金泰昌さんからのお申し出により、5年前、2007年の5月から行われた武田・金の哲学往復書簡34回(出版されたのは30回分)の裏話を以下に記します(金さんは、東大出版会のシリーズ『公共哲学』全20巻の編者であり国際的な政治哲学者です)。
書簡の前半部分(とくに3回と5回の武田書簡)は、明治政府作成の日本の思想を俯瞰的に説明したものです。政治・社会・教育の全体を支配した【近代天皇制=天皇教・東大病=官僚主義】についてのわたしの見解を提示したのですが、それは、その前後の書簡で説明したように、(1)教育と知の目的は「主観性の知」にあるという本質論と、(2)現象学と実存思想(「私」からの出発)に立脚した哲学に支えられた 歴史と現実社会の分析で、まとめて「武田思想」とも呼ばれています(なお、認識論の原理であるフッサール現象学は、旧友の竹田青嗣さんによる解釈が最も有用で優れていると思いますので、それに依拠しています)。
後半部分は、公共とは何か?の本質論と、それに深く関係する金さんが主導した東大出版会の基本方針=「公・私・公共の三元論」を巡ってのものです。わたしは、実存論に立脚する武田の公共思想を述べ、現代においては近代民主制(人民主権を原理とする)を徹底する以外に「公共性」を実現する道はないとして、三元論は、民主主義の原理論次元では成立しない(現実次元では有用である)と批判しましたが、それは結果として大きな支持を得ました。公的(2008年1月の参議院におけるパネルディスカッションなど)にも、私的(私信やわたしの催す会など)にもです。それらの多くは、このブログ「思索の日記」でご紹介してきました。
この哲学往復書簡は、2005年の6月に金泰昌さんがわたしの白樺教育館を訪ねて以降、金さんとの二年間にわたる日常的な電話対話の末に行われたものですが、これが公開されて出版されるまでには、凄いドラマがありました。
パート1(「楽学」と「恋知」の哲学対話・第1回~第21回)については、スムースでした。
まず『公共的良識人』紙の7月号に(1)から(11)までが載りました。前例のない特別扱いで、8ページの紙面のうち一面から5面までを使い、活字の段組みや体裁も変えての掲載でした。翌8月号にはその続き(12)から(21)までが掲載され、パート1は完結しました。
問題は、パートⅡの「三元論」(「公」とは区別され次元を異にする「公共」を置く理論)を巡ってのものでした。わたしは、二元論とか三元論という発想(一元論?四元論?)そのものに異和を感じ、従来の国家主義的発想を超えるためには、民主制の原理を明晰に自覚することが必要で、第三極をおく・第三の道を歩むという優れた実践は、その原理を踏まえないと真に力を発揮しないと考えていました。それは、わたしが都立高校生時に全学議長として学校改革を成就させた体験にはじまる数々の公共的運動の成功体験(我孫子市における実践が主)に基づく確信でした。
ところが、金さんの三元論は、『公共的良識人』紙とそれを母体にしてつくられていたシリーズ『公共哲学』(東大出版会刊)の屋台骨でしたので、それに対する原理次元における強力な反論であるわたしの書簡は、編集部全員の反対で掲載を拒否されたのでした。
(なお、パートⅡの往復書簡は、実は、発表された30回ではなく34回行われたのですが、わたしの反論に対して苛立ちを覚えた金さんが感情的となり、公表できるレベルを超えてしまいましたので30回までとなっているのです。一旦、冷却期間を置くことにして、往復書簡は中断しました。)
2007年の11月某日、金さんからの電話で「申し訳ないですが、編集部の全員が反対しているので、哲学往復書簡の後半は、掲載しないことになりました。」と言われました。
わたしは、「分かりました。権利はそちらにあるのですから、わたしは批判めいたことは何も言いません。」と話し、「でも、残念ですね。金さんは、日本では異論や反論がなく、ほんとうに自由な対話がない。それが日本の実に困った問題だ、といつも仰っていましたが、今回わたしたちは、異論・反論を忌憚なく出し合いながらも人間関係が崩れないという見本をつくったのに、それが公表されないとは、・・・・」と話しました。
うーーん、と金さんは、唸り、「武田さん、分かりました。その通りです。もう一度、編集会議を開き、強く言います。」と話し、電話を切りました。
翌日、「武田さん、載せることになりました。どうしても載せたい、とわたしは言い、いろいろ大変でしたが、編集部を説得しました。」と金さんからの電話でした。不思議な感動がありました。素晴らしいことと感じ、心が震えました。
12月号に載りました。6面から8面の3ページですが、一面に、大きく太い文字で【「楽学」と「恋知」の哲学対話・武田康弘と金泰昌の往復書簡その3】と記載されています。この号は、大反響でした。発行元の「京都フォーラム」に多くのメッセージが寄せられたとのことですが、参議院調査室や人事院の関心も集め、翌1月(2008年1月22日)の参議院におけるパネルディスカッション『公共哲学と公務員倫理』 (パネラーは、わたしと金泰昌さん、東大教授の山脇直司さんと調査室の荒井達夫さん)においても、参加者にコピーが配布されました。
なお、この往復書簡を発表する段階で、金さんは、自身の書簡を大幅に加筆・訂正しましたので、それに対してわたしも一部手直ししましたが、必要最小限に留めています。加筆・訂正前のオリジナルは、「白樺教育館」のホームページで読むことができます。
(余談ですが、この往復書簡の日付を見ると、わたしは、金さんの書簡を受け取った翌日に返信しているものが多いのです。Eメールが日常化していなければあり得ないことで、よいか悪いかは分かりませんが、自分でも驚きです。)
その後、この哲学対話の続きをしたいと金さんから再度の申し出があり、テーマは「命」ということになりました。まず、武田さんが書いてほしいと言うので書いたのですが、金さんはわたしの思想に応答することが難しいようで、返信がなく、そのまま中断して今日に至っています。というわけで、それからしばらくの間、金さんとの交流はありませんでしたが、2010年の春に珍しく金さんから電話があり、「哲学往復書簡を東大出版会から本にして出したいのだが・・・」とのことでした。
わたしは、まったく思いもよらぬ話でビックリしました。「東大病」批判も書いた往復書簡が東大出版会から出る?そんなことがあり得るのかな、不思議な気持ちと同時に、金さんにはかなり不利な内容を含む往復書簡を出すという勇気にも感心しました。
わたしは、この出版に際して、東大出版会の編集長・竹中英俊さんと知り合い、それがきっかけで、メールでやりとりする友人になりました。Facebookでは、いつも私のブログ『思索の日記』に「いいね」を付けてくれます。
東大出版会から本を出すにあたっては、またまた大変な難産でした。この金泰昌さん編集の『ともに公共哲学する』は、金さんの膨大な日本での対話の中から選出したものですが、わたしとの往復書簡がメインで、全体の四分の一(90ページ)を占めています。目次には(1)から(30)までの書簡の小見出しがズラリと並び、(5)【学校序列宗教=東大病の下では、自我の内的成長は不可能】という文字も目立ちます。
よく出せたものだな、と思いましたが、実は、竹中編集長の不屈の闘いがあってのことでした。東大出版会から本を出すには、教授会の賛成が得られなくてはなりませんが、やはり始めは「ボツ」になったのだそうです。それを再度の挑戦で竹中さんは出版にこぎ着けたのですが、彼らをどのように説得したのか、詳しいことは不明です。今度聞いてみましょう(笑)。
はじめボツになった理由は、推察するに、オリジナルすぎる思想でしょう。わたしも金さんも、自身の具体的経験から立ち上げた思想で前例がありませんから、東大という官知の大学人は、どのように遇したらよいかが分からないのです。意味ある反対論はなく、ただ「勝手なことを言っている」程度の言葉しか出なかったようです。
わたしは、東大教授のみならず大学人との交流が多くありますが、彼らは書物に頼るのみで、自身の具体的経験から立ち上げ自身の頭で考える力が弱いので、オリジナルの思想を構築することが出来ないのです。哲学教師はいても哲学者(恋知者)はいません。自分の力で哲学したい方は、大学ではなく、「白樺教育館」の大学クラスにお出で下さい(笑)、と最後に宣伝して、この裏話をおわりにします。
武田康弘
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哲学教師はいても哲学者はいません (荒井達夫)
2012-05-1209:43:11
日本国憲法の制定に深く関わり、さらに内閣法制局長官、人事院総裁を務めた故佐藤達夫氏は、次のように述べています。
「昭和22 年新憲法の実施とともに、公務員は〝天皇の官吏″から〝全体の奉仕者″となり、その結果、公務員制度についても根本的改革が行なわれました。」(「人事院創立15 周年にあたって」『人事院月報』昭和38 年12 月号)
佐藤氏は、法制的に我が国の公務員の原点を指摘したわけですが、この佐藤氏の言葉を哲学的に掘り下げて「官」の存在意義を説明する学者は誰一人出てこなかったのです。それを成し遂げたのが、武田康弘さんの次の言葉です。
「公(おおやけ)という世界が市民的な公共という世界とは別につくられてよいという主張は、近代民主主義社会では原理上許されません。昔は、公をつくるもの=国家に尽くすものとされてきた『官』は、現代では、市民的公共に奉仕するもの=国民に尽くすもの、と逆転したわけです。主権者である国民によってつくられた『官』は、それ独自が目ざす世界(公)を持ってはならず、市民的公共を実現するためにのみ存在する。これが原理です。」(武田康弘
未来永劫消えることのない、人々の魂に響く言葉といえるでしょう。
「書物に頼るのみで、自身の具体的経験から立ち上げ自身の頭で考える力が弱いので、オリジナルの思想を構築することが出来ないのです。哲学教師はいても哲学者(恋知者)はいません。」(武田さん)
これは、まったくそのとおりです。
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みなさん、ありがとう。 (武田康弘)
2012-05-1214:13:41
荒井達夫さんの大活躍、古林治さんの支え、
コメントを寄せてくれているみなさん、とりわけ、わたしの教え子の綿貫信一さんや染谷裕太さんや青木里佳さんや西山祐天さん・・・愉しい哲学の会の清水光子さんや川瀬優子さんや楊原泰子さん・・・mixiの仲間たち、
鎌ヶ谷市公民館のとわの会のみなさん、
わたしを金さんに紹介してくれた山脇直司さん、竹中英俊さん、わたしを高く評価してくれた金泰昌さん、
同志の福嶋浩彦さん、旧友の竹田青嗣さん、
恩師の竹内芳郎さん、討論塾のみなさん、
内田卓志さん、
熱心に講義を受けられ、ディスカッションに参加された参議院調査室のみなさん、
人間性豊かな心、愛ある人たちの共同がなければ、根源的な変革は不可能です。みなさん、これからもよろしく。
悦びの生、意味充実の知、日本を魅力ある社会に変えるために、ぜひ共に!