覚です。民主政治の国では、主権者はわたしでありあなたです。市民精神をもつ国民によって現実政治はつくられるのであり、古代のような「祭政一致」ではありません。宗教や儀式と現実政治は次元を異にするものであり、混同させれば、大元から民主制(政)は崩れて神聖政治になってしまいます。天皇家の私事である宗教儀礼を税金で行い、政治と絡めてはいけません。次期天皇となる浩宮(ひろのみや)さんの弟、礼宮(あやのみや)さんの言う通りです。それでは、明仁さんも忌み嫌う明治維新がつくった国体思想(戦前の思想)に戻ってしまいます。
武田康弘
わたしは、昨日(3月20日)、法政大学での「大原社会問題研究所100周年記念シンポジウム」に参加しました。
大原社会問題研究所は、1919年に大原孫三郎と高野岩三郎の強い志をもつ二人の個人からはじまった財団で、恐ろしいほどの業績を上げました。その研究や調査の内容は、統計学の日本のパイオニアである高野を頭にしたために、東大や京大を上回る圧倒的なものでしたが、大原の実業の危機で1937年に資金難となり、その後は紆余屈折でした。
労働者、庶民の生活の実際を正確に把握するために彼らの生活に入り、同じ人間としての愛情をもって研究した高野らの「統計学」は、生きて血の通ったもので、現代では失われてしまいましたが、大原社研の方法は原理上正解で、それ以外はあり得ないでしょう。
敗戦後には、徹底した民主主義者で労働者の味方であった彼らは、引っぱりだことなり(高野は改組された初代NHK会長、弟子の森戸辰男は文部大臣、やはり弟子の大内兵衛は吉田首相から頼りにされ・・・)また、彼らは、現日本国憲法の骨子となる憲法草案を作成したのでした(文章をまとめたのは高野に指名された鈴木安蔵)。
1937年以降は、偉大な大原社研はタイヘンな財政難でしたが、戦後に法政大学に移されたことで存続し、100周年を迎えることができたのです。ただし、個人の強い理念を貫ける財団ではなく、大学という大きな組織に組み込まれた(そうせざるをえなかった)ために、「偉大」や「感動」は消えました。
昨日の会は、高野岩三郎らのフィロソフィー(意味論と本質論)の探求が弱く、迫力に欠けましたが、今後、初心の志を活かして(戦前の政府さえ動かすパワーをもっていた)、大原社研の活動を支えた思想の探求(共和制と労働の哲学など)をぜひしてほしいと思います。ただの事実学ではなく本質学をはじめよう~~! 現研究者=教授連にエールを贈ります。現状を打開する豊かで深い探求、常識をうちやぶる思想と行為をぜひ!!
武田康弘
2019、3、19
こども=人間を「躾ける」という思想と行為は、それ自体が悪だということが未だに分からない人が多いのは、ほんとうに情けない。愚かで、不幸だ。
全身をつかった広義の対話と交わりこそが子育ての原理なのに、いつになったらそれが分かるのか、ほんとうに呆れる。40年間以上、それを教えてきているが、聞く耳をもたない人が多い。救いがない。
こどもたちの不幸が続く。その不幸は再生産される。型ハメがよいと思うような人は、元からアウトだ。
武田康弘
白樺派の同伴者であり、優れた実業家の大原孫三郎が1919年に設立した「社会問題研究所」は、改革のために東大教授を辞した日本統計学のパイオニアで経済学者の高野岩三郎を所長とし、東大、京大に並ぶ陣容で、調査研究の内容においては日本最高の存在でした。
大原孫三郎の超がつく直観力と実行力、学会をリードした高野岩三郎の自由で豊かな思想と実践の大きさと深みは圧倒的で、戦前日本の良心でした。
高野は、理性と愛情を併せ持ちみなに好かれた人。世界に向けて開かれた港町の長崎に生まれ、6才の時に自由で開放的な下町の東京神田に移り住み、家父長制とは全く無縁に育った根っからの共和主義者でした。明仁さんの意思的な「退位」により、スムースな共和制への移行が現実味を帯びてきた今、大原と高野の業績は新たな光を浴びる必然にあります。
3月20日(水)の午後は、法政大学の市ヶ谷キャンパスで100周年を祝う講演会がありますので、ぜひ、みなさま、ご参加を!
下のURLから申込してください。
https://oisr-org.ws.hosei.ac.jp/images/topics/1540777226/1540777226_1.pdf
武田康弘
東京都世田谷区の区立桜丘中学校。この公立中学校が既存の学校の価値観を転換し、注目を集めている。学校での校則をやめ、生徒の自由としたのだ。授業においても、3Dプリンタの導入、スマホ・タブレットの使用可、果てには「授業中教室の中にいなくてもいい」なども導入した。生徒の関心から学びにつなげていく工夫が随所に光る。
その結果、いじめが激減。校内暴力も消え、有名校進学数も平均学力も区のトップレベルとなった。今では、私立中進学率の高い世田谷で「越境してでも行きたい」と人気の公立中学校となっている。
オレンジ色のパーカ、ピンクのジャージー…。桜丘中の校内ですれ違う生徒たちの服装は色とりどり。制服の上から大きめのセーターを羽織る“おしゃれ上級者”もいる。同校の西郷孝彦校長(64才)はこう言う。
「ここでは私服でも制服でもOK。『私立は制服がかわいいけど、公立は地味』という固定観念を覆そうと、知り合いのデザイナーに依頼して、5年前に制服を一新しました。コンセプトは“原宿でスカウトされる制服”。実際に青山界隈を男女4人の生徒に歩いてもらったんですが、本当に声を掛けられたそうです」
また、校長らしからぬ話を、楽しそうに教えてくれた。それにしてもこの制服、女子のスカート丈は膝上10cmという短さ。これにも意味がある。
「もし、“もっとスカートを短くしなさい”と言ったら、それはセクハラ。ならば逆に、“もっとスカートを長くしなさい”と言うのだって、本来はセクハラなんです。子どもたちにはこんなふうに、みんなが当たり前だと思っている価値観をひっくり返して考えることを知ってもらいたい」(西郷校長、「」内以下同)
もちろん、制服が嫌だったら着なくてもいい。“私服OK”の裏には、LGBT(性的少数者)の生徒への配慮もある。
「先日、都内の一部の区の中学校で、『男女問わずスカートとズボンから制服を選択できるようになった』というニュースがあり、画期的などという論調もありましたが、でもそれは違います。スカートかズボンのどちらかを選んだ時点で、カミングアウトしたのも同然。もしかしたら、いじめや差別の対象になるかもしれない。だからここでは、制服はスカートとズボンのどちらでも構わないし、制服を着ないという選択肢だってあります」
日本におけるLGBTの割合は13人に1人といわれている。30人のクラスであれば、2人が該当する計算になる。
「修学旅行では、LGBTの生徒はみんなと一緒に大浴場に入ることはもちろん、それを言い出すのも難しい。ですから、すべての部屋の内風呂を断りなく使えるようにしたいと、女将に相談したんです。ところが、向こうはダメの一点張り。
ついには女将とけんかになっちゃって、今年はこの旅館をキャンセルしました。社会では、まだ理解が追いついていないことを痛感した出来事でした。だからこそ、クラスに数人いるかもしれないLGBTの生徒が、どうしたら学校生活を楽しめるのか、これからも考えていきたいと思っています」
※女性セブン2019年3月14日号より一部抜粋
人間が人間になるための条件とは、フィロソフィー(恋知)=実存思想を学び、身に付けることです。
それがないと、すべては砂上の楼閣になり、ほんとうのこと(本質)は何も考えられず、何もできません。
実存思想=恋知というほんらいのフィロソフィーがなければ、人間のあらゆる営みは根付かず、宙に浮き、意味と価値をもちません。
受験知・事実学の貯め込みは、ニヒリズムかその裏返しの他者への優越意識しか生まず、善美に憧れる心をつくらず、人間性を殺します。慇懃無礼な醜い存在に堕ちます。
「恋知 第2章」と「人類文明の三分類と恋知」をお読み頂き、ご感想をお寄せくだされば、嬉しいです。
武田康弘
国の内外からずっと批判され続けてきた日本の司法制度は、《民主制とその内実である人権思想》とはほど遠いもので、法務省の役付きは全員が検察官という異常な状態が続きます。
組織と人事という二輪ともが民主制になっていないません。その意味では北朝鮮などの独裁国家と変わりません。戦前の特高警察と思想は同根です。
自分たち役人が絶対で逮捕も拘留も思いのまま、過酷な牢獄に閉じ込め、人権という思想は認めない。まさに安倍首相の思想ブレーン・八木秀次(麗澤大学教授)の言う通り「日本には欧米のつくった『人権』という思想はなじまない。われわれは人権という言葉に怯える必要はない」(「反人権宣言」ちくま新書)」を地で行くのが検察庁という役所なのです。
2月22日の『ニューヨークタイムス』の社説は、「裁かれるのは、伝説的な経営者だけでなく、日本の司法制度でもある」と結論づけています。「日本では裁判で罪を認めることを約束した者だけにしか保釈を認めない」として、日本の検察庁の著しい歪みを指摘しています。
有罪か無罪かは裁判で決まるのではなく、検察官が黒と言えば黒だという民主国では世界に例のない(その意味では民主国ではない)日本という国家の異常性ですが、これは、教育の問題でもあります。司法試験を通るためには丸暗記とパターン知による機械的な勉強を強いられ、豊かな人間性を育むゆとりがありません。実存思想=フィロソフィー(恋知)を知らない紋切型人間になりますから、「自分が正義」と思い込む恐ろしい存在に堕ちます。人権など二の次三の次で、戦前の皇軍兵士や指令官、あるいは特高警察官のようなレベルです。
まったくの無実の(検察官がパソコンデータを書き替えて「証拠」をでっち上げた)厚労省の村木さんを162日にも劣悪な拘置所に拘留したり、誰もが顔を知り逃げ隠れできない篭池夫妻の保釈を認めずに300日も拘留したり、土地代金の支払い記載を翌年に繰り越した罪!?で小沢一郎の秘書の衆議院議員・石川さんを逮捕、拘留したり、どこから見ても民主国ではない所業を日常的に行い、あげくに大阪と東京の検察庁の裏金づくりの事実をテレビ(鳥越キャスターのテレ朝の番組)で証言しようとした大阪高等検察庁の検事正・三井 環さんを逮捕して口封じをしたり、やりたい放題の日本の検察庁、それでいて、安倍首相夫妻の証拠山積みの森友や加計問題では何もしない(首相は、夫人に外務省などから出向させて二名を専属秘書とし、別に3名もの公務員の臨時秘書をつけて森友の名誉校長として働かせ、加計学園でも同様に仕事をさせていた)。
まさに「ニューヨークタイムス」のいう通り、日本の司法制度が裁かれなくてはなりません。ようやく異例の条件で、東京地方裁判所は、ゴーンの保釈を認めましたが、これ以上検察の言うなりでは、世界から見放されるからです。道連れはご免、というわけでしょうが、ゴーンという国際的な大物以外では、何も変わらないでしょう。
武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)
第44回の今年の式根島キャンプ&ダイビングは、8月4日(日)夜~8日(木)です。
手つかずの自然のままの海に溶け込み、夜は満天の星に我を忘れる大浦キャンプ場での4日間。
楽しく自由に遊びます。
OBの参加も歓迎です(小中学性は、ソクラテス教室に通う子のみ参加できます)。
参加希望者は、6月2日までにお申し込みください。白樺教育館(武田)まで。このblogのコメント欄でもOK。
クルレンツィスがソクラテスに象徴される古代エーゲ海文明=フィロソフィー(恋知)に学んだ音楽活動、
その理念に共鳴してロシアを中心に世界12カ国から集結した若き凄腕のプレーヤーのムジカ・エテルナ及び合唱団、
彼らの演奏は、通常のオーケストラとは異なる次元の世界で、音そのものが生き生きと輝き命を持ちます。
今までのクラシック音楽の概念を覆す革命ですが、クルレンツィスは、革命を遂行するのに、破壊をしない、したくない、と言い、そのように行為します。
従来の思想と方法とはまるで異なる「創造」を行うこと=「革命」は、古いものを否定するのではなく、新たな強靭な「創造」により、古い世界を乗り越えるのです。
創造のパワーの横溢が、型ハマリのクラシック音楽=楽譜を弾くという次元に留まるツマラナイ音楽を乗り越えて、強烈なまでに新しい音楽を創るのです。
形と序列の二文字のような、日本で言えば、お受験バカ(クイズの知にまで堕落した)の東大病のような音楽ではなく、意味論=本質論のよろこび、有意味・意味充実の豊かに躍動する人間性の音楽です。
私が、1年4か月前に名付けた「古代アテネからの使者」=クルレンツィスの世界革命の音楽は、YouTubeでもたくさん視聴することができますので、ぜひ、どうぞ。
彼は、この音楽の革命を人間の生き方の革命に結び付けたいと考えていますが、それは実に素晴らしいことです。
閉塞感が蔓延し人間性のエロースを抑圧する管理社会を革命することが現代世界の最重要な課題であることは論をまちませんが、
そのための思想・方法として、クルレンツィスの言う、破壊や否定なき革命は、最も優れた考えです。
発想を元から変えて、新しい価値意識をつくり、より豊かで大きく、魅力溢れる生を創造すること。既存の価値意識を超えること。新しい生き方は、固まった序列意識を消去する内面世界の炸裂=充実です。自分自身の深い納得を生むよろこびの人生を開拓する挑戦は、自ずと世界を革命します。
2019年2月11日 墨田トリフォニーホール前で。クルレンツィス・ムジカ エテルナ & コパチンスカヤ
武田康弘
今日は、近代世界史に残るすさまじい弾圧ー日本軍と官憲による朝鮮人大量殺害の記念日です。
その100周年なのに、日本のテレビは、その内容=日本の犯罪行為を伝えません。これでは、独裁国家のマスコミと変わりません。
皇軍(日本軍)の砲火で殺されたものは10万人以上にのぼると山辺健太郎は述べています(鶴見俊介が平凡社ライブラリー「柳宗悦」の中で引いていますが、この異常に多い死者数が何かは不明)。
官憲の弾圧による死者は7509名(3月1日から5月末まで)とのこと。
この独立運動の指導者は、天道教、キリスト教、仏教らの宗教者33名ですが、
4月15日には、日本軍の一隊が水原郡の教会にキリスト教徒と天道教徒の30数名を集め、鍵をかけて一斉射撃をし、赤ん坊の頭を銃剣で突き刺して殺害。さらに放火をして教会を焼き払ったのでした。
天皇直轄地の朝鮮で起きた近代史に残るこの大事件をおそらく多数の日本人は知らないのでしょうが、それでよいのでしょうか。
現天皇の明仁さんも、3.1独立運動に先立つ『閔妃暗殺』事件(1895年10月)、日本国家による李王朝の閔妃暗殺(一国の公使が在任国の宮廷でその王族を殺害するという前代未聞の事件)に心を痛め、皇太子時代から苦しんでいたことを学友の橋本明さんが語っていますが、わたしたち日本人は、朝鮮・韓国で犯した罪の深さを知らなすぎです。
白樺派の柳宗悦は、ここ我孫子の地から、『朝鮮人を想う』で、朝鮮の文化の卓越性を書き、暴虐をつくす日本政府を強く批判をしましたが、それゆに柳邸(叔父の嘉納治五郎=講道館創立者 からの誘いで手賀沼を望む我孫子に移り住んだ)は官憲に見張られ、危険人物のリストに加えられました(ただし学習院出という特権階級ゆえに逮捕は免れました)。また、『朝鮮人を想う』は、「読売新聞」の連載が禁止され、発行禁止処分にもなりました。
柳宗悦は、妻の兼子(日本最高のリート歌手)と共に7回も朝鮮半島に出向き、朝鮮人を励ます催し(兼子のリサイタルと宗悦の講演)をしました。
柳は、「批評」『世界の批判』37号・1922年5月号に、
「銃にて起つ者は銃にて滅びるのだ。軍国主義を早く放棄せよ。自らの自由を尊重し、他人の自由をも尊重しようではないか。もしも、この自明な人倫を踏みつけるなら、世界は日本の敵となろう。そうなるならば滅びるのは朝鮮ではなく、日本の国だ。」と書きました。
今のネトウヨ、日本会議、安倍政府のおぞましさ、は、100年前と同じです。
武田康弘(我孫子市 白樺文学館・初代館長)