思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

 日本人は、総体としては、人間になっていない。

2019-07-30 | 恋知(哲学)

 

 

 勝ち負けで生きる日本人、学歴が、名前が、経済力がすべてという日本人は、とても「人間としての生」にはなっていません。

 

 内的世界、内的豊穣、内的充実、内から湧き上がるものを持たないで、外なる価値意識に縛られて生きるいまの日本人は、個人としての精神、自分の思想を持てない存在で、自己の精神に誇りをもつ存在=人間としての生という次元にありません。

 

 哺乳類に共通の優しい目をもたず、無表情で、爬虫類のような攻撃性か、あるいは、上位者に従う奴隷のような従順性のどちらかですが、両者は、一つメダルの表裏で、同じことです。内面世界=精神世界がないのです。 すべての価値が恐ろしいまでに「単線的」で、人間性の面白さ、楽しさ、豊かさをもたらす「精神の自立」がまったくありません。深く意味ある話などできません。ただ少しでも金のある生活をしようとアクセクしているだけの存在です。金のある人はただ生活が楽なだけで、「いたづらに生死を繰り返すのみ」(ブッダの言葉)です。

 

 金メダルのために、多額のお金のために、世間価値の上位に行くために、勝つために生きる、それしかない、そういう人間であっては、自分が生きる意味(人間性の豊かさ=魅力)という一番大切な価値をもちません。

 

 以下は、一昨日のBlogですが、ぜひお読みください。
爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。気づかずに一生終われば幸せかな?


人間になる自己の精神をもつ誇れる存在として生きようではありませんか。 恋知の生を。

 


 2019.7  武田康弘(67才)

クリックで拡大   より大きな画面へは、ここをクリックで飛びます。

 

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夏休みまで受験主義の勉強やらせるのは、虐待ではないですか? ふだんももちろん。

2019-07-28 | 教育

  ふだんの日でもそうですが、わが日本の学習とは、学習ではなく、お勉強。自分の頭を使って考える学習ではなく、テスト勉強。

 だから、今の日本には使える頭の人がひどく少数で、とりわけ、思想や人文や法律や社会関連の知的レベルは、低いというより冗談のレベルです。

 

 ただの暗記とパターン知を競わせることしかないので、というより、ほんとうの学習の意味も方法も知らず分からずですから、もう末期症状。

 頭そのもの=脳の人間化ではなく、どれだけ教えられた通り・決められた通りに覚えられるか、それが優秀さの基準というのでは、もやはマシーン=AIで、「東大脳」とよばれますが、もう終わっています。

 

 夏休みまで、受験主義の勉学、テスト勉強をする、させるというのは、一体何を想い、考えてのことでしょうか?  山や海での自然体験が少なすぎです。お父さん、こどもと一緒に自然に溶け込む体験学習をしていますか? 雲かと見まがう天の川-満天の星野。

 「学校知」に縛られずに、自分の心身と頭全体で知り、想い、考える学習、ほんらいの学習を少しはしたらどうでしょうか? 受験塾に何万円も払うお金があるなら、博物館、科学館、プラネタリウムや美術館などを丸々一日かけてじっくり見る、そこに提示されている資料を読み、解説や映画などを視聴して、学芸員に質問する、という中身の濃い学習をする、させる、というのが、よい=正しい知的教育のはずです。 

 こどものクラシック音楽会もこの時期、各オーケストラが催していますから、コンサートホールで音楽を聞く。その体験はとても大切です。1度ではなく2度いくと、身に入ってきますし、その後、秋から冬にかけてのシーズンでも学生(小学生~大学生)は、半額とか1000円程度で聞けますから、人間脳をつくる基盤となります。日本人が思想音痴で自分の頭で考えられないのは、音楽(心身と頭の全体を刺激する音楽)を体験する経験が少ないことと符合していると思います。ピアノのお稽古=習い事というレベルとは異なる音楽体験が必要です。 

 直接体験として知るという基盤がないインチキな受験テスト勉強は、「よろこびのない学習という非人間的訓練の正当化」を当然とするような不毛な思想を生みだします。みなが不満や不全感・疎外感をもつのは当然ですが、この思想&システムを是認するために、スタティックな形式主義の道徳を押しつけて、なんとか秩序を保とうとしているのがわが日本の現状です。この不幸=知的退廃を変えるには、あなたの価値意識の転回が必要です。「エリート」&もどきの人ほどダメです。



武田康弘

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爬虫類のような戦闘脳=上下・勝負の人生に陥りやすい日本人。気づかずに一生終われば幸せかな?

2019-07-27 | 恋知(哲学)

 日本語は、相手を呼ぶとき、自分を呼ぶとき、いつも必ず、上か下かを意識しないとなりません。この言葉の使い方は、無自覚領域にまで入り込んでいて驚きます。その実際のありようを説明したのは、「ことばと文化」(岩波新書)で、すでに古典的な書です。

 自分と相手のどちらが上か下か、というふだんの意識は、勝つか負けるか、という意識と重なります。勝ち負け、勝負、上下意識、目上、目下、というのは、人間的な柔らかさ、豊かさとは異なり、おれが上だ、お前を下にする(あるいは逆のヘリ下りでどちらも同じこと)、となります。

  それは、日本人の好戦的な気質そのものです。隣の家より上!?下!?とか、他人の不幸は蜜の味、とかの日本人の意識は、爬虫類の戦闘脳のようです。学習もお勉強と呼び、勝つか負けるかであり、経済も勝ち組vs負け組であり、ほんとうの助け合い=公共など不可能です。公共まで勝ち負け(笑)。

 スポーツも楽しみではなく、とにかく勝負ですし(スポーツという英語は元々そういう意味ではありません)、知的営みや芸術的営みも、勝負!!(笑)です。日本には受験勉強しか存在せず、それは全然知的ではありませんが(クイズの知にすぎない)、それに気づいている人も稀です。アインシュタインなどの天才は、日本の基準で測れば、落ちこぼれか不良です。

 どうやら、人生は、実存としての意味充実とは無関係で、内的豊穣とも無関係で、こころの内から湧き上がる自然なよろこびとも無関係のようです。上か下か、勝つか負けるか、という爬虫類のもつ戦闘脳に依拠した生を貫くのがわが日本人!!?? 確かに、よく言われる「政治的」国民(人を右とか左とか色分けし、政治の議論をするのはご法度!ーゆえに底なしに政治的)ですね。

 なにもかもシステム化され(天皇・元号システムはその頂点=象徴です)「システム 内 人間」ですから、枠組み・システムをそれ自体を意識し、変更しようなどとは考えもしません。従順な生徒、従順な会社員、従順なお役人、従順な〇〇です。上下意識と勝ち負け意識で固められている日本人には自由(実存としての生)がありません。あんたより上よ!弁えなさいよ!とお上品な顔をして声に出さずに言う(笑笑)。それがわが日本人の正体かな。あれれ、なんとも愚かで不幸ですね、でも気づかないで一生終われば、幸せ?



デルフォイの神殿跡に座るわがソクラテス教室のソクラテス爺。
撮影は、昨年、染谷裕太君



武田康弘

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れいわ新選組の選挙集会における、元文部科学省事務次官・前川喜平さんの演説。 「嘘をつき続ける安倍晋三がまだ首相を続けている!!」

2019-07-23 | 社会批評

 以下は、れいわ新選組の選挙集会(新宿駅前)における、元文部科学省のトップ(事務次官)・前川喜平さんの街頭演説です。

 

 モリカケ問題、例で取りましょう。

 逃げ回ってます。本当ならばね、参議院でも、衆議院でも、特別委員会を作って、そこに誰でも証人喚問して、加計孝太郎さんも安倍昭恵さんも、証人喚問したらいいんですよ。そこで嘘をついたら、そら罪、かぶってもらわなきゃいけないですよ。本当の事言ってもらわなきゃ。

 皆んなで、夫婦で、行政を私物化したんじゃないんですか? 国民の税金を、自分のお友達のために使おうとしたんじゃないんですか? 国民の土地を、タダ同然でお友達に売り払ったんじゃないんですか? 

 本当にね、わかってるんだから、嘘ついてることは。

 皆さん去年の5月に、愛媛県から出てきた文章があったんですよ? 覚えてますか? そこにはしっかり書いてあった。加計孝太郎さんと安倍晋三さんは、2015年の2月25日、15分間面談したって書いてある。そこで、加計孝太郎さんが新しい獣医学部の話をしました。それに対して、安倍晋三さんは、そういう新しい獣医大学の考えはいいね、と、コメントありって書いてある。そこから始まってんだから、2015年の2月で、もう話が決まってるんですよ。

 それが2017年になって、初めて決まりましたって言ってるわけなんです。2017年の1月になって、初めて、加計学園の獣医学部の計画を知った。と、安倍さんは国会で答弁してる。これは嘘だ。加計孝太郎さんと、新しい獣医大学の話をしたことはない。と、ずっと国会で答弁してきた。これも嘘だ。国会にも国民にも嘘をつき続けている、総理大臣、それがなんで6年半もいるんだ。


 全文は、以下です。

前川喜平:
いや、皆さん、こんばんは。あの、私、立候補してませんから。いや、すごいですね。この、れいわ新選組の熱気は。これだけ、安倍政権に対する、不満のマグマが溜まってるんだっていうのが分かりましたよ。安倍政権は、倒さなければいけないんです。安倍政権は、国民に嘘をつき続けています。安倍政権は、国民を騙し続けています。なんでも偽装し、偽造し、捏造し、改ざんする。偽装、捏造、安倍晋三っていうんだから。これは民主主義に背く行為なんですよ。それは国民が取り替えなきゃいけないんです、こういう政権は。

まぁ、モリカケ問題、例で取りましょう。逃げ回ってます。本当ならばね、参議院でも、衆議院でも、特別委員会を作って、そこに誰でも証人喚問して、加計孝太郎さんも安倍昭恵さんも、証人喚問したらいいんですよ。そこで嘘をついたら、そら罪、かぶってもらわなきゃいけないですよ。本当の事言ってもらわなきゃ。皆んなで、夫婦で、行政を私物化したんじゃないんですか? 国民の税金を、自分のお友達のために使おうとしたんじゃないんですか? 国民の土地を、タダ同然でお友達に売り払ったんじゃないんですか? 本当にね、わかってるんだから、嘘ついてることは。皆さん去年の5月に、愛媛県から出てきた文章があったんですよ? 覚えてますか? そこにはしっかり書いてあった。加計孝太郎さんと安倍晋三さんは、2015年の2月25日、15分間面談したって書いてある。そこで、加計孝太郎さんが新しい獣医学部の話をしました。それに対して、安倍晋三さんは、そういう新しい獣医大学の考えはいいね、と、コメントありって書いてある。そこから始まってんだから、2015年の2月で、もう話が決まってるんですよ。それが2017年になって、初めて決まりましたって言ってるわけなんです。2017年の1月になって、初めて、加計学園の獣医学部の計画を知った。と、安倍さんは国会で答弁してる。これは嘘だ。加計孝太郎さんと、新しい獣医大学の話をしたことはない。と、ずっと国会で答弁してきた。これも嘘だ。国会にも国民にも嘘をつき続けている、総理大臣、それがなんで6年半もいるんだ。他にも、いろんな嘘ついてるし、いろんなこと隠してます。そうだ。年金の財源検証、ちゃんとやってないじゃないかと。早く財政検証明らかにしてくださいよと。あるんでしょ、と。あるもの隠すなと。年金は減っていくでしょ? 減っていくってなんで言わないんだ? 何が100年安心だと。お金はあるところにはある、消費税で国民から取るんじゃないんだと。税金取るべきところから取ってないだけだ。まぁ、あの、形ばかりのね、無償化施策取ってますよ。しかし、これ問題大有りですよ。幼児教育無償化、これ、まやかしです。幼児教育無償化と言っても、この、入れない人がいるんだから。待機児童そのままにして、無償にしてどうするんだ。まず待機児童解消しろよと。ちゃんと認可保育所に全員が入れるようにしろよと。その原因をちゃんと突き止めて、その原因をなくせ。それは何か? 保育士さんの給料安すぎるんですよ。保育士さんがちゃんと仕事ができる。そういう、処遇をする。配置も改善する。そうすれば、資格持ってる人はたくさんいるんだ。だから、保育士さんはちゃんと確保できる。そうすれば、保育所はちゃんと作れる。そして待機児童無くしてから、無償化しなさいよと。待機児童をほっといたまま無償化するなんて、本末転倒も甚だしいんですよ。高等教育の無償化、これも、まやかしだらけ。ほんのちょっとの一握りにしか恩恵は行かない。しかも今まで、授業料の減免をもらっていたような人たちが、減免もらえなくなるかもしれない。そういう危険がある。

さらに問題なのは国の役に立つ勉強する大学に行くんだったら、無償化にしてやる。しかし、国の役に立たない勉強するんだったら、お金出してやらない。こういう制度になっているんですよ、知ってました? 若者たち皆が大学に行って勉強できるようにするんじゃないんです。国の役に立つんだったら金出してやる。立たないんだったら出してやらない。こういう制度なんですよ、この高等教育無償化っていうのは。これは絶対おかしい。何を学ぶかは、若者の権利なんだよ。若者が自分で選べばいいんだよ。

だけど、GDP引き上げるのに役に立つ勉強するんだったら、出してやる。しかし、憲法勉強するとか、インド哲学勉強するとか、そういう若者はお金出してやんないよっていう、こういう発想ですからね。
税制もおかしいですよ。お金はちゃんと、あるところから取らないと、おかしいんですよ。お金を転がして、株の売買して、どんどん、どんどん儲けている人。これ、20%以上の所得税払ってないんですから。これ、おかしい。金融所得に対する課税は、絶対に直さなければいけない。しかし、これは今の安倍政権は、絶対にやらない。このお金持ちから支援されているわけだ。

もっとひどいのあるんですよ。教育資金一括贈与非課税制度。もういっぺん言いますね。「教育資金一括贈与非課税制度」。何だか知ってますか? お金持ちのおじいちゃんが、相続税対策に使っているんです。かわいい孫が、例えば4人居たとする。一人に1500万円。これは教育費に使うんだよと言えば、無税で、贈与税も、相続税も無しで、贈与できちゃうんですよ。こうやって、ひとり1500万円をもうポンポンと孫たちにあげることができる。

それ、税金かからない。こういう仕組みがある。これ、お金持ちの孫ですから、安倍晋三さんもそうだけど。そういうところの人たちは、元々お金持ってるんだから。そこに、相続税も贈与税もかからないお金を贈与できるっていう仕組みがあるんですよ、今でも。これ、早く無くさなきゃおかしいんです。

これは、明らかな金持ち優遇政策。このおじいちゃんやおばあちゃんが亡くなるときに、相続税払わなくて済むようにしている。払うのは、その子どもや孫なんだけど。そこに税金かけずにお金がいくようにしてるんです。

こんな税制、放っておいて、それで、高等教育の無償化なんて、ちゃんちゃらおかしいんですよ。こういう税制を無くしてから言ってくれと。

要するに、もうほんの一握り、1%の大企業と、それに群がっている人、そして富裕層、ものすごいお金持ち。そういう人たちだけの政治してるから、今みたいな話になってる。ここにいる皆さんは、そうじゃない。99%の皆さんなんです。

この安倍政権には、怒りを覚えなきゃ、おかしいんです。多くの人が、だまされてます。もうこれ以上、だまされてはいけないんです。

安倍改憲も絶対、許してはいけません。いよいよ、安倍自民党総裁は、公約に憲法改正を持ってきた。ここで参議院・衆議院3分の2以上の改憲勢力が確保できれば、本当に発議しますよ。どんな発議するか。憲法9条に9条の2を加えて、結局、集団的自衛権を行使できる国にしてしまう。自衛隊が地球の裏側までいって、アメリカと一緒に日本にとってなんの恨みもない相手と戦う。そんなことになっちゃう。何のための自衛隊ですか。自衛隊は、日本の国民を守るためにいてるんでしょ。なぜ、トランプさんのために戦わなきゃいけないんですか。おかしいでしょ。

緊急事態条項、こんなの許した大変ですよ。もう緊急事態ですっていった途端に、安倍さんは独裁者になる。憲法は停止される。もう憲法がない国になってしまう。国民の人権をどんどん踏みにじられる。そういう国になってしまう。こんな改憲、許しちゃいけないんです。だけど、このまま3分の2が安倍さんのとこにいってしまったら。公明党も維新も改憲補完勢力ですよ。彼らが3分の2を占めてしまったら何が起こるか。発議したあとは、ばんばん、ばんばん、テレビのコマーシャル打つんですよ。お金持ってますからね。

もうテレビのコマーシャルが皆んな改憲一色になるでしょう。もう憲法改正すると、国民は豊かになります、幸せになります、皆んなの幸せのために憲法改正しましょう。こういうコマーシャルを、ばんばん、ばんばんやるんですよ。新聞にも、雑誌にも出るでしょう。「ViVi」だけじゃなくて。

そうやって国民を洗脳してっちゃう。自覚をしている人たちはいいですよ。しかし、何も考えずにそのコマーシャル見てる人たちはそれに流されちゃう。そうやって、もう奴隷のような国民になってしまう。そうなっちゃいけないんです。だから今、止めなきゃいけない。そのために立ってくれたのが山本太郎さん、れいわ新選組。よろしくお願いします。

木内みどり:
ありがとうございます。前川喜平さんでした。


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岡本典子さんの  こどもの心のことば

2019-07-22 | 教育
 
 

 

🍀 子供が努力しないのは、 努力が報われない社会だから。

 子供が勝負しないのは、 負けたら終わりの社会だから。

 子供が信用しないのは、 裏切るのが当然の社会だから。

 子供が挑戦しないのは、 夢を馬鹿にされる社会だから。

 子供が成長しないのは、 責任を押し付ける社会だから。

 子供が嘘をつくのは、    総理大臣が嘘をつく社会だから。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


こどもたちは、憲法14条で、門地(家がら、生まれ)により差別されない、となっていても、超がいくつもつく差別を毎日のように見せられています。特別な一家、一族がいるのをこどもは誰でも知っています。


政治家は嘘をつくのが当たり前、でも、ていねいな言葉でしゃべれば、全然罰もない。


忖度させる圧力を目くばせでかけて、自分(たち)の思い通りにする、でも、何も言ってません、と言うのが日本の国。形だけつければ、何でもOK、底知れぬインチキがお上品な顔をして通る国、それがわがニッポン。

 

 

 

 

 

 

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野党共闘の実現で10人もの当選者! 小沢一郎さんが最大の功労者です。

2019-07-22 | 社会批評

 

 共産党アレルギーをもつ「小さな」人々の群れが従来の野党でした。

それを変え、野党共闘を現実のものとした最大の功労者は、小沢一郎さんです。

 ほんとうの力をもった人間がいないと、現実は変えられないのです。

 「言葉」と「理屈」の小さな世界、自分の「正しさ」に拘(こだわ)る人々では、現実政治はできません。
清濁併せのむ大きさがないと、何ひとつ動かせないのです。

 小沢さんを冷遇したり、のけ者にしたり、さらには悪者にしたり(旧民主党の執行部)では、話になりません。

 

 共産党を含む野党連合が成立していなければ、一人区はほとんど全滅でした。10人もの当選者を出せたのは、すごいことです。
衆院選に向けて、まだ不十分な野党共闘をさらにしっかりさせないといけません。志位さんの決断にも拍車を送ります。

 もし山本太郎さんの「れいわ」が政党条件を満たすようになれば、れいわも含めて共闘です。

戦前の国体思想から、人民主権の民主主義を守るのは、何よりも重要な「はじめの一歩」なのです。

 

 

 ※ わたしはマルクス主義=唯物論哲学とは無縁で、それとは逆の現象学・実存論につくものですが、そのことと、現実政治で何をすべきかを考えるのは、次元が異なる話です。


武田康弘

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「恋知」のA3ポスターが完成!!(嬉)お役立てください。

2019-07-22 | 恋知(哲学)

今日、手作りの「恋知」A3ポスターを完成させました。作成は大変でしたが、とっても有意義と思います。恋知という発想を広めるのに役立たせます。みなさまも、ぜひ、ご活用を!
 
この複写は、いま、部屋の中で手持ちで撮影したものです。腕とカメラ(ソニーRX-1R)の双方の優秀さの証明!(笑笑)三脚を立てると足の影が出るので致し方なくです。

このポスター風の恋知案内は、細かな説明文も含めて、すべてわたしのオリジナルです。

それから、中央のはがきの絵(86%縮小)と「恋知」の字を書いて送って頂いた長崎の本村典子さんには、とても感謝です。

 

 

 

 


 

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安冨東大教授の告白と訴え。日本人みなが聞くべき話です。 東大病(教)の恐怖!こどもを愛し、守ろう。

2019-07-19 | 教育

◆エリートコースを歩んだ安冨氏、自身は「虐待のサバイバー」「私は名前を『あゆむ』から『あゆみ』に変えました。
 変えたら、名前を呼ばれてもドキッとしなくなりました。なんでドキッとしないのかなと思ったら、『あゆむ』が母親に叱られる名前だったことに気がつきました。
 
 親とは10数年前、妻と離婚しようとする時に母親が猛烈に妨害してきたので、弟経由で『もう連絡してくんな』と言ったら、それっきりうちの親は連絡してこないんですね。
 なので、振り切っていたつもりでいたんですけれども、名前を呼ばれるだけでドキッとしてしまう。本当に驚きました。

 子どもの虐待は、ふつうに虐待と思っているようなものだけではありません。私の両親は私を立派に育てました。
 京都大学に入って、住友銀行に入って、大学院に入って博士号を取って、東大の教授になるエリートコースに入ったんですが、その私は虐待のサバイバーだと思っています。 京都大学に合格した時も、東大に職を得た時も、私はこれっぽっちもうれしくなかったんです。そういった時、いつも私はホッとしていました。成功する人間というのは、そういう人間です。『成果を上げなければ、生きてる値打ちなんかない』って心の底から思ってるから、成果を挙げられます。

 東大や京大に合格するような勉強のために青春を捧げるのは、まともな人間には無理です。『合格しなかったら死ぬ』って思ってるから合格するんです。そんなふうに子どもを育てるのは虐待です」 誰もがうらやむような“エリートコース”を歩んできた安冨氏。1997年に出版した『「満洲国」の金融』(創文社)では、日本経済新聞経済図書文化賞を受賞してもいる。しかし、それは「成果を出せなければ、生きている価値がない」と思わされていたからだという。 現代ビジネスのインタビューでは、親から受けた無言のプレッシャーについて語っている。子どもに過剰な期待をし、「いい大学に行かなければ」「大手企業に就職しなければ」と思わせるのもれっきとした虐待だと安冨氏は主張する。

◆「この国を主導する学歴エリートは、おびえている」 
 
それは安冨氏だけの話ではない。一流大学に進学し、官僚や大手企業の社員になるような学歴エリートは、みなそうしたメンタリティを植え付けられているという。
「この国は、学歴エリートによって主導されています。私たちエリートはおびえています。誰かに何かを言われるんじゃないかと。とくに、自分に力を振るうことのできる人に叱られるのにおびえています。
 50何歳にもなっても、親と縁を切って10年以上も経っているのに、東大教授で有名人なのに、『あゆむ』という名前を呼ばれただけで私はおびえるんです。子どもを守るというのは、私のような人間を作らないということです。そんな人間に社会を主導させたら、どうなるか想像してください。

 なぜエリートは、原子力発電所のような、最初から安全に運営することなど不可能なシステムを安全に運営できると信じられるのか。彼らは偉い人に叱られるのが怖いので、そう信じられるんです。そういう人々にこの国を任せてはいけません。おびえない人に任せないとダメなんです」 エリートたちは、子どもの頃から自分より強い立場の人間と戦う勇気を育まれず、不当なことでも黙って従う大人になってしまう。原発を平然と推進できる「エリート」の官僚も、結局は上司が怖いだけの存在だ。そう、安冨氏は説いている。 そうした人々に国の重要な決定を任せてはいけないという。

「自分自身が自分自身であるということを受け入れてる人、自分がおかしいと思ったら、おかしいと思える人。そういう人にしか重要な決定を任せてはいけません。 安倍さんは学歴エリートではないです。だけど、彼はもっとすごいエリートの家の出身です。そういう人々もおびえています。お母さんに叱られるのにおびえています。おじいさんの夢を実現できないと叱られるから。 恐怖にかられて決定を下す人に社会を任せれば、社会は滅亡に向かいます。私たちが必要としているのは、おびえない、やさしい、強い心を持った人々です」

◆「子どもを躾ける権利なんか大人にはありません」 安冨氏は、そうした現代日本への処方箋として、こう結んでいる。「楽しいことをやってください。そのための心を取り戻しましょう。私たちは子どもたちに学ばないといけません。子どもを叱るのをやめてください。子どもを躾ける権利なんか、大人にはありません。私たちの狂気を今日断ち切って、子どもたちを守って、本当に楽しい社会を今、作りましょう」 毎年3000人ほどの東大生が卒業し、戦後70年以上を過ぎて約20万人以上の東大卒が日本社会にいることになる。しかし、貧困も、障害者や難病者の生きにくさも、子ども虐待も、原発依存も、東大卒は官僚になろうが、大企業に入ろうが、研究者になろうが、解決できなかった。 偏差値で序列化される学力や学歴偏重の人材登用のシステムが、社会を生きやすいものに変えられなかったのは明らかだ。 

 彼ら「エリート」の惨状を見据えると、安冨氏が自身のおびえを告白した上での「子どもを守ろう」と呼びかける言葉がずしりと重く響く。
 日本では、全国の児相に寄せられる子ども虐待の相談件数が30年前と比べて約130倍にまで増え続けてきた。だが、子ども虐待防止を強く訴える立候補者は今回の選挙でも極めて少ない。 れいわ新選組では、比例の1位、2位の特別枠を難病者と重度障害者の候補が占め、3位に代表・山本太郎氏を据えているため、安冨氏の当選を危ういと見る向きもある。 学歴エリートに支配されない社会に生きたい日本人は、どれだけいるのだろうか?<取材・文/今一生>(改行と太字は武田による)

ーーーーーーーーーーー

以下は、7年前の対話の模様です(その時は、まだ女装ではありません)。

「東大話法」と「東大病」をめぐっての四者会談―安冨歩さんらと。(クリック)

 左・安冨さん                       右・わたし(武田)




 

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極めて不可解な警察=京アニ放火犯の氏名を公表しないのはなぜ? その意図は。

2019-07-19 | 学芸

 

 京都アニメションへの放火犯は、現行犯逮捕され、免許証から、氏名も住所もすべて分かっているのに、警察は、41歳の男としか発表しないのは、なぜか?

 極めて不可解な警察の態度です。

 警察は、すぐに、情報を公開しなければいけないのです。



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員調査員)

 

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日本型支配の恐ろしさー「形」を要請することで、実存の自由を消去する。

2019-07-13 | 恋知(哲学)

 人間は象徴動物なので或る「形」を要請することで、特定の想念をもつようになります。明治の開国から敗戦まで、有名な知識人の多数は天皇崇拝者になりました。ならなかったのは、弾圧の中で民権運動を担った者や社会主義者と呼ばれた民衆派ら、日々の経験につく「生きた知」の実践者のみでした。

   形の要請は、現代でも服装や持ち物を規制する校則や社則に上手に用いられています。思想の外形(形式)だけをつくり、内容は明示しないという方法は、特定の想念や生き方を本人に気づかせずに刷り込むことを可能にします。官僚支配などもみなこの手法で行われてきました。形式をつくり、それに従わせることで、考え方と生き方をコントロールできるのです。今の子どもたちの生活を例にとれば、固苦しい儀式としての入学式や卒業式に従わせること、部活動で毎日長時間の拘束をすること、勉強とは受験勉強であると限定すること、で「型ハマリ人」が出来、なぜ、どうして、何のため?という意味内容の追求が弱まります。自由な発想―「私」からはじまる伸びやかさや豊かさの世界が拓けなくなるのです。

明治天皇肖像 (明治天皇の肖像・明治23年に全国の 学校と役所に配布し拝ませた)

   明治の官僚政府は、小学一年生から毎日天皇の肖像(写真を元にしてつくった絵画)を拝ませ、日本史を天皇の歴史として教え、皇室への尊敬心を植え付ける教育を徹底させましたが、そのために、個人の内面世界は抑圧され、各自の心は「天皇制国家を維持する愛国心」という外面思想に犯されてしまいました。「私」の心・内面世界・個人のイマジネーションの広がりや構想力は、邪魔(じゃま)とされたのです。今日に至るも、実存的な思想や全体の意味を構想する能力は求められず、「餅は餅屋」として種々の技術を磨くことや専門知だけが必要とされ、生き字引のような暗記頭が高評価されています。意味論としての知や自分の頭で考えるというほんらいの哲学の営みは日本にはほとんどありません。大学哲学は専門知になっていますので、「哲学者とは哲学することで馬鹿になった人種のことだ。」という嘲(あざけ)りがその通りとなっています。

   「現実」とは、人間にとっての現実である限り、文学や演劇や音楽などの非現実を含んではじめて現実なのですが、政治的、経済的な外的現実ばかりが肥大化した国に生きると、生きる意味である「私」の内的世界は育たず、ロマンや理念の世界が消えてしまいます。即物的な価値観に支配された灰色の不幸に陥ります。情緒音痴で表情に乏しい人、紋切型で人間味の薄い人で溢れます。全てが数値化され序列化された国では、「私」固有の生の意味が失われてしまうからです。他者との競争と損得勘定が生き方の中心となれば、対話や議論も勝つか負けるかの「ディベート」にまで貶められ、なにがほんとうかを目がける「恋知(ほんらいの哲学)問答」の営みは育ちません。「日本人ほど政治的な国民はいない」と言われるのは、ありのままの心を見、私の考えを育て・語ることが少なく、たえず上下意識を持ち、他者からの承認に怯えて効果ばかりを考える言動に終始しているからです。「私」から立ち昇る実存的魅力に乏しい生は不幸です。

   外なる価値を追い求め、世間体を気にし、序列意識に支配されていては、中身・内容に乏しい「真実のない人生」しか得られないはずです。それでは人生の失敗というほかありません。

武田著「恋知」第1章より

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安倍政権と若者の意識、底知れぬ恐ろしさの正体は? 正鵠を射る東京新聞論説は、必読です。

2019-07-11 | 学芸

ぜひ、じっくりお読みください。正鵠を射る論説です。 「東京新聞」・2019年7月12日朝刊



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フィロソフィーとは主観性の知です。「客観」とは背理。楽しく豊かに。

2019-07-07 | 学芸

 

 客観とは背理であることを踏まえるのが「認識論」の基本なのですが、この純哲学領域の極めて大切な原理を弁えない人が、あまりに多く、そのために、無用の混乱が生じます。

 

 どのような見方もみな「主観」であることを明晰に意識しないと、争いが絶えません。民主制も公正や公平という概念も客観ではなく主観です。

ただ主観にも種類があり、感情を爆発させるような主観もあり、落ち着いた主観もあります。自由で豊かな主観もあれば、固くて意固地な主観もあります。言葉ではとても説明しきれない多様さを持ちます。だから人間は面白く、豊かで、楽しく、生き生きとします。

 

 話をするときに何より大切なのは、自分の感じ方・想像世界のありよう・よいと思う考え方を正直に述べることです。一番困るのは、それを開示しないで、「○○は○○であるはず」と決めるような発言・行為・生き方です。客観的真理(あるいは「もどき」)が存在すると思う心が、人間性の根源=エロース領域を犯してしまうのす。

 

 会社組織であれ国家機関であれ、管理者側の人は、この客観という神話に囚われている人が多く、現状に対する無難な思考や多数派を正しい(=客観)と信じます。調停者である自分の判断(それも主観なのですが)が正しいと思い込みます。役人的気質です。こどもの頃からお受験で、生き生きとエロース豊かに生きてこなかった人は、客観的真理があると思い込む「客観宗教」に囚われてしまう不幸に陥りがちです。日本人ものびのび楽しく、人間性豊かに生きたいものです。


武田康弘


 

 

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「元号は伝統」というのは、真っ赤なウソです。

2019-07-04 | 社会思想

 中国にならった「元号」の制度は、「大化」(645年)にはじまり、二度の中断をはさみ、「大宝」(701年)から続きましたが、その伝統は、江戸時代と共に終わりました。

 明治からは、一世一元という新しい元号制度=天皇と元号を結び付けて、近代天皇制と呼ばれる天皇中心主義国家のシンボルとなったのです。国民に一世一元の元号を使用させることで、日々、自然に天皇という存在を意識させるのが、明治政府の目論見(もくろみ)でした。  明治維新が、大化から慶応まで1200年あまりの日本の伝統を壊して作った「天皇現人神」という国家宗教=国体思想=靖国思想は、大きく深く日本人に浸透し、いまなお続く呪縛力にはただ驚くほかありません。

 一世一元の元号の果たす役割(天皇という存在を人々の深層心理にまで入り込ませる)は恐ろしいほどのものと言えます。

 江戸時代までの伝統の元号とは、大化(645年)から慶応(1868年)までの1223年間に244の元号ですから、一つの元号の平均の長さは、5年強です。天皇在位とは結びつかず、頻繁に変わる時代名でした。江戸時代では庶民は、時間を測る尺度にはならないので、干支(12年×5=60年で一巡)を使っていました。  ちなみに、最初の「大化」は、4年8カ月。次の「白雉」も4年8カ月、「朱鳥」6カ月、「大宝」3年1カ月、「慶雲」3年7カ月です。 最後の江戸時代末は、「万延」11カ月、「文久」2年11カ月、「元治」1年1カ月、「慶応」3年5か月です。

 ※また、天皇という中国にならった呼び名は、天武(673年)が最初であり、平安初期の村上天皇までで、その後は800年間もの間「天皇」と呼ばれる存在はいませんでした。天皇と呼ばれた一族は、実権を失い、京都のローカル王にすぎなくなったからです。「天皇」の復活は、江戸時代後期の光格天皇まで待たねばなりません。しかし、今日でも、今上(こんじょう)とか御門(みかど)などと呼称され、死後は「〇〇院」と呼ばれた存在もみな「天皇」としているのは、明治維新による歴史の改ざんのままです。明治政府の方針(日本の歴史は天皇の歴史というウソ)にいまなお従っているのでは、あまりに愚かです。スサマジイまでの洗脳が続きます。


武田康弘

 

 以下も、ぜひ、お読みください。

人類思想の三分類 「儒教・儒学」 「ソクラテス・ブッダ・老子の実存思想」 「キリスト教・イスラム教などの一神教」 と、「恋知」

 英訳もあります。クリック

 

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秘められた大曲「ディアベッリ変奏曲」ー王子ホール会報「楓」より。10月1日にポール・ルイス独奏会。

2019-07-02 | 芸術

 わたしの大好きな、そして、まだまだ知られていない超がつく大曲(ベートーヴェンは進みすぎ!)の「ディアベッリの主題による変奏曲」について、王子ホールの会報に記事がありましたので、コピーします。

 10月1日にはポール・ルイスによる待望の演奏会があります(昨年、わたしは、ルイスにメールをし、リクエストしました)。残席があるようですので、みなさまもぜひどうぞ~~。







 

 

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明治政府がつくった「元号」が伝統!という真っ赤なウソを信じる日本人の哀れ。

2019-07-01 | 教育

 中国にならった「元号」の制度は、「大化」(645年)にはじまり、二度の中断をはさみ、「大宝」(701年)から続きましたが、その伝統は、江戸時代と共に終わりました。

 

 明治からは、一世一元という新しい元号制度=天皇と元号を結び付けて、近代天皇制と呼ばれる天皇中心主義国家のシンボルとなったのです。国民に一世一元の元号を使用させることで、日々、自然に天皇という存在を意識させるのが、明治政府の目論見(もくろみ)でした。  明治維新が、大化から慶応まで1200年あまりの日本の伝統を壊して作った「天皇現人神」という国家宗教=国体思想=靖国思想は、大きく深く日本人に浸透し、いまなお続く呪縛力にはただ驚くほかありません。

 

 一世一元の元号の果たす役割(天皇という存在を人々の深層心理にまで入り込ませる)は恐ろしいほどのものと言えます。 

 江戸時代までの伝統の元号とは、大化(645年)から慶応(1868年)までの1223年間に244の元号ですから、一つの元号の平均の長さは、5年強です。天皇在位とは結びつかず、頻繁に変わる時代名でした。江戸時代では庶民は、時間を測る尺度にはならないので、干支(12年×5=60年で一巡)を使っていました。  ちなみに、最初の「大化」は、4年8カ月。次の「白雉」も4年8カ月、「朱鳥」6カ月、「大宝」3年1カ月、「慶雲」3年7カ月です。 最後の江戸時代末は、「万延」11カ月、「文久」2年11カ月、「元治」1年1カ月、「慶応」3年5か月です。

 

 ※また、天皇という中国にならった呼び名は、天武(673年)が最初であり、平安初期の村上天皇までで、その後は800年間もの間「天皇」と呼ばれる存在はいませんでした。天皇と呼ばれた一族は、実権を失い、京都のローカル王にすぎなくなったからです。「天皇」の復活は、江戸時代後期の光格天皇まで待たねばなりません。しかし、今日でも、今上(こんじょう)とか御門(みかど)などと呼称され、死後は「〇〇院」と呼ばれた存在もみな「天皇」としているのは、明治維新による歴史の改ざんのままです。明治政府の方針(日本の歴史は天皇の歴史というウソ)にいまなお従っているのでは、あまりに愚かです。スサマジイまでの洗脳が続きます。


武田康弘

 

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