思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

30年以上自民党国会議員政策秘書を勤めた小城正克さんの危機感ー安倍自民党は全体主義へ向かっている。

2018-09-30 | 社会批評

  
以下は、30数年以上自民党国会議員の政策秘書を勤めた小城正克 さんのfbからです。ぜひ、お読みください。拡散もお願いします。


  まず私は自由と民主主義の社会に身を置き、10年前まで30数年間自民党所属の国会議員の政策秘書の身分で国会を職場とし政務を行っていた人間である。安倍晋三は彼が父安倍晋太郎代議士の秘書で支えていたころから知っている。その愚鈍ぶりは昔から有名であったが、今でも尚その気色悪い安倍晋三を信奉する人たちが、政権批判をする人たちを反日...とか左翼主義者と決めつけたりする輩が多いことに悪寒を感じて止まない。己の思考力で考える力を失っているとしか見えない。歴代総理の中でも戦後最悪の知能程度の低さを露呈して憚らない安倍晋三を一生懸命擁護したり心酔する気持ちが全く理解できない。その中でも目立つのがマスコミの偏向報道だと宣う言葉に見識を疑う。現在のマスコミと称する報道機関にどこに正常な情報を国民に流している新聞社やテレビ局があるというのだろう。所詮一介のサラリーマンでしかないマスコミに携わるものの中にジャーナリストとしての気概を持っている人間たちがどれ程いるというのだろう。国際ジャーナリスト協会における日本の報道の自由度は先進国の中でも一番低い68番目だと言うことが分かっているのだろうか。

 国際政治社会の中で先進国首脳が安倍晋三に対してどのような評価を下している現実を知っているのだろうか。まずトランプは大統領予備選挙のときに安倍晋三が民主党候補のヒラリー・クリントンのところだけ激励に行ったことを『私は終生忘れない。安倍は信用ならない男だ。』と口にしており、自分が在職中は日本からは精一杯搾り取ってやると豪語していることすら知らないのだろう。今回も足元を見透かされ高い買い物をしてきたが地上イージスシステムも現実的には無用の長物でしかない。何故ならば大陸間弾道弾ロケットはマッハ25の超高速で撃ち込まれるものであり対する迎撃ミサイルは精々マッハ7でしかない。まず打ち落とせるものではないということだ。

  驚異としている中国の人民解放軍は、軍縮の流れで一年間で三十万人のリストラを行っている。中国共産党が一番恐れているのは人民の政府離れなのだ。そもそも共産党員は全人口の6%しかいない。最近では経済力をつけた富裕中間層も今や六億もおり、海外渡航する人たちも増え海外の政治情勢を知る人も増え、海外移住希望がとてつもなく増えていることを知ることだ。

 ロシアのプーチンに至っては、この前の平和友好条約の締結に向けての提案に何の反論もなかったのにも拘わらず自国日本へ帰って平気で嘘を公共電波放送で述べたことに対してロシアの報道官が抗議したが今もって、その反論は成されていない。要は安倍晋三では北方領土問題は議論も出来なくなった現実だけが残ってしまった。

 欧州に至ってはドイツはじめ先進国首脳たちは低レベルな知能を持ち合わせた安倍晋三とまともに付き合っていると自らの政治生命まで脅かされてしまうと考えている。つい最近の国連での演説もトランプやフランスのマクロンの演説が終わると席を立つものが目立ち、安倍晋三が小学生さえ知っている『背後』という言葉さえ知らなかった演説原稿を読むだけの演説の時には、3割も聴衆者がいなかった現実をどのように評価するのだろうか。

 

 これから世界は、温暖化の影響で大きな自然災害が至るところでますます増えていくであろう。その災害援助と救助は、平和国家日本の使命であり義務であることを日本政府は真剣に受け止めなければならない。これから異常とも思える気候変動で穀倉地帯も大干ばつに陥り世界的食糧危機を迎えると思われる。

 今日本が、世界に先駆けてやらなければならないことは、平和国家としての相互扶助の精神を世界に牽引いくことである。それが不幸な戦争を経験し奇跡的な経済復興を成し遂げた先人たちからの絶対的継承だと私は考えている。

 

 

《抜粋》

「私たちの同盟を“希望の同盟”と呼びましょう。希望の同盟、一緒ならきっとできます」

 ──先日、米議会での演説で、国民の同意もなくアメリカの戦争に協力できるように安全保障法制の整備を夏までに実現することを勝手に約束してしまった安倍晋三首相。本人はいかにも満足げな表情を浮かべていたが、いよいよ世界公認でアメリカの犬に成り下がった瞬間でもあった。

 その演説を聞きながら、“あの小説”のことが頭に浮かんだ人もいるだろう。本サイトでも以前紹介した、芥川賞作家・田中慎弥が安倍首相をモデルに書いた小説『宰相A』(新潮社)だ。同作で描かれる“アメリカによって統治される日本”という世界のなかで「戦争こそ平和の何よりの基盤であります」と演説をぶつ宰相Aの姿は、まさに現実の安倍首相とぴったり重なり合うようだった。

 そんな田中が、先月号にあたる「新潮」(新潮社)5月号で、作家・中村文則と対談。じつはこのなかで、今度は中村が、現在安倍政権によって粛々と広げられている「全体主義」の空気に対し、異議の声を上げている。

 中村といえば、2005年に『土の中の子供』(新潮社)で芥川賞を受賞。海外での評価も非常に高く、昨年にはアメリカの文学賞「デイヴィッド・グーディス賞」も日本人ではじめて受賞している。昨年末には、カルト教団の暴走を描いた長編小説『教団X』(集英社)を発表し、“いまもっとも影響力のある作家”である又吉直樹が絶賛したことでも話題を呼んだ。

 その中村は、この対談で田中の『宰相A』を、“日本人を名乗るアメリカ人と、彼らに差別される旧日本人”という「親米保守 対 保守」の構図になっている点を挙げ、「支配側の「日本人」を全部アメリカ人にしちゃったという極端さがとても面白いと思いました」と評価。そこから話は政治をテーマにするときの“書き方”へと移るのだが、中村はこう切り出すのだ。

 「現実の世の中が少しずつ全体主義の方向に傾きつつあると認識していて、そういう世界の中でどんな政治的な言葉を言えばよいのかって考えると、もしかしたら従来の方法では伝わりにくくなってるんじゃないかとも思ったんです。もっと剥き出しの言葉が要るんじゃないか?と」
 「僕は今の日本の流れに対して危機感を持っていて。全体主義的傾向がもっとはっきり出てきた時にはもう遅い。そうなったら、誰も聞く耳を持たなくなる。だから「今のうちに」と思ってやってるところがあって」

 現在の日本は全体主義に傾きつつある──。この指摘はまさしくその通りだろう。今年1月に起こった「イスラム国」による邦人人質事件では、安倍首相は救出責任を放棄したにもかかわらず「テロに屈しない」と息巻き、批判をシャットアウトした。それに呼応するかのように、殺害された湯川遥菜さんと後藤健二さんに対しても自己責任論が噴出。「国に世話をかけた奴が悪い」という、恐ろしい全体主義思想が蔓延していることが露わになった。

そして、中村が抱いている危機感は、いまの日本に漂う全体主義の空気によって、表現が制限されるのではないか?ということにも及ぶ。

「これはあくまで僕なりの定義ですが、表現の自由というのはそもそも、時の権力・強大なものに対して言いたいことを言えることだと考えています。だから表現の自由のもとで、踏み込んでもよい範囲がどこまでなのかと考えること自体が、まず間違っているんじゃないかなと」

 踏み込んではいけない、許されない表現の範囲とは何か。その問題を考える上でまず頭をよぎるのは、サザンオールスターズ・桑田佳祐による“不敬”問題だ。昨年末の紅白歌合戦で披露したパフォーマンスが、「歌詞の内容が安倍政権批判だ」「日の丸にバツ印をつけるとは何事か」「ちょび髭姿はヒトラーを連想させる。安倍首相をヒトラーに準えるとは不敬極まりない」と批判が集中。ついには所属事務所前で抗議活動を行う者までが登場し、結果、桑田は謝罪コメントを発表するまでに追い込まれた件である。

 それだけではない。先日の憲法記念日に開かれた集会で作家の大江健三郎が「安倍」と呼び捨てにしただけで、「品位がない」「これでは議論にならない」と非難を浴びた。同じように、爆笑問題の太田光がラジオ番組で「安倍っていうバカ野郎」「私は個人的に(安倍首相を)バカだと思ってますけど」と“安倍はバカ”を連発したときも、「名誉毀損発言だ!」と怒り出す者が続出。本サイトでも、思想家・内田樹と政治学者・白井聡のふたりが対談本『日本戦後史論』(徳間書店)のなかで“安倍首相は人格乖離、マッチョなのにインポなレイプ魔”と批評したことを紹介すると、「ゲスすぎる」「ネトウヨと同レベルのヘイト」だと抗議が殺到した。

 このように、政権への批判に対して抑圧的な声が上がるのは“表現には踏み込んでもよい範囲、踏み込んではいけない範囲がある”と多くの人が考えているからだろう。人を口汚く罵ってはいけない、下品な言葉を使えばそれは批評ではなくたんなる悪口だ──そう思っているのかもしれないが、だが、中村が述べているように、権力に対してはどんな表現も許されるというのが、本来の「表現の自由」という権利なのだ。それは、わたしたちがもち得る、大きなものに抗う唯一の手段だからだ。

 だが、こうした自由さえも、現在は制限されつつある。政権は批判を受けつけず、そればかりかテレビ局に圧力をかける。さらには、先日、安倍首相のTwitterの“中の人”が山本一太議員だと露呈した際、山本議員はブログで「あまりに悪質な誹謗中傷のツイート」について「投稿した人物を(正規の手続きを踏んで)特定させてもらう。公に抗議するためだ」と宣言した。罵詈雑言だとしても、権力側はそれを容認しなくてはいけないのだが、権力者が甘んじて受けるべき批判さえ脅しをかけて封殺しようとする。こうした政権の勘違いも甚だしい態度に国民はもっと怒るべきなのに、むしろ自主的に「批判をするときは正々堂々と」などと言論に“範囲”を設け、自由を制限している。

このような現状に、中村は文学者として並々ならぬ危機感を抱いているのだろう。「僕は、この日本という国に、僕が言う意味での表現の自由が制限される、戦前・戦中のような時代がやってきたときのことを想像してみたんです」と言い、「そのときに発禁に一番近い本は何だろう? と思うと、まずは『はだしのゲン』。その次が『宰相A』だと感じました。『はだしのゲン』は、もう実際チクチクいじめられている」とシミュレート結果を述べている。そして、田中が『宰相A』をいま書いた理由を、このように考察するのだ。

「もしかしたら、書けるものが書けなくなるっていう危機感じゃないですか? 小説を書く自分を邪魔する存在が現れるかもしれないという危機感。今じゃなきゃ『宰相A』みたいな小説は書けないと無意識に判断したのかもしれませんよ。事実、五年後だったらこの小説は攻撃を受けたかもしれないし。今だって、山口の図書館から消されるってことが絶対に起こり得ないわけじゃないですよ? 表面的には「善」のような理由で」
 「戦時中にナチスが色々な本を燃やしたんですけど、そういうのって僕らからすると、「ナチスだから、それぐらいやるだろ」と思っちゃうじゃないですか。でも、当時の人たちは中世のおとぎ話のようなことが目の前で行われていることにとても驚いたらしいんですよ。今もそうした驚きが起こり得るかもしれない流れのなかにあって、作家としての脳が今じゃないとこの小説は出せないと判断したところもあったのかもしれないですよ」

 中村は「僕はね、窮屈な時代が完全にスタートする前にいろんなことを言う必要を感じているんです」と言う。もちろん、中村は権力から制限をかけられることだけを危険視しているわけではない。「「空気」は本当に怖くて、誰も聞く耳をもたなくなる」と、大衆の姿勢をも憂虞しているのだ。

 哲学者であるハンナ・アーレントは、『全体主義の起源』のなかで、〈全体主義運動は大衆運動であり、それは今日までに現代の大衆が見出し自分たちにふさわしいと考えた唯一の組織形態である〉と書いている。全体主義とは、権力側の発動だけではなく、大衆が迎合して生まれるものだ、と。

 だからこそ、わたしたちは口をつぐんではいけない。言いたいことを言いつづけること。言いたいことを言えない状況に抗い、批判しつづけること。それをやめたとき、この社会からはほんとうに自由が消えるだろう。「(いまは)けっこうギリギリの時かなって」という中村の警鐘が、重く響く。
 (水井多賀子)

(※太字・色字などの強調と写真は、武田による)

 「これほど異常な民主政国家は見たことがない。」ーーニューヨーク・タイムズ東京支局長  クリック

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『恋知第4章』の冒頭(4ページ)にミスプリントがありました。訂正をお願いします。

2018-09-30 | 恋知(哲学)

恋知第4章の冒頭(4ページ)にミスプリント(打ち損じ)がありました。

その年(2015年)の6月に  は、
その年(2005年)の6月に  が正しいです。

本をお持ちの方は、訂正をお願いします。お手数ですみません。

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 金泰昌・武田康弘の恋知の哲学往復書簡34回に至る経緯      武田康弘

 

 2005年の春に、友人の山脇直司さん(東京大学教授)は、国際的な政治哲学者で東大出版会のシリーズ『公共哲学』(最終的に20巻となり別冊も多数)の最高責任者である金泰昌(キム・テチャン)さんに、わたしの書いた「実存として生きるー市民大学『白樺フィロソフィー』と民知の理念」(白樺文学館パンフレット所載・発行5万部)を送りましたが、それを読まれた金さんは、「深い感動と、熱い共感をもちました」とのことで、丁寧なお手紙を頂きました。

 金さんはわたしには全く未知の方でしたが、その年(2015年)の6月に拙宅および白樺教育館(文学館ではない)を訪ねられ、長時間の対話を交わすことになりました。突っ込んだ話となり激論にもなりましたが、それが縁で、金泰昌さんと私は親しい間柄になっていきました。

 それからは、京都フォーラム及び大阪のご自宅から頻繁に電話を頂き、毎回長話になりました。また、金さんの来訪も4回となり、いづれも半日をかけての中身の濃い対話をしました。白樺同人たちとの熱く厳しい対話や、官民共働を巡って旧友の福嶋浩彦我孫子市長を交えての三者会談などです。

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反日?非国民?それこそが人間として生きている証では? 「国のため」とはなんですか?

2018-09-26 | 社会思想

大前提

 よく自民党やウヨクの人々は、「国のため」「国家のため」と言いますが、
そもそも「国とは何か?」が定義されないと、国のため、とは何かは分かりません。意味不明です。


 再びそもそもですが、明治政府が廃仏毀釈の思想によりつくりあげた「伝統」というは、
日本最大の仏教宗派である浄土真宗(親鸞)と2番目の浄土宗(法然)の思想・文化とは内容が正反対です。法然門徒たちは、後鳥羽上皇により4人が死罪、法然・親鸞ら8名は島流しとされたのでした。

 仏教文化としての日本の伝統靖国神社の思想とは二律背反です。

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 戦前にいわれた
「国のため」とは、学校教育で教え込まれた、国体護持のことです。滅私奉公の道徳教育に基づきますー教育勅語はその象徴。
公とは天皇家のことで、「君の時代は、苔のむすまで永遠に続く」と歌われましたー伊藤博文は、大日本帝国憲法を発布するにあたり、「未来永劫、主権は天皇にあり、日本では、主権が国民に移ることはない」と全国の知事たちに教説しました。

 また、日清戦争も日露戦争も、その後の第一次世界大戦参戦も、ロシアへの内政干渉=シベリア出兵も、満州事変から対米戦争までの14年間の戦争も日本が行った戦争はすべて、日本政府(天皇を主権者とする保守主義の政治家たち)が仕掛けたのであって、日本の領土が攻撃されたので防衛した=国を守るために国民が戦ったのではありません。

 天皇政府の命令で、国民は、赤紙一枚で、戦争に動員されたのです。犠牲者であって(他国から見ればもちろん加害者ですが)、靖国神社が主張するような「軍神」(軍人・兵士の集合神)ではありません。

 明治政府のつくった「天皇国家としての日本」とは、一人ひとりの人権を抑圧した「全体主義国家」であって、そこで言われた国のためとは、「国体(天皇国家)主義」による支配階級のためなのですが、それを、国民全体のため、と学校教育で洗脳したのです(毎日行われた天皇像への礼拝と君が代唱和と日本は天皇の国という歴史教育による)。


 その根本思想(天皇を生きた神とする国体主義=国家神道=靖国思想)の下で、軍国主義も成立しました。その廃棄を求めた「ポツダム宣言」を受諾し、日本は無条件降伏し、主権を天皇から国民へと転回した新しい国=民主主義の国として再出発したのです。伊藤博文らがつくった明治の思想(=国家神道に基づく国体主義=靖国思想)への後戻りは許されません。これは、原理原則次元の話です。


武田康弘

 

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部活ー朝から練習を当然として受け入れる日本人は、異常というほかないでしょう。

2018-09-26 | 教育

 部活動をしている子(ほぼ全員)は、毎日朝練もあり、6時前に起きていますが、日本の学校の拘束時間は、世界一長く、帰りも夏場は7時ころになります。
そもそも同じ運動競技を毎日毎日、朝夕やり続けるのは、成長期の健全な心身の発達を阻害します。見事なほどおバカです。

 遅く学校から帰り、いったんやすんで食事をし、それから家庭学習をすれば、10時前には寝れません。中学生で、せいぜい7時間程度の(6時間の子もいる)睡眠しかできませんが、それでは、脳細胞は完全に疲労が取れず、頭脳が全開して自分で考えるという作用は、働きません。ただ、教えられることを受動的にこなす頭になるのです。疑問をもち質問するには、脳の余裕が必要ですが、それができないのです。この受動知のチャンピョンが東大生ですから、本質を穿つ思考力とは無縁の知識のパッチワークを知力だとします。人間の堕落です。

 日本の中学生の自由時間のない生活の強要は、オリジナル性に乏しく、紋切型の人間を育てるには最適のもので、中学校は、集団同調する生き方をつくる育成機関です。みながこういう異常なシステムに飲み込まれて、それを当然として受容し、批判できないのは、実に恐ろしいことです。

 余裕のない人は、受動性だけの惰性態に陥るより他に生きる術をもちませんが、その異常性に気付かないのです。昆虫人間化がすすみます。いま何よりも必要なのは、自分の頭で考えることです。自分の意思をもち、それを貫く姿勢です。強要や誘導を跳ね返すパワーです。それを生み出し支えるのが恋知です。



武田康弘

 

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「大人のいうことは聞かなくてはいけない」 あれれ?  愛され信頼される存在へ。

2018-09-23 | 教育

 5才の孫のことばですが、誰かに言われた=吹き込まれた言葉であることは確かです。

 わたし自身は、幼いころから父は対話相手でしたっから、なにがほんとうか、なにがよいか・悪いか、という【内容】の話で、「大人の言うことだから云々」という【形式】で黙らせるという「悪しき文化」(儒教的な封建道徳)とは無縁でした。
 
母とは幼稚園生のころから「言い合い」をして、よき口喧嘩相手(笑)でしたが、「お母さんの言うことだから聞きなさい」という類のことは言われませんでした。

 問題とすべきは、中身・内容であり、目上とか目下ということではありません。旧来の歪んだ道徳では、人間性のよさ=魅力は開花せず、「型ハマリの意固地な人間」を生んでしまいます。公共に向けて開かれた実存ではなく、日本人の多くに見られる中身での対話・議論のできない「自閉的に孤塁を守る」のみの人になってしまいます。ただの組織人か、自閉か、どちらにせよ不毛です。

 自分の頭で考え、判断する人に育つためには、内容で話し、内容を聞くことが前提であり、不可欠です。古い日本の常識(ブッダやソクラテスの自由対話による内的秩序の形成ではなく、孔子(儒教)の影響による封建的な上下道徳と国学による自閉思想)を超える努力がなければ、狭い精神世界で生きることで人生を終えてしまいますが、その不幸に気付くことすらないのではあまりに哀しいです。仲間主義であり家族主義であり、井の中の蛙。

 いま皆がすべきことは、内容で話し、内容で生きることです。あいさつことばの延長程度の会話しかできない自分自身の生き方(存在仕方)を変えるためには、形式を整えればいい(旧態の常識に縛られているのでそれしか生きる術がない)という想念に支えられた生き方の不幸を深く明晰に自覚し反省することでしょう。人間味あふれる豊かな人間になるためには、ふだんの努力が必要なはずです。

 よき=魅力的な存在か否か、それを測るのは簡単です。こどもの評価です。それは恐ろしほど的確です。こどもは言葉ではごまかせません。あなたがどのような存在かを全身で察知します。楽しさ・よろこびが広がる人・開放的・解放的な人であるか、よき考えをもち、よき人生を歩んでいるか否か。それが赤裸々に問われるのです。こどもに信頼され、愛されることの少ない人は、自分を変えていかないといけません。幼子の目で自分の存在仕方を見つめてみる作業以上に大切なことはないでしょう。



武田康弘

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異常な自衛隊の行動―南シナ海で軍事訓練!なぜ、中国を挑発するのか?

2018-09-17 | 社会批評


以下のニュースは、日本が戦前に戻っていくような話で、日本国民として許しがたいと思います。

9/17(月) 18:32配信

【北京時事】中国外務省の耿爽・副報道局長は17日の記者会見で、海上自衛隊の潜水艦が南シナ海で訓練を実施したことについて、「域外国は慎重に行動すべきで、地域の平和と安定を損なわないよう促す」と反発した。
 南シナ海をめぐり中国は、近隣国と領有権を争う島々の軍事拠点化を一方的に進めながら、当事国同士の対話による問題解決を主張している。耿氏は「南シナ海情勢は安定に向かっている。域外国は、地域の国が対話を通じて平和的に問題解決する努力を尊重するよう促す」と述べた。 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ほんとうは、尖閣にしても、日本領ではないはずですが、それでも中国政府は、日本に配慮して、漁船に近づかないように指示しています。
尖閣が戦前は台湾領であったことは、戦時中は台湾州のトップであり、最後(敗戦時)は、支那方面艦隊司令長官であった福田良三(海軍中将・勲一等)さんの話により明白です。

福田良三の実娘さんの清水光子さんは、2014年9月11日、白樺教育館で、
父から、尖閣は、台湾州の防衛ライン内であることや、台湾の漁民が漁場にしていると聞かされていて、また、「海洋学上(海底地形)も沖縄には所属せず、台湾州である」という話もしていた、
と話されました。

「ポツダム宣言」受諾して敗戦し、台湾は日本領ではなくなりましたから、尖閣を日本領だとするのは、残念ながら無理です。


武田康弘

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まだ30歳ーマクシム・エメリャニチェフの演奏会にドキドキ。東響定期 9月29日(土)30日(日)

2018-09-15 | 芸術

9月29日(新宿の東京オペラシティ定期  9月30日(新潟定期
あのクルレンツィスの弟分のような?指揮者による演奏会があります。日本デビューです。ドキドキです。

指揮:マクシム・エメリャニチェフ

ピアノ:スティーヴン・ハフ

メンデルスゾーン:序曲「フィンガルの洞窟」op.26
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 op.73 「皇帝」
ブラームス:交響曲 第1番 ハ短調 op.68

 

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わたしも全く未知の人です。以下は、転写です。

 


人のいるところには夢がいる。JAPAN ARTS

 

バイオグラフィー

 1988年、ロシア生まれのマキシム・エメリャニチェフは若い世代の最も才能のある指揮者として認められている。ニジニ・ノヴロゴロド音楽院で指揮を学んだ後、モスクワ音楽院でロジェストヴェンスキーに師事、フォルテ・アノとハプシコードをマリア・ウスペンスカヤに学んだ。12歳で指揮者としてデビュー。以来、モダン・オーケストラ、バロック・オーケストラの両方を指揮している。

17/18シーズンはトゥールーズ・キャピタル管弦楽団、リヨン国立管弦楽団、ミラノ・ヴェルディ管弦楽団、ロイヤル・リヴァプール・フィル、スコットランド室内管、サンクトペテルブルク響、スイス・イタリア管、サンクトペテルブルク響、セビリア王立響に客演する。 

また18/19シーズンにはエイジ・オブ・エンラインメント・オーケストラを指揮してヘンデル「リナルド」でグラインドボーン音楽祭にデビューする。 またネザーランド・フィル、東京交響楽団にそれぞれデビューするほか、トゥールーズ・キャピタル管、スコットランド室内管、ロイヤル・リヴァプール・フィル、セビリア王立交響楽団に再客演する。

これまでにロシア国立フィル、ニジニ・ノブロゴロ・フィル、ムジカ・エテルナのほか、シンフォニア・ヴァルソヴィア、15/16シーズンにはトゥールーズ・キャピタル管弦楽団、スペイン国立オーケストラ、ガリシア王立オーケストラ、セビリア王立交響楽団を指揮、すぐに次シーズンの客演が決定した。2016年12月にはチューリッヒ歌劇場に「後宮からの逃走」でデビューした。

古楽アンサンブル、イル・ポモ・ドーロの首席指揮者を務め、コンサートやオペラに参加しており、ヘンデル「タメルラーノ」「ロザリンデ」、ジョイス・ディドナートとは世界ツアーのほか、ワーナー・クラシックスよりレコーディングをリリースしている。最新盤「戦争と平和の中で」は2017年のグラモフォン賞リサイタル部門を受賞した。

テオドール・クルレンティス指揮のモーツァルト「フィガロの結婚」「コジ・ファン・トゥッテ」のレコーディングにはフォルテ・ピアノ奏者として出演している。また最新盤「モーツァルト・ピアノ・ソナタ集」はフランスのショック賞を受賞した。

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 キングインターナショナル

クルレンツィス率いるムジカエテルナの通奏低音奏者エメリャニチェフ、ソロ・デビュー!

モーツァルト: 幻想曲ハ短調 K475, ピアノ・ソナタ第14番ハ短調 K457 他

マクシム・エメリャニチェフ     発売日2018/03/31

ロシアからまたまたとてつもない才能が現れました。1988年生まれのマクシム・エメリャニチェフ。実はこれまでもクルレンツィスのムジカエテルナのモーツァルトのダ・ポンテ・オペラ三部作(特に「フィガロの結婚」)録音で、通奏低音奏者として驚くべき才気煥発ぶりを発揮、注目されていました。
 彼はムジカエテルナの通奏低音のみならず、指揮者としてもロジェストヴェンスキーの愛弟子で、ムジカエテルナやイタリアのオルケストル・イル・ポモドーロやシンフォニア・ヴァルソヴィアなどを振り、今年9月には東京交響楽団とブラームスの交響曲第1番やベートーヴェンの「皇帝」(スティーヴン・ハフ独奏)で日本デビューが予定されています。

このアルバムはエメリャニチェフのピアノ・ソロ・デビュー盤。得意のモーツァルトで、ポール・マクナルティによるアントン・ヴァルター1792年頃のモデルのフォルテピアノを用いています。モーツァルトのピアノ・ソナタの中でも特に充実した3曲と、第14番と関連のあるハ短調の幻想曲を披露していますが、一聴して尋常ならざる音楽性に釘付けとなります。演奏は楷書風で落ち着いていますが、クルレンツィスのピアノ版というか、ムラヴィンスキーの指揮を思わす緊張感と説得力、リヒテルを思わす深い音楽性、繰返しの際の装飾音はシュタイアーばりの計算された即興性に天才を感じさせます。
 (キングインターナショナル)
 【曲目】
モーツァルト:
1.幻想曲 ハ短調 K.457
 2.ピアノ・ソナタ第14番 ハ短調 K.457
 3.ピアノ・ソナタ第16 (15)番 ハ長調 K.545
 4.ピアノ・ソナタ第18 (17)番 ニ長調 K.576
【演奏】
マクシム・エメリャニチェフ(フォルテピアノ)
[ポール・マクナルティによるアントン・ヴァルター1792年頃のモデル]
【録音】
2017年3月8-10日、リトル・トリベカ(パリ)

 

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「日本はすごい」は幻想。世界でバカにされる日本人。客観視し、将来を考えよう。谷本真由美さんの新著

2018-09-14 | 書評

自分や自国のプラス価値を見つけるのは、よいことです。
しかし、そこには冷静さを失わずに総合的に観る作業が不可欠であり、それを欠けば、子どもじみた偉がりに陥り、世界の笑いものです。主張は大切ですが、自惚れは最悪です。
自己主張のできない日本人は、それゆに自己絶対化に陥り、自惚れや偉がりや他者・他国への悪口を平気で口にして本まで書きます。そういう行為は、恥知らずであり、醜態です。それでは「醜い日本人」になってしまいます。倫理感のない代表がネットウヨクと呼ばれる人たちですが、彼らのニッポン万歳!ほどオゾマシイものはありません。下品そのものです。

一番必要なのは、「個人として生き方をみなおすこと」(谷本真由美)ーわたしもその通りと思います。

以下は、東京新聞です。


 

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知の逆立ち(手段の目的化)は、生きる悦びを奪い、艶消し人間をつくる。日本人の深い不幸。

2018-09-07 | 恋知(哲学)

 自分の関心、知的好奇心とは無関係に、文科省が決めたカリキュラムの枠内の勉強をただ繰り返して覚える。進学教室に通い、緻密化する。

 知の世界が、自分の頭で考えることから完全に切れて、政府文科省の「官知」の領域に閉じ込められ、そこから出られない。その枠内に留まり、言うなりになる従順な頭と心身をもつ者を優秀、秀才、天才!?(笑)と呼ぶ。いまは、もうフィロソフィーまで情報知と西ヨーロッパの哲学の「正しい」!?解説書の読書となり、ソクラテスの「恋知」の実践とは無縁。

 これでは、おバカな国ーおバカな国民というほかなくなります。

 アインシュタインとは正反対の頭脳が「頭がいい」と言われます。既成社会の既成頭のチャンピオンの東大脳が「頭がいい!」のなら、頭がいいとは、自分として生きていない証拠ですし、自分の頭と心身で思考していない証拠です。日本では、本質的な馬鹿=従順脳が優れていると言われるので、お勉強のできる人は、使えない頭、人間としては意味のない頭の持ち主にしかなれません。人間までAI(笑)。

 ただ親の言う通り、毎日数時間も受験勉強(パターン知と丸暗記)を繰り返していたら、誰でもみな機械頭になります。臨機応変・当意即妙の能力とは正反対の紋切型の頭脳に堕ちるための努力を従順に繰り返す人間が、人間の脳として「優れている」はずがありません。どうでもよい実にツマラナイ事実の暗記競争をしている人間に、事象の意味や価値が分かるはずがないのです。【高得点を取る本質バカ】を製造するために、膨大な時間と労力をさく国民は、人間性の豊かさや人間的な思考力をもたず、ただの「事実学」の暗記に明け暮れます。それが勤勉と言われて褒められるのなら、勉強すればするほどバカになるほかありません。

 読み書き計算や幾何が一定程度できることは必要です。しかし、その緻密化のみが目がけられれば、「棒人間」にしかなれず、自分自身の頭と心身を使って生きる主体的な人間にはなれません。外見・形だけが立派で、中身は空洞。どうでもよい知識競争の外面人間になり、自我の内的成長がありません。それは精神の未発達ですが、周りも本人もそのことに気付かず、総合判断力のない高得点者が優遇され褒められるなんとも珍妙な社会をつくります。「精神病もみんなで罹れば怖くない」(笑・呆)となります。これが東大病ですが、東大教という世俗宗教がこの病気を起こし、快癒を不可能にするのです。

 勉強、学習、勉学、学問の目的が「主観性の知」の豊穣化であることを知らないのが大多数の日本人ですが、知の目的を知らないので、読み書き計算に始まる客観学(ドリルに答えが書いある)の緻密化が目的だ、と勘違いしていることいることに気づきません。手段にしかすぎない客観学を目的だとするので、物知りが偉いと思い、事実学(意味論・本質論なし)の積み上げに必死になります。単なる「事実学」は「事実人」(サルでも犬でもなく人ではあるが、それだけ)しかつくらない、とは認識論(認識の意味と価値の解明)の原理を明らかにしたフッサールの言葉ですが、その通りと思います。

 わたしの関心から発しない知を体系化して仕込まれれば、善美に憧れ、真実を求める豊かで人間味あふれる人間にはなれません(事実としては人であるだけ)。わたしの関心・必要・目的(広義の「欲望」)から発しない知は、死んだ知に過ぎず、一人ひとりの生を輝かせず、意味に乏しい知なので、優れた生をつくらないのです。

 そういう知の支配する国では、各人が自分自身の存在のありようをよく見つめ、自己の存在価値を自覚することがありません。集団の中の一歯車でしかなくなります。私からはじまるよろこび・輝き、価値を創造する自己ではなく、外なる価値に合わせるだけの自己に陥ります。ほんらいの知の意味が消え、逆立ち(手段が目的化)しているからです。

 今からでも遅くはありません。この逆立ちをひっくり返して、正常化させ、知と生の本道を歩み始めようではないですか。生きるに値する人生は、わたし自身がつるもの。 「恋知」の生です。

エロース像(素焼きのラコステ人形・ルーブル美術館蔵)
プラトンの学園『アカデメイア』(キリスト教により廃校させられるまで900年以上続いた)の主祭神はエロースでした。
善美のイデアを求め、真実を探求するフィロソフィーの営みの動力源がエロース(身体的な愛)です。

武田康弘

 

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豊かで美しく品位が高いとはどういうことか。マレイ・ペライアのピアノーヘンデルの組曲はその典型。

2018-09-06 | 芸術

 豊かとか美しさといえば、セレブといわれてテレビに登場する人のことか?(笑)、というと、それがまるで正反対なのが、ペライアのピアノです。わたしの知る限り、ピアノ演奏史上、もっとも豊かで美しい音であり、演奏です。

  はっきり言えば、テレビにみるセレブの顔や服装や肢体は、女性は「商売」の人としか見えませんし、男性は気味が悪いです。彼や彼女らは、自己の存在のありようを見つめる深く澄んだ目を持たないからでしょう。表面の飾りが存在のいやらしさを際立たせています。

 それと正反対の豊かさと美しさをもつのが、ペライアの音であり、音楽です。人目を欺くように作られた騙しの品位ではなく、内的世界=精神が気高いのです。ほんとうの品位に溢れ、香り立ちます。

 20年ほど前にこの録音が出た時、わたしの「豊かさ」のイメージとは、この音であり音楽だと皆に言いましたが、まだの方は、ぜひ、ペライアの奏でる【ヘンデル・クラヴィーア組曲2.3.5番 &「シャコンヌ」.スカルラッティ・ソナタ集(全7曲)】をお聴きください。もちろん「ペライア全集」の中にも入っています。

  ほんものの豊かさとは何か、がとてもよく分かります。





武田康弘

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善美を求めない現実主義というおぞましさー集団的精神病の日本人。

2018-09-04 | 恋知(哲学)


人の話はよく聞く。何を言わんとしているかをつかもうとし、耳を傾ける。

そうした上で、
それは違う、と思えば、納得できない、とはっきりと言う。
明瞭に「ノー」と言う。
どこの誰が言うことでも(日本人1億2千万人の誰であれ、人類70数億の人の誰であれ)、「おかしいな」と思うことには従わないこと。
それはよく生きるためにどうしても必要です。

納得できないのに、他者(とりわけ立場上の上位者や権威や権力を傘にする者)の言うなり・思うなりになるのは、精神の奴隷であり、人間としての誇りをもって生きることとは正反対です。

わたしは、政治家とか官僚の多数は、嫌い、というより、彼らは、人間として間違った生き方をしていると見ます。心の本音が「権力」による上下意識に囚われているからです。だから態度が慇懃無礼なのです。権力政治家や忖度官僚のみなさんは、この四字熟語の意味をよく調べてみてください。

 

いまテレビでさかんに宣伝しているセレブとやらいわれる人の生き方などは、人として根本的に間違いです。ばかばかしいほどの贅沢をして悦にるというのは、生きる意味のない人生です。みなのために、よい福祉やよい教育やよい環境のために、あるいは困っている人のためにこそ、お金は意味と価値をもつのです。善美をつくり育てるために、分け与えなければいけません。ほんらい言うも愚かなほど当たり前の道徳です。

こういう当然のことが消え去り、金持ちは偉い!権力者は偉い!というおそろしく歪んだ単純思想をテレビは毎日伝えて、多くの国民は知らぬ間に占脳・染脳されています。お金にしろ権力にしろ、それはほんらい皆のものであり、特定の人間が他者を支配する(現実的あるいは心理的に)ためにあるのではありません。

集団的精神病からの快癒が必要です。恋知の生をこそ!



武田康弘

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ここまで腐った時代は初めて。首相も経済人もスポーツ利権老人も。保守老害のわが日本!

2018-09-03 | 社会批評

首相の安倍晋三は、呆れ返るウソとデタラメ。基本的な憲法知識も社会思想の知識もなく(幼いことから大学まで勉強嫌いで、成蹊のエスカレーターだが、大学は裏口卒業)、超過激な長州藩の末裔で、権力を私物化してやりたい放題、公共悪の限りをつくす。

スポーツの世界も、年寄りの利権がらみのパワハラ事件で、年がら年中、超がつく不祥事続き。ウソとデタラメは首相と同じだが、若者が立ちあがり、見事! 自民党という老人支配政党とは大違い。

企業は、労働法などどこ吹く風でブラックを続ける=世界一長い労働時間。社内留保ばかり増やして、過去最大なのに賃金は上げない=経営者のやりたい放題。みな、上に立つ人間に倫理意識ゼロ。それで、道徳教育!? 要するに上位者に従い、他者承認に怯える忖度人間をつくる国策。

文部科学省は不祥事続きで、息子を裏口入学させる官僚まで出現。警察や検察は、デタラメな保守権力を支える番犬でしかないが、勤める人は、そんな仕事をしている自分への嫌悪感さえもたない。天下り先は、腐るほどあり、数年であちこち周り、その都度退職金。みな国民のお金です。

これほどまで腐敗しているのは、民主政を掲げる国では他にありません。「ニューヨークタイムス」元東京支局長の証言通りです。それでも安倍自民党政権支持という日本国民には、世界中がビックリ仰天!!もう笑う他ないでしょう。どこまでも堕ちていくニッポンという国。面従腹背ならまだましだが、みな萎えて、改革するパワーなし。

反転攻勢で、ひっくり返すぞ! ほんものは勝つ!!




武田康弘(恋知者、教育者、元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

コメント (3)
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