わたしは、ソニーのα99 とRX-1Rの発売時からの愛用者です。ポスター写真や美術写真を仕事で撮ってもきましたので、商売道具でもあります。
レンズは、RX-1Rは固定で、ツァイスゾナー35㎜F2。
レンズ交換のα99は、ツァイスのディスタゴン24㎜F2、 プラナー50㎜F1.4、プラナー85㎜F1.4、 ゾナー135㎜F1.8 の4本と
ソニーのGレンズ70ー300㎜ マクロ50㎜F2.8で、合計6本です。
いま、ソニーのGレンズは、高級タイプが次々と発売され、たいへん優秀な描写で高評価です。わたしも新しいGレンズの写真をいろいろ見ていますが、開放から解像力が高く、コントラストの高さも適切、ボケも綺麗でいうことなし、です。いま、世界のカメラ界をリードするソニーの勢いそのままで、自信に溢れています。
けれども、わたしがいま愛用しているツァイスレンズ(ソニー製のものは、実際の設計にあたったのは日本人ですが、ツァイス財団の指導の下に創られ、ツァイスの思想を体現している)と、出来上がった画像はかなり異なります。
明瞭な個性をもつのがツァイスレンズの特徴で。各々のレンズの狙いがハッキリしています。共通するのは、色乗りが豊か=濃くて品位が高く、ピッと立つ描写で、立体感があり、強い存在感をもちます。たんに優秀というのではなく、「こう見る、こう写す」という主張が明瞭なので、他に代えがたい「絶対レンズ」と思えます。全科目最高得点の優秀者=秀才ではなく、アシンシュタインのような天才型です。
秀才しかいない、秀才が一番、秀才が最高評価をうける日本社会では、これからますますGレンジなのでしょうが、わたしは、個性的で魅力ある天才型タイプが好きなので、ツァイス支持です。
昔昔のヤシカのコンタックスRTSなどとツァイスレンズ11本から始まり、京セラのコンタックス645とツァイスレンズ7本、いま、デシタルカメラ用のソニー製のツァイス。わたしのツァイス愛は永遠です。
ソニーのレンズ設計者の中には、おれたちはツァイスを超えた、と思っている人もいる?ように聞きますが、甘いですね~(笑・ホントウ)。人間の目で見る写真は、人間の目を満足させ悦ばせるものでないといけません。ツァイスレンズのつくる色の美しさには痺れます。
あ!そうか。秀才タイプは秀才のような平均的で淡々とした色をよいと思うかもしれませんね。こうなると生き方・ものの見方の違いです。
最後にソニーにお願いです。Aマウント用のツァイスのマクロレンズをぜひ出してほしい。Aマウント用の新設計レンズはでるわけがないので、まず不可能でしょうが。コシナから出ていたのをAマウント用にすればすぐ出せますが、そんな禁じ手使えるはずないですね(笑)でも欲しい。ソニー製(元はミノルタ製)マクロ50㎜は優秀ですが、立体物を撮るとおそろしく平面的になってしまいます。それに色に色気がない~~~
愛用の4本ツァイスレンズ(Aマウント用単焦点ツァイスは、この4本ですべてです)RX-1Rで撮影
武田康弘
わたしは、花見が大嫌い。と言っても、桜を見るのが嫌いなのではありません。
ゴザ・ブルーシートを敷いて、桜の木の下で、飲んで酔っ払う人たちの花見行為が嫌いなのです。
ダサイ、汚い、みすぼらしい、 善美とは正反対で、ウンザリなのです。
それがないのは、ほんとうにありがたい。
写真は一昨年、拙宅となりの子の神大黒天 (Photo Takeda)
いま、NHK杯将棋トーナメントを見ていて、興奮しました。
冷静的確な読みの永世名人=森内九段と中学生の藤井四段との対極。森内九段が先手番となり、得意のやぐらとしましたが、藤井四段もそれに応じてやぐらに(感想戦で「森内先生にやぐらを教えてもらいたくて」と述べていました)。堂々と攻め将棋で、真正面から戦って勝ち切りました。
相手の攻めを読み切って攻めをきらすのを得意とする森内九段(永世名人)にわずか94手で勝ち、放送時間を35分も余したので、しっかり感想戦が見れました。
藤井四段の手は、部分としての読みが冷静で的確なだけではなく、盤面全体への俯瞰的見方に優れていて、将棋が「大きい」ことに特徴があるな、と思いました。とても面白かった。それにしても、藤井九段(永世名人)にミスがあったわけではないのに、相手得意のやぐら戦で真正面から戦い勝ったのには、ただ驚くほかありません。
ふわっとして鋭い、何気なく強い、面白い子だなあ~~。 感想戦では、沈着冷静な大人である森内九段が顔を赤らめ、まるで少年のようになり、初々しい中学生対局の後のよう。 これは、いま新聞の番組欄をみたら、生放送だったようです。将棋の対局がライブとは!
武田康弘
超おすすめのショスタコーヴィチの名盤 CD(SACDハイブリット)です。
1・チェロ協奏曲第1番
2・ピアノ協奏曲第2番
3・ヴァイオリン協奏曲第1番
1: ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Vc) ユージン・オーマンディ(指揮) フィラデルフィア管
2: レナード・バーンスタイン(Pf/指揮) ニューヨーク・フィル
3: ダヴィド・オイストラフ(Vn) エフゲニー・ムラヴィンスキー(指揮) レニングラード・フィル
1と3は初演者による演奏ですが、もう黙るしかない超絶的な名演です。
1950年代後期のステレオ録音初期のものですが、すばらしい音です。鮮明でかつ聞きやすく、とても古い録音とは思えません。当時の録音水準の高さに驚かされます。
オイストラフの余裕感のある超絶技巧と艶やかなヴァイオリンには、感動を通り越して呆れるほどですし、ムラヴィンスキー・レニングラード・フィルの上手さと作曲者との一体性は言うまでもないこと。
ロストロポーヴィチも同様に凄い技巧と色気たっぷりのチェロです。オーマンディ・フィラデルフィア管のゴージャスな響きとピタリで、気持ちがよい。
バーンスタインは、弾むように軽やかで、かつ情熱的。オシャレな感覚で楽しく美しい。
いわゆる歴史的名演集ですが、美しい音で、とても新鮮に聞こえます。
フランス・パリ発の見事なCD(SACDハイブリット)です。何度聴いても、う~~ん、すばらしい。
武田康弘
きょうは、シベリウスの生誕150年。誕生日です。
シベリウスの独自の世界は、フィンランドの自然から霊感を得たといわれますが、実感します。
今年3月には、芸術劇場(池袋)でフィンランドの作曲家で指揮者のサロネン指揮・フィルハーモニー(英)の声を失うほど美しい演奏を聴きましたが、いま、CDでヤルヴィ指揮 エーテポリ交響楽団で「タピオラ」を聴き、深い感動でいっぱい。ドイツ音楽とは和声(色模様)もリズム(心身の律動)も異なり、実演でブラームスとベートヴェンの前後に二曲聴いたとき、わあ、世界が違う!と思いました。
大型装置でフルボリューム=音の洪水です。真空管アンプの低歪化回路(NF)を外して聴くと、まるで生演奏のような音です。とても満足。余計なことをせず「生のまま」がよいですね~~。暮れには、みなさまにお聞かせする会を設けます。
武田
ソニーRX1-Rの新型がアメリカソニーに載っています。
究極のコンパクトで、過剰なほどの画質 (35mmフルサイズ2400万画素) がさらにアップで4200画素へ。本体デザインは変わらず(ファインダーは内臓に)、レンズもツァイス ゾナー35mmf2で同じ。
必要を超えた超品質をつくる過激なソニーは、面白い(笑)。この過激さはツァイスから感染した?
なお、日本では発表されていません。
RX1-Rは、わたしの愛用カメラです。他に替えることのできない描写力と利便性をもちます。
染谷裕太君がいまヨーロッパを写して出しているのもRX1-Rによりますーー色抜けがよく、美しくかつ実在感があります。間違いなくデジタルカメラの歴史に残る名機です。
武田康弘
日本ではいま一つだが、世界的には、最も偉大なロック音楽の体現者と目されているジェリー・リー・ルイス。
恐ろしく上手い独創のピアノと共に「鳥のように歌が止まらない」彼の音楽は、何も考えずに楽しくノリノリ。
誰よりも危険、悪魔の音楽(少年少女を狂わす)と言われ、波乱万丈、世間と闘い、満身創痍のルイスが、80歳まで生きるとは奇跡のよう。
昨年も新譜を出したが、究極の癒しのロック。自由に羽ばたき、楽しんでいる。
今日9月29日は、生誕80年。
武田康弘
わたしは、もう40年間もこどたちと青年たちに、優れた姿勢、押すこと、と、その姿勢=方法を教えてきましたが、
偶然にも先日テレビでみたテニスのジョコビッチという選手(わたしは競技スポーツは見ないのですが偶然流れてたTVの映像で知った)は、わたしが40年以上にわたり実践し、皆に教えてきた姿勢が完璧なので、たいへん嬉しく思いました。下の私の写真は完璧とはきません(やはり63歳なので~)。
いま、国会前のデモに参加する前にいつものわたしの運動場(手賀沼遊歩道)に行きましたが、珍しく(1年に一回かな?)妻が一緒だったので、写真を撮ってもらいました。
この姿勢が何より大事で、生まれつき虚弱で、幼少のころから内臓疾患の連続だったわたしの今の強さ(不思議なことに20代、30代でもわたしに勝てない・笑・ホントウ)の秘密はこれです!!
あ~あ、ただで教えちゃった。
では、支度して今から国会前に!!
親友の中津川督章さん寄贈の幾何学的彫刻「ボコス」です。台座は、佐治正大さん(石の彫刻家)寄贈です。
プラトンのアカデメイアが幾何学を重視したことによります(わたしの主催する「ソクラテス教室」にちなんで)。
奇遇なのは、奥に見える村川別荘ー村川堅固、堅太郎親子は、古代ギリシャ史を中心とした歴史家だったことです(共に東大教授)。
子の神境内
他の写真は、Fbに載せました。 ソニー RX-1R(ツァイス・ゾナー35mmF2)
女性は、男性ものも使いますが、どうも、男性は、女性ものを使いません。
それでは損じゃ~~。男はゴツイものだけを使うというのは「刷り込み」でしょう。
わたしは、性差別なく「よい」ものを探します。
数年前にぶらりと入り、店主=経営者と仲良くなった『Bring』は、女性ものバッグを扱うお店で、かみさんは大喜び。千代田線・千駄木駅の団子坂口近くですが、店主は、柳宗悦や濱田庄司の民芸思想に共鳴していて、「白樺」のわたしとはいろいろな面で意気投合。
昨日、墓参りにいく道すがらに寄り、女性ものですが、わたしが使いたいと思うよいバッグを見つけました。A4が入りますので、仕事で毎日使えますし、さりげなく大型カメラを入れることもできます。手提げ、肩掛け、リュック、切り替えなしでOK。デザインや色気もよく、大満足!
写真のように、フルサイズ一眼にツァイス・プラナー85mmF1.4にフードを付けた状態でも余裕です。底部はマチ付きです。
ソニーRX-1(R)は、間違いなくカメラ史に残る名機です。
わたしは、昨年7月5日の発売日に購入し、1年2か月あまり愛用してきましたが、使用する場所と目的で、二通りの使い方をしています。
このカメラの画質のよさ(解像感と色抜けのよさと美しさ))は今さら言うまでもなく垂涎ものですが、レンズ(ツァイスのゾナー35mm F2)を固定式にすることで、35mmフルサイズなのにコンパクトカメラの大きさにデザインされていて、便利この上ありません。
(1) コンパクトであることを活かしてふだん持ち歩くにはそのままでもよいですが、しっかり撮るには(手振れを減らす)、ファインダーの横に着く指かけ=「サムグリップ」が必需品。重量は、ストラップも含めて実測555gです(ただし、これを付けると、シューの接点を覆ってしまうので、電子ビューファインダーは使えません。また、価格が高すぎで、グリップだけでふつうのコンパクトカメラが買えてしまいます。ソニーさん、どういうこと?)。
(光学ファインダーを付けるとこんな感じ)
写真はクリックで拡大します。 右クリックで「前に戻る」を押すと、またこの画面に戻れます。なお、この写真は、α99・プラナー50mmで撮影。
(2) キャンプやハイキングには、野外で液晶が見にくくなりますので、電子ビューファインダー(EVF)が要りますが、この時には、UNから出ているRX1用の専用グリップを付けると便利です。岩の上に置いたりしても底面が傷つかずに済みますし、ホールドしやすくなります。コインで簡単に付け外しでき、仕上げもよく純正品のように見えます。ただし、重くなりますので、女性には不向きかも(112g増で667g)。
(EVFは真上からも・ただしクリックがなく不用意に動いてしまうのは問題で、改善すべきです。)
☆利便性に優れ、効果最大で、かつ最安のフード紹介。
金属製はぶつけるとレンズや本体に衝撃がかかりますが、ゴム製なら安心。でも、ケラれる恐れや、赤外線の照射窓を塞ぐ恐れもありますが、UNの製品を試してみたところ、完璧!
写真のようにキャップもしっかり留まりますし、フィルターをつけてもギリギリでケラれませんーゆえにフード効果も最大。ゴム製なので内部に凹凸があり、フード内面の全反射も起こりませんから、すべてOK。で、わずか数百円。(純正の金属フードは1万円以上しますが、バヨネットなので、ぶつけるとすぐ外れてしまいますし、短いので効果も小さいです)
ツァイス精神をストレートに感じさせるこのカメラは、ライカのように眺めたり弄ったりするカメラではなく、優れた写真を撮る道具としてのカメラです。誰かが、ツァイスは「哲学」で、ライカは「主義」だ、と言いましたが、なるほどです。ライカには信者がいて宗教になりますが、ツァイスにはそれはありません。あるのは、エロースです。
以下は、フルサイズの余裕とツァイスレンズならではの写真です。シャープでかつ柔らかみのある描写が、「少女のこころ」の決定的瞬間を捉えました。
昨年10月、サントリーホールで、ペライアリサイタル開演前。
次は、今年の第39回式根島キャンプ&ダイビングでの一コマ、水しぶきの美しさー透明感を見事なまでに写し止めています。前ボケも後ボケも自然で柔らかい。
第39回式根島キャンプ&ダイビングで、西川典伽ちゃん。
マゼール追悼の30枚組CDボックスセット、残すはシベリウスの交響曲の半分他で、ほぼ聞き終えました。
チャイコフスキー4~6番と管弦各曲、 序曲1912年は、二通りの演奏で、一枚は合唱付き、艶やかで響きは見事にコントロールされ充実、実に美しい。クリーブランド響の合奏力は唖然とする上手さで、完璧。ただし、オーケストラトレーナーだったセルのような冷たさは皆無。
ホルストの惑星は、曲が高級になったように聞こえる、素晴らしい分解能の録音と相まって圧倒される。フランス国立響の見事なアンサンブルとパリッと粋な音色で、曲も都会的に。実に面白い。おまけのボレロも、ウィーンフィルとの演奏とは大きく違い、スッキリ透明で気持ちのよい演奏。
ラヴェルの管弦楽曲を集めたウィーンフィルとの演奏は、粘りがありユニークで面白く、楽しい。最後のボレロは、途中で大きくテンポを揺らし、意表をつく。大きく異なる二通りのボレロに、思わずニンマリ。全曲が名演。ラヴェルの精緻な楽譜を余裕シャクシャクっで楽しんでいるマゼールの姿が見える。 ドビュッシーはこれから。
すべてに言えるのは、音響は、まるでクリスタルガラスのような輝きと透明さで、逡巡とは無縁、隅々までマゼールの意思が貫かれ、余裕のある堂々とした音楽。エネルギッシュでパワフル。色艶のある魅力たっぷりな名演揃い。なので、シュトラウスの数枚が最高なのは聴く前から保証されたようなもの、期待を裏切らない愉しい演奏で、同時に楽譜が見えるように明晰、呆れるほどに。
現代に近くなるとマゼールの棒が冴え、通好みのようなストラヴィンスキーの二枚(三大バレエ以外)の楽しさは無類。いや~、マゼールってほんとに天才。
ところが、ここから信じられないことになります。
ベートーヴェンの交響曲全曲が、なんとも形容しがたいほどにダメなのです。縦割りでソッケナク曲が進み、情緒はすべて切り捨て、どの曲も最後まで聴くのはかなり疲れ、苛立つほど。 車に積んで聞いてもみましたが、事故を起こしそう(笑)。ベートーヴェンの大きさ・広がり・豊かさが消え、ただ強引なキツサばかりで、同じ人間の指揮とは信じがたい。
思うに、マゼールは、ベートーヴlェンのイデー(思想=楽想)に全く共感していないのでしょう。誰よりも強く、大きく、広がりゆく音楽をもたらしているベートーヴェン独自の「和声」を、マゼールの天才は拒否しているように思えます。
これほどの落差、他の艶やかで余裕のある名演と、苛立つような全く面白味のないベートーヴェンの交響曲。天才マゼールが、ベルリンフィルの常任になれなかったわけが、深くナットクできます。
うむ。 でも、か、だからか、愛すべきマゼールではあります。
追記
おそらく、マゼールにとって、ベートーヴェンの精神ないし思想を追体験しようという発想はないのでしょう。
手元に、80年にウィーンフィルと来日したときの名古屋での5番がありますが、テンポも表情もまるで異なります。クリーブランドとの演奏も時期はあまり変わらいので、不思議です。
どうとでも演奏できてしまうマゼールにとって、哲学的理念=精神性を要求してくるベートーヴェンの楽想は扱いにくいのでしょう。この全集は、一言でいうと、『バロック音楽化したベートーヴェン』です。 たぶん、実演では名演もあるでしょうが、それは、特定の状況が彼の通常の意識を超えてミューズの神に支配されたときのものと思います。
武田康弘
高校生のころから聴き続けてきたホロヴィッツ。
華麗なる名人芸と自己への沈潜が同居し、七色に変化する音色は、誰もまねできない独自の世界。
1年前に買い、まだ全部は聴き切れていませんが、カーネギーホールでのホロヴィッツのライブ演奏を収めた41枚組のCDボックス。
昨晩からは、1967年11月のライブを聞いています。ベート-ヴェン28番から始まり、ショパン、スカルラッティ、シューマンのアラベスク、いまラフマニノフのエチュード。この後にアンコール。最後は彼が編曲したカルメンのテーマ。
しかし、ホロヴィッツほどカーネギーホールが似合う男はいないな~~~!独自の美学は、なにもかも超えて慄然とキラキラ輝く。主観性に徹した粋な男の晩年、入りびたりだったのが(死の前日まで)昨年に続き今年11月に来日のペライア。20代の時。
う~~ん、ペライアが、自分の演奏がホロビッツの影響ではない、と言うのは分かる。うん、似てる(笑)。しかし、到底まねのできるものではない。ペライアが誰よりも和声を重視する交響的大きさの世界を切り開いたのは、ホロヴィツの後にはそれしかないという必然ではないか。
なんと豊かな人間同士の交流だこと。
武田康弘