思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

第1回 思想がなければ、現実の政治は行えません。明治維新を成したのは、吉田松陰の思想=水戸学です。

2023-11-05 | 社会思想

思想がなければ、現実の政治も行えません。

明治維新を成したのは、吉田松陰の思想です。それは水戸学であり、松陰の誤読ではあるのですが、本居宣長の国学でした。松陰は、自身が述べている通り、1857年(安政4年)春に思想が完成しました。

松陰は、尊王(天皇崇拝)を強調しても、なお攘夷(外国を打ち払う)ための手段として考えていましたが、1857年春からは、尊王自体を絶対的化させて、水戸学と完全に一致したのです。そこから従来の漢学中心をやめ、国学を読むようになり、水戸学と共に本居宣長を高く評価します。

松陰は、1859年12月27日に処刑(29才)されましたが、彼の思想・意思は、処刑により熱く松陰を慕う松下村塾の10代の若き塾生に受け継がれ、その後の過激な維新革命を生んだのです。

伊藤博文ら長州藩の若者は、江戸に積み立ててあった多額の長州藩藩金を横領してイギリスに渡りますが、彼等は、ロンドンに着くなり、日本とのあまにも大きな文明の差に愕然とし、攘夷(外国を打ち払う)など不可能なことを悟りました。伊藤は、その差が、強い宗教=キリスト教をもつところにあることを知り、日本は仏教という個人を救済し平等を重んじる弱い宗教しかないのでダメだ。強い宗教をつくらないといけないと考え、皇室の伝統を利用して、天皇教という一神教もどきを創り出したのです。

天皇という名をもつ者=京都の朝廷内の人間は、平安時代初期の村上天皇で終り、※その後800年以上は、今上とか御門とか様々な名で呼ばれ、天皇という称号をもつ者はいなくなりましたが、江戸後期の光格が再び天皇を名乗り出してから(在位1780~1817)は、天皇という名称が復活して、明治の睦仁で4人目(今の徳仁さんは8人目)でした。この睦仁を京都御所から江戸城に連れてきて、満年齢で14才の睦仁を教育して明治天皇=現人神に仕立てたのが伊藤や山県有朋らでした。

 ※ 詳しくは、学習院大学と大学院で教鞭をとる遠山美都男さんの『名前でよむ天皇の歴史』(朝日選書・2017年刊)をご参照ください。

武田康弘   

つづく。

 

 

 

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2 コメント

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マルテンサイト千年 (グローバルサムライ)
2024-03-28 19:38:22
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタインの理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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ソウルリスペクト (国学研究家)
2024-09-14 04:51:50
一神教はユダヤ教をその祖とし、キリスト教、イスラム教が汎民族性によってその勢力を拡大させたが、その一神教の純粋性をもっとも保持し続けたのは後にできたイスラム教であった。今の科学技術文明の母体となったキリスト教は多神教的要素を取り入れ例えばルネサンスなどにより古代地中海世界の哲学なども触媒となり宗教から科学が独立するまでになった。一方でキリスト教圏内でも科学と宗教をむしろ融合しようとする働きにより、帝国主義がうまれた。宗教から正当化された植民地戦争は科学技術の壮大な実験場となり、この好循環により科学と宗教を融合させようというのである。その影響により非キリスト教圏で起きたのが日本の明治維新という現象である。この日本全土を均質化した市場原理社会する近代資本主義のスタートとされる明治維新は欧米などの一神教国が始めた帝国主義的な植民地拡張競争に危機感を覚えたサムライたちが自らの階級を破壊するといった、かなり独創的な革命でフランス革命、ピューリタン革命、ロシア革命、アメリカ独立戦争にはないユニークさというものが”革命”ではなく”維新”と呼んできたのは間違いない。しかしその中身は「革命」いや「大革命」とでもよべるべきものではないだろうか。
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