思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

タケセンの身体の歩み。 病弱からの脱出、他者と競わない身体強化=合気道日本一にも勝ってしまいビックリ!

2021-11-27 | 私の信条

 わたしは、幼少時より病気がちで、幼稚園児のときには、肝臓病で40日間寝た切りになり、小学5年生からは胃潰瘍で、中学1年生からは十二指腸潰瘍になり、虎ノ門病院通いでした。

 毎日、かならず2時間くらい苦しく気持ちが悪い日が続きました。自分でも工夫して身体を治し、強くするための努力を重ねて、学習も30分~40分くらいで休息、それを3回ほど繰り返す方法を取りました。

 短時間で運動もし、中1の時からは、近所(神田須田町の家の周り)を10分間ほど走ることを続け(それで390名中の3位になり、駅伝選手に選ばれ、運動部でない生徒が代表になったのは学校始まって以来といわれました)、腕立てと腹筋をテレビのCMの時にやりました。

 20歳の時に偶然に図書館で見つけた導引術の本に載っていた呼吸法と潰瘍を治す簡単な運動を始め、1か月かからずに驚くほど改善しました。

 ずっと通い続けた虎ノ門病院での定期的なレントゲン検査で、潰瘍が治っている(傷が塞がっている)ことが分かり、ようやく長い闘病生活は終わりましたが、それ以降も、無理をすると再発するので、気を付けて、自分のペースで(他者とは競わない)運動を続け、

 驚くことに、40代のとき、かみさんの従弟で、合気道日本一になった20代の自衛官と相撲(四つに組んでの押し相撲)して勝ってしまいました。2戦して2勝。競うから身体が強くなるのではなく、自分でスポーツ医学やトレーニング科学の本を読み、基本に忠実にマイペースで行うことが何より大切なことが実証されたわけです。それ以降、ずっと相撲無敗伝説!を続けています(笑)。あと半年で70歳なので、もう無理でしょうが。

 それを子どもたちに分かるように写真で説明したのが、以下のA4のコラボです。いま弱い子も(身体も学習も)諦めずに続けることが大切です。他者と比較せずに、繰り返しが何よりです。

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不思議なほど強くなる競争しない運動法ーー生れながらに弱かったわたしの逆転はいかにして。

2018-08-22 | 私の信条

 いや~~~、なんともスサマジイほどの暑さ、熱い!
 きょうは、水曜日でおやすみなので、だるさを吹き飛ばすために(笑)、
手賀沼遊歩道から高野山(こうのやま)の桃山公園で、強烈な太陽パワー!を浴びました、アーシングしながら柔軟&筋トレです。


 頭は帽子ごとビショビショにして、12時から1時40分まで。途中で再度、水を浴びしながら。地面も乾き切っているので、アーシング(自由電子を身体に流す)にはなりませんので、水場にあったバケツで地面を濡らして、です。

 

 わたしは、今(66歳)では、無敵のタケセン!とか、押し相撲無敗神話(笑)で、高校生や大学生は、運動部のキャプテンでもわたしにかないませんが、幼少時は、虚弱でした。

 2才でヘルニアの手術をし、幼稚園児のときは肝臓病で40日間寝たきり状態になりました。足も弱く、少し余分に歩くといつも足が痛くて眠れなくなり、父にずっとさすってもらっていました。小学5年生、6年生の時は、胃潰瘍で苦しみましたし、よくなったかな、と思ったら、中学1年生から十二指腸潰瘍になり20歳まで治りませんでした。言葉にならない苦しさで、長時間の勉強も運動もできませんでしたので、チョコチョコ自分のペースでやりました。

 鴎外図書館で、偶然出あった「導引術入門」という本と、競争せずに自分のペースで少しづつ鍛えたおかげで、20歳の時に長かった虎ノ門病院通いに終止符がうたれたのでした。その後もわたしは、誰とも競わずに、自分にフィットするやり方で、自分流の運動を続けてきました。勝ち負けとは関係なく、競技などには目もくれず、が、わたしの運動人生ですので、とても充実で楽しい~!

 50歳くらいの時に、妻の従弟で大学4年の時に合気道日本一となり自衛隊に入った若者と相撲をして、2度ともわたしが勝ちましたので、勝負とは無縁のわたしの運動方法は、なかなかに優れているようです(笑)

 競技ではなく、自分のペースで、自分が楽しく気分がよくなるように運動するのが何よりです。博打じゃあるまいし、勝った!負けた!で変な頑張りを続けると、身体はボロボロになります。そういう人が続出しています。なんとも愚かです。


写真は、いま、です。


武田康弘

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わたしの考える六方拝 

2018-03-23 | 私の信条

わたしの考える六方拝 
(感謝の祈りを捧げることは、よく生きるための普遍的な営みと思います

すべては縁により起こるので、感謝するのは、気持ちがよいことです。心のありようですから、作法などはありません。

 
父母や祖父母にー過去   
子と孫とその母に ー未来  

教えを受けた人や先生に  
友人や教え子とその父母に 

雲と青空と太陽に     
海と大地に        


写真はいま、屋上から。

武田康弘

 

 

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人間は、精神こそすべて、でしょう。

2018-01-23 | 私の信条


人間は、精神こそすべて、でしょう。

しかし、その精神とは、戦前の日本でいわれた「ニッポン精神」でもなければ「大和魂」でもありません。
お国ために、とか、天皇陛下万歳という「国家宗教」の精神とは無縁の精神です。

「私の精神」であり、「一人の人間としての良心」です。国家主義とか日本主義というイデオロギーではありません。

伸び伸びと自由で、しなやかで、強い心身を生む精神です。
柔らかく、囚われがなく、飛翔する精神です。
私から始まる民主的で開かれた精神です。
奴隷根性とは無縁の自立する精神です。
安易さのない不退転の精神です。
他者承認に怯えない精神です。
豊かな悦びを生む精神です。

そういう心身を生むのが、ほんものの精神ではないでしょうか。
そういう意味で、人間は、精神こそすべてなのです。


武田康弘



 

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わたしの好きな四字熟語、 どおりで「一般的日本人」が苦手なわけだ(笑)

2017-08-17 | 私の信条

わたしの好きな四字熟語を並べて見ると、

試行錯誤(手当たり次第にやってみる~~)

創意工夫(新しい考えや方法を生みだすぞ~)

臨機応変(成り行きに応じて、自由によい対応を!)

当意即妙(時と場合に応じ、上手に、機転をきかせて!)

それに変幻自在も(笑)自由に現れ、形を変えるのだーー

 

わたしは、型ハマリの人、つまらない顔の人、集団人、四角四面の人が好きではありません。「皇室が偉い」?に代表される権威主義者や差別心をもった人は、とくに嫌いです。

のびのび自由な人、囚われの少ない人、人間味豊かで、柔らかく広がる人、心の底からの態度がとれる人、艶のある楽しく面白い人が好きです。

みなさんはどうですか?

 

武田康弘

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自分だけにお金を使う人では、安倍国体主義に負けます。「ケチ」は、公共的なよいを生みません。

2017-04-15 | 私の信条

「自分(&家族)のことだけにしか頭と労力とお金を使わない人では、安倍イズム(国体思想)に全部やられます。ケチでセコイ人では、公共善はつくれないのです。」との一行を昨日、fbに書きましたが、

国家主義的な考えを批判する側の人は、言葉はカッコよく「正しい」ことを言いますが、自分のお金を出したがらない人が多いように思えます。ケチで、もらうことばかり~~~(笑)。

身銭を切るということなく、言葉だけが民主主義ではおかしいですよね。「皆」と、民主を言いながら、お金は自分だけに抱え込むのでは、ひどい矛盾です。

自分が想い・考えるよいこと、公共的な広がりをつくること、優れた考えや生き方を広めるために「自分のお金を使う」という開かれた心がなければ、公共はつくれません。

もちろん、お金がない人や生活保護を受けている人は出せませんが、かなりの年収があるのに出さない、身銭が切れないのは、その精神に問題があります。

そういう生き方をしていると、「上からの道徳律の押しつけ」を批判しても説得力をもちません。お金の使い道、というその人の本音が赤裸々になる領域で、社会や公共に開かれた自己をもたず、自分と自分の家族だけに閉じている人の言葉は宙に浮き、白々しいだけです。そういう人が改革運動をしても、誰も未来に明るい希望を感じません。したがって必ず負けます。

社会人=公共人としての自由と責任を感じている人は、お金がないときでも出します。出し過ぎて困るほど、は行き過ぎですが(反省)

それは、自己犠牲では全くなく、自己を公共に広げる喜びです。私の得でもあるのです。


武田康弘

 

 



 

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お年寄りに、若者にも。歩き方の工夫が大切です。  面白く、楽しく、いろいろね~~

2017-01-15 | 私の信条

転ばないようにしよう、という歩き方は、ダメですね~~

転びますよ(笑)

少しでよいからリズミカルに。

楽しくなるような工夫をして歩くのです。

歩くことが、即 運動になるような歩き方、

たとえば、つま先に重心をかけて歩いてみる、

次は、大股で早く歩いてみる、

次は、小走りにしてみる、

などなどなど。

同じペースで淡々と、ではなく、歩き片を変えて歩くのです。

歩き方のバリエーションを増やすとよい運動になります。

わたしは、階段はいつも2段上がり、時に3段上がり~~、時に一段づつで小走り、時に超スピードで~~ いろいろ。

たまには、わざと転ぶ(ただし、雑草が生えた土の上)。

歩くことを快感に、かつ、運動能力の向上に~~~~というわけです。

それに、頭を使うので、フィロソフィーにも大いにプラス(笑・ホントウ)

 

武田康弘






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 自分と自分の家族にばかり、それは最も愚かな人生

2015-09-26 | 私の信条

 意識がいつも自分に向かっている人は、不幸です。
自分に向かっていると、憧れの世界・善美の世界に向かいません。
 自分と自分の家族中心の人生には出口がありません。
他者のよろこびをめがける心に乏しいと、自他の楽しさが広がらないからです。

 自我の鎧のために、芯からの笑顔がなく、
自然態の柔らかさがなく、
他者をよろこばせたいというサービス精神がない。
 皆へという広がりがなく、自分と自分の家族のことばかりで、他者への配慮と善美への希求がない。

 自己をしっかり愛せない人は、そういう世界から抜けられません。
自己愛がないために、狭い自己に集中してしまい、他者愛に向かわないのです。
 自分と家族しか見えないのでは、悦びの乏しい人生しか得られません。
他者へ向かう心、他者を愛する心、他者の役に立ちたいと願う心が大切です。

 人間存在とは相互性なので、他者のよろこびをめがける「私」の意識が自らのよろこびや得も大きくします。

 子育て・教育で一番大事なのは、心身全体による愛でこどもを包むことです。それにより、こどもは深く自分の存在を肯定でき、自分を愛する心が育ちます。
豊かで安定した自己愛は、自己への固執を超えさせます。
 自分の意識は、みなへ、と向かうことで、きれいに燃えます。
意識が自分ばかリに向かうと、不完全燃焼を起こし有毒なガスを放出してしまうのです。

 


(クリックで拡大)
8月式根島サンバレーで。


武田康弘

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いまから国会前に! 皆様も ぜひ参加を。大勢集まれば変えられます。2時からです。追伸-写真速報!

2015-08-30 | 私の信条

いまから国会前に行きます。

10万人を目標にした集会ですので、ぜひ、読者のみなさまもご参加を!!

数は力です。

わたしも公共的良識人の大事な行為に加わろうと思います。

よいことを行うのは、楽しく充実です。

では。


写真は7月15日
クリックで拡大

武田康弘

追伸
集会から帰り、写真速報をFBに出しましたので、クリックしてください。


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戦地に赴く人間は、悪人です。倫理に反する人間です。

2015-07-19 | 私の信条

イラクやアフガンの空爆での死者、アメリカ軍の死者など問題にならぬ数。

アメリカ人を助けなくていいのか???

は~~~~、安倍クンは底抜けのバカか。そう、イカレているのですね。

アメリカ人が他国人を戦争で殺した数は、恐ろしいほどの数。

それが、アメリカ人が少し殺されれば大騒ぎ。ただの間抜け。

殺し殺されるな戦争に参加する権利などないのが正しいのです。

これは、議論の余地ない話、誰も反論できません。

戦地に赴けという政府の命令には従わない人こそ、まっとうな人間であり、正しい人生を歩む人です。

戦争を命じる政府に従う者は悪人であり、倫理に反する人間です。

もちろん、それを命じる首相らは反倫理の代表であり、極悪です。

わたしは、真理を述べているのです。

反論できる者がいるなら書きこみなさい。

武田康弘 写真は7月15日、国家前

もし、海外派兵となれば、行くのは、自民党と公明党の支持者だけです。当然の話ですが。

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勝負好きな人ではなく、他者との比較とは遠い人、としてわたしは生きる。

2014-12-19 | 私の信条

 

勝負の面白さも分かります。

独特の緊張感も分かります。

 

でも、わたしは、内的な充実、深い納得、内から湧き出る悦びの世界にはるかに大きな価値を感じます。

 

勝負にたずさわる人や、勝負好きの人は、「勝負の人生」の充実があるでしょう。分かりますし、それはそれでよいでしょう。

 

けれど、わたしは、わたしの内から立ち昇る意味充実の日々を送ります。

静かに広がる楽しみの世界を生き、それを生徒や友人たちに伝える生き方をします。

 

外的な刺激を求めるのではなく、深みのある豊かで暖かな人生を送ります。

芸能とスポーツ勝負ばかりを派手に伝えるマスコミ人は、とても偏った人生観をもっている、わたしはそう思います。

 

 

 

 

「私」の沈思=精神の充実に応える世界は、何より人間味に溢れた優れた演奏による音楽です。コマーシャリズムや権威主義(N響がその象徴)とはまったく無縁の音楽です。エロース溢れる豊かな音楽に言葉はいりません。お喋り人よ、黙れ! 小賢しい批評家よ、黙れ!です。

 

まあ、音楽の世界も現代ではコンクール主義で、勝ち負けの人が大勢入り込んではいますが、そんなものとは無縁の「ほんもの」を味わえばよい、わけです。「有名人」を追いかけるのでは、勝ち負け世界の住人とまったく同じです。

 

いま、レナード・バーンスタインが指揮するマーラー3番の終楽章が終わりました。全身に鳥肌が立っています。なんという愛の歌か!この世には、これほどまでに美しい音楽ー言葉にならぬ深い感動があります。


 

 

 

(注)本題とはズレますが、写真のバーンスタインのマーラー交響曲全種(たぶんはじめてのマーラー全集だった)は、分かりよく若々しい演奏ですが、必ずしも最高水準の演奏とは言えません。
クレンペラー盤の形而上的深さの音楽を知っている方が聞けば、、軽いな、とか、アメリカの限界、とかと思われるでしょうし、その後に出たよい演奏の前には色あせてしまっているものもあります。
総じて感情が先走っている、と言えます。ただ、3番の終楽章の「愛」は、バーンスタインにピッタリ合っているのです。感動美!

 

 

武田康弘

 

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冷たいヒステリー=日本ナショナリズムでは、いつまでも不幸です。

2014-07-20 | 私の信条

 カッカとする熱いヒステリーは、生のエネルギーの爆発で、生きるパワーをもたらしもしますから、悪いとばかりは言えませんが、

 ネットウヨクや彼らと同質の安倍政権のような、一方的な理屈や事実を羅列して自己を正当化・絶対化する「冷たいヒステリー」は、一人ひとりの人間のよろこびを奪い、イキイキとした個人を抑圧します。シニカルな現実主義を生み、人間が「私」として生きる意味を根こそぎ奪ってしまいます。「私」から立ち昇る善美は消え、国家や団体など集団の価値が優先する個人消去システムが出来上がります。

「人間を幸福にしない日本というシステム」の完成です。

「私」から始まる人生はなく、

「私」を活かす道はなく、

「私」の内からの輝きはなく、

「私」固有の生の意味はなく、

「私」は、組織の駒の一つに数えられる。

 
 冷たいヒステリーの生みだすもの、シニカルな現実主義の生みだすものは、人間性のよろこびを根こそぎにする悪霊です。

 安倍政権が進める戦後民主主義の否定は、「私」=個人を消去する陰謀と一つで、徳も得も失わせる根源悪というほかありません。

 冷たいヒステリーは、すべてのよきものを奪います。



 

 武田康弘

 

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誰かがではなく、自分がやる、おかしいと思ったら発言する、 内から輝く個人へ。

2014-05-28 | 私の信条

誰かがではなく、自分がやる、
おかしいと思ったら発言する、

自分の頭でよく考え、
よいと思うことをしっかり実行する、

自分の自由と責任により、「私」を生きる、
「私」から始め、「私」を活かす。

こういう何よりも大切な「実存としての生」を歩めない人であっては、人として生きる意味がありません。

 
道徳とは、まず何よりも「私」を生きること。それがなければ、すべてはウソ=偽善に過ぎません。
わが国の道徳が胡散臭いのは、実存の真実がないからですが、偽善者を「大人」になったと言ってしまうような「文化」を変えなければ、永久に不幸です。


内からの輝きをもつ個人がいない!外なる価値を体現した「外面人間」ばかりがマスコミを賑わす。とくに昨今の政治権力者の顔の醜さと幼稚さは空恐ろしくなるほど。


武田康弘

 

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心身の内から発し、心身の全体で生きよ!

2014-03-27 | 私の信条

情報知によるのではなく、自身の内から湧き上がる声を聴きつつ生きよ!
外面的な活動ではなく、内的世界の横溢こそ目がけよ!
心身の内から発し、心身の全体で生きよ!

わたしの信条です。

 

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批判なくして前進なし。変革なくして充実なし。

2013-12-30 | 私の信条

批判なくして前進なし。

変革なくして充実なし。

 

批判的精神がなければ、新たな秩序をつくることはできませんし、

状況を変革する愛と勇気がなければ、豊かな世界への扉は開かず、生の充実はありません。

 

武田康弘

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