以下は、『美しい国へ』安倍晋三著(文芸新書)からの抜粋です。
「近年ジェンダーフリーという概念が登場した。生物学的差異や文化的背景もすべて否定するするラディカルな考えをも包摂する和製英語だ」(213ページ最後)
社会学者にでも聞けばすぐ分かることですが、ジェンダーフリーとは、「生物学的差異や文化的背景もすべて否定するするラディカルな考え」では全くありません。
古典的ないしは封建的な男らしさ・女らしさの概念に囚われす、男女共に自由な発想で、より人間としての可能性を広げるというのが、ジェンダーフリーという思想の意味です。
「生物学的差異や文化的背景もすべて否定する」という過激な思想は、ジェンダーレスと呼ばれますが、そのような主張とは全く異なる概念=言葉です。
また、gender-free とは、英語・米語であり、和製英語ではありません。ただし、意味内容は、使う人や場合に応じて異なりますが。
安倍氏らの思想活動で、いまは、日本では「ジェンダー」という言葉を使うことまでしにくい状況が生まれてしまいましたが、それは、以下を読むとよく分かります。
「東京都教育委員会のように、この用語(ジェンダーフリー)を使うことを禁じる自治体も出てきた。その結果、行政ではジェンダーフリーということばは使われなくなってきたが、ジェンダーフリー的考え方は、教育現場に広く普及している。
家庭科の教科書などでは、「典型的な家族のモデル」を示さず「家庭には多様なかたちがあっていい」と説明する。生まれついた性によってワクをはめてはならないという考えからだ。
以前わたしは、自民党の「過激な性教育・ジェンダーフリー教育実態調査プロジェクトチーム」の座長をつとめていたが、そこの事務局長の山谷えり子さん(参議院議員)が国会で何度もこのことを指摘した。・・・ 同棲、離婚家庭、再婚家庭、シングルマザー、同性愛のカップル、そして犬と暮らす人・・・どれも家族だ、と教科書は教える。・・・・ごくふつうの家庭は、いろいろあるパターンのひとつにすぎないのだ。
たしかに家族にはさまざまなかたちがあるのが現実だし、あっていい。しかし、子どもたちにしっかりとした家族のモデルを示すのは、教育の使命ではないだろうか。」(216~217ページ)
ここに出てくる安倍氏の同志、山谷えり子参議院議員は、ジェンダーフリーや「男女共同参画」の思想と実践を執拗に批判する議員として名高いですが、彼女は、その情緒論的な文をかの統一教会の機関紙『世界日報』に載せています。安倍氏と同じく「理想的な家庭の在り方について教えるべきだ」と書いています。
安倍氏も統一教会と関係をもっていると伝えられますが、純潔を主張し、教祖が信者の結婚相手もすべて決めるという驚くべき宗教団体なのはどなたもご存知の通りです。個人の自由な恋愛、Make loveを固く禁じています。
新保守主義と呼ばれる国粋的な思想をもつ人々や、教祖に従い恋愛を禁止する宗教団体と関係する自民党右派ー安倍政権は、近代市民社会が求める新しいモラル=人間性を肯定する民主的倫理に基づく男女関係を忌嫌うのでしょう。安部首相の言う「女性の活躍を!!」とは、労働力不足を補うための駒としてのみの話。女性の登用も長谷川三千子氏(埼玉大学名誉教授)のように、未だに「天皇現人神」の思想を堅持する保守主義者に限られています。
家族主義・性差への拘り、男らしさ・女らしさへの固執=「早く結婚したら!」「産めないのか!」というヤジは、政府のホンネだと言わざるをえません。情けない。
武田康弘