元首相で次期首相でもある安倍氏のもつ復古的イデオロギーは極めて危険なものです。彼は、哲学する(本質に向けて思考する)という営みとは対極のイデオロギー先行型の人間ですので、ある意味で典型的な日本人とも言えます。そのため、安倍氏の言動の本質的な欠陥を明晰化することは、わが日本人のよき前進に資するという大きな意味があると思います。シリーズ【安倍首相の稚拙で危険な思想】を始めます。
まず、第一回目は、安倍首相(当時)の国会での党首討論(2007年5月16日)を批判したわたしの書簡です。
これは、金泰昌(キムテチャン)氏とわたし武田康弘との「哲学往復書簡30回」の第3書簡で、『ともに公共哲学する』(東京大学出版会刊・2008年8月初版)の90ページから94ページの部分です。
2007年5月16日 武田康弘
『なぜ日本では「私」が肯定されないのか?へのお応え』
観想に過ぎない受動性の哲学ではなく、当事者としての能動性の哲学を、優れた「異邦人」であるキムさんと共に行うことに、私は深いよろこびを覚えます。「裸の個人」同士としての自由対話を存分に「楽しみ」たいと思います。
まず、【「私」は、なぜ否定されなければならなかったのか。「私」を肯定すると何がまずいのか。】というキムさんのご質問に応答致します。
この問題は、31年前、わたしが日本において新しい教育の必要を痛感して、独力で「塾」を開いた理由と重なります。
自分の頭を悩ませて考えること、「私」に深い納得が来るように知ること、という意味論としての学習ではなく、パターンを身につけるだけの「事実学」が支配する日本の教育は、最も反・哲学的であり、効率だけを追う教育は、人間を昆虫化させてしまう、と当時から私は考えていました。日本においては、上位者に従い、主観性を消去すること=「私」の否定、徹底した否定が「優秀者」を生む、というわけですが、人間が人間をやめない限り、ほんとうに「私」を否定することはできませんから、必ずおぞましい自他への攻撃か自閉に陥ります。個人性を豊かに開花させる哲学が育っていないために、人間愛・関係性のよろこびを広げられない情緒オンチの形式人間が増え、それが幸福を奪います。
いま(5月16日)国会での党首討論を見ていましたが、安倍首相は、声を張り上げて、「金や物の価値だけになった現状を変えていくために、家族・地域・国を愛する態度を養うという目標を持った教育を行う必要がある。そのために『教育基本法』を制定したが、これは戦後レジームからの脱却を意味する」と述べていました。
これは、「私」(実存)からの出発という哲学原理の否定ですが、家族・地域・国を先立てるイデオロギーによって背後に隠されてしまった自我は、深いエゴイズムに陥ります。「私」の欲望をよく見つめることで「私」を活かそうとする努力のみが自我主義からの脱却を可能にするのですが、「私」を越えた概念をつくり、それに従わせるという思想は、自我の不完全燃焼を起こし、自他に有害な言動を生みます。個人の頭と心の自立・主観性の深まりと広がりを育てる教育がなければ、上意下達のエリート支配に行き着くしかありません。ついでに言えば、「家族・地域・国を」と言い、「私」と「世界」が抜け落ちているのは、致命的な欠陥です。
この底なしの不幸から脱却するためには、「私」を深く肯定できる哲学による新たな教育が必要であり、そのための思想の創造と教育の実践に一生を賭けよう!子どもたちと共によろこびの多い人生を切り開こう!大きな困難が伴うことは端(はな)から承知だが、それこそが私が生きるに値する仕事だ、そう思って、独自の「塾」を始めたのが31年前のことです。それが発展して、いまは小学1年生から大学生、さらに成人者の「白樺フィロソフイー」には76才の方までが通う『白樺教育館』になったわけです。
では、いよいよ「私」は、なぜ否定されねばならなかったのか?についてですが、
わたしは、戦国時代末期以降の「封建制社会」における「上位者へ従うことがよく生きること」という道徳、及び島国・鎖国による閉じた世界が生んだ「様式主義の型の文化」の上に、明治の富国強兵のために西洋から「客観学」として輸入された学問体系が乗ることで、「私」の私性は、その根付く場所を失ってしまったのだと考えています。
西洋の学問体系の土台といなっているのはいうまでもなく哲学ですが、思想や哲学においては、いわゆる「正解」は無く、あるのは、有用で・豊かで・魅力ある「考え方」だ、という原理が知られずに、「真理として輸入された哲学」を東京大学の権威と共に学ぶ・暗記するという「官学=権威学」に陥ってしまったのです。人々の生活世界の問題を改善し、生を豊かにするための学問(その中心は哲学)は、反転して人々を管理し、権威に従わせるための道具にまで成り下がってしまった、といわけです。ひとりひとりの主観を豊かに育む「主観性の知」としての哲学までもが「客観学」化され、現代に至っています。
もちろん、中江兆民や植木枝盛など本来の知のありように忠実な優れた先達も数多くいて、彼らは「自由民権運動」を起こしましたが、明治の超保守主義者で「天皇教」による国家運営を行った山県有朋らによって徹底的に弾圧され、なきものにされました。明治政府は、1890年代(明治半ば)以降は、「国民教化」という名で、天皇現人神(てんのうあらひとがみ)の思想を「天皇史としての日本史」と共に小学生に教え込み、同時に、古来の「神道」の内容を大きく変え、新宗教―「神道の国家化」も完成させました。その総本山が『靖国神社』(明治2年に天皇のために斃れた人を祀る『東京招魂社』として政府がつくった施設を10年後に「神社」と改称)です。この明治の近代天皇制という「集団同調主義」に対する哲学次元における明晰な批判がなされてこなかったために、第二次世界大戦後の日本もなお、哲学の原理である「私」という実存からの出発=主観性を掘り進める営みがなく、歪んだ客観学である受験知に支配されてしまうのだと考えています。
詳しく論じればきりがありませんが、結論を言えば、国家の宗教的な最高権威者に天皇を据え、かつこれを主権者にした全体主義的な体制にとって、市民がそれぞれの感じ思うところにつき、考えをつくり述べるということは、極めて都合の悪いことであるがゆえに、「主観」とは悪であるかのような想念を学校教育によって徹底させた、ということでしょう。そのために従来の「様式主義の型の文化」の上に、新たに輸入した西洋学問の大元である哲学を「客観学」化させて結合し、ほんらい主観性の知である哲学からその魂を奪った、それが意匠を変えながら生き続けている、私はそう見ています。
「私」を肯定すると何がまずいのか? についても、以上の考察でご理解頂けるのではないでしょうか。答えの決まっている勉強・学問だけがあり、ひとりひとりの主観性を豊かに育て鍛える教育がない国においては、集団同調による同一の価値観が支配してしまいます。右派左派を問わず、「私」という主観を肯定し、そこから始めることは、予め定めた方針でものごとを進めるのにマイナスになると考えるのです。「違い」があるから考えは強く大きくなり、多彩な世界が開けるのだ、という自由対話に基づく思想の広がりと、それによる物事の決定という実体験がない世界で生きれば、「違い」=異論・反論とは非生産的なものであり、秩序を壊す悪いものとしか感じらません。「私」とは排除すべきもの、和を乱すものとなってしまいます。
相手の揚げ足取りと自我拡張の論争しか知らず、対話する愉悦や生産的討論の有用さを知らなければ、人間愛―関係性を広げ深めることのよろこびとは無縁な場所で生きる他なくなります。異があるから面白い、異があるから始めて和が生じるということは、「私」という中心をしっかりもった立体の世界を生きなければ分からないはずです。赤裸々な「私」から始めなければ、全ては砂上の楼閣だ、私はキムさんと共にそう考えています。
以上がお応えですが、いかがでしょうか?
武田康弘