私の言う「民知」とは、ソクラテスの「恋知」と重なる言葉=概念ですが、この恋知の象徴(シンボル)が恋愛の神、エロースです。
以下に「白樺教育館ホーム」扉のエロース像についての解説文を載せます。
写真は、クリックで見られます。
アカデメイアの主祭神=エロースについて
ギリシャ語の「エロース」は、英語読みでは「キューピット」です。愛の神「エロース」は、プラトンが創設した史上最も名高い学園「アカデメイア」の主祭神=象徴です。
「アカデメイア」は、プラトンの私邸と小園と体育館兼対話場からなり、アテナイの市民は、自由にこの学園の教育と研究の様子を見学することができた。
小規模な図書館も備えていた。階級の別はなく、授業も形式ばらない友達どうしのような話しことばで進められていたので、「友人たちの学校」と呼ばれていた。
宗教的な匂いは、全くなかった、プラトンのシュンポシオン(英語読みではシンポジューム)は、くつろぎと対話の愉(たの)しみを求めて、知的香気(ちてきこうき)高い雰囲気のうちに、お互いに愉快に交わるのが常であった。と伝えられている。
(講談社学術文庫1361「プラトンの学園 アカデメイア」廣川洋著を参照)
ソクラテス‐プラトンの思想の核心は、人間の欲望を肯定するところにあります。荒々しい欲望も否定するのではなく、飼い馴らすものとされます。飼い馴らすことで、人間の最高の欲望=よいこと・美しいことそのものを求めるためのエネルギーとして生かせ、と言います。
恋愛の聖なる狂気をつかさどる「エロース」神は、深い納得=恋知(哲学)をつくるための動力源であるがゆえに、「アカデメイア」の主祭神とされたのです。
プラトン著「パイドロス」および「饗宴」をぜひお読み下さい。(「饗宴」は読みやすい訳が出ています。多田廣子訳―プラトン「饗宴」鳥影社1400円)
白樺教育館の玄関には「エロース」の写真が掲げられています。
7月30日 武田康弘
以下に、山脇直司さん(東大大学院教授)のコメントと私のコメントを貼り付けます
[山脇直司] [2005/07/30 23:32]
廣川洋一先生は、私がドイツから帰国して初めて大学に赴任したときの先輩同僚(武田さんが嫌がるであろう言葉を使えば上司)で、20年も前に色々話し合ったことを懐かしく想い出しました。
ところで、プラトンの『饗宴』は優れて民知的な書ですが、彼の『国家』は明らかにエリート主義、『法律』に至っては不敬罪を規定するなど民知にとって危ない思想すら散見できる書です。武田さんは一体この点をどのようにお考えになっているのでしょうか。是非うかがいたいものです。
[タケセン] [2005/07/31 09:51] [ MyDoblog ]
山脇さん、コメントありがとうございます。
組織内における上下は必要だと考えていますので、「上司」に抵抗はありません(笑)。本題ですが、プラトンの政治思想を「現代民主制の常識」から批判しても意味がないと思います。当時の「都市国家」の中での本質論的な哲学なのですから。「国家」にしても「ミノス」にしてもイデオロギー的には現代の公共性ー民主制からはとうてい承服できるものではありません。しかし今なお深く困った問題、事の本質に向かわない「党派的政治」や「信条絶対化の政治」の現実を、「ロマン主義」に陥らずに思想を鍛え越えていくためには、プラトンの深い探究の営みは大きな価値をもつー厳しい「民主」政治への批判をしっかり受けとめることが強固な土台をつくる、と思っています。(武田康弘)