「楽学と恋知の哲学対話=金泰昌と武田康弘の往復書簡」が、7月号の『公共的良識人』紙に掲載されました。一面から5面までを使い、往復書簡の前半が載っています。後半は来月8月号に掲載されます。
往復書簡の内容は、このブログー「思索の日記」と「
白樺教育館ホームページ」クリックに掲載したものを多少手直ししました。金泰昌さんの文章は、かなり大幅に改められています。
『公共的良識人』紙は、主に全国の県知事および市長、各大学の総長や学部長および哲学や社会学関係の大学教授、会社経営者に郵送されている新聞ですが、お読みになりたい方は、京都フォーラムまでお申し出下さい。送料程度で入手できるはずです。
京都フォーラム(「公共的良識人」紙・発行元)
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なお、以下に、7月号冒頭の「はじめに」を載せます。
【はじめに】
金泰昌氏と武田康弘の『哲学対話』に到る経緯について。わたしと金泰昌氏との出会いは、二年前の6月です。まったく未知の方であったキム氏とのご縁は、本紙2005年7月号に書きました通り、わたしが、白樺派の精神を現代に生かそうというコンセプトの下につくった「白樺文学館」(出資者は日本オラクル初代社長の佐野力氏)の基本理念を東大教授の山脇直司氏がキム氏に送ったことに始まります。この基本理念は、今は白樺文学館ではなく、「白樺教育館」のものですが、それを読んで感動・共感されたキム氏がわたしとの対話のために来館されたのです。
キム氏は、都合4回白樺教育館を訪れ、白樺に集う大学生や市民たちとの自由対話を楽しみ、皆に大いなる刺激を与えましたが、その間にもかなりの頻度で電話での対話を続けました。それは、従来大学で行われてきた哲学=「哲学史 内 哲学」ではなく、もっと有用な広い意味での哲学=生活世界でふつうの市民が哲学する道を切り開くためにはどうしたらよいのかを模索する対話であり、その中には往復書簡も含まれています。それを皆に示すことで、「哲学の民主化」のために多くの方のお力を得ようではないかという共通了解に達しましたので、公開することになったのです。
なお、キム氏の基本姿勢は哲学することは「大楽」であるべきだということですが、わたしは、「フィロソフィー」を語源どおり「恋知」と訳して立場としています。恋とは聖なる狂気ですが、この「狂気」の善用のみが、人間の生きる意味・悦びの産出を可能にすると考えているからです。
最後に、自己紹介をします。
わたし武田康弘は、1952年5月東京神田生まれで、大学では哲学を学びましたが、それは哲学の専門家になるためではなく、自分で哲学するための一助と考えてのことでした。在学中から哲学を現代社会に生かす「意味論としての学習」を行う教育機関をつくろうと決め、1976年に独力で小さな「私塾」を開きました。
それが「白樺教育館」の前身「我孫子児童教室」ですが、そこでの教育実践を哲学するために同時に「我孫子児童教育研究会」を開き、それが後に管理教育是正のための市民運動を推し進めることになったのです。その経緯は、岩波書店からの依頼による「我孫子丸刈り狂騒曲」(「世界」92年8月号)に詳しく記しました。
わたしは、この1986年に始まる教育改革運動の直前からの数年間、哲学者の竹内芳郎氏に師事し、言語論を中心に、宗教論、文化論を学びました。1987年から「哲学研究会」を開きましたが、その主要メンバーであった佐野力氏の依頼で1999年2月から「白樺文学館」の創設に全精力を注ぎ、2001年1月の開館からは初代館長を務めました。そこでの活動を活かして、より明瞭に当初の理念を生かすべく2002年初頭から二年をかけて「白樺教育館」をつくり現在に到っています。
では、刺激的な楽学と恋知の哲学対話、ぜひ最後までお読み下さることを。
白樺教育館館長 武田康弘