思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

ほんとうに頭の悪い文部官僚と大臣 「民知―恋知」とは?

2005-08-31 | 恋知(哲学)

ゆとり教育。学力低下。ゆとり見直し。
毎度毎度の本質思考力のないドタバタ劇、その場その場で右往左往、このくらい「愚か」だと笑えていいですね? いや笑ってはいられません。教育(広義のですが)とは人間の最も価値ある営みなのですから。
教育の本質とは何か?何も分からない文部科学省の役人と大臣は、東京大学出身者です。
私の言う「東大病」とは、もちろん東大一校の欠陥を指すのではなく、「受験知」という歪んだ知を象徴する言葉ですが、彼らの「本質的思考力」のなさは、そのとてもいい見本です。
もし、文部科学省の関係者がこのブログを見ていて異論・反論がある場合は、ご遠慮なくお申し出下さい。わたしは、いつでもどこででも「対話」・「「議論」に応じます。


以下に「民知」-「恋知」とは? (「柏市民新聞」からの依頼原稿)を載せます。
9月19日に白樺教育館ホームにアップしました。活字が大きく、写真入りですので、見やすいです。クリックすれば、そちらに飛びます。 

 資格のための知、テストゲームの知、公理・公式に当てはめる紋切り型の知、概念だけの知、・・・では「知」は、その意味と価値を大きく減じてしまいます。「パターン」にしか過ぎない知は、人間の幸福をつくりません。型はまりのマシーンのような存在ではなく、豊かな情感に基づく悦びの人生は、意味に満ちた知、深い納得、腑に落ちる知に支えられて始めて可能になるはずです。

 「白樺」の思想家、柳宗悦と作陶家の濱田庄司、河井寛次郎は、「美」の世界を生活の「用」に耐える豊かな美しさを持つものとするために、1925年から「民芸運動」を始めましたが、「民知」という私の「造語」は、この「民芸」という言葉(概念)を一般化し普遍化したものです。腑に落ちる知―皆にとって真に有用な生きた知のことを指しますが、それは、日本では西周(にしあまね)により無粋な訳が与えられてしまった『哲学』 =philein(恋する)+sophia(知)=したがって本来は『恋知』と訳されるべき言葉(概念)と重なる「知」のことです。一神教であるキリスト教誕生後の「ヨーロッパ哲学」ではなく、それ以前のギリシャのソクラテスが提起した『恋知』と近親性をもつ言葉です。

 私は『白樺教育館』で小学1年生から大学生までの勉強を見ていますが、みな最初は、「広がる心と考える頭」が驚くほど貧困です。いわゆる「優秀」な学生ほど知のパッチワークを得意とし、日々の経験―五感全体での確かめをもとに「自分の頭で考える力」がありません。意味としてつかむのではなく、事実の羅列とパターン認識しかなく、観察眼と思索力がないのです。「学力低下」などという次元の話ではありません。「知」がひどく歪んでいる「大問題」なのです。

 知の教育は、広い意味での本来の「哲学」を土台にしなければ成り立ちません。単なる技術的な知の訓練では、人間としての生は支えられないのです。発展途上の社会では、窮迫した生活の問題に隠されて「生きる意味」への問いが後景に退きますが、市民社会が成熟してくれば、広義の哲学=「民知」なしには「知」は意味を失います。早急に「民知」=「意味の探求による納得の知」の実践に取り組まないと、生きる悦びが得られずに、ほんとうに日本は沈没してしまうでしょう。

2005.8.24 武田康弘 (白樺教育館館長・白樺文学館初代館長)



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小泉首相とは「部分合理=全体非合理」「 表層純潔=深層欺瞞」の象徴です。

2005-08-30 | 社会思想

この下のブログの「まとめ」です。

小泉首相のようなストイックな純粋さは、政治においては極めて危険です。個人的「思い込み」を絶対化する政治になるからです。
社会問題への対応や政治においては、「思想内容」こそが問題であり、「人間的な純粋さ」で良否を判断してはいけないのです。政治でもっとも恐ろしいこと、それはストイックな精神です。

小泉首相の内容の乏しい「貧弱な思想」-ワン・フレーズ、問題のすり替え、 「部分合理性」の貫徹によって「全体不合理」を招来してしまう思考=手法=性癖は、ある意味で大変日本人的です。 「表層純潔=深層欺瞞」の象徴ですが、これほど危険なことはありません

それにしてもわが日本人は、権力者の行う大きな「悪」には不感症で、本質ではない小さな問題には敏感に反応するのでしょう。国民みんなが神経症? 

8月30日 武田康弘



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危険な「自民党」の顔―愛国主義(国体思想)は国を滅ぼします。(メール公開)

2005-08-28 | メール・往復書簡

(以下は、法案・法文作成を業とするAさんとのメールでの「対話」ー「議論」です。)

武田様

「小泉純一郎とは「独我論者」にすぎません。あなたも騙されていませんか?」ちょっと粗雑すぎるのではないか、東大病の話が台無しになってしまうと、心配しております。

特に以下の点です。

郵政民営化法案は、郵政官僚の大反対を押し切って提出した法案で、「官僚がシナリオを書き、主導する政治改革」ではありません。総務省の局長の更迭までしているのです。

郵政民営化法案は全野党が反対ですから、参議院での法案否決が「自民党内の内紛にしかすぎない」というのは、明らかな誤りです。

参議院で法案否決、内閣総辞職でなく衆議院解散を批判されていますが、内閣の重要政策について国民に直接判断を求めることが、「暴挙」、「ハレンチとしか評しようのない行為」というのは、なぜでしょうか。とくに郵政民営化については、民主党はもともとは賛成であり、それが意味不明の理由で反対、法案否決となったため、国民の判断を仰ぐというのは、筋が通っています。最近、民主党は、2年間は公社のまま、その後は民営化を含めて検討、などと言っていますが、この問題に関する限り、国民を騙しているのは民主党の方ではないかと思います。

詳しくお話した方が良いかもしれませんね。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

A様。
ご意見、感謝です。
以下に私の考えを述べます。

郵政の改革、合理化には民主党も含め「賛成派」が多数です。
ただ、小泉首相がすすめる「小泉郵政民営化」に反対しているだけです。
にも関わらず、民営化・改革一般の問題にずらせて他者・他党批判をするのは、戦前にもよく見られた日本人の典型的なヒステリー行動自己感情という深層意識で予め決定している結論に冷静を装った論理をつくるという本質次元での誤魔化し=ゆゆしき問題です。

参議院での否決を受けて衆議院を解散!?というのは「狂気」か「病気」でしかありません。このような無謀な権力行使には、全国民(右派も左派も)で反対していかなければ民主政治は危機に陥ります。安定多数の議席をもつ自民党総裁が率いる内閣が出した法案が否決されたなら「内閣総辞職」しか道はありません。それを衆議院を解散するとは!これが暴挙でないなら何が暴挙なのでしょうか?

小泉首相の手法と、日本官僚主義の手法とは、その本質が同じです。人から見えるところでアリバイ的に「改革」し「人も切る」わけですが、「考え方ーやり方ー無意識的領域を含む意識の全体」は、 「一般的・普遍的思想」をもたず、一度決めた「個別の想念」を絶対化する深層ヒステリーというわけです。この「部分合理性」の追求しか知らない頭脳を「東大病」と呼びます。言葉がそれ自体自立し、内容が後景に退けば、生生しいほんものの改革なしに、改革が成就したように見えるーこの表層言語による誤魔化しこそが「日本官僚制」であり「東大病」なのです。

山県有朋がつくった「官僚制」の本質とは、「部分」の追求は真剣・マジメ・ていねい・合理的、しかし、大きく人間の生を捉え、幸福のための条件をつくることには全く不向き=「全体」は著しく不合理というシステム=思想です。人間の生のエロースが分からないのです。

細部や部分に目を奪われていると「全体」が見えなくまります。日本の知のありようは、部分合理性の追求でしかありませんから、学校秀才やマジメな人ほど「部分としての優秀さや個人としてのよき態度」に惑わされて全体の意味・事態が見えなくなります。ともあれ、異論・反論がでるから思想は明晰になり、進歩します。
「批判文」をどうもありがとうございました。

武田
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

武田様
>
> 郵政の改革、合理化には民主党も含め「賛成派」が多数です。
> ただ、小泉首相がすすめる「小泉郵政民営化」に反対しているだけです(武田)。

反対の内容が問題です。
国会審議を見る限り、反対のための反対でしかありませんでした。
どのような内容の改革、合理化なら、賛成するかという意見は、審議では全然出ていないのです。
郵政の改革、合理化には民主党も含め賛成派が多数であるなら、その方向での議論があったはずですが、現実はそうではありませんでした。

>
> 参議院での否決を受けて衆議院を解散!?というのは「狂気」か「病気」でしかありません。このような無謀な権力行使には、全国民(右派も左派も)で反対していかなければ民主政治は危機に陥ります。安定多数の議席をもつ自民党総裁が率いる内閣が出した法案が否決されたなら「内閣総辞職」しか道はありません。それを衆議院を解散するとは!これが暴挙でないなら何が暴挙なのでしょうか?(武田)

参議院で法案が否決されたら、常に内閣は総辞職しなければならないということですか?
問題は、参議院で法案否決の場合、国民の意思を問うために参議院の解散ができないところにあると思います。その場合、国民の意思を問うために衆議院を解散するのは、「狂気」「病気」なのでしょうか。
また、今回、仮に衆議院に法案が回付、再審議され、3分の2以上がとれずに否決となった場合、それで衆議院を解散するというのは、どうでしょう?
さらに、安定多数の議席かどうかと、法案否決で内閣が総辞職すべきかどうかとは、直接の関係はないのではないでしょうか?

>
> 細部や部分に目を奪われていると「全体」が見えなくまります。日本の知のありようは、部分合理性の追求でしかありませんから、学校秀才やマジメな人ほど「部分としての優秀さや個人としてのよき態度」に惑わされて全体の意味・事態が見えなくなります。ともあれ、異論・反論がでるから思想は明晰になり、進歩します。
> 「批判文」をどうもありがとうございました(武田)。

武田先生の考えをHPを見ている人々に広く理解してもらうためには、もう少し抑えた表現で丁寧な説明が必要なのではないか、と思います。
ついでですが、私は、郵政民営化問題については、民主党は本当にどうしようもないが、国際問題、外交問題等、まさに国益と国民生活に直結する重大問題を考えれば、自民党、特に小泉自民党にはやってもらいたくないと考えています。言うまでもなく、武田先生との出会いの結果です。こういう人間が一人でも増えてほしいと願っているだけです。

では、また。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――

A様

そうですね。
アメリカへの極端な同調の言動(そのために日本はテロの標的にされる危険性が出てきました)にしろ、独断でのイラクへの自衛隊派兵(国会承認なし)にしろ、靖国への個人的信条による参拝(国益をおおいに損ねています)にしろ、『個人的な思い』が先行する小泉首相は、公人としては大変困った存在です。
「郵政」問題にしてもしかりです。
初恋の人であるゆえに?まだ「国民的合意=納得」がつくられていないにも関わらず、強引に通そうとしています。合意ができるまで案を練りつつ待つのが「民主政治」のはずです。

「今回、仮に衆議院に法案が回付、再審議され、3分の2以上がとれずに否決となった場合、それで衆議院を解散するというのは、どうでしょう?」(A)

よいと思います。3分の2の賛成を得るために衆院選挙をする、というのであれば「正しい」解散です。
また、私は「法案」が通らなかった場合常に「総辞職」せよと主張しているのではありません。

主張仕方には工夫しますが、小泉首相が「危ない」政治家であることは確信をもっていえます。安部元幹事長ともども日本を右傾化させ、(ネオ)[国体思想]を復活させる(すでに相当に成果を上げています)尖兵です。表面がスマートなだけに大変危険だと思っています。すでに日本人は「戦前の日本」に違和感を感じにくくなっています。ナショナリズムが浸透し、市民精神の育成は大きく後退しています。お互いに協力し合って、この困った事態の打開に向かいましょう!共に!

メール、ありがとうございました。
武田
――――――――――――――――――――――――――――――――――――

武田様

すべて了解です。
ありがとうございました。





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わたしが好きな三つのこと + 日本人の「顔」

2005-08-26 | 私の信条

それは、

?明快で美しいこと

?品位の高いこと

?親しみがあり、遊び心があること

です。

健全な強さと豊かな大きさもち、上質な世界を目がける精神です。

世俗の権威には従わず、自己の内面の心につく精神です。



最悪なもの、

それは権力に迎合し、権威や金力に頭を下げる「男めかけ」や「媚を売る女」です。
私は、「寝返り女」や「裏切り男」は大嫌いです。自他を堕落させます。
テレビに出てくるいやらしく・おぞましい顔の男女は「公害」ですー顔は顕現する!
現代日本で「有名人」や「エリート」と呼ばれる人々の多くは、ほんとうに醜くいやな顔をしています。 「顔」をご覧下さい(クリック)。


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小泉純一郎とは「独我論者」にすぎません。あなたも騙されていませんか?

2005-08-25 | 社会思想

しっかりとした本質論をもたず、人々の「情緒」にのみ訴える政治家とは、自分の「個人的な思い」を「権力」を使って実現しようとする危険な「独我論者」でしかありません。

日本社会の最大の「がん」は、官僚機構=東大法学部出身のキャリアが行政の中心を占め、実質的に社会を支配するという「官僚独裁制」にあります。求められているのは、人々が選挙で選ぶ政治家を猿回しのサルにしてしまう構造=明治政府の山県有朋が中心になってつくったシステムを変革することですが、小泉純一郎の行為は、その「官僚」がシナリオを書き、主導する政治改革!?に血道を上げるという「お粗末」でしかありません。

目玉政策をつくり、人気のある有名タレントを何人か「審議委員」に入れ、郵政公社に集中攻撃を加えることで、総体としての官僚機構はそのまま温存するというのでは、改革どころか、目くらましによる「現状維持」でしかないのです。

本質的な問題には一切答えないという「主義」をもつこの男は、自分の「個人的な信念」を通すために政治を行っているにすぎません。国政の最大の問題は外交ですが、国益を省みず個人の思いで「靖国参拝」を繰り返す愚は、とても「まとも」とは思えません。政治を完全に「私物化」していますが、それを見せないように「幻惑のパフォーマンス」を繰り返しています。人のよいわが日本人は、すっかり騙されてこの独我論者の思うままです。一部の欧米系メディアまでマンマと騙されています。

「人のよい、お姉さんを慕う、離婚経験のある、ちょっと変わった独身おじさん」。個人的なレヴェルで付き合うには「よい」人でも、公人=政治という公の世界で生きる人間としては失格者、当然踏まえるべき原則さえ平然と無視する大変に「危険」な人物―それが日本の首相=小泉純一郎です。こういう人をいつまでも政治家にしておいてはいけません。日本社会のために、また本人自身のためにも、一刻も早く「ただの独身のおじさん」に戻って、個人として楽しく生きてもらうことが必要です。

結局、自分の身の丈=実力以上のことをやろうとすれば、人の心を煽り、論点をずらす「サギ」まがいの言説を連発するしかないのです。その内容の乏しい幼稚な思想=ワン・フレーズを、思い入れたっぷりと「演じて」見せることで、独我論を正当化する小泉純一郎は、自民党内の内紛にしかすぎない郵政法案否決の事態を受けて、内閣総辞職をするのではなく、衆議院を解散するという「暴挙」に打って出たのです。このハレンチとしか評しようのない行為を糾弾するのが本来のマスコミの役目なのですが、なんとこの小泉純一郎の戦略にそのまま乗っかって「郵政」「郵政」と騒いでいるテイタラクです。こんな「個人の思い」で首相が何でもできるなら「政治」は死んでしまいます。ますます「官僚」たちの天下です。問題の本質がボケて一番喜んでいるのは「キャリア」たちでしょう。

ウケれば何でもいい!!?? 理性を失えば国は滅びるのです。
私たちにできることは? それは一票で「小泉自民党をぶっ潰す」こと。

8月25日 武田康弘





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白樺スピリットー受け継ぐべきは「過去」ではありません。

2005-08-23 | 恋知(哲学)

一昨日のブログに6年前の文書―「白樺派―創造の地・我孫子」を載せましたが、
「白樺派」の思想をそのまま現代に賦活させることには意味がありません。
いわゆる「旦那衆のリアリズム」と呼ばれる「個人主義」では、とうてい現代の人間と社会の問題解決には役立たないからです。柳の博識にしても「認識論」が欠落しているために、哲学としての普遍性をもたず、単なる「解釈学」の域を出ません。

称揚し、評価し、甦らせるべきは、白樺派の面々の「個々の思想や業績」ではありません。「過去」ではないのです。そのスピリット=己の存在を肯定し、未来を開こうと努力した前向きな精神です。彼らは、既成の権威に頼らず、自分の心に感じ、自分の頭で考えたことに従い、「よい」と思ったことに真っ直ぐに向かっていきました。見習うべきはその「能動的」な態度です。

現代の「受動性」に支配され、間違いや失敗を恐れる臆病な精神、他人の目ばかり気にする後ろ向きの思想では、何事もなしえません。「不幸を再生産」するだけです。

個人=実存からの出発という思想は、哲学の原理であり、まったく正当なものです。しかし、その原理を生かすには「白樺派の思想」では無理です。彼らのよき志を生かし、普遍化するためには「民知」という思想と実践が求められると思います。「民知宣言」をぜひご覧下さい。

8月7日の竹田青嗣さん、山脇直司さん、私の三者会談を紹介した「白樺教育館」ホームの私の思い」もぜひご参照下さい。


8月23日 武田康弘




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未来のための過去ー白樺派・創造の地ー我孫子

2005-08-21 | その他

以下は、6年前、私が「白樺文学館」をつくった(資金は私の主宰する「哲学の会」のメンバーだった佐野力・日本オラクル初代社長が供出)ときに書いた「白樺文学館」の基本理念です。未来を切り開くために「過去」を生かす、過去は、現在的な価値を生み出す源として遇した時にのみ意味をもつ、という私の基本思想の下に書いたものですが、この考えは、現在は「文学館」ではなく、私が建てた白樺教育館で生かされています。


創造の地-我孫子

 明治前半期の「自由民権運動」と大正期の「大正デモクラシ-」とは、日本の自立した市民による民主的思想と実践運動の二つの輝かしい峰です。その「大正デモクラシ-」時代、文芸誌『白樺』を創刊した若き三人の闘士 ー 柳宗悦、志賀直哉、武者小路実篤 ー と声楽家で宗悦の妻の兼子、彼らの同伴者バ-ナ-ド・リ-チはここ我孫子に集まり、既存の道徳や思想に抵抗して新しい文学と芸術と社会思想を生み出しました。

 1914年(大正3年)に叔父の嘉納治五郎(かのうじごろう)の勧めで我孫子に移り住んだ柳宗悦(やなぎむねよし 25)は、徹底して民衆の側に立つ反-国家主義の思想家であり、ブレイクとホイットマンの詩を魂とするその思想は、戦前・戦中・戦後と一貫して変わることがありませんでした。柳は、朝鮮に渡り、名も無き民間の陶工たちが、国の保護の下にある有名な陶工たちよりもはるかに優れていることを知ります。彼は民衆の手工芸に高い価値を置く自身の思想を「民芸」という造語で表現しましたが、その運動は我孫子から始まり、やがて大きな潮流(ちょうりゅう)となって全国に拡がっていきました。柳は文筆以外にも、1924年には朝鮮の京城(けいじょう)(現在のソウル)に「朝鮮民族美術館」を、1936年には駒場に「日本民芸館」を開き、初代館長に就任するなど精力的に活動しましたが、その背骨となっていたのは、法然(ほうねん)・親鸞(しんらん)・一遍(いっぺん)の欣求浄土(ごんぐじょうど)、他力本願の思想でした。今日では「民芸」という言葉は普通名詞になっています。

音楽における「白樺派」を一人で代表した下町育ちの柳兼子(やなぎかねこ 22.旧姓・中島)は、日本の近代声楽法を確立すると共に、夫・宗悦の精力的で多様な活動を物心両面(ぶっしんりょうめん)で支え続けました。大恋愛の末の我孫子での新婚生活の最中(さなか)、日本政府の朝鮮人抑圧・同化政策に対抗するため宗悦と共に朝鮮に渡り、連続的に音楽会を開催。多くの人々との厚く深い心交を持ち、声楽の神様とまで言われました。彼女は、ベルリンでのリサイタル(1928)でドイツ人を驚愕(きょうがく)させた日本最高のリード歌手でしたが、軍歌を歌うことを拒否したため、戦中は活躍の場を奪われました。

 1915年(大正4年)、柳の勧めで我孫子にやって来た志賀直哉(しがなおや 32)は、1917年に中篇の代表作となった傑作『和解』を書き、翌年1月リ-チの装幀による『夜の光』を出版。これによって大正文学における地位を不動のものとしました。
直哉は既存の文学者の権威には一切従わず、自分自身の心を赤裸々(せきらら)に凝視(ぎょうし)し、自己の心身のリズムに完全に合致(がっち)させる文体をつくることで、古びることのない力強く魅力的な作品を産み出していきました。 
日本近代文学の中で最も優れた〈描写力〉を持つと評される志賀直哉の代表的作品の多くは我孫子時代に書かれたものです。中篇三部作のうちの二作『和解』と『或(あ)る男、其(その)姉の死』(『大津順吉』は1912年)。20世紀の日本最高の短篇と言われる『城(き)の崎にて』 『赤西蛎太(かきた)』 『小僧の神様』 『焚火(たきび)』(『范(はん)の犯罪』は1913年)。唯一の長篇『暗夜行路』の前篇と後篇の半分強、などがそうです。
 
 1916年(大正5年)暮、親友の志賀直哉の誘いで我孫子に移り住んだ武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ 31)は、階級や特権のない自由で平等な共同生活を創りだすための構想を練り、1918年に『新しき村についての対話』を発表。たちまち300人以上の入村希望者が集まりましたが、危険思想の温床(おんしょう)と中傷され、識者(しきしゃ)も柳と志賀を除いては皆が、夢想主義でしかなく失敗に終わると評しました。同年9月、「人類の意志を遂行するため」宮崎県日向(ひゅうが)に出発する実篤と入村者たちの盛大な送別会が我孫子の根戸(ねと)で開かれました。「村」はダム建設のため1939年に現在の埼玉県毛呂山(もろやま)町に場所を移し、苦難の末、創立40年にしてついに自活に成功し、その後も充実した活動を続けています。 

 柳の親切な勧めで、武者小路と同時期に我孫子にやって来たバ-ナ-ド・リ-チ(29)は、柳の家に寄宿し、庭に窯(かま)をつくりました。ブレイクを最善の師とするリ-チは西洋のエッチングを日本に初めて紹介した香港(ほんこん)生まれのイギリス人ですが、「東西文化の結婚」さらには「全人類の融合」という夢のために尽力(じんりょく)します。「生活の腐敗・物質主義・偽善(ぎぜん)の生じる根源は、思想と行動、意思と行為の分離にある」というのが、彼の信条でした。不幸なことに1919年5月、柳邸に あったリ-チの作業場は全焼して貴重な資料が全て灰になってしまいます。失意のリ-チは翌年6月イギリスに帰国しますが、晩年、「私の生涯で最も充実し思い出深く楽しかったのは我孫子時代であった」 と回顧(かいこ)しています。 

 彼らの創刊した『白樺』は幾度も美術特集号を出しましたが、彼らは美術史の知識からではなく、自分の目と体に直接響くものだけを評価したのです。ゴッホを日本に初めて紹介したのは武者小路であり、また「ムンク特集」を組んだりもしました。志賀は送られてきたアメリカの雑誌で見たロダンの彫刻に魅了されます。浮世絵を送ったところ、なんとロダンからお返しに彫刻三点が届けられましたが、これが日本に渡った最初のロダンの彫刻です。当時まだ欧米でも埋もれた存在だったセザンヌを日本に紹介したのも『白樺』です。柳は1915年(26歳)に、「僕は確信をもってセザンヌを支持する」と書いています。

 彼ら我孫子「白樺村」の面々は、精神的に自立した裸の〈個人〉でした。親から疎(うと)まれ、世間から白眼視(はくがんし)されても少しもひるむことなく、大胆(だいたん)に自己を肯定して生き、日本の《人間開眼》とでも呼ぶべき新たな時代を切り開いたのです。
さあ、彼らの息吹を吸おうではありませんか。

ここは、創造の地なのです。

〔 1999年12月22日 2000年6月改訂 武田康弘 〕



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戦争の犠牲者? 何の、誰の、犠牲者なのですか?

2005-08-20 | 社会思想

戦争とは天災ではありません。政府の決定がなければ戦争は起こりません。
太平洋戦争を含む15年戦争とは、明治政府が確立した「天皇制国家」の戦争政策により「昭和」が起こしたものであることは、歴史上の事実です。

したがって、犠牲者とは、「天皇制国家」の戦争政策の犠牲者という意味です。
そうであれば、戦死者は、兵士、非・兵士の区別無く共同の「鎮魂の墓苑」で祭らなくて
はなりません。兵士を褒め称えるのではなく、兵士も「国家政策の犠牲者」として鎮魂することが必要なのです。

明治政府が天皇を崇める「国家神道」という宗教をつくり(その総本山が靖国神社)、小学校からの宗教教育を行って国民を教化し、「神国・日本」という神話を捏造し、戦争政策を行ったための犠牲者が15年戦争での戦死者です。もちろん、その戦争政策で日本兵に殺された夥しい数のアジアの人々も、「天皇制国家日本」の犠牲者です。

以上は、極めて少数の特異な思想をもつ人以外は皆が承認する認識のはずです。

もう誰もが分かるでしょう。
戦争犠牲者を弔うとは、明治政府作成の「天皇制」という思想を根本的に改めることからしか始まらないのです。この簡明な「思想」をはっきりと自覚すること、それがすべての前提です。

「国民全員を統合する象徴」という全く非・現実的で意味不明の規定をしている現憲法の第一章を変えていくことが必須です。今はもう21世紀であり、古代ではないのですから。一人の人間の死によって時代区分まで変えるという国は世界のどこにもありません。市民精神をもつ人は、とっくに「元号」の使用をやめています。いつまでも天皇主義―国体思想を引きずる「愚かな国民」であっては、日本の未来は拓けません。自民党的な思想をきちんと廃棄しようではありませんか。それがなければ「鎮魂」はできないのです。

8月20日 武田康弘




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明治政府作成の「天皇制」が終わらなければ「戦後」も終わりませんー鎮魂の墓苑を!

2005-08-18 | 社会思想

政治家の「靖国」参拝は、民主制=市民社会にふさわしい「公立墓苑」ができるまでの暫定的な「参拝」としてのみ許されるものです。

小泉内閣は、「公立墓苑」創設の準備さえ始めないで、閣僚が靖国参拝を繰り返しています。もちろん「反・小泉派」も同じです。軍人と非・戦闘員を共に「天皇教」=「日本主義」の犠牲者として手厚く鎮魂する「鎮魂の墓苑」をつくることは、全国民の仕事、否義務だと思います。

自民党という政党は、明治政府がつくった天皇教=国家神道=日本主義に今なお呪縛された政党であることは誰の目にも明らかです。精神的に自立する市民=真の人間を育て、その個々の人間にのみ依拠するほんものの市民社会をつくるためには、天皇教のイデオロギーをきちんと清算する必要があります。

シチズンシップに基づく市民社会の建設を目がける政党は、何よりも個々人から発するエロースを最大限に生かす前向きな明るさと自由を本旨としなければいけません。リスクは当然として受容し、その上にたって「安全」を担保する方策をつくるのです。

集団主義―国家主義的な発想を改める側に立つものと、明治政府がつくった近代天皇制=日本主義を引きずる側にたつものの二つに分かれて「選挙」を行い、市民主権の自治=民主制を明確に選択することが日本再生のはじめの一歩です。靖国の思想=国家主義を引きずっていては、市民自立の社会は始まりません。

明治政府がつくった「天皇制」=「日本主義」が終わらない限り、戦後も終わらないのです。

(「皇族の人権と市民精神の涵養」を見てください。)

8月18日 武田康弘




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☆子どもたちの式根島キャンプ・ダイビングー2005アルバム

2005-08-17 | 教育

今年で29年目、恒例のキャンプ・ダイビングの写真です。
キャンプ場前の大浦湾は、「海水浴」場になっていますが、
こどもたちが昼間遊ぶ海は、誰もいない手付かずの入り江です。
自然のままの海は、人為―言葉を越えた世界です。
こればかりは体験したものでなければ分かりませんし、
体験してもそれを「ことば」で表現することは至難です。

写真は、キャンプ場周辺でのものが中心ですが、
皆の生き生きした表情を見てくださいー顔は顕現する。

私の教え子の阿部憲一君が自身のホームページに載せてくれました。
撮影は私(武田)です

2005式根島キャンプ・写真(クリック)
 



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「コムニタス願望」、逆・ワンフレーズで奇跡を呼ぼう!

2005-08-15 | 社会思想


人間にはコムニタス願望があります。
破壊し、再創造することへの願望が誰の心にも宿っています。
混沌―カオスへの願望です。
人間の文化=秩序は、本能によって規定されたものとは違い、「自由な」秩序です。人間の観念が「創造」したものです。したがってその秩序(コスモス)への「批判」「疑問」「反抗」の心は必ず生じます。
カオス化し、再秩序化することは、人間の生には必須の営みです。

その「コムニタス願望」をとらえ、利用しているのが「革新」を旗印にする野党ではなく、政権党の自民党なのですから、なんだか永久に自民党政権が続きそうです。

賭けることをせず、常識に甘んじ、目先の成果に一喜一憂する人達には、人々の深い心=黙せる自己意識に声を与えることはできません。

民主党よ!
私はあえて言いたい。「死んで生きる」・「負けて勝つ」-捨て身の精神で「奇跡」を呼べ!と。
明治政府作成の「国家神道」を全面的・根源的に批判し、新しい市民精神による「市民社会」への理念とロマンを高らかに謳わなければ「民主党」の存在価値はありません。復古主義―日本主義とは非妥協的に闘わなくてはいけないのです。

『「靖国参拝」を続ける自民党は、今なお「国家神道」を引きずる保守主義の政党だ。
シチズンシップによる「自治=民主制」社会を目がける民主党でなければ日本の未来は拓けない。』
と、争点を大胆に転換することが喫緊に求められます。

戦後60年の節目の衆院選、マスコミもその方向で番組をつくらなければいけません。小泉首相の「郵政」以上に、みなでワンフレーズを唱えましょう!「国家神道に引きずられる国をチェンジ!」

この国の主人は、私とあなた以外にはいないのですから。 「皇族の人権と市民精神の涵養」クリック

「A級戦犯が合祀されているから「靖国」が問題なのではありません。」もぜひ見て下さい(クリック)


2005.8.15 敗戦60周年記念日 武田康弘






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ダメな民主党議員、それでも民主党政権を!なぜ?(メール公開)

2005-08-13 | メール・往復書簡

以下は、法案作成を業とするAさんからのメールと私の返信です。

武田様

「小池百合子とは、時の権力者に寄り添い、何度も「寝返り」を繰り返してきた女性ですが、こういう人が「もてはやされる」なら、人心は荒廃してしまいます。まさに「類は友を呼ぶ」、小泉首相自身が人を平気で裏切る名人、自分の「感情的思考」(思想なき想念)のみが絶対の男ですからね。」(武田)

一読者としての感想ですが・・・・・
具体的事実の指摘がまったくなしに人格非難をすれば、単なる誹謗中傷になりかねません。
読んでいてあまり気持ちの良くない文章ではないかと思います。

私は小泉さんも自民党も好きではありませんが、今回の郵政解散・選挙に関する限り、政策実現のための志を評価しています。
民主党は、もともと郵政民営化賛成で、法案反対は小泉おろしのためだけです。
だから、対案も出せなかった。
しかも、今になって、選挙で改革姿勢が問われるとマズイので、民営化賛成と言った方がいいのではないか、などという声が出ているのですから、馬鹿らしくなります。
要するに、民主党は責任を持って政策実現のための論争をしていないのです。
自分達がさんざん反対して、法案否決で解散となったのに、選挙の論点は別のところにある、などとうそぶくインチキ政治家を信用する気にもなりません。

ついでに、民主党の内部で育ってきている有力な若手も、受験戦争を勝ち抜いたまさに東大病の人々であると思います。






A様、よい「疑問」をありがとうございます。

(小泉純一郎と小池百合子の言動については、これだけテレビ報道で知られているので、具体的事実を記述するまではないと思いました。)

確かに民主党の「内容」は評価に値しません。無責任であり対案もはっきりしません。従来の野党の域を出ません。「東大病」もその通りです。

しかし、それでもなお、政権交代が必要です。

政権交代となればそのダメな「民主党」に票を集めなければ不可能です。
個々で見れば自民党より劣っていても、自民党政権が続く「害」よりは大局的に見れば「有益」だと考えます。

とくに外交における「政策以前の姿勢」を転換しないと国益をおおいに損ないます。教育における「政策以前のイデオロギー」についても同じです。日本がナショナリズムを強める方向に向かっていることを阻止することが国政の最重要課題です。

実は、ここが核心なのですが、「古い自民党」を代表する人たちと「小泉派」とはこれだけ激しく闘っていても、政策以前のイデオロギーが同じなのです。一言で言えば、明治政府がつくった「近代天皇制」を肯定する「日本主義」です。例えば自民党はすべて「元号」重視の表記ですが、民主党は「西暦」(世界暦)中心の表記に変わっています。

いま、遠いようで一番近い=大事な課題は、具体的政策以前の姿勢や想念を変更することだと考えています。それを可能にする方策を探ることですが、政権交代のために一票の権利を行使することは、そのための「はじめの一歩」だと言えるでしょう。

武田。



武田様

「実は、ここが最も核心なのですが、「古い自民党」を代表する人たちと「小泉派」とはこれだけ激しく闘っていても、政策以前のイデオロギーが同じなのです。一言で言えば、明治政府がつくった「近代天皇制」を肯定する「日本主義」です。例えば自民党はすべて「元号」重視の表記ですが、民主党は「西暦」(世界暦)中心の表記に変わっています。」(武田)

このあまりにも重要な指摘がHPを見ている人たちに素直に伝わるように、変に過激にならない表現で書いてほしいものです。

東大病・近代天皇制・日本主義という分析視覚は、現代日本のあらゆる問題の根元を説明するのに、すばらしい威力を発揮すると思います。

私は、武田先生との出会いのおかげで、頭の中がずいぶん変わりました。
特に、子ども達と一緒に自国の歴史を考えることは、自分の人生を考えるうえで不可欠であると考えています。
東大病の話が全国的に議論されることを願っています。

また、お話に行きます。
ありがとうございました。




A様
了解しました。
武田。



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「青年将校」小泉首相、「寝返り常習」小池百合子-政権交代を!

2005-08-11 | その他

「感情」が[思考」の代わりをする極めて日本的な小泉という権力者と心中するのは愚かです。
いま自民党政権から民主党政権に変えなければ、日本はもたないと思います。
魅力も薄く、人材層も薄い民主党ですが、それ以外の選択肢はありません。
2.26事件の「青年将校」のようなタイプの人間が首相では、すべて終わってしまいます。
民主党の岡田代表を首相にする以外にはないでしょう。

小池百合子とは、時の権力者に寄り添い、何度も「寝返り」を繰り返してきた女性ですが、こういう人が「もてはやされる」なら、人心は荒廃してしまいます。まさに「類は友を呼ぶ」、小泉首相自身が人を平気で裏切る名人、自分の「感情的思考」(思想なき想念)のみが絶対の男ですからね。思想のない「スタイル」だけの目くらまし、自分の個人的「思い」だけで国政を動かす人物には退場してもらいましょう。

8月11日 武田康弘




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「公」が「国家」?自民党のみなさん、もう少し政治思想を勉強されたらどうですか?

2005-08-08 | 社会思想

公(おおやけ)を国家(国)だと思っている「自民党の頭の悪いみなさん」に一言しましょう。ついでにお調子者で愚か者の漫画家「小林よしのり」などの思考力の乏しい「国家主義」への追随者の方にも。
ご自身のためにも皆のためにも「回心」が必要です。

もともと公(おおやけ)とは、「自治」のことです。日本には500年以上前から自治政治の伝統があります。自分たちのことは自分たちで決める=自分たちを超越した権力者は認めないということです。(このことの丁寧で分かりやすい歴史書としては、集英社版「日本の歴史」全21巻+別冊1の「戦国の群像」があります)「国家のために生き、死ぬ」などという言説は、歪んだ哀れな心のみが生み出す愚かな「妄想」でしかありません。本来の「公」(おおやけ)とは最も遠い思想です。

靖国「神社」が撒き散らす「おぞましい」イデオロギーは、明治政府が創作した新・宗教(国家神道=天皇教)によるもので、公(おおやけ)を破壊する考えです。こういう「狂気」の神社に戦死者をまつり続けることは、死後もなお戦死者を「天皇現人神」に縛り付ける暴挙でしかありません。断じて許すわけにはいきません。これでは戦死者は永久に浮かばれません。新たな民主制を具現化した「追悼施設」をつくることは我々皆の責任なのです。

何かの「権威」や「お金」の力に頭を下げずに、自分たちのことは自分たちで決めていくという主体的な思想=生き方が「公」(おおやけ)をつくるのです。自民党と官僚が支配する日本社会=「人間を幸福にしないシステム」を変革し、個々人の自由と責任の心と頭を育て、それに依拠することーそれ以外の統治思想とシステムは認めないこと、これが「公」(おおやけ)の本質です。政治ー行政権力を悪用し「愛国心」教育を叫ぶ人々こそ「公」(おおやけ)の最大の破壊者です。

(小泉首相!公約通り、自民党をぶっ潰して下さいよ。今日の午後1時過ぎに。)

この国をまともな社会に変えるには、中曽根元首相、石原東京都知事などの「愚かな想念=言説」が恥じかしげもなく披露される「知的退廃」の治癒が早急に求められます。


(なお、昨日の三者会談はなかなか有益でした。もう少し話し合いを重ねて「出版」したいと思います。)

8月8日 武田康弘




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急遽ー三者会談に。実存のための公共をー「認識論」をめぐる討論です。

2005-08-07 | その他

今日はいまから東京ー芝で「公共哲学」と「現象学」の対談です。
昨日、金(キム)氏が急病で倒れたため、竹田青嗣さんと山脇直司さんと私の三者会談になりましたが、「ちくま新書一冊つくるようなモチベーションでやりましょう!」とのメールと電話が山脇さんからありました。キムさんの早期の回復を祈ります。

恋知=民知によるひろく深い皆のための「公共」性を生み出す仕事には計り知れない価値があると思っています。

8月7日 武田康弘

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