思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

中学校「歴史」「公民」の教科書でしっかり勉強しようーーとくに政治家や官僚のみなさん。

2014-09-29 | 教育

 おかしな理屈や行為が蔓延し、めちゃくちゃな言説が飛び交う今の日本社会

 安倍首相をはじめ、今の政治家やそれを支える官僚たちも、言動がわけわからん状態に陥っています。

 以下いま使われている中学校の教科書を載せますので、もう一度、基本をしっかり勉強=確認されるのがよいと思います。

「歴史」と「公民」の教科書ですが、昔から最も多く使われている東京書籍版です。

 

 まず、「公民」の教科書(36~37ページ)です。一部を抜粋してみます。

「憲法は、政府の権力を制限して国民の人権を保障するという立憲主義の思想にもとづいて、政治権力の乱用を防いで、国民の自由や権利を守ります。」
「人権の保障こそが目的で、国の政治のしくみはその手段です。」
「憲法は最高法規であって、憲法に反する法律や命令は効力を持ちません。」

「日本国憲法は、戦前の天皇主権を否定し、国民主権を原理として採用し、人権の保障をいちじるしく強化しています。」
「戦前の軍国主義の反省にもとづいて、戦争を放棄(憲法第9条)して平和を強く希求しています。」

(クリックで拡大します)



 次に 「歴史」の教科書(228~229ページ)です。

「民主化の中心は、憲法の改正でした。GHQの指示を受けて日本政府がはじめに作成した改正案は、大日本帝国憲法を手直ししたものにすぎませんでした。そこで、徹底した民主化をめざすGHQは、日本の民間団体の案も参考にしながら、自ら草案をまとめました。日本政府は、GHQの草案を受け入れ、それをもとに改正案を作成しました。」

(クリックで拡大します)

 

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絵本 「戦争のつくりかた」  戦争で死んでも政府がほめてくれます。

2014-09-28 | 書評

おとうさんやおかあさんや、
学校の友だちや先生や、近所の人たちが、
戦争のために死んでも、悲しむことはありません。

政府がほめてくれます。
国や「国際貢献」のために、いいことをしたのですから。

人のいのちが世の中で一番たいせつだと、
今までおそわってきたのは間違(まちが)いになりました。

一番たいせつなのは、「国」になったのです。

 

いま話題の10年前に今を予言したこども向け絵本=新・戦争のつくりかた(りぼん・ぷろじぇくと)より。



 

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元自衛官が「従軍慰安婦問題」を解明。日本の恥=安部首相らの嘘を底から暴く!

2014-09-27 | 社会批評

再び、強烈な説得力!

元自衛官(防空ミサイル部隊)の泥さんが、「従軍慰安婦」の実態と問題の核心を書きました。

いま、この「思索の日記」の読者で、コロライド州在住の高槻さんが英訳を進めています。年内には、世界に向けて、日本の良心=従軍慰安婦問題の真実と深い謝罪を発表します。

安部首相と内閣のウソが白日の下にさらされています。必読です。
(「集団的自衛権反対」の泥さん演説には12万件の「いいね!」を頂き感謝です)

 

http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori157.htm

以下は、内容の一部です。全体は、上のURLをクリックしてください。

【従軍慰安婦の真実】2
慰安婦は性奴隷だった その2

 

1.合法的な売春契約と違法な売春契約のちがいを知ろう

 今回 は、大日本帝国の国内法の観点から見ても、慰安婦は性奴隷であったという話です。

 明治政府は娼妓契約を「牛馬と異ならず」として奴隷契約だったと認定したというのが、前回のお話でした。
  その理由は、娼妓契約が「人身売買」であり、人身の自由を奪う契約だったからです。

 明治5年 太政官布告第295号
 「人身を売買することは古来から禁じられているのに、年季奉公など色々の名目を使って、実際には人身売買同様のことをしているので、娼妓を雇 い入れる資本金(親に貸 し付ける契約金のこと)は盗難金とみなす。貸した金を返せという訴えは認めない。」


  中には「娘は買ったのではなく養女にしたのだ、我が子に何をさせようと親の勝手だ」という理屈で売春をさせていた者もいたようです。
  太政官布告は続けます。

 「子女を金銭で取引して名目的に養女にし、娼妓・芸妓の仕事をさせるのは、実際上はすなわち人身売買である」

  こうした措置で、明治政府は売春業は禁じなかったけれど、人身売買契約にもとづく売春業を禁じたのでした。
  この太政官布告が廃止されたのは明治33年です。
  この年、『娼妓取締規則(しょうぎ とりしまりきそく)』(内務省令第44号)が出されたので、布告は役割を終えたのです。

   『娼妓取締規則』は売春を一般的に禁じました。
  ただし、法令に従うことを条件に、例外的に売春を認めたのです。
  この規則を理由に、帝国政府は「娼妓契約は奴隷契約ではない」と言い続けました。
  それというのは、規則に「何人たりとも廃業を妨害してはならない」と決めていたからです。

  娼妓取締規則は、娼婦に「契約破棄の権利」と「廃業の自由」を認めました。
  警察に届けさえ出せば、いつでも辞めることができたのです。
  奴隷契約は、人身を買われた奴隷側から契約を破棄することができません。
  これと異なる娼婦契約は、人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、したがって奴隷ではないという理屈です。
  娼婦が辞めるのは「届出制」。ここ、大事なのでおぼえていてください。

  しかし前借金がある場合、娼婦を辞めても借金契約は残るという仕組みだったので、借金を返すために娼婦を辞められない現実もありました。
  人身売買の形は回避したけれど、こんどはいわゆる「債務奴隷」の立場に置かれたのです。
  
  それにしても、辞める自由が法的に保障されてはいたのです。
  借金を連帯保証人(たいて いは親)に押し付ける気になれば、辞めることは出来ました。
  自己破産してしまえば、自分だけは助かります。
  親方が「借金を返さない限り辞めさせない」と引き止めるのは違法です。
  そういう大審院(いまの最高裁)の 判決がたくさんあります。

2. 慰安婦制度は合法的な売春制度だったのか

 親が娘を担保に前借金をして娼婦に出すことを、「身売り」と言いました。
  貧しい農村では身売りが多くありました。
  身売りという言葉が示すとおり、実質上は人身売買ですが、法律的には娘には廃業の自由があるため「担保」の意味がないと見なされ、人身売買に当たらないということになっていたのです。

  こうしたことから、慰安婦否定側はいいます。
  特別に慰安婦だけが悲惨だったのでもなく、奴隷だったのでもないと。

    日本軍慰安婦は「身売り」契約による売春だ。
    悲惨であったにせよ当時としてはありふれた話だ。
    また当時、それは合法だった。

  本当でしょうか。
  ここでは、「身売り契約は奴隷ではない」という言い分を、いったん認めましょう。
  そのうえで、慰安婦契約がどんなものだったのかを確かめます。

  日本軍の慰安婦関係契約資料は散逸してほとんど残っていないのですが、運良く「馬来軍監区」の契約原本が残っていました。(写真)
馬来とはマレーのことです。
  マ レーを占領していた南方軍は、慰安婦の管轄権限を師団ではなく南方軍司令部に一括していたので、東南アジア方面では馬来軍監区と同じ契約 だったと推測できます。

  その資料に、書かれています。

   「営業者および従業員は、軍政監の許可を受けるにあらざれば、転業転籍をなすことを得ず」

   「営業者および稼業婦にして廃業せんとするときは、地方長官に願い出てその許可を受けるべし」

  慰安婦が辞めるのは「許可制」だったのです。
  官の許可がなければ辞められませんでした。
  自由に辞められなかったのです。

  先に娼婦の退職・廃業は「届出制」であるといいました。
  届けさえすれば自由に廃業できるから人身を身分的に拘束する人身売買ではなく、奴隷契約ではないというのが、帝国政府の建前でしたね。
  慰安婦はこれと異なります。
  廃業が許可制で、自由に辞められませんでした。
  それなら、人身を身分的に拘束する契約ということになり、これは人身売買であると言えます。
  つまり慰安婦契約は、帝国政府が禁じていた奴隷契約なのです。
  しかも許可を与えるのは官庁です。
  人身拘束制度=奴隷制度に官権が直接関わっているのです。

  日本政府が「慰安婦は性奴隷ではない」と抗弁できる余地はまったくないと思います。

 

慰安婦

 

2014年7月30日 泥 憲和

 

 

 

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明日の大学クラス ロダン+マイヨールのギリシャ彫刻 「パイドロス」「饗宴」 サティの「ソクラテス」 

2014-09-26 | 学芸

明日の大学クラスでは、

20世紀彫刻の最高峰ー二人の巨人、ロダンとマイヨール、心理を抉る造形と、存在の充足と豊かさを現わす造形。
この二つの極みを足すことでようやく届く?ギリシャの彫刻の凄味を知ります。

起源前430年代のソクラテス時代の三女神の像から紀元前100年のミロのヴィーナスまでを写真でたどります。

それと並行してエロース論であるプラトン著の「パイドロス」と「饗宴」の意味。

さらに、サティの交響的劇作品「ソクラテス」(一部は「饗宴」。二部は「パイドロス」。三部は「パイドン」からとられている)をご紹介(サティ最大の作品だが36分ほど)

飛び入り参加も可能です。
午後5時より8時まで。授業料は2000円です。

武田康弘

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三種の神器ならぬ、三冊の本  ほんとうの現代史を知り考えるために。

2014-09-23 | 学芸

 

 

 

 客観性をもった歴史学的考察による現代史を知るのは、日本の中にいるととても難しいことです。

 それは、天皇尊敬という想念(日本宗教)によって日本人は、年を取るほどに《金縛り》になるからです。日本社会には強いタブーがあり、皇族と呼ばれる人々には、無条件で、赤ちゃんにさえ敬語を使うのが当然という風潮があるからです。

 尊称をつけて呼ばない人は「変わり者」とされるのですから、恐ろしいほどです。

 そうなので、ふつうに学校教育を受け、テレビや新聞を見ていると、皇族は特別な人々という観念を知らずに刷り込まれ、自由は消えてしまいます。日本のように公共領域(学校や会社や役所など)における自由がない国は、先進国には他にありません。

 「日常」のどうでもよいことは全部自由ですが、その代わりに、「公的・公共的な場」は、強烈なタブーが支配して、窒息しそうです。

 そうした現状は、変えていけなければならないですが、そのためには、【ほんとうのこと】を知る必要があります。わたしもあなたも、囚われが少ない自由な心をもち、魅力的な存在になり、豊かで幸福な人生を歩むには、正しく知ることが大切です。ほんとうの市民的な「公共性」をつくるにも、よく知ることは欠かせません。

 

 日本の現状の中で、特定の政治勢力や特定のイデオロギーに邪魔されずに、客観性のある認識をするには骨が折れますが、ここにあげる書物3冊は、分明に書かかれ、読む者に深い納得を与えてくれます。

 1「憲法9条はなぜ制定されたか」の古関彰一さんは、NHKの90分にも及ぶ教育番組で、「焼け跡からの憲法草案」(民間の憲法研究会の7人)の解説者も務めた著名な憲法学者です。獨協大学教授。

 2「昭和天皇の戦後史」は、歴史家の吉田裕さんの1992年の著作ですが、すでに現代の古典としての地位を獲得しています。一ツ橋大学教授。

 3「明仁さん、美智子さん、皇族やめませんか」は、33年もの間宮内庁の記者を務めた板垣恭介さんの著作です。板垣さんは昭和の裕仁天皇と現在の明仁天皇の二人と交流があり、美智子さん、明仁さんを陰で支えた人でもあります。貴重な話、考えさせられる話の連続で、この一冊は、日本人の必読書だと思います。新書版にして、買いやすくしてほしいもの。

 この三冊、まだの方は、ぜひお手にしてください。安いですし。

 

武田康弘

 

 

 

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ギリシャ神話のエロースが、なぜフィロソフィ(恋知・哲学)の神なのか?

2014-09-21 | 恋知(哲学)
 
 (エロースとプシュケー)
 
  プラトンによるソクラテスの対話編で、世界文学の古典として名高い『饗宴』は、エロース=恋愛の話ですが、そこでは、エロースについていろいろ語られます。
 

 ギリシャ神話で、エロースは最も古い神です。世界の始源、混沌・カオスからはじめに生まれたのがエロース(恋愛)とガイア(大地)とタルタロス(地底)です。

 エロースはまた別の話では、美の神アフロディティ(別名ヴィ-ナス)の子どもとも言われます。
男神エロースと人間の女性ブシュケーの愛の物語は、甘美でこども向けのギリシャ神話にも紹介されていて楽しく魅力的です(これはローマ時代に付け加えられたお話のようですが、ブシュケーの話はまるで親鸞の「他力思想」の神話版のよう)。



 大地(物質)があってもそれだけでは「無」と等しく、何も起きず始まりません。恋愛=惹きつける作用が生じることで、あらゆる出来事が生まれ、あらゆる事象に意味と価値が生じます。

 ゆえに、始源なのです。

 ソクラテスによる造語であるフィロソフィとは、「恋愛」と「知」(知恵と知識の双方を含む)を足した言葉であり、プラトンがつくった史上最も名高い学園『アカデメイア』(私塾のような自由な学園)の主祭神が恋愛を象徴するエロースなのは、その惹きつける=恋い焦がれるという作用こそが、あらゆる活動の始まりだからです。

 だから、意味と価値を考えるという人間の活動の考察は、もともと「唯物論」としては不可能で、「観念論」なのです。物質が存在するのは当然ですが、物質は物質に過ぎず、それだけでは何も起きず、何も意味をなしません。

 動かす作用こそ始発であり、それは、何かに惹きつけられる=恋するという「心」の作用です。その作用を起こさせる神が、エロースなので、エロースは特別な神とされました。

 ギリシャ神話の神々のトップはゼウスですが、ゼウスもエロースのいうことはすべて聞かねばならず、エロ-スには誰もかないません。エロースはその矢で熱烈な恋心を起こさせるので、支配者ではないのですが、誰も逆らうことができません。

 「恋知者(哲学者)とは、この世の支配者をはるか下に見下ろす者である」と『国家』の中でソクラテス・プラトンがいうのは、そういう含意です。

  善美に憧れ、真実を求める人間の人間的な心=精神は、エロースがもたらすもの、惹きつけられ、憧れ思う作用=恋愛こそが一切の始源である、この卓見が古代ギリシャのソクラテスを特別な存在にしています。

 

(注)『饗宴』では、ソクラテスは、師のディオティマ(女性)から教わったことを話します。それは、エロース神は、精霊(神と人間を橋渡しする存在)とされ、そこから美と善のイデアを求める生き方が説かれ、ソクラテスは納得し従うと言います。

 
 武田康弘

 
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ソニーRX1-R  二通りの使い方。

2014-09-20 | 趣味

 ソニーRX-1(R)は、間違いなくカメラ史に残る名機です。
わたしは、昨年7月5日の発売日に購入し、1年2か月あまり愛用してきましたが、使用する場所と目的で、二通りの使い方をしています。

 このカメラの画質のよさ(解像感と色抜けのよさと美しさ))は今さら言うまでもなく垂涎ものですが、レンズ(ツァイスのゾナー35mm F2)を固定式にすることで、35mmフルサイズなのにコンパクトカメラの大きさにデザインされていて、便利この上ありません。

 

 (1) コンパクトであることを活かしてふだん持ち歩くにはそのままでもよいですが、しっかり撮るには(手振れを減らす)、ファインダーの横に着く指かけ=「サムグリップ」が必需品。重量は、ストラップも含めて実測555gです(ただし、これを付けると、シューの接点を覆ってしまうので、電子ビューファインダーは使えません。また、価格が高すぎで、グリップだけでふつうのコンパクトカメラが買えてしまいます。ソニーさん、どういうこと?)。
 (光学ファインダーを付けるとこんな感じ)

写真はクリックで拡大します。 右クリックで「前に戻る」を押すと、またこの画面に戻れます。なお、この写真は、α99・プラナー50mmで撮影。


 (2) キャンプやハイキングには、野外で液晶が見にくくなりますので、電子ビューファインダー(EVF)が要りますが、この時には、UNから出ているRX1用の専用グリップを付けると便利です。岩の上に置いたりしても底面が傷つかずに済みますし、ホールドしやすくなります。コインで簡単に付け外しでき、仕上げもよく純正品のように見えます。ただし、重くなりますので、女性には不向きかも(112g増で667g)。
  (EVFは真上からも・ただしクリックがなく不用意に動いてしまうのは問題で、改善すべきです。)

 ☆利便性に優れ、効果最大で、かつ最安のフード紹介。
金属製はぶつけるとレンズや本体に衝撃がかかりますが、ゴム製なら安心。でも、ケラれる恐れや、赤外線の照射窓を塞ぐ恐れもありますが、UNの製品を試してみたところ、完璧!
写真のようにキャップもしっかり留まりますし、フィルターをつけてもギリギリでケラれませんーゆえにフード効果も最大。ゴム製なので内部に凹凸があり、フード内面の全反射も起こりませんから、すべてOK。で、わずか数百円。(純正の金属フードは1万円以上しますが、バヨネットなので、ぶつけるとすぐ外れてしまいますし、短いので効果も小さいです)

 ツァイス精神をストレートに感じさせるこのカメラは、ライカのように眺めたり弄ったりするカメラではなく、優れた写真を撮る道具としてのカメラです。誰かが、ツァイスは「哲学」で、ライカは「主義」だ、と言いましたが、なるほどです。ライカには信者がいて宗教になりますが、ツァイスにはそれはありません。あるのは、エロースです。 

 

以下は、フルサイズの余裕とツァイスレンズならではの写真です。シャープでかつ柔らかみのある描写が、「少女のこころ」の決定的瞬間を捉えました。
昨年10月、サントリーホールで、ペライアリサイタル開演前。




次は、今年の第39回式根島キャンプ&ダイビングでの一コマ、水しぶきの美しさー透明感を見事なまでに写し止めています。前ボケも後ボケも自然で柔らかい。


第39回式根島キャンプ&ダイビングで、西川典伽ちゃん。

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頭と心の悪い安倍晋三という首相を支持する「私」ではあわれです。

2014-09-20 | 学芸

 漢字は読めず(教育漢字までルビの原稿)書けず、数学はできない、英語もできない、おまけに憲法の条文も知らない(国会で個人の尊重について質問され答えられずに居直る)!!これほど頭の悪い男が総理大臣の国はどこでしょうか?
ネットウヨクと同じ「一知半解」ゆえに自信ありげで独断を下す=愚かゆえに、恐れるものがなく、平然と非常識を貫く首相=を支持するわが日本人とは、一体なにものなのでしょうか?


 

 こういうのを見ると、「皇族は神の系譜で、天皇は生きている神だ」などという戯けた(バカバカしくて話しにもならない)観念を信じた戦前の日本人の愚かさもよく分かります。戦前の「エリート」階級は、国民に児戯に等しいマンガのような思想を信じ込ませ(自分でも信じた!?)、中国侵略から、アメリカへの宣戦布告なしの無謀極まる戦争へと突き進み、「一億玉砕」などというキチガイ標語を掲げ、無残な無条件降伏でお終い。

ところが、昭和天皇の裕仁は、歴史上最悪の戦争の責任も取らずにそのまま天皇と名のり、わたしは人間です、というこれまた史上例をみない「人間宣言」をしましたが、それでも「皇室は神の系譜だ」と信じていたという、愚か過ぎて真面目に議論すらできないですね。

自分の一族の存続をすべてに優先させた裕仁氏を批判できないのなら、わが日本人は理性など持ち合わせず、ただイビツな感情だけで動いていることにしかなりません。冷たいヒステリーで、思想を全く理解せず、勉強といえば、事実学の羅列=パターン知と丸暗記でしかない。成績優秀者ほど「本質バカ」でしかないのがわが日本の現実ですが(東大病という精神の病)、「技術知」だけをためこんで《思想を育てる》ことのできない人間では、生きている意味・価値に乏しいですよね。


 

 おっと、安倍首相の歪んだ心と愚かさを語ろうとしたら、もっとスケールの大きな話になってしまいしたが、彼のもつ戦前思想=歴史の審判が下った「愚かな思想」を元から断たなければ、わが日本の未来は決して拓けません。これだけは確かです。憲法さえなきものとする違法内閣を批判できる「私」にならなければ、「私」があわれです。
  安倍首相の仲間の政治家は、ネオナチとの交流をもったり、極右団体・在特会との交流が明らかになったりで、その正体は、すでに明白です。反論できる方がいますか?

  ※ 以前の安倍著の批判Blogもぜひご覧ください。

 

 

 

 

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近親者と父母の死 戦争=天皇教の「精神」の爪あと。  どう考え、どう生きるか。

2014-09-18 | 社会思想

 ともに白樺恋知の活動を進めるHさんの父君が亡くなりました。
Hさんの亡父は、1922年生まれですから、太平洋戦争が始まった41年には19歳、赤紙一枚で徴兵されて外国に戦争に行かされた世代です。

 戦争の生々しい現場を知った人の精神は、「ふつう」ではないはずです。上官の命令に従うほかない運命で「私」の意思はありません。人間ではなく、「コマ」です。コマにされた人は、生き残り戦後を迎えて、人間と社会について、どう思い、どう考えたのでしょうか? トラウマのない人はいないでしょう。

 また、Sさんの父君のように指揮官として臨んだ上層部の人々は、徴兵された下級の兵隊とは体験の質が異なるでしょうが、彼らは戦後、何を思ったのでしょうか。

 餓死者の方が戦死者より多かった日本軍の無残な戦いは、当然のことに敗戦=無条件降伏という事態を招いたわけですが、そのあまりにも大きな代償なしには、「天皇現人神」という戦前思想による強権政治から解放されなかったわけですから、複雑な思いです。

 政治家・官僚・昭和天皇の責任が一番なのは当然ですが、彼らの決定に従うほかなく教育された人々(個人の思想の自由は日本主義=国体思想により統制)のこころのありようを知るには、【想像力】を十分に働かせないとなりません。その想像力を欠けば、今のわたしたちの考え方・生き方をよいもの・優れたものにすることはできないはずです。

 わたしの亡父は、1925年生まれでしたから、16歳の高校生のときに戦争が始まり、大学生のときに徴兵検査を受けさせられました。しかし、病気がちでしたので、北海道の農家の手伝いに回され、戦地には行きませんでした。殺し殺される戦争は体験していない、と生前に話していました。

 昨年亡くなった母(献体したためにお骨がまだですが、来月1日に真宗式の葬儀と納骨)は、1928年生まれですから、13歳の中学1年生の時に戦争がはじまったわけです。一番多感な年齢です。東京神田でしたので、幾度も空襲にあい、神田須田町の家の近くにおちた焼夷弾による火災をヤカンのリレーで消した経験もあるとのこと。女学校ではタケヤリ訓練と労働奉仕の日々だった、と話していました。
 しばしば起きた母の意味不明の興奮、過度の攻撃性や猜疑心は、少女時代から青春時代にかけての戦争体験のトラウマに起因しているのだと思います

 また、1923年生まれのかみさんの父君の関根竹治さんは、農家の本家に生まれた長男でしたが、頭は明晰で、いつも穏やかでした。(『白樺教育館』の建設資金を出してくれたのはこの竹治さんです。)
 ところが、亡くなる数年前の8月に、わたしとかみさんでお盆のお墓参りに行ったとき、終戦記念日のTVを見ながら戦争責任の話をすると、ふだんはおとなしいお父さんが、「そうなんだ! 天皇が自害もせずにのうのうと生き延びたのは信じられない。わしら農家の者がどれほど苦労したか、みな戦争に取られて・・・・・わしら兵隊はみなが、天皇は自害するものと思っていた。」と語気を強めて話したので、親戚一同、唖然となりました。

 これを聞いて分かったことがありました。

 竹治さんは、明確に昭和天皇の戦争責任を認識し、天皇尊敬などしていませんでしたので、戦前思想に縛られることなく、何があっても静かに安定していられるのだろう。それに反してわたしの母は、戦後も「明治天皇は偉い人」という洗脳が解けず、そのために天皇とは尊敬すべき存在という観念に縛られていたので(女学校が徹底した皇国思想で戦後解散させられた)、軍国少女を曳いて異様な精神状態になるのだろう、と。

 ともあれ、日本は、中国侵略からまる14年間の戦争を続けてきましたので(1941年からは対米戦争)、その代償をは極めて大きく、国内外に深い精神の爪あとを残しています。なぜ戦争を起こしたのか、戦争を可能とした【思想】=国体主義と、ひとびとの精神構造を解明しなければ、何事も永遠に未解決です。

 「わたし」の、そして、これを読んでいる「あなた」の問題ではないでしょうか。けっして他人事ではないはずです。

 

 武田康弘

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完璧な論考!  朝日新聞「誤報」事件  秘密保護法の生け贄       守山弁護士

2014-09-17 | 社会批評

以下は、守山弁護士による論考、見事!です。

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朝日新聞「誤報」事件  秘密保護法の生け贄

朝日新聞の「誤報」に対するバッシングは、戦後、言論機関(朝日新聞がそう呼ぶに値するかどうかは別として)に対するものとして、かつて例をみない特異な事件に発展した。


沖縄密約を暴いた西山太一記者は女性スキャンダルにすり替えられた人格破壊によって記者生命を絶たれた。
戦後初めての本格的な政権交代を成し遂げた小沢一郎は、事実無根の金銭スキャンダルによる人格破壊によって政治生命を絶たれた(ように見える)。
朝日新聞「誤報」事件も、人格破壊の域に達した。
そして、朝日新聞は、西山氏や小沢氏と異なり、人格破壊に屈して、頭を垂れた。



朝日新聞「誤報」事件は、確実に後世の歴史に残る。
「誤報」としてではなく、「暗黒の言論統制」の時代の幕開けとして、だ。


とりあえず何が対象にされたのかを確認しておくことに意味があるだろう。
「慰安婦」の「拉致」に関する吉田清治証言に関する「誤報」は、「軍」に対するものだ。
福島第一原発事故に関する吉田調書の「誤報」は、原発に対するもので「テロ」関連で軍事に通ずる。


吉田調書に関する誤報は、「命令違反」と「撤退」に関係する。
所員が、吉田所長の意図に反して福島第二原発へ移動したことを「命令違反」とするのか否か、それが「撤退」であったのか「待避」であったのか、いずれも表現の問題であり、価値評価に関わる問題だ。
事実関係の詰めに甘さがあったとしても、報道の現場では常に起こりうる問題だろう。


何より、これを問題にするのであれば、小沢一郎の金銭スキャンダルに関する執拗な報道は、「誤報」を超えて「捏造」だったと謝罪しなければならない。
TPPについて未だに農業・畜産業の関税の問題として報道し続けているメディアは全て誤報の山を築いている。
ウクライナ政権を正統政権として報道し続けているのも国民を欺く大誤報だ(革命政権であると主張するのであれば別だが、そのような評価は見たこともない)。


吉田清治証言に関わる「誤報」は30年、短く見ても20年前のものだ。
そうした遙か過去にさかのぼる報道も猛烈な批判の対象になる。
報道回数において朝日新聞が抜きん出ていたとしても、当時の国内メディアは大半が吉田証言を事実として報道していた。


吉田清治証言を除外しても、韓国の軍「慰安婦」を「強制連行」と呼ぶか、これも価値評価の問題だ。
物理的な強制力を使えば「拉致(略取)」である。
仕事の内容を秘匿し、偽って連れ去れば「誘拐」である。
いずれも立派な刑法犯だ。


自分の娘が、仕事の内容を偽った勧誘によって外国に渡らされ、性的労働に従事させられたことを想像すればわかるだろう。
この「誘拐」を「強制連行」と呼ぶか否か、これもまた価値評価の問題だ。
現に「誘拐」を「強制連行」と評価した裁判例も存在する。


その程度の問題であり、20年以上も過去のことであっても、ある日突然、猛烈なバッシングに晒されることを今回の事件は露わにした。
どこかでGOサインが出されれば、どのメディアが狙い打ちにされるかわからないことを言論に関わる全てのメディアに知らしめた。


なぜそうした「誤報」が起きたのか。
根本的な原因は、情報が「秘密」だからだ。
吉田調書はそれ自体が「秘密」である。
吉田清治証言に関わる「誤報」がまかり通ってしまったのは、戦前の軍部全体が秘密情報の山で、多くの歴史的な証拠資料がすでに廃棄されているからだろう。


とくに吉田調書問題を見ればわかりやすいだろうが、「秘密」とされなければ、「誤報」も起こらなかったのだ。
一連の聴取結果が、国民共有の財産として公開とされ、教訓をくみ取るべく活発な議論がなされれば、このような問題は起きなかったし、議論の対象や内容も自ずから違ったものとなったはずだ。


吉田調書について、朝日新聞自身が裏付け取材が不十分であったとしている。
そもそも「秘密情報」について、裏付け取材を十分に行うなどということが可能なのか。
十分な裏付け資料がなければ報道してはならないとすれば、今後、「秘密情報」に関わる報道はできなくなる。
事実上、「秘密情報」に関わる報道は存在しなくなるだろう。


12月には秘密保護法が施行される。
政府は、取材、報道の自由を侵害しないというが、今回の事件で、報道のハードルは一挙に上がった。
十分な裏付け取材もなく、報道すれば、即、刑事処分が待っている。
誤報の後の対応が重要だ等という話では断じてない。
そして、「秘密」について、十分な裏付け取材を行うのは不可能だ。
朝日新聞は、全言論界に、秘密保護法の威力を見せつけるための、生け贄とされたのだ。


メディアは、益々、政府公認情報しか流さなくなる。
われわれは、そうした時代に入る。
それを覚悟して朝日新聞「誤報」騒動を見る必要がある。


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朝日新聞に対しては、いい気味だという思いもある。
朝日新聞は、執拗に弁護士増員を主張し、これに反対する弁護士・弁護士会に対して、バッシングを行い、今の弁護士窮乏化政策を導いた張本人だ。
経済基盤を失った弁護士は、権力に対する批判勢力とはなり得ない。
弁護士がまともであれば、おそらく、朝日新聞バッシングに対しては、強い異議が出されただろう。
日弁連会長の抗議声明も出たかもしれない。
しかし、世論の勢いに負ける今の日弁連から、そんなものは出ない。
「日弁連は秘密保護法に反対」している、にも拘わらず、だ。


小沢一郎に対する朝日新聞のバッシングも異様であった。
バッシングに積極的に加担した朝日新聞が生け贄にされた。


ナチスの暴圧を対岸の火事と見過ごした、どこかの牧師の述懐が、現実となっている。
「茶色の朝」が訪れようとしている。

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マゼール30枚組ー色艶のある名演揃いーキツイ音響でしかないベートーヴェンとの落差は、天才ならでは?

2014-09-16 | 趣味

マゼール追悼の30枚組CDボックスセット、残すはシベリウスの交響曲の半分他で、ほぼ聞き終えました。

 

 チャイコフスキー4~6番と管弦各曲、 序曲1912年は、二通りの演奏で、一枚は合唱付き、艶やかで響きは見事にコントロールされ充実、実に美しい。クリーブランド響の合奏力は唖然とする上手さで、完璧。ただし、オーケストラトレーナーだったセルのような冷たさは皆無。

ホルストの惑星は、曲が高級になったように聞こえる、素晴らしい分解能の録音と相まって圧倒される。フランス国立響の見事なアンサンブルとパリッと粋な音色で、曲も都会的に。実に面白い。おまけのボレロも、ウィーンフィルとの演奏とは大きく違い、スッキリ透明で気持ちのよい演奏。

ラヴェルの管弦楽曲を集めたウィーンフィルとの演奏は、粘りがありユニークで面白く、楽しい。最後のボレロは、途中で大きくテンポを揺らし、意表をつく。大きく異なる二通りのボレロに、思わずニンマリ。全曲が名演。ラヴェルの精緻な楽譜を余裕シャクシャクっで楽しんでいるマゼールの姿が見える。 ドビュッシーはこれから。

すべてに言えるのは、音響は、まるでクリスタルガラスのような輝きと透明さで、逡巡とは無縁、隅々までマゼールの意思が貫かれ、余裕のある堂々とした音楽。エネルギッシュでパワフル。色艶のある魅力たっぷりな名演揃い。なので、シュトラウスの数枚が最高なのは聴く前から保証されたようなもの、期待を裏切らない愉しい演奏で、同時に楽譜が見えるように明晰、呆れるほどに。

現代に近くなるとマゼールの棒が冴え、通好みのようなストラヴィンスキーの二枚(三大バレエ以外)の楽しさは無類。いや~、マゼールってほんとに天才。

 
 ところが、ここから信じられないことになります。

ベートーヴェンの交響曲全曲が、なんとも形容しがたいほどにダメなのです。縦割りでソッケナク曲が進み、情緒はすべて切り捨て、どの曲も最後まで聴くのはかなり疲れ、苛立つほど。 車に積んで聞いてもみましたが、事故を起こしそう(笑)。ベートーヴェンの大きさ・広がり・豊かさが消え、ただ強引なキツサばかりで、同じ人間の指揮とは信じがたい。

思うに、マゼールは、ベートーヴlェンのイデー(思想=楽想)に全く共感していないのでしょう。誰よりも強く、大きく、広がりゆく音楽をもたらしているベートーヴェン独自の「和声」を、マゼールの天才は拒否しているように思えます。

これほどの落差、他の艶やかで余裕のある名演と、苛立つような全く面白味のないベートーヴェンの交響曲。天才マゼールが、ベルリンフィルの常任になれなかったわけが、深くナットクできます。

うむ。  でも、か、だからか、愛すべきマゼールではあります。

 

追記
おそらく、マゼールにとって、ベートーヴェンの精神ないし思想を追体験しようという発想はないのでしょう。
手元に、80年にウィーンフィルと来日したときの名古屋での5番がありますが、テンポも表情もまるで異なります。クリーブランドとの演奏も時期はあまり変わらいので、不思議です。
どうとでも演奏できてしまうマゼールにとって、哲学的理念=精神性を要求してくるベートーヴェンの楽想は扱いにくいのでしょう。この全集は、一言でいうと、『バロック音楽化したベートーヴェン』です。 たぶん、実演では名演もあるでしょうが、それは、特定の状況が彼の通常の意識を超えてミューズの神に支配されたときのものと思います。

 

武田康弘

 

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スポーツを使い、国民を洗脳  NHKをはじめとする日本のテレビ局の恐ろしさ

2014-09-15 | 社会批評

 いま、右翼的な政権により、一人の「私」(実存としての「私」)ではなく「家族」や「所属団体」や「国家」の一員としての「私」という思想を植え付けるための教育改革(教育再生実行委員・中心者は「反人権思想」を謳う八木秀次麗澤大学教授)が進められていますが、

 それと符合させて、テレビのスポーツ番組では、野球でもサッカーでも「自分ではなくチームのために頑張っている」という言い方を選手がし、その選手の言葉を繰り返し紹介し、美談としてアナウンスしています。毎日幾度も聞かされるうちに、「私」を活かすという発想や言い方はしにくいムードが醸され、団体の一員であることを誇る→日本人として!という想念に染まっていきます。

 戦前思想=お国のために・滅私奉公というオゾマシイ思想は、個人意識を薄めていくことでやがておぞましくなくなり、愛国心を歌い時と場合では戦争も必要→(尖閣を一方的に国有化するという行為で中国を挑発し、中国の反発を利用して中国は悪い国という意識を植えつけ、軍事力の強化を正当化し、憲法の実質的改定を内閣だけで行うという挙に出、集団的自衛権でアメリカ軍との一体化と現実の戦争への参加を可能とし、軍事産業を育成して産軍一体化への道を拓き、国体思想を復活させ、戦前の国家へと戻る)という想念に知らぬうちに変えられる。

 安部晋三という名の首相は、日本の言うことを聞いてくれそうな国を「サカリのついた犬」のように回り歩き、金をばらまき(全部われわれの税金)、対中国包囲網を築くことに血道をあげ、その血なまぐささを消すために女性の活躍を(労働力不足をカバーするために女を利用せよ!)と女性の味方という演出をしています。

 みなの関心の高いスポーツを使い、気付かれぬように「自分ではなくチームのため」こそ正しい思想である、を植え付けるのは、裏の策士(謀略者)の仕事ですが、個人種目のテニスはどうするのかな~?と思っていたら、なんと、日本のテニス界の先駆らと結び付けて、清水光子さんの息子まで登場させて父(清水善造)は「大和魂」を持っていた、と言わせる!!!おお、なんとすばらいしことでしょう。横の一体感の演出だけでなく縦の一体感の演出で、日本日本日本、もう病気の進行は止められない??

 否、わたしが止めます。あなが止めます。狂気と凶器をストップ!!

 

武田康弘

 

コメント (3)
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中1の授業で『ローマの休日』を見る。 恋におちる 哲学=恋知の核心をつかんだ。

2014-09-12 | 教育
 

 中学1年生の女の子三人に『ローマの休日』を見せました。体育
祭の一日練習で疲れていたので、数学はやめて、映画鑑賞にしたのです。
皆、後半のアン王女と新聞記者が「恋におちる」場面からは、引きずり込まれるように見入り、深く感動した様子でした。顔は紅潮し、輝いています。


 わたしは、
いまのが哲学=恋知だよ、と話し、
「恋する次元」=聖なる狂気と「恋しない次元」=俗なる正気の対比が見事でしょ、と言いました。

「恋におちる」ことで、アン王女は一晩で別人に変わった=精神の自立を得て一人の人間となったこと、
現実的な得(多額の報酬)を超えて、「恋する次元」の高みに昇った新聞記者とアン王女との心と心が通い合う場面は、この世のものとは思えない美しさ=善美のイデアに直接触れるかのような感動を与えますが、そのイデアの世界を垣間見た中学1年生たちは、一瞬にして、哲学=恋知の核心を掴みました。上気していました。

「ただの日本人ではなく、優れた人間になるためには、善美に憧れる精神が必要で、それを分からせてくれるのが、「」だよね。恋は、人間の人間的な生の象徴と言えるよね。二千数百年前の古代ギリシャでソクラテスが示した「恋する次元」(=聖なる狂気)こそが、現実的な利害損得の「恋しない次元」(=俗なる正気)を支える基盤で、その逆ではないこと、それが恋知の意味なんだよ。」

黒板には、

 「恋する次元」=聖なる狂気 と「恋しない次元」=俗なる正気、ーー恋知・哲学の核心 

      恋愛が精神的自立を生む    人間の生きる意味は、善美に憧れる恋心にある。

と書きました。


 明治政府が「恋愛」を忌避し、日本の長い伝統を壊して「見合い結婚」を進めたわけを話しはじめたら、もう途中で、皆は、納得・ナットク・なっとく。深い強いよろこびで目と顔がピカピカ光っていました。


 数学以上に価値ある授業になりました。



武田康弘

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残念ながら、「尖閣」は、日本の領土ではないようです。今日の清水光子さんのお話  

2014-09-11 | 学芸

    清水光子さん(9月10日 白樺教育館)

 

今日の「恋知の会」で、
戦時中は台湾州のトップであり、最後(敗戦時)は、支那方面艦隊司令長官であった福田良三(海軍中将・勲一等)の実娘さんの清水光子さん(84歳)は、以下のように話されました。

お父さまから、尖閣は、台湾州の防衛ライン内であることや、台湾の漁民が漁場にしていると聞かされていた。」
また、「海洋学上(海底地形)も沖縄には所属せず、台湾州である」とも話していたとのこです。

清水さんは、「当時の海軍関係者は、尖閣は台湾州に属するものと認識していて、沖縄に所属すると思っていた人はいないはず。」と話されました。


これは、極めて重要な証言で、
台湾州は、ポツダム宣言を受諾して敗戦をしたわが国の領土ではありませんから、尖閣は沖縄に所属していたので日本領だとする政府や外務書の主張は、明らかな嘘であることになります。
日本人だからといって、嘘で領土を拡大することはできません。  中国敵視ではなく、日中友好が必要です。

 

以下は、福田良三さんの写真と、B級戦犯として上海から家族へ宛てた手紙です(クリックで拡大します)。

            

 

なお、興味深いお話がいくつもありましたが、それはまた後日に。

 

追記

 尖閣の領土問題を煽ったのが石原慎太郎であり、乗じたのが愚かな野田総理でした。石原は「シナと戦争したい」と語っていますので、尖閣で中国を挑発することがその目的であることは明らかです。
 領土問題の大宣伝を行う政府と政治家は、日本的「愛国主義」のイデオロギーを浸透させること→社会契約に基づく現憲法の全面廃棄(国体思想の復活)を目的としていますので、

国民は、その戦略の上で踊らされているわけです。
 市民=ネットしか、冷静な真実を伝えられませんので、ぜひ、拡散して、領土問題を冷静に考えましょう。それがホントウの国益=国民益になるはずです。

 

追記2

 伊藤博文は魚釣島=尖閣諸島を日清戦争時に尖閣を日本領として編入したのですが、その経緯は以下の通りです。

 1885年(明治18年)の時点で、明治政府(山県有朋)は、閣議で魚釣島(尖閣諸島)を日本の領有とすることを否定しています。
 この年の9月に沖縄県令(今の県知事)の西村捨三は、内務卿の山県有朋宛ての報告書で、

魚釣島は大東島とは地勢が違う し、中国の記録が多くあり、冊封船(さくほうせん/中国が承認した国の船)が通っていて島に詳しく、それぞれに中国名もついている。日本領という標識を立てるのは待った方がよい(要旨)」
と 記しています。
 これを受けて山県有朋は井上馨外務卿 に相談しますが、井上は
調べるのはよいが、右 島嶼(とうしょ)(魚釣島)に、国標を立てるのはよくない、清国の疑惑を招 く。また島を調査していることを官報並びに新聞に掲載してはいけない(要旨)」
と応えました。
 それを聞いて山県は、1885年の閣議で魚釣島の日本領有を否定 しました。


  ところがその10年後、日清戦争の末期に皇軍の勝利が確実になった時点で (1895年・明治28年1月14日)突然、伊藤博文は「標杭建設の義」を決定し領有に踏み切りました。
久米島魚釣島と称する無人島へ向け近来漁業等を試むる者有。之為取締を要するに、付ては同島の議は沖縄県所轄と認めるのを以て、・・・・明治二十八年一月十四日 内閣総理大臣伯爵伊藤博文」。

 

追記3

以下は、井上清さん(京都大学教授)の論文です。参考までに。
http://www.mahoroba.ne.jp/~tatsumi/dinoue0.html

 

 

武田康弘

 

 

 

 

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国家とは、われわれエリート政治家と高級官僚のもの、国民は従うのが道徳ーー安倍首相

2014-09-10 | 社会批評


安倍首相の教育改革は、ウヨク思想により、国家に従う国民の育成をめがけています。

国家の政治とは、一国民、ましてや子どもや学生が口を挟む領域ではない。東大法学部を卒業した高級官僚と、明治維新以降、代々、政治家を続けてきたわれわれ政治家が責任をもつことであり、
庶民はその分をわきまえて、それぞれの仕事に精を出すべきである。

それを徹底させて、日本人として生きる=日本の道徳を身につけた子どもたち=小国民をつくるのが学校教育の目的、

国旗=日の丸の旗に敬礼し、国家=明治天皇捧げられた「君が代」を心をこめ、しっかり口を開けて歌うことは、国民の最低限の義務である。

日本の父母は、こどもたちをしっかり躾け、目上の者の言うことに従い、個人・人間である前に、まず日本人であることを自覚させるようにしなければならない。日本に生まれた以上は、皇室を敬愛し、公のために生きるという「忠」の精神をもたなければならない。

以上に反する思想をもつ日本人は、さまざまな不利を背負って生きていくことになるが、それは自業自得というもの。いわば彼らは非国民」なのだから。

これは、安倍首相の長年の友人で思想的バックボーンでもあり、政府の教育再生実行委員の八木秀次・麗澤大学教授の思想ですが、新内閣の閣僚たちもネオナチ(ヒトラーの国家主義を信奉するグループ)と一緒に写真を撮ったりで、みな同じ、ウヨク国家主義者です。

こういうおぞましい思想をもつ人々がいま、日本を支配し、国民を日本国家主義で染め上げ、再び「富国強兵」を実行しようとしています。格差は当然のこと、と嘯いて、

これでもあなたは安倍内閣を支持しますか? 黙っていますか?  再び「戦前」へ。

 
武田康弘

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