わたしは、いままで多くの東大生と話をしてきましたが、彼らの多くは客観知に支配されているために自分で考え出す能力に劣り、受動的でステレオタイプの情報処理頭脳でしかありません。
東大生に限らずですが、受験主義の勉強=暗記の訓練が中心の頭の使い方をしていると、「考える力」が潰れてしまうのです。
記憶力に頼ると思考力が働かなくなるのですが、その点に対する自覚がないために、現代の勉学はペーパーテストの点数をあげるという目標のみに特化してしまい、「記憶力競争」に陥っています。丸暗記と答えの決まっている問題の解法を身につけることだけの勉強を長時間やると、知らぬうちに頭は不活性化して情報に頼るだけの「死んだ頭」になってしまいます。
東大生は、自分の具体的経験によく照らしながら自分の頭で考える力が乏しいのです。そのために生きた心と頭になりません。テスト問題を解くだけの優秀さ・言葉・概念を羅列するだけの優秀さでは、人間としての優れた頭脳とは到底言えません。
ここで注意しなければいけないのは、『考える頭』とは、奇問・難問が解けるという意味ではないということです。それは、その種の訓練を繰り返せば出来ます。そうではなく、真に優れた頭脳とは、自分の経験から意味を見出し、新たな意味を創造する能動的な能力を持つのです。わたしは、それを『主観性の知』と読んでいますが、「東大病」の問題と共に説明した論文もありますので、ぜひ見て下さい(
参議院発行「立法と調査」別冊)。
知の目的は「主観性の知」であり「客観学」は知の手段に過ぎないことを、学者や教育者を含めてほとんど誰も自覚していませんが、そこに日本の知と教育の不毛性の原因があるのです。
『主観性の知』を、例をあげて簡単に説明しますと、
自分で考える力、対話する能力、作文力、イマジネーション、創造力、感受性の能力、センス、企画や設計する力、評価し判断する力、有用な意味を見出し、生み出す力・・・これらの能動的な知は、答えがドリルに書いてある知(客観知)ではありません。
ただの『記憶力競争』は、使えない頭しかつくりません。それは『全体的に考える有用な頭』を潰してしまうのです。ほんとうのことは何も分からず、何も見えず、でも、権威に従い、決まっている正解が書ければ「頭がいい」とされる!?これでは問題は解決せず、よろこびは得られず、人間の生はやせ細るしかないのです。
わたしは、一人ひとりの豊かな生のために、「客観学」と共に、知の目的である「主観性の知」を鍛える教育を続けています。
暗記マンの東大生ではなく、自分の頭で考えるソクラテスを目がけましょう。
武田康弘
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コメント
今思い出してもゾッとします (C-moon )
2010-04-12 21:32:03
耳の痛い話です。
東大生とまったくかけ離れたところにずっといましたが、取り組み方は、彼らと同じ傾向にあったと認めざるを得ません。
学ぶことが、すべて受験に向いていたわけではありませんが、ある時期かなりのスペースを埋めていたことは間違いなく、受験への流れを確かなものにすべく、考えることなく反復の繰り返しでした。
こうした姿勢を「学ぶ」とは言わないですね。
その頃、机に向かっていたり、参考書を開いたりすることは、ぜんぜん楽しくなく、とても苦痛で、今思い出してもゾッとします。二度と繰り返したくない取り組み方です。
だから、身についたものはひとつもなく、受験が終わったとたんすべて消えてしまいました。
こうした傾向に容易に運んでしまうのは、今考えると根が深く、小学校に上がった時、そこに準備されていた指導方法だと思います。
「憶えろ」という言葉を教師たちがどれほど私たちに言ったことか。「考えろ」という言葉よりはるかに多かったように思います。
「よく考えろ!」と言われたのは、悪戯をして怒られた時くらいのものですか……。
今思うのですが「憶える」という姿勢に能動性は感じられませんね。一生懸命やったわりには、脳が受動的な姿勢でただ疲労するだけです。ポンポン投げ込み、受け入れるだけで、まるで玉入れのようなものです。
これが「考える」となると、姿勢はもちろん脳も五感も感受性も(医学的、生物学的、大脳生理学的には、五感も感受性も脳の支配下にあるんでしょうけど)能動的でかつフル活動しないと事が運びませんね。そして「考える」ことで脳も五感も感受性も養われていく。
そんなことに、ようやく気付いた今日この頃です……
これからしっかり能動的な姿勢で考える力をつけていきます♪
(けして遅くはないと思うので……)
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試行錯誤・五感全体による会得 (タケセン)
2010-04-12 22:01:15
Cmoonさんは、本質的に大変優れた方だと思います。
それに、極めて率直・正直ですので、どこまでも伸びる可能性を持ちますし、とても気持ちがよいです。
わたしは、24才のときに自信をもって私塾を立ち上げましたが、小学生のこどもたちによって、その自信は単に言葉=理論=観念上のものに過ぎないことを悟らされ、数年間は書物を封印し、すべてを白紙に戻して日々の経験から考え直し・作り直す作業を続けました。五感全体による会得を心がけたのです。その方法を少しづつ徹底し、試行錯誤を繰り返し、豊かな認識を得るように努力して今日に到りましたが、毎日が広義の勉強です。
ぜひ、今後もお付き合い下さい。共に進みましょう。