PCRこそ諸悪の根源ですが、みなが大橋眞(感染症学・ウイルス学の徳島大学名誉教授)の本を読み、知らないといけません。
誰のために、何のために騒ぎを作り出しているのでしょう。
以下は、今朝の東京新聞です。
ウヨク団体「日本会議」(戦前の国体思想)をバックにし、
ドイツならば民主主義の敵とされ禁止されているネオナチと同様な存在の「維新の会」が支持される構造を、
大阪出身のれいわの衆議院議員・大石あきこさんが語っています。
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民主制・民主政・民主性の思想とは二律背反の存在が維新で、とても危険です。
天皇教という国家宗教を土台とする「天皇主権」の明治維新の思想(「大日本帝国憲法」で具現化)を現代の主権在民の民主主義社会の中で高評価するのは、明らかに民主主義の敵というほかありません。
武田康弘
年輩者が犠牲となって子どもを守る、なら美談だが、
年配者の犠牲に子どもがなるなら、狂気だ。世の終わりだ!!
国立感染症研究所で、ワクチン接種後の重篤副作用が多数あることが報告されているのに、こどもに打たせるべし、という大人をわたしは、決して許さない!!
年輩者(わたしも今年で70歳なのでその部類)は、人生の悲哀もよろこびも味わってきた。少ないながらも年金もある。
こどもは、まだ少しの時間しか生きていない。何も持っていないし、ひとりで生きてもいけない。
最大の社会的弱者は子どもだ。
コロナ重篤者や死者は子どもにはいない。
テレビでいい人を演じて、お年寄りのために子どももワクチンを打つのがよい、と言うのを見て、吐き気をもよおした。なんということか!!
武田康弘
わたしは、生れつき病弱で、5歳の時には肝臓病で40日間寝たきりになり、その後も病気との闘いが続きました。
なので、【タケセンの生き方と身体の歩み】を白樺教育館ホームページにアップしました。
こどもたちへのエールです。クリックで飛びます。
武田康弘
以下は、徳洲会病院のホームぺージの冒頭ー院長の見解です。
昨年の11月のものです。
新型コロナウイルスのワクチン接種の対象年齢が12歳以上に引き下げられて5ヶ月以上経ちました。政府の方針は、副反応はゼロではないが接種を推奨、日本小児科学会も、感染や重症化の予防に意義があるとの立場です。その甲斐あってか若年層への接種も進み、12〜19歳の接種率は、11月9日時点で、1回以上接種が70%を、2回接種も60%を超えました。さらに5〜11歳の約2300人を対象とした海外での治験で、成人の1/3の量で90%の有効性が得られたとして、米国の疾病対策センターは、11月2日にファイザー社製のワクチンをこの年代でも接種を推奨すると発表し、接種が始まりました。同社は、我が国でも、厚生労働省に承認を申請しました。
米国では子供の死亡例は500を超えていますが、我が国では20歳未満の死亡例は、世界的にも極端に少なく3例です。全員が10代で9歳以下はいません。2例は基礎疾患があり、一方はワクチン接種を1回受けていました。残る1例は交通事故により死亡した人が検査で陽性を示したもので、コロナ死とするには抵抗があります。日本小児科学会によると、小児への感染源は家族などの大人が多く、入院例は4歳以下に多いので、5-11歳へのワクチンの効果はあまり期待できないかもしれません。ちなみに一昨年にはインフルエンザ脳症で8人の子供が死亡しています。子供にとっては、インフルエンザのほうが有害かもしれません。
厚生労働省には10月15日までに、ワクチンによる死亡の疑い例は1300以上報告されていますが、圧倒的多数が「情報不足等によりワクチンと死亡の因果関係が評価できない事例」に分類され、「ワクチンとの関連が否定できない事例」は1例もありません。10代でワクチン接種後早期に死亡しているのは4例で全て男性です。1例目は精神疾患で治療を受けていたが中断中だった16歳、接種後8日目に飛び降りで自死。2例目も16歳、接種後6日目に突然心停止しいったん蘇生しましたが接種20日後に死亡。3例目は脳動静脈奇形という先天性の病気がある15歳、4日目に頭痛と嘔吐後に意識がなくなり、救急搬送されましたが脳内出血で死亡しています。4例目は、10月末に死亡した気管支喘息のある13歳、接種数時間後に自宅の浴槽で死亡し、現在も調査中です。おそらく最後の事例も「評価できない」に分類されるでしょうが、それはワクチンを接種していなくても、同頻度でこのようなことが起こると思われるからです。確かに脳動静脈奇形の破裂はいつでも起こりえるので、統計的にそのように解釈することは私でも理解できますが、ワクチンはある病気に罹っていない人に、その病気にならないように予防するもので、通常の医療より遥かに高い安全性が求められます。自衛隊員への調査で、接種後に血圧が180以上になることは珍しくないことが判明しており、この例でもそれが脳動静脈奇形から出血の引き金になった可能性があります。問診で病気のことを相談している遺族はやりきれないのでしょう。搬送先が見つからずに亡くなった例は大騒ぎするのに、この件に触れたマスコミはなさそうです。
コロナ死とワクチン死が同等である我が国の現在までの状況を考えると、子供への接種は慎重にすべきです。検査が陽性であれば感染者、陽性の死亡者は全てコロナ死と定義し、コロナ被害は強調する一方で、ワクチンの副反応は因果関係が評価できずとして接種を推奨し、しかも危険性もあるので任意ですという逃げ道も残している専門家や行政の姿勢には大いに疑問を感じます。これは世界共通のことでしょうが、今回のワクチンは非常事態に例外的に承認されたものなので、正解のない問題です。愚民はわからないことに対して何をするか分からないから指図してやったほうがよいと考えているのでしょうか。私には孫のような年齢の中学生の息子がいますが、接種させていません。専門家は、高齢者を守るためにも若者に接種を勧めています。大人には子供を守る責任がありますが、この状況で子供から守ってもらう必要があるでしょうか。
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院長の見解は、極めて妥当性が高いとわたしも思います。
武田康弘
https://www.mhlw.go.jp/content/000641629.pdf
上のpdfは、令和2年(2020年)6月18日付けで、厚労省が「各都道府県、保健所設置市、特別区」宛に出した通達です。
そこには、次のように書かれています(問2の答えとして)
「新型コロナウイルス感染病の陽性者(注1)であって、入院中や療養中に亡くなった方については、厳密な死因を問わず、「死亡者数」として全数を公表するようにお願いします。」
(注1)
陽性者とは、PCR検査でウイルスの遺伝子が見つかった人のことですが、感染者とは異なります。ウイルス学者により見解の相違はありますが、感染(細胞膜を破り体内で増殖を始める)には、少なくとも万単位のウイルスが必要と言われます。日本のPCR検査では2の40乗倍に増殖するため、わずか数個のウイルスで陽性と判定されます。したがって、陽性者が感染者だとは言えません。
この通達が出る前は、患者を診ている医師が、死亡原因を直接判断していましたから、死因判断には妥当性がありましたが、通達後は、医師が判断せず、PCR陽性者は全員が新型コロナ死とされました。
その結果、6月19日後は、新型コロナ死とされる人が増えて、ほんとうの(医師による)死因は分からなくなりました。
したがって、6月19日以降は、死亡者数は、相当な水増しと推定されますが、
それでも、新型コロナの最初の年=2020年(令和2年)の1年間の死者数は、3400名あまりでした。以下は厚労省ホームページです。
令和2年(2020年)
12月31日現在の新型コロナウイルス感染症に関する状況及び厚生労働省の対応についてお知らせします。
国内での新型コロナウイルス感染症の感染者は230,304例、死亡者は3,414名となりました。
また、入院治療等を要する者は34,166名、退院又は療養解除となった者は191,451名となりました。
1.国内の状況について
12月31日0:00現在、検査陽性者230,304例が確認されている。
・検査陽性者(国内事例228,418例、チャーター便帰国者事例15例、空港検疫1,871例)
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これは、毎年のインフルエンザの直接死とほぼ同数で、インフルエンザ関連死の約1万名と比べるとほぼ3分の1です。
ところが、その後2021年(令和3年)となるとPCR陽性者の死亡者数が一気に増え、18433名(2021年だけだと14919名)と前年の4.4倍に跳ね上がりました。どういうわけでしょうか?そのからくりは、次の表を見れば一目瞭然です。
厚労省発表のPCR検査数の推移です。
これは、2020の2月5日より、2021年の12月29日までの約2年間の検査数をグラフで表したものですが、厚労省が都道府県などに通達を出した2020年6月までは、極めて少ない検査数で、感染が疑われる人のみの検査でしたが、よく7月からは検査数が増え、12月31日に向けて10倍にもなっています。2020年のコロナ死者3400名あまりの大多数は、検査が増えた夏以降のものです。
医師が死因を判断するのではなく、PCR陽性者(わずか数個のウイルスで陽性)は、みなコロナ死にカウントした為に、PCR検査数が増えるに従い、コロナ死にカウントされる人もそれに比例して増えたのです。
よく2021年の1年間は、さらに大幅に検査数が増え、前年の数倍になっていますので、陽性者も数倍になっています。ガンや心臓病などで死亡した人も、医師の判断で死因が決まらず、PCR陽性者は全員新型コロナ死とされるために、大幅増の数字になっているのです。一昨年と昨年で新型コロナが強毒性に変異したわけではありませんので、明らかに「厳密な死因は問わず、PCR陽性者は全員コロナ死にしてください」という厚労省の通達に数字を増大させた原因があるというほかありません。
こういうからくりで、新型コロナの死者が多くカウントされています。しかし、それでもインフルエンザ関連死は年間1万人ですから2年間では2万になり、まだそれよりも少ない数字です。死亡原因も解剖するなど科学的に処理されていませんので、誤魔化し(医師による判断ではない)が通用してしまいます。
ウイルスは数が問題なので、何千単位ほどでは、すぐに自然免役で消去されるとのことです。PCR陽性者は大多数が感染に至らず、感染者ではないわけですが、陽性者の死は、医師の判断によらず、すべて新型コロナ死にカウントされる仕組み(厚労省の通達)のために、PCR陽性者は、何であれ、すべてコロナ死となります。これほどデタラメな事はなく、全国の医師は抗議すべきです。
なお、陽性者と感染者は概念が全く違うので、厚労省は、正しく陽性者と発表していますが、NHKは、ニュースでもネットでもすべて陽性者を感染者と発表して、明らかな間違い(意図的な操作?)を続けているのには呆れ返ります。これで公共放送?
武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員調査員)
昨晩のNHK Eテレの知恵泉選「承久の乱」は、従来の歪んだ北条政権評価(明治維新政府の天皇絶対史観による)ではなく、基本的に「正しい」解説で、NHKの名誉回復と言いたいのですが、
肝心の2点がおかしく、残念でもありました。
それは、後鳥羽上皇側の武士たちが攻めてくるのを待つという多数意見に対して、
京都の官僚出身で鎌倉幕府のご意見番・大官令覚
大江がそう言ったことは、「吾妻鏡」(あずまかがみ)にある通りですが、大江は、頼朝が雇ったご意見番(役人)であり、最高権力者の政子が決めなければ、決まらないのです。
番組でも、執権の北条義時は、姉の政子(鎌倉幕府トップで実際上の第四代将軍)に聞いたことは言いましたが、「念のため政子に聞いた」という素っとん狂な解説でした。京都の朝廷のやり方と後鳥羽上皇の性格については、直接会いもし、幾度も煮え湯を飲まされてきた政子は知悉していたのであり、役人の大江以上に知っていたのは当然です。
吾妻鑑には、明確に書かれています。
「義時が両方の意見(後鳥羽軍を待つ、こちらから京に攻める)を政子に申したところ、
政子が言った『上洛しなければ、絶対に官軍を破ることはできないでしょう。安保刑部丞(あぼきょうぶのじょう)実光以下の武蔵国の軍勢を待って速やかに京に参るべきです』
それにより、すぐに、わずか18騎で出陣したことは番組でも触れていましたが、それが、執権・義時の長男で、叔母の政子を慕い敬愛する22歳の泰時とその兵であったことは伝えないのも意味不明でしたが、
この肝心な2点をぼかしたり無視するのは、男性中心主義のイデオロギーを知らずに身に着けている日本の学者やNHKのディレクターだからではないでしょうか。女性の政子を小さく扱いたいという無意識の意識です。日本という国の後進性には毎度あきれ返るばかりです。
ついでにいえば、もうだいぶ以前のことですが、NHKは大河ドラマで、北条政子をドラマにしましたが(「草燃える」)、
驚くことに第三代将軍の実朝(さねとも)が公暁(くぎょう)に殺害=孫に子を殺されたという悲劇でおわってしまい、第四楽章はカットというありえない話で、視聴者を唖然とさせました。
明治維新政府が、水戸学による天皇中心の真っ赤な嘘の日本史=北条政子と北条政権を悪に仕立て上げたことが、主権者が天皇から国民にコペルニクス的転回を果たした戦後もまだ色濃く残っていることを示した「事件」でした。原作者の永井路子さんは、第四楽章=承久の乱を書いているのですが(「炎環」1964年光風社刊)、わざわざ四楽章を外した「北条政子」(1978年講談社刊)を書かせて大河ドラマにしているのですから、あまりの酷さに身が震えます。
800年前の歴史まで改ざんする国が、世界のどこにあるでしょうか。
武田康弘
形優先。
失敗・ミスをしないで、演奏し、おわる。それで今日の仕事は無時終了。
NHK交響楽団の根本思想です。
だから、生気がなく、沸き上がる豊かさがなく、音符だけがある。技術だけの音楽。楽団員の魅力のない顔=表情。
みなつくりもので、精神の内奥は空洞。
これは世界最先端!(笑)で、まさに感情のないAI型人間によるAI型音楽。
いつもいつもこういう人が奏するこういう音楽を流すNHKは、個性に乏しく型式・儀式に従う忖度人間になるように誘導する放送機関なのだな~~と毎度感心。
もうどうしようもない世界ですが、黙って聞く聴衆も、「はい、今日は教養の時間です。クラシック音楽を静かに聞きましょう」という意識=生き方の人たちなのでしょう。
見事ににっぽんです。感心します。ああ、日本!!
武田康弘
超越性の原理をもつ世界宗教は、世俗の価値を相対化して、これでよいのか、
を問います。世俗の利害損得や成功をそのまま肯定するのではなく、世俗価値を
超えた視点からの洗い直し・問い直しをし、複眼的な視点をもつことで精神の世
界をつくり、独自の見方=人生を可能とする役割を果たしますが、
天皇教はあべこべで、世俗主義(仰々しい儀式だけで中身はその時々の世俗の
価値の肯定)ですから救われません。空気に合わせ、忖度する生き方しかないの
です。みながそうだからわたしもそう(呆)。こういう集団同調主義(天皇教の
別名)は、個人の内的なよろこび、輝きや色気を消し、灰色の世界しかつくりま
せんので、結局は世俗の価値を追い求め、挫折する人生(ごく一部はお金&肩書
に逃げる人生)を歩み続けるほかないのです。【意味充実】の得られない堂々巡
りで人生が終わります。
自らの考え方・生き方を反省し批判検討して、新しい人生を創造するという実
存の生=恋知の生は、天皇教の生き方とは全く異なる「わたしが輝く人生」です
が、それについては、2013年に「恋知」第2章に書きましたので、ぜひ熟読
をお願いします。宗教者の生とも世俗教者(=天皇教者)の生とも次元を異にす
る人間のほんとうの生き方です。超越的な真理を求める不毛性を知ることは、一
神教に陥らない条件ですし、元号を使わずに世界暦(ユリウス暦を少し修正した
グレゴリオ暦)を用い、皇族と呼ばれる人々を「さん」づけで呼ぶこと=対等性
を確保するのは、天皇教の呪縛から解放される条件です。
疑似的な一神教である天皇教=世俗の価値に無批判に従う生き方ではなく、
キリスト教などの一神教の超越性の原理でもなく、私の存在の内奥にある善美の
座標軸を基にする恋知の生は、信仰でも○○主義でもありませんから、誰にで
もできることで、少しも難しくありません。意識の二重性、自分の考えや行為を
見ているもう一つの私の意識の声を聞く練習=自問自答を基盤にして自由対話す
る生き方こそが、人間のもっとも優れた生き方と言えます。それは、特定の見方
や宗教に囚われていなければ、誰でもすぐ始められます。
上位者からの要請でもなければ、立派な肩書をもつ人の上から目線(日本では
左右とも肩書人は皆そうです-程度が異なるだけ)のソフトな誘導でもなく、体
系的な強い思想(一神教や西欧哲学史のお勉強による)でもない。染脳‐占脳から
は最も遠くにありながら、決して揺らぐごとのない意味充実の私の人生を可能に
するのが、自分の具体的体験に基づき自分の頭で考えたことを交換・交歓・交感し
合う恋知という実存の生です。それなくしては、人間の人間としての生は成り立ち
ません。勝ち負けや利害損得を超えた「豊かな愛情+明晰な理性」は生じないので
す。
この恋知という発想と態度による実存の生こそが、優れて公共的な社会を生みま
す。国民国家(国籍にこだわり民族的共同体という幻想に依拠する)という狭隘な
思想から、公民国家(シチズンシップに基づく市民的共同体による)という開かれ
た思想への転換によるのです。公民国家=市民国家とは、わたしはこの国・社会を
つくる主体者だという能動的な意識により、あなたとわたしの意思とお金(税金)を
出し合ってつくるものです。主権者であるあなたとわたしを超えた存在はありません。
超越者や絶対者はいないのです。これがほんらいの民主制度であり民主政治であり
民主性の社会です。官とは、市民的公共に奉仕する組織であり、それと異なる言動は
できません。
このわたしの思想-論考は、恋知第3章『民主制・公共思想』に記しましたが、
これは、わたし武田と金泰昌(※東大出版会のシリーズ『公共哲学』最高責任者)
と山脇直司東大教授および参議院調査室の荒井達夫によるパネルディスカッション
を載せた『立法と調査』2008 年 2 月別冊号をご参照ください。
では、どのような社会・国をつくるのがよいか。その骨子は、以前にfbに載せていま
すので、ぜひご覧ください。
武田康弘
山田邦雄氏
ロート製薬取締役会長のや山田邦雄さんは、日本経済新聞で、ワクチンへの疑義を述べ、ワクチンパスポートは、民主制国家の否定になると強く批判しましたが、まったくその通りで、今の状況は、あまりにも異常です。
たいした症状でもない流行風邪に、まるでペストやエボラのような大騒ぎは、狂気というほかありません。なぜ、こんなに簡単に乗せられてしまうのか、悲しくなりますし、とても危険な状況です。
新型コロナのオミクロン株の疑いのある人がはじめて死亡した=90歳以上の千葉の女性!とのニュースには、あきれ返り、開いた口がふさがりません。
もういい加減に目を覚ましたらどうでしょうか。ワクチン騒ぎで大儲けなのは、巨大製薬会社ですし、それを打つ医療関係者です。どれほどのお金が流れているのか、誰でもわかる話でしょう。ワクチン接種後の重篤者や死亡者もどんどん増えているのです(国立感染症研究所発表)。
以下は、日本経済新聞からです。
欧州連合(EU)の欧州医薬品庁(EMA)は11日、新型コロナウイルスワクチンの追加接種(ブースター接種)を短い間隔で繰り返すことに懸念を示した。変異型「オミクロン型」の詳細が明らかになっていないほか、頻繁なワクチン接種が人体の免疫に悪影響を及ぼす可能性も指摘した。
ロイター通信などによると、EMAのワクチン戦略責任者のマルコ・カバレリ氏は「追加接種は臨時措置であり、短い間隔で接種を繰り返すのは持続的な長期戦略とはいえない」と指摘。4カ月ごとに追加接種を繰り返すと免疫に負荷をかける恐れがあると警告した。
EMAは新たなワクチンの必要性を判断するため、今後の感染者数の推移や感染地域の広がりなどを見極める必要があるとの見解も示した。
オミクロン型が流行するなか一部の国は追加接種を検討している。イスラエルは60歳以上を対象に4回目のワクチン接種を開始。チリも一部を対象に4回目接種を始めた。
ただ追加接種の広がりでワクチンが富裕国に集中すれば、途上国での接種が遅れる恐れがある。世界保健機関(WHO)は同日「ワクチン接種を繰り返す戦略は適切ではない」として、感染を防ぐ効果が高い新たなワクチン開発の必要性を訴えた。
【関連記事】
山田邦雄 ロート製薬代表取締薬会長
これは合理的に考えてその通りの懸念だと思う。
人体の仕組みは、知れば知るほど驚くほど複雑精緻にできており、
コロナウイルスの細胞への侵入事象一つとっても、これほど複雑なプロセスで「攻防」が繰り返されてるわけで、
簡単にワクチン=人体にプラス、とはならないはずだ。
ましてや、ワクチンでは感染が防げないことが事実として明らかになっているにもかかわらず、これを義務化したり
パスポートにしようとしているのは非常に懸念される。
科学的に合理的でないことを強制するのでは、もやは民主国家とは言えない。
そうではなく、あくまで重症化を防ぎ、自己の自然免役で克服する医療ノウハウ開発こそ重点を置くべきだ。
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武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)
白樺同人の川本久美恵さんがさんが、『花まつり・カードを送ろう』のホームページをつくりました。ぜひ、覗いてみてください。
既存のお寺とは関係なく、最高の思想家=ブッダを祝うホームページです。新しい時代を拓く恋知と重なるのがブッダです。
明後日12日(水)は恋知の会。
2022年冒頭の会は、唯一という発想から自由になれない西欧哲学の土台を検証する。日本の国体思想も同根だがあまりに低レベル。
ブッダとサルトル=神概念を必要としない思想こそがほんもの。
輝く恋知の営みをぜひ共に~~!!。
1時30分より4時30分まで、白樺教育館で。
ズーム参加もOK、コメント欄でお申し込みください。
白樺同人社・立ち上げパーティー 理事10名と発案者のわたしと、こどもたち。
世界に広める自由・理性・愛情の三色同心円!! 2021年の大晦日。
内容説明の記事を「白樺教育館」ホームページにアップしました。ぜひご覧ください。
大きなタブーをなくすことは、みなの幸せをつくるために何よりも必要です
が、天皇 ism=天皇教という宗教を知らずに身に付けてしまう日本というシステ
ムの内に生きている私たちにとり、まず何よりも重要なのは、その自覚・意識化
です。
生まれた時から、元号で誕生年を呼ばれていて(昭和〇〇年生まれ、平成〇〇
年生まれ)、親族が亡くなった年も元号で言われ、墓石も元号表記ですから、い
やでも天皇教=元号教の中に閉じ込められます。明治維新のつくった「一世一元
の元号」という宗教は、日本が天皇中心国家だということを無意識領域にまで刷
り込みます。天皇の死・退位によりまた1年=元年に戻るという不合理極まりな
い時間管理(役所は元号を強要)には呆れますが、天皇≒元号の時間と時代を生
きるのが世界で唯一の人々=日本人というわけです。
冷静に日本人と日本社会を見れば誰でもが分かりますが、見事なほどすべて
「形と序列」です。その二文字ですべてが収まり説明できてしまうのは、笑える
ほどです。一人ひとりの関心やよろこびから出発せず、中身・内容が膨(ふく)れ
て形となるのではなく、自由で豊かな想念が広がるのでもなく、固い形式と上か
下かの序列意識に縛られて生きています。
日本という国は「天皇教=東大病=官僚主義」の三者一体による支配だとする
のは、以前からのわたしの見方ですが、
わたしの大学クラス(ソクラテス教室・大学クラスin白樺教育館)の生徒であ
った参議院調査室の荒井達夫さんは、この指摘に感動して、「・・武田さんは哲
学的にさらに深く鋭い分析を行っている。ここまでキャリアシステムの問題の
本質を明らかにした説明は他には存在しないと思われる」と『立法と調査』
(97.2009.10参議院事務局刊)に書いています。
こういう生き方は、天皇教的心性によるものと命名するのがピタリですが、で
は、天皇教とはいかなるものかを見ていくことにしましょう。
自覚的な宗教者ならば、例えば、「わたしはクリスチャンで、聖書を拠り所に
して生きています」と言いますが、天皇教には経典はなく、あるのは、最初に天
皇を名乗った天武(在位673年~689年)が、自らの支配と権力の正当性を
主張するためにつくらせた「日本書記」だけです。
天皇教とは、儀式だけがある「型」の宗教で、特定の中身はなく、その時々の
都合で変わり、世俗の価値を中身とするので、【世俗価値(世間価値)を絶対化
する宗教】と言えます。よく言えば柔軟で何にでもなります。中身がなく仰々し
い儀式で神秘的なムードを演出して、人を従わせる宗教ですから、日清日露から
第一次世界大戦、シベリア出兵、中国侵略(満州国建設)から対米戦争に至る
70数年は皇軍=戦争の顔・象徴であり、敗戦後は戦争放棄=平和の顔・象徴と
なります。昭和天皇の裕仁は、一人で両極端の二役をしたわけです。
繰り返しますが、天皇教は、形だけで中身はその時々の世俗の価値を肯定する
だけですから、抵抗感が少なく、知らずに深く意識を犯されて、無自覚に世俗価
値を絶対化する世俗主義者=天皇教者になります。これでは、永遠に「私の精神
の自立」は育ちません。理性なき人間の誕生です。
このように世俗価値をそのまま肯定し、さらに絶対化する役目を果たす宗教
は、世俗の成功者を讃え、偉いものとしますので、批判者ははじめから排除です。
この排除と差別の文化は、左右を問わず政治家に端的に表れていますし、こども
たちの文化にさえなっています。金や権力や肩書や学力における「エリート」以
外の人間はカスですし、権威や権力(肩書のある人)への批判者は疎まれ、冷遇
されます。
ほんとうは、厳しい批判がなければ、人間も社会も窒息してしまうのですが、
天皇 system+ism は、集団同調 ism を生み、理性を育てませんが、それを知ら
ないのです。街をゆく人も電車の中の人もみな灰色で、希望のない顔をしていま
す。輝いて見えるテレビの芸能人は、ミカンにワックスを塗ったような外面の艶
で、内側=精神のパワーからくる健全な美ではありません。つくりもので、見事
なまでの型の文化です
続く。クリック
(以上は、わたしの書いた『明治政府がつくった天皇という記号』からです)
以下のマークは、
人間は、元来、自由存在であることの自覚を中心に、
理性(総合的判断能力)がそれを取り巻き支え、
すべてを愛情が包むという恋知・実存・共和の三色同心円です。