思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

漱石の手紙発見! 杉村楚人冠(そじんかん)と夏目漱石と「平民新聞」ー杉村楚人冠邸園の写真7枚

2016-08-31 | 学芸

   我孫子市寿の拙宅(古代ギリシャ史を中心に据えた歴史家の村川堅固・堅太郎父子の旧別荘の向かい)から徒歩10分のところに旧・杉村楚人冠邸があります。

 杉村楚人冠(すぎむらそじんかん)旧邸は、我孫子市が管理し資料館にもなっています。昨日30日に、楚人冠の遺品から夏目漱石の未発表の手紙が見つかったというニュースが、東京新聞記に大きく取り上げられましたが、そもそも二人はどのような関係にあったのでしょうか

 まずは、杉村楚人冠について。

 反骨精神あふれる優れたジャーナリストして知られる楚人冠は、「新聞記者の教科書」といえるものを1915年に出しています=『最近新聞紙学』(慶応義塾出版)。また彼は、同年、サンフランシスコで開かれた第1回の世界新聞大会で演説もし、英文原稿が残されています。所属した『東京朝日新聞』では、倫理の重要性を主張し、調査部、さらに記事審査部を創設し、新聞の倫理と社会的役割と、さらに経営のあり方についても考察し実践しました。

 思想は、リベラリズムでプラグマティスト、1898年(明治32年)以来「社会主義研究会」のメンバーで、「仏教同志会」もつくりましたので、人間性豊かで自由な民衆主義者と言えるでしょう。

 『平民新聞』にも幾度も寄稿し、幸徳秋水、堺利彦とも交流しました。楚人冠の所属する『東京朝日新聞』は日露戦争を支持する中心でしたので、反戦-政府批判を妥協せずに貫いた『平民新聞』に書くことに主筆の池辺三山は快く思いませんでしたが、彼は書くのをやめませんでした。

 楚人冠は、忌憚なく自説を言い、論争も積極的に行い、権力におもねることのない見事なジャーナリストでした。そのために、「朝日新聞」で連載小説を書いていた夏目漱石とも仲がよかったのでした。漱石は、東大教授を蹴って小説家として自立・独立し、後に『わたしの個人主義』を著しました。

 なお、「夏目さんだけを師」とした白樺派の武者小路実篤や志賀直哉らが白樺派のコロニーをつくったのも我孫子ですので、みな深い縁があります。


 杉村楚人冠は、幸徳秋水と親しく、彼から幸徳秋水の話を聞いた漱石は、小説『それから』の中に書き入れました。

 ※(注)幸徳秋水は、「大逆事件」で無実であるのに、その思想の伝播力に脅威を感じる政府により死刑(再審もなしで即刻、死刑執行!)にされました。政府=警察による思想弾圧の象徴で、この年1910年より自由が抑えられる「冬の時代」となり、政府関係者の森鴎外までも小説を書くことを諦め、歴史小説に転向しました。
 この「冬の時代」の始まりに、個性と自由を謳う同人誌『白樺』が創刊され、白樺は、文学のみならず、思想、宗教、美術、音楽などを含む日本最大の文芸運動になったのです。皇室の藩屛としての学習院と学習院卒業生がエスカレーター(文科のみ)で進んだ東京大学の出(武者も志賀も中退)の中から、大胆なまでに自由な個性を主張する白樺が出来たのでした。彼らは、明治天皇の死に際して殉死した乃木希典を厳しく批判し、政治には疎かった志賀直哉も、幸徳秋水の死刑に対し「憤まんやるかたなし」と書いています。

 この1910年に東京と大阪の「朝日新聞」に連載がはじまったのが『それから』で、漱石は楚人冠から聞いた秋水の話をもとに、以下のように書いています。

「平岡はそれから、幸徳秋水と云う社会主義者の人を、政府がどんなに恐れているかと云う事を話した。幸徳秋水の家の前と後に巡査が二三人ず昼夜番をしている。一時はテントを張ってその中から覗(ねら)っていた。秋水が外出すると、巡査が後を付ける。万一みうしないでもしようものなら非常な事件になる。今本郷に現れた、今神田に来たと、夫(それ)から夫へと電話が掛かって東京市中大騒ぎである。新宿警察署では秋水一人の為に月々百円を使っている。」(現代表記に直しました)

 
(楚人冠著作、各種論考と黒岩比佐子さんの傑作で、絶筆(52歳で没)となった『パンとペン』を参考にしました。)

 

追記 この記事は、9月8日に「白樺教育館ホーム」にアップされましたので、ご活用を。クリックで出ます。



武田康弘



東京新聞ー28面 (一面に案内記事がありました)





以下の写真は、2015年5月撮影・武田

 

 



白樺教育館の蔵書(全集の3)

 

 

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日本人から《公共性》を奪った元凶は、明治政府の思想と行為にあるのです。

2016-08-29 | 社会思想

 日本人は、学校や会社や役所などの「団体」の慣習・上位者の意思には極めて従順ですが、なぜ、みなでつくる公共性がないのでしょうか?

 互いに対等な立場で、自由に意見を出し合い・言い合いして合意や妥当を導きだすことは日本社会ではほとんど行われていません。慣例に従い、上位者の意向に従うことが暗黙のうちに前提されていて、みなでつくり上げていく公共性の世界がないのです。

 市民の公共性が社会-国をつくるというのは、欧米では当然の話ですが、日本ではそれがありません。組織や団体の慣例=惰性に黙って従うのが当たり前になっています。

 近代の市民社会を成立させる基盤がこの公共性ですが、なぜ、日本ではそれが育たなかったのでしょうか?

 その原因は明らかです。
明治維新による近代化は、伊藤博文らが中心となってつくった天皇の神格化=欧米のキリスト教のような絶対的な宗教(一神教)をつくるために、伊藤ら明治維新の立役者(過激派の人々)は、皇室の伝統を用いて天皇現人神という《政府神道》をつくり、天皇を生き神として全国民に崇拝ー敬愛させることにしたからです。『大日本帝憲法』の制定で、「天皇は神聖にして犯すべからず」と規定しましたが、これは現代の言葉で言えば、カルトです。国家が権力を用いてカルト宗教を国民に浸透させていったわけです。

 憲法で主権者(国の最高の力をもつ者)とされた天皇は、陸軍と海軍の統帥権をもち、同時に宗教上の絶対者=現人神とされたのですから、日本臣民(国民ではなく君主に従う臣民とされた)は、自分たち皆の自由と責任で国をつくるという「公共性」を元から奪われてしまったわけです。

 国民=臣民に求められたのは、「天皇のために=お国ために」という思想と行為であり、 「滅私奉公」(私を滅して公=天皇に奉仕する)という道徳であり、日本独自の優れた思想とされた「忠」の精神(最上位者を天皇陛下とする上位者の言動に忠実であること)でした。

 ですから、「天皇を中心とする神の国」(現代においても森元首相が言明)では、一人ひとの対等な市民が話し合って物事を決め、その結果に責任を負うという思想は育ちませんし、国をつくり、守り、発展させるのは、市民の共同意志であり、市民の自由と責任によるのだという想念ー思想は生まれないのです。

 市民みなの共同意思と行為の上に、いつもその上にたつ「公」(おおやけ)という世界があるということになりますから、市民の共同意思=公共性は、「公」に従うもの、奉仕するものとなり、公共性は自立できないわけです。一人ひとりの国民は、公共性に従うのではなく、公(おおやけ)と呼ばれる天皇の意思=官僚政府の意思に従うことになりますが、これでは近代社会市民社会による国家(対等な市民がつくる社会契約による国)ではなく、予め決められている社会観や国家観に従う臣民としての存在にしかならないーなれないわけです。

 天皇に従う時にだけ人として国民として認められるという国は、民主性・民主制・民主政ではなく、神聖国家です。

 明治の近代化が、このような世界に例を見ない国家宗教(現代の言葉ではカルト教)により超スピードで進められた結果、日本人は、極端なまでに効率第一主義・技術主義(技術偏愛)・形式主義=儀式主義に染め上げられてしまい、一人ひとりの心の内側から内的・内発的に考えを生み・行為するのではなく、外なる価値を追いかけることが人生だと思い込むようになったのです。

 生きている人間を神として崇めるという「禁じ手」を用いて、有無を言わせずに全国民を一つにまとめ上げ、強制的なスピードで近代化を成し遂げたわが日本は、その深い負の遺産(心の内からではなく外なる価値に従い生きる)を清算できません。清算できないどころか、現安倍政権は、過去の天皇主義をよしとする「日本会議」のメンバーであり、再び戦前思想への回帰を求めているありさまです。

 明治政府がつくった天皇ないし皇室中心主義という思想を続ける限り、わが日本という国には、みなの自由意志と責任でつくる「公共性」は赤子のまま成長できず、いつまでも公(おおやけ)という官僚政府が市民の上にたつ「主権在民」ならぬ「主権在官」の世界から抜けだせません。余談ですが、いまの天皇の明仁さんもこうした現状を批判的に見ているのはまちがいありません。

  みなで公共性をつくり、公共世界を拓きたいものですね。これは、たぶん、皆の本心だと思います。

 
 最後に、欧米のキリスト教は強い一神教ですから、イギリスのロックの思想のように、宗教の原理主義により民主制を基礎づける思想は、現代においては成立しません。宗教ではなく、フィロソフィーにより基礎付けなくてはいけません。
  ただし、英米においてはキリスト教原理主義である清教徒思想により民主主義がはじまったのでは事実ですし、そういう強い宗教=イデオロギーが必要だったのも確かです。それを見た伊藤博文が、日本の近代化にはそれと類似の宗教が必要だと思ったわけですが、あらゆる人間と人間の営みを超えた「超越者としての神」という思想と、現実に存在する天皇家という家と天皇を神格化するのでは、根本的に思想が異なります。超越者として置くのを人間であり一家族であるとしてしまうと、その現人神という極限的な権威主義は、一人ひとりを「個人」(自由と責任をもった主体者)として自立させず、豊かな内面宇宙をつくらせず、集団主義の価値観=外なる世界に合わせるだけの存在に人間を貶めてしまいます。

 それでは、根源的な人権侵害となりなり、幸福をつくらないシステムをつくることになります。
フィロソフィー(恋知)の生をはじめたいものです。




武田康弘

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9月14日 清瀬保二の最高傑作『ヴァイオリンとピアノのための二楽章』 東京文化会館小ホール

2016-08-27 | 芸術

昨日、戦前・戦後を代表する日本の独創的作曲家ー清瀬保二(1900-1981)を、武満徹の唯一の師としてご紹介しましたが、

なんと、縁の深いことに、今日の午後の郵便で、清瀬保二の長男夫人(清瀬春子さん)から演奏会の案内とチェロソナタの新譜CDが届きました。

演奏会の曲目に、わたしが清瀬室内楽の最高傑作と思う「ヴァイオリンとピアノのための二楽章」ありましたので、お知らせします。

1960年に作曲された「ヴァイオリンとピアノのための二楽章」は、筆舌に尽くしがたい美しさで、清瀬の世界に溺れてしまいそうです。

演奏者は私の知らない人ですので、よいかどうかは予想がつきません。当日のお楽しみ。

9月14日(水)東京文化会館小ホール 午後7時開演。前売り券3500円(当日券4000円)
文化会館チケットサービス 03-5685-0650 (10:00~19:00)

武田康弘

 

 

 

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音楽家を例にして、 日本と世界ー人間を見る目の隔たり。小沢征爾、武満徹、清瀬保二

2016-08-26 | 学芸

 世界的に最も高く評価されてきた日本の現代作曲家は、武満徹(たけみつとおる)でしたが、彼は、音楽教育を受けていません。
高卒ですが、高校は、文京区白山にある京華高校で、音楽教育はありませんでした。

 武満徹の唯一の先生は、清瀬保二(きよせやすじ)ですが、清瀬も音楽学校に学んだことはなく、独学(県立高校中退)です。名実共に日本を代表する作曲家で、独創的で優れた和声を生み出した人です。

 ボストン交響楽団やウィーン国立歌劇場の音楽監督を務め、世界最高の指揮者の一人と言われる小澤征爾は、斎藤秀雄がはじめた桐朋短大の音楽部卒で、当時は誰も知らない学校、というより私塾の出です。

 日本を代表する最も優れた音楽家は、みな学歴がありません。この事実くらいは知らないと、芸大卒ならとかNHK交響楽団ならとかという歪んだ評価=間違った評価になるでしょう。

 小澤征爾は、20代前半で音楽武者修行と称して、貨物船にのせてもらい、富士重工から借りたスクーターでフランスのマルセーユ港に上陸しましたが、ブザンソンで指揮者のコンクールというものがあることを教えられました。しかし、申し込むにも郵送では締め切りに間に合わず、なんとかしてもらおうと、日本大使館に飛びこみました。しかし、どこの大学かを聞かれます。芸大でないのが分かると、とり合ってくれません。

 小沢は困り、はたと思います。「アメリカは自由の国だ、アメリカ大使館に行こう」と。パリのアメリカ大使館に行くと、音楽部があり、そこの責任者の女性に頼みましたが、彼はこう聞かれます「あなたはよい音楽家か?悪い音楽か?」彼は大声で応えました「わたしはよい音楽家になるだろう!」と。すぐには相手方(ブザンソン指揮者コンクール)の了解がとれませんでしたが、結局OKとなり、小沢は急遽、当時世界で唯一の指揮者コンクールを受けることができました。結果は、飛び入り参加で全く無名の小澤征爾が優勝したのでした。

 日本大使館は日本の若者に助力せず、関係のないアメリカ大使館から助力を受け、
各国の政府や音楽大学から派遣されている若手指揮者ではなく、飛び入りで参加した東洋の日本人にフランスの審査員は、優勝の栄誉を与えたのでした。

 「桐朋短大?聞いたことないね、芸大ではないのか? 残念だが無理だね。」と言ったのがパリの日本大使館でしたし、
武満徹も、来日したストラヴィンスキーが楽譜を見て、彼を高く評価しなければ、世に出ることはできなかった(日本人は師の清瀬保二の他ごく少数者しか彼の音楽の独創性が分からない)わけです。

 われわれ日本人は、自身の価値観ー考え方ー生き方を反省し変えていかないと、いつまでも人生の充実、愉悦、幸福はやってきません。形・形式・肩書ではなく、中身・内容を見、知ることのできる人間になる努力をはじめないと、人間(自由と責任をもつ「個人」)になれませんね。


武田康弘

 

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恋心のエロース神がなければ、人間の現実は成立しません。知らない人が多く困りもの。

2016-08-25 | 学芸

わたしたち日本人はとりわけ誤解していますが、
現実の損得や利害という次元も、憧れ想うという恋する次元に支えられなければ、ほんらい成立しないのです。

海が生まれ、大地が生まれ、大気が生まれても、それだけではまだ何もないに等しく、
それらが意味を持つには、何かに惹きつけられるという作用が生じないといけません。

それがエロースという恋ごころを起こす神です。

さまざまな現実はそれ自体としては何の意味も持たず、そこに意味と価値を生じさせるのは、惹きつける=魅了するという作用です。それは「恋心」と呼ばれますが、
何かをめがけたい、という恋心が生じることで、はじめて現実といわれるわれわれを取り巻く世界は意味をもち、色づきます。灰色の世界から彩色の世界に変貌します。

だから、ロマンや理念の世界が豊かに広がることがないと、人間にとっての現実は成立しないのです。
多くの人は、とりわけ日本人は、この人間の生の原理を知りません。実に困ったことです。それではいつまでも不幸です。


「白樺教育館」の教室、黒板の上に「エロースと弓矢」の絵を掲げました。
大学の哲学科に行っても、このフィロソフィの根本意味を教えません。恋心にとらわれることなくしては、ほんらいの学も知も成立しないことを教えないのです。
ただの「事実学」の羅列、その取得ー暗記に耐える苦行が知や学だとしています。
意味論=本質論こそがほんらいの知であることさえ教えない教育とはただ人を抑圧する化け物でしかありません。

規則主義・管理主義で厳禁の精神=「必然の神アナンケ」を打ち負かしたのが、「恋心の神エロース」であり、支配するという発想をもたないエロース神が世界を支配してはじめて、外的秩序の強制(古代王政)から、一人ひとりの自由と悦びの内的秩序による国(民主政)が生まれたのです。エロースは、『個人』の中にしか生じませんし、また、個人はエロースと共に生きることで、何よりも豊かな生の可能性がひらけます。




武田康弘 

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意味不明の性道徳ーヒステリックな「反自然」の強要。ボルト選手は非難にあたらない。

2016-08-25 | 社会批評


 若い人男性は、彼女ができれば、毎日のように性交渉(make love)をします。心身ともに健康で充実した生を送っているのならば、当然でしょう。

 それなのに何週間も仲良くできる女性がいないのは、とても耐えがたいことで、生命体として不自然なことです。

  オリンピック選手は、彼女(彼氏)同伴ではないので、性交渉は、互いに惹かれ合う人としても当然です。互いの悦びをつくり合い、性病や妊娠を防ぐ手段をきちんとしているなら、「性道徳」は守られているわけです。とりわけ、異常なほどの興奮&緊張状態に置かれれば、make loveはとくに必要です。

 ボルト選手が非難されていますが、わたしにはまったく意味不明の話です。

なぜ、そのようなことが話題になるのか?心身ともに「不自然」が正しくて、「自然」が悪いことなのか???

 異様な想念ー思想です。性を特殊視する人、あなたの心が歪んでいるのです。

 

 武田康弘

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東京国立博物館「古代ギリシャ展」ーーフィロソフィー関連は無しという珍事!(笑)

2016-08-25 | 学芸
 
 
う~~~~ん、
 
古代ギリシャの総覧で、一応、アテネにスポットを当てているのですが、心臓というか頭脳であるソクラテスとプラトン関連はゼロ!! フィロソフィーの神「エロース」(「アカデメイア」の主祭神)の像すらないので、説明もなし。同時代に史上初の民主政を敷いた象徴=ペリクレス関連の展示もない。
 
フィロソフィーを外した古代ギリシャ展は、世界ひろしと言えどもここ、日本だけでしょう(笑) その意味では貴重なギリシャ展でした(笑)。
 
国立博物館の学芸員では荷が重すぎたようです。
 
日本では、フィロソフィーの核心(人間論=主観性の知)を理解する人は稀なのでしょう。いつまでも後進国のよう。

ただし、オリンピックが「個人」を讃えるものであり、国家間競争ではないことは明瞭にしていました。近代オリンピックもその点は同じで、憲章に明記されています。政府やスポーツ関係者は、そのくらいは理解→了解しないといけません。
 
 
武田康弘



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泥 憲和
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泥 憲和 真・善・美から真と善に関する考察を取り去って「究極に美しい」と打ち出されてもねえ。
そりゃ哲学をとっぱらってもデザイン的に美しいといえば美しいけど、それだけを味わうのはなんかオタク趣味じゃなかろうかと。
 
 
 
Hiroki Ogasawara
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Hiroki Ogasawara 「美しい日本」をスローガンに掲げた政治屋の行動が、「善」と「真」からはるかに遠い現状とどこかで通底しているような…
 
 
 
武田 康弘
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武田 康弘 この展覧会は、とっても日本を象徴していました。
単なる「事実学」の累積で、本質論=意味論としての知・学が存在しないのが、日本の知の最大の特徴で、それゆえにわたしは、「東大病」「東大教」(受験知という歪んだ知に狂い崇拝する)と名づけましたが、それは、東大出版界の反骨の編集長=竹中さんの獅子奮迅の努力で、金と武田の哲学往復書簡として東大出版会の本にも書き込まれることになりました。
フィロソフィ(=意味と価値の世界=知の最大の営み)を外した表層知、パターン知の訓練だけしかないのが、日本の現状ですが、そのチャンピョンが東大です。
官僚主義に染め上げられている国立博物館は、まさに東大病だな、と再確認しました。毎度のことですが。
古代アテネとは正反対ですので、その展覧会は、心臓+頭脳を抜いたものになるわけです。
同じ国立でも西洋美術館の方がましです。
 
 
追加

アリストテレスのみがあり、肝心かなめのソクラテス→プラトンはなにもなし、ここに後の西ヨーロッパ主義の投影を見ます。せっかく本国ギリシャからですので、西ヨーロッパ的解釈に犯される前の古代ギリシャを見せなければいけないのです。憤まんやるかたなし。

以下は、以前に書いたものの一部です。

紀元前6世紀、タレスに始まる古代ギリシャに起こった(現代のトルコのミレトス)「自然哲学」(自然の素材や動因とは何かを探る)は、200年ほど後、ソクラテスと弟子のプラトンによる発想の大転回で、「恋知」(善美のイデアに憧れ、人生を吟味する生き方)へと変わり、それはさまざまな面白い思想=実践を生みました。

 アリストテレス
「学問の祖」と言われるアリスト
テレスは、恋知の核であるイデア
論を否定したため、哲学の神学化
への道を開くこととなった.

 ところが、プラトン(ソクラテス思想)に教えを受けたアリストテレスは、恋知・哲学の核心であるイデア論を否定し、再び「自然哲学」を中心とする思想に戻ってしまいます。倫理学も自然哲学から導かれるものとなります。
 彼の『自然学』(正式には『自然学講義』)は、自然研究の原理論ですが、『形而上学』第一巻は、『自然学』において定義された概念・思想を前提にしていますので、『自然学』は、アリストテレス哲学全体の原理を提示したもの、と言われます。
 そこには、有名な「四種類の原因」が提示されています。生成と消滅、自然におけるすべての変化の「原因」は4つあり、それは、「質量・素材因」と「形相ないし範型」と「始動因」と「目的因」だとされます。いま詳しい説明は省きますが、問題は、最後の「目的因」です。当然、人間の製作物なら目的はありますが、自然(の変化)に目的があるとは?彼は、自然の研究者は、四原因をすべて知らなければならないと言い、雨が降るのも偶然ではなく、穀物を成長させるという目的がある、と言います。

 この「自然によって存在し生成するものの中には目的が内在する」という主張は、キリスト教が水と油のギリシャ哲学を換骨奪胎していく原因となった、とわたしは見ています。神=創造神が人間を含む全自然をつくったとする一神教であるキリスト教(前身のユダヤ教・旧約聖書に始まる)にとって、人間と自然の一切を説明する「神学≒学問」をつくることは必須でしたが、そのためには、キリスト教思想とは全く異なるギリシャ哲学(世界最高峰の知)を使うほかありませんでした。ソクラテス・プラトンの「善美への希求という座標軸」(それがイデア論の核心)をもつ恋知においては、自然研究(研究者の知的好奇心による)と、人間の生き方(万人にとって必要な探求・吟味)とは次元を異にする知との考え方でしたので使えませんが、アリストテレスの哲学は、すべてにおいて「万能の神の計画」があるというキリスト教神学には好都合で、ピタリとはまります。自然学と倫理学とは一つになり、壮大な物語がつくれますので、全世界・全人類をキリスト教神学≒学問で覆う(支配する)ことが可能となったのです。

 では、なぜ古代ギリシャのアリストテレスが「目的因」という非学問的な思想を哲学の中心に入れたのでしょうか。それは、彼が、知の核心であるイデア論を否定することでタレスに始まるプラトンまでの全ギリシャの知を統一しようとする意図をもったからなのですが、今は詳しくは書けません。
 問題の核心は、 「善美のイデアへの希求」という座標軸がなくなると、人間の生の意味と価値について吟味する足場が失われてしまうので、人間と自然のすべてを貫く「目的因」という物語をつくらざるを得なくなったことにあります。これによって、倫理や政治までも自然学から演繹されることになりましたが、それは、近代のドイツ観念論を通して遠く戦前の日本を代表する哲学者・田辺元(数学・物理学・哲学)にも影響し、天皇制の正当化の理論=「天皇を中心とする日本の国体は、太陽系と同じで、宇宙の原理に合致する」にもなっています。

 このように自然学から意味不明の演繹をする異様な思考は、すべてに目的があるとする神話的な考え=「目的因」と重なっていますが、わたしはそこに、幼児のもつ「万能感」の延長がつくる歪みを感じ、怖さを覚えます。肥大した外的自我の怖さです。それは、国家主義の論理を生み、一人ひとりの生への抑圧を正当化します。更に言えば、自然征服という人類中心のエゴイズムが生じたのも、この「目的因」という強引な概念のねつ造に深因があるように思えます。(武田康弘)

 

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中学の「部活」は、個人性の豊かさを壊し、仲間主義に貶め、魅力ある人間性を育てません。

2016-08-23 | 社会批評

 人間という存在は、特定の感覚に優れ・特定の技能に長けているのではなく、バランスよく全方位の能力をもっているところに特徴があります。
その特性を活かすように子育てー教育がなされたときには、人間という種に見合う自然性が得られますが、そうでないと、心身と頭に無理が生じ、歪んでしまいます。

 現在、多くの精神疾患者であふれ、心身に不調を訴える人がたいへん多いのは、不自然な考え方ー生き方をする悪しき文化に犯されているからと言えます。

 その原因は一つではありませんが、



 成長の過程での歪み=不健全をもたらす恐らく最大のものは、中学校の部活動でしょう。部活は、実質上は強制入部で、朝練習で早朝に学校に行き、帰りも毎日練習で、夜6時ないし6時30分までやらせます。
 一番多感な時期、さまざまな世界を体験し、多方面に興味を伸ばす必要のある人生の極めて大切な時間を、毎日同じ競技の練習で、他のことをする余裕も、家族で過ごす時間もありません。部活は、ミヒャエル・エンデの『もも』に出てくる時間泥棒そのものです。

 こういう少年-青年時代を過ごすと、一つの独自の人格をもった個性ある存在=人間に成長することに失敗し、「集団人」に堕ちます。人間なのに、個人意識をもつ自由と責任ある人間になりそこなうのです。昆虫人間やメダカ人間、あるいは上位者に従う犬の特徴をもつ人間になります。

 一日おきに月・水・金という程度であれば、楽しみとして部活をし、自分の趣味の世界や芸術を味わい知ることもできますし、学校のカリキュラムにはない知的興味の世界に分け入ることも可能です。
 しかし、いまの中学校の部活動は、追いつけ追い越せの発展途上の国のやりかたです。豊かな人間性、多方面に興味をもてる人、教わるのではなく、自分の頭で考える人間、自分で自分の生をつくるほんもの人間を育てません。
 人間を人間にせず、特定の技術ー能力に編する存在や単なる集団人にします。実に恐ろしいことです。


 武田康弘

コメント (4)
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心ない高額な公共事業ー驚きの我孫子市政=夏やすみに「親水広場」は閉鎖!!

2016-08-21 | 社会批評

わが街、我孫子市政の心ない公共事業にあきれ返ります。

水に親しむ広場=親水広場とそれに付随する建造物が、夏休み中に工事のため、こどもたちは使えません。

新しい建造物=『水の館』の改築工事に、写真のように、3億2千万円を使います。いつもの地元の業者「上村建設」の名前が大きく表示されています。

電気関係の工事には2億8千万円で、これは「野田電機」です。

これが適正な公共事業かどうか、一市民のわたしは判断のしようがありませんが、建物を建てるのではなく、まだ新しい建物の改装に3億2千万+付随する電気工事1億2千万で計5億円とは恐れ入る金額であることは間違いありません。

しかも、夏休み中に工事に入ったために、親水広場の中も、外も、水遊びの施設は、すべてが使えないのです。

お役所仕事とはよく言いますが、その代表=象徴のような公共事業です。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室客員)

 

 

 

 

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『あたらしい憲法草案のはなし』(自民党の本音)= 「国防軍は、三権と並ぶ四番目の権力」

2016-08-20 | 社会批評

 

 以下は、自民党の本音を明らかにした『あたらしい憲法草案のはなし』(自爆連)からの抜粋です。

「自衛隊から国防軍に変わるのは、名前だけではありません。自衛隊は防衛省という行政機関にぞくする組織のひとつでしから、自衛隊は公務員でした。・・しかし、国防軍は自衛隊とはまったく違います。軍隊というのは、立法(国会)、行政(内閣)、司法(裁判所)という三つの権力と同じくらいの、独立した大きな権力をもつ「四番目の権力」と考えたほうがよいのです。国防軍に所属する人々は「軍人」という身分となり、ふつうの人とはちがった法律のもとで任務をおこなうことになるのです。・・
  そのため、新しい九条には〈国防裁判所を置く〉という一文がもうけられています。人を殺すのが目的のひとつである軍人が、人を殺すたびに殺人罪でさばかれていたら、戦争はできなくなってしまいます。ですから軍隊をもっている国はには、どうしても軍人だけの法律と、軍人のためだけの裁判所〈軍法会議〉が必要なのです。」

「あたらしい九条によりますと、国防軍は、他国がはじめた戦争に協力して、世界中どこへでも国防軍は出かけていってよいのです。・・アメリカはこれまで、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争など、世界中でたくさん戦争してきました。ほんとうは日本も参加したかったのですが、九条があるために参加できず、くやしい思いをしてきました。・・・積極的平和主義とは、平和は命の犠牲の上にきずかれるという考え方です。」

国防軍がまもるのは、あくまでも「国」であって、「国民」ではありません軍隊のやくわりには、外からの敵と戦うだけではなく、国内の争いを武力でしずめることも含まれます。・・戦前の日本でも、民衆がおこした秩父事件(明治十七年)、足尾暴動(明治四十年)米騒動(大正七年)などのさいには、軍隊が出動して、さわぎをちんあつしました。国の安定のためならば、軍隊は国民にも銃を向けます。どこの国でも、いまもむかしも、軍隊というのはそういう組織なのです。」

 
以上は、『ひろば』236号ー2016年8月刊の丹 直清さんの記事「あたらしい憲法草案のはなし(抜粋)」からですが、
自民党に投票したみなさんは、賛成ですか?
旧軍人やご家族の方は、いかがお思いでしょうか?

武田康弘

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個人の魅力を見せてもらいたいオリンピック放送ー日本人ばかりでなく、世界の美と力を見たいもの。

2016-08-20 | 学芸




個人個人の美しい動作と姿態、

優れた身のこなし、
人間味あふれる豊かな表情、
アスリートたちのさまざまな魅力を見たいのに、

日本人のメダル獲得数ばかりに注目するテレビではつまりません。
日本人か日本人以外か、ではなく、
勝ったか負けたか、だけでなく、

中身の濃い、内容の豊かな、世界の個人を知り、味わえるような優れた番組づくりをしてほしいものです。
とくにNHKは、お金があり、多くの時間を使っている公共放送(北朝鮮のような政府の放送局ではなく市民的公共のはず)ですから、責任は重大です。

一人ひとりの競技者「個人」から世界を見、世界を知り、世界を愛するスピリットを得るのがオリンピックの精神であり、意味のはずです。
おりしも上野の国立博物館では、古代ギリシャ展を開催中です。精神を忘れたら、すべてお終いです。


武田康弘

 

 

 

 

 

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「一番いい色のメダルが目標」ーイヤな言葉=思想です。ボルトもかつてのアリも次元が異なる生き方。

2016-08-19 | 社会批評




金メダルが目標で必死にがんばる人生、それでは、人間として情けない生き方です。東大進学をめがける、とか、ノーベル賞を取るという目標も同じこと。

具体的で目に見えるものを追い求めるのは、人間=独自の内面宇宙をもつ存在としては、情けないとしか言えないのです。

ウサイン・ボルトが眩いまでの強烈なオーラを発揮しているのは、彼の目標が、自分自身であることで伝説になること、伝説をつくることにあるからです。短距離ランナーではなく、スポーツ競技者でもなく、「偉大な人間」=人間としての誇りをめがけているからです。「人々にスピリットを与えたいと考えている」(ボルト)

かつてのカシアス・クレイ=モハメット・アリも、一流のボクサー(一八歳でオリンピック優勝、金メダルは川に投げ捨ててしまった)・ヘビー級世界チャンピョンであることを超えて、最も偉大な人間、彼の言葉では、Iam the greatest man として生き抜いたからです。一人でアメリカ政府を倒した男として知られます(ベトナム戦争反対で徴兵拒否、捕まり裁判になり、全米に反戦を訴え、キング牧師も説得し、ついに最高裁で勝利)。

彼らは、一i競技者という枠をはるかに超えて、全人的な人間として輝かしいオーラを発揮した(している)のです。

「金メダルが目標」では、人間としては、情けないのです。



武田康弘

 

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競わないことが最大の「よい」を生むのです。競争するのは愚かです

2016-08-18 | 恋知(哲学)

人と競わない、
争わない、

何事も競争しないことが何より大切。
勉強を競わない、
スポーツを競わない、
コンクールで競わない。

競えば、バカをみます。
競えば、損をします。
競えば、不幸になります。
競えば、精神の病に侵されます。
競えば、身体を壊します。


 わたしは、幼少のころ病弱でした。幼稚園児のとき肝臓疾患で40日間寝たきりになり、
小学5年生から2年間は胃潰瘍で虎の門病院通い、中学生から20歳までは十二指腸潰瘍でした。
 自律神経失調症で、続けて1時間の勉強は無理でしたので、少しづつ休みながらやりました。
 運動神経は比較的よく両親の遺伝で身長は高かったのですが、とても運動部で他者と競うことは出来ません。でも健康管理を考えて、中1の時から毎晩8時になると自宅(神田須田町)の周りを走り(15分ほど)、腕時計でタイムをはかりましたが、だんだん早く走れるようになり、面白くなりました。

 中2のとき(越境入学で文京区立第六中学校)、文京区の駅伝大会があり、選手選考のために、各クラスから代表10名(9クラスなので計90名)で不忍の池の周りを走りました。わたしは、競うつもりはなく(運動部の人たちに敵うはずがない)いつものペースで走りましたが、みなはすごく早くてとてもついて行けませんでした。でも、段々と先行者は遅くなり、わたしは同じペースでしたので、次々と抜いて最後は3着でした。わたしはただビックリでポカ~~ン。

 それで駅伝代表に選ばれましたが、運動部でない人が代表というのは学校始まって以来と言われ、大いに話題になりました。
駅伝大会までは、大会のために毎日、競わされました。自分のペースではなくタイムを決められて競わされたのですが、そのために内臓病が悪化して参りました。文京区の大会では3位になり一応責任は果たしましたが、ヒドク身体が苦しくて、その後なかなか身体が戻らず、いま思い出しても「嫌」な感情しか起きません。 

 わたしは、この時、競うことで身体が悪くなり、得ることは何もないことがよく分かりましたので、それ以後、なんであれ二度と競技大会に出ることはしていません。遊びでヨウイドンをしたり、階段上りの競争をしたり、お相撲ゴッコ(押し合い)で勝負したりはやりましたが、何かの競技の選手になり、毎日毎日、大会のために練習するようなことは、以後やめました。でも、合理的に体力維持の運動(自分に合った楽しい動作)をしているだけで、筋力は64歳になっても強く、遊びの相撲では高校生・大学生にも負けたことがありません。若いころ部活や競技スポーツで身体を痛めていないからでしょう。スポーツ選手の多くは50歳も過ぎると、身体も神経もガタガタです。

   全身力(体幹)強化のための基本がこの姿勢で押すことです(写真は、手賀沼公園で)。
 

 実は、勉強もそうです。ほんらい点数競争ではなく、自己納得のためにやるものです。
 小学生の時に面白い経験をしました。4年生の時に書いた作文がたいへん話題となりました。担任の太田先生(越境入学で文京区立誠之小学校)は「作文に満点はないので、わたしは20年以上の教師生活で一度も満点をつけたことはないのです。でも、今度はじめて満点をつけました。満点をつけるほかないすばらしい作文で、それは武田君の作文です」とクラスで言われてしまいました。嬉しいというよりも、またポカ~ンでした。
 わたしは、よい作文を書こうとは全く思わず、文章の練習をしたこともなく、ただ、面白い思い出を楽し~く書いただけでしたので。

 その後も卒業生代表の作文や、文京区のリレー放送に選ばれたりしましたが、なんで選ばれるのか?皆目見当が付かず、当惑でした。最近では、金泰昌さんとわたしの哲学往復書簡30回(東大出版会刊)のわたしの文章を見た日本語の研究者(大家と呼ばれている中国人の学者とのこと)が、「武田さんの文章は、まるで俳句か短歌のように完璧な日本語で、どこにも手の入れようがない」と言っていたと伝え聞き、驚きました。短期間での往復書簡でしたから、みな一日か二日で書いた文章で、できるだけ分かりやすくを心掛けましたが、優れた文章を書こうなどとは少しも考えませんでした。

 こういう例は書いたらキリがないのですが、わたしは、わたし自身の長年の体験から、「競わない」ことがよい結果を生み、心身の健康を維持する【秘訣】だと確信しています。競うことを目的化した生き方ー文化は、人間の悦びや楽しさ、人間性の豊かさ、人間味あふれる優しさ、人間的魅力をつくりません。他者との比較で優越感に浸るイヤな人間を生んでしまいます。外側から見ると立派でも、内なる豊穣がない人になります。世間体ばかりで、数字で評価できることにしか関心がなく、心がつくる世界=善美への憧れに乏しく、芸術を味わうことのできない人にしかなれません。そう、芸術の世界までも競争世界の基準でみる人に陥るのです。一番、二番とね(笑・呆・憤)。

 「現代人の不幸」から脱して、新たな人間味あふれる生き方ー文化を生みたいものです。競争原理から納得原理へ、競争原理からエロース原理へ、競争原理から健康原理へ、です。
  (競う気持ちがない私のblogのアクセス数は先月一位になりましたが、それは結果です)

 至高の基準とは自己の内なる善美であり、至高の愛とは自己を愛することです。それを学び・実践してはじめて他者を深く愛し了解できる人になります。

 21世紀のルネサンスをはじめたい。自己に徹すること以上はない、これはブッダが到達した「自帰依ー法帰依」で、人間の生の原理です。

武田康弘

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ご存知ですか?「靖国神社」の恐ろしい思想を。ここでは兵士は眠れません。ーーぜひ拡散を!

2016-08-14 | 社会思想

  靖国神社は、明治政府が明治2年につくった「東京招魂社」という【政府神道】の施設で、従来の神道思想(各地にある神社)を否定し、1853年のペリー来航以来の〈維新革命側の兵士のみを祀る施設〉です。10年後に名称を神社と変えましたが、その思想は、実に恐ろしいものです。兵士たちは、このような天皇現人神という国体思想の施設に祀られていたのでは、永遠に浮かばれません。もちろん彼らの御霊は、それぞれの家族の元にあり、天皇現人神というカルト宗教の場にはありません。こういう異様な戦前思想の反省がないならば、日本の政治的社会的営みは、すべて砂上の楼閣です。あまりに当然の話です。

 

 以下は、靖国神社の理論的重鎮である小堀圭一郎 東京大学名誉教授の談で、靖国神社の売店で平積みで売られている宣伝用パンフレットからの抜粋です。

 靖国神社の本殿はあくまで、当時の官軍、つまり政府側(天皇)のために命を落とした人たちをおまつりするお社である、という考えで出発したのでして、それは非常に意味のあることだと思うのです。 そこには「忠義」という徳が国家経営の大本として捉えられているという日本特有の事情があるのです。 「私」というものを「公」のために捧げて、ついには命までも捧げて「公」を守るという精神、これが「忠」の意味です。

この「忠」という精神こそが、・・日本を立派に近代国家たらしめた精神的エネルギー、その原動力に当たるものだろうと思います。ですから・・命までも捧げて「公」を守る、この精神を大切にするということは少しも見当違いではない。その意味で、靖国神社の御祭神は、国家的な立場から考えますと、やはり天皇のために忠義を尽くして斃(たお)れた人々の霊であるということでよいと思います。

靖国神社の場合は、・・王政復古、「神武創業の昔に還る」という明治維新の精神に基づいて、お社を建立しようと考えた点に特徴があるといってよいかと思います。

あの社は天皇陛下も御親拝になるきわめて尊いお社である。微々たる庶民的な存在にすぎない自分が命を捨てて国の為に戦ったということだけで天皇陛下までお参りに来て下さる。つまり、非常な励みになったわけです。
国の為に一命を捧げるということが道徳的意味をもつのは万国共通です。言ってみれば、人間にとっての普遍的な道徳の一項目なのです。

実は総理大臣が何に遠慮して、参拝に二の足を踏んでいるのか不思議でならないんです。
中共が総理大臣の参拝に文句を言ってくるのは、何も彼の国民感情が傷つけられたなどという話ではまったくない。あの国の民衆の大部分は靖国神社の存在すら知りません。・・外に問題を設けて反対勢力の目をそちらに向けさせようという国内政治の力学が働いている程度のことであって、まともに相手にすべきことではないんですね。

だから私はこの問題でも総理が断固として参拝されるのがよいと思うんです。そうすると直ちに北京から文句を言ってくるでしょうが、適当にあしらうなり、知らぬ顔を決め込むなり、いくらでも対処の仕方がある。
総理が北京からの苦情を無視して何度でも繰り返し参拝すれば、そのうち向こうも諦めて黙るに決まっている。
総理の参拝が実現し、やがて天皇陛下の行幸もできたということになると、私は国民のモラルに非常によい影響を与えることができると思うのです。
(1999年8月 小堀圭一郎・東京大学名誉教授)

 また、靖国神社の遊就館では、明治以降の日本の戦争はすべて聖戦である、との映画をエンドレスで流しています。

(※もちろん、現天皇の明仁さんや皇后の美智子さん、皇太子夫妻は、このような思想を認めていません。)



武田康弘(元参議院「行政監視委員会調査室」客員ー日本国憲法の哲学的土台を講義)

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「Greatest Love of all 」 最も偉大な愛とは、何か  武田訳

2016-08-13 | 芸術

6月15日に出したものですが、題を変え、再録です。ぜひ、広めてください。

 

偉大な人間、モハメッド・アリの映画の主題歌の「Greatest Love of all」は、感動的な歌です。
その歌詞を日本語訳してみました。

(わたしは、著作権を主張しませんので、ご自由にお使いくださいー武田康弘訳と記載されればOKです)





子どもたちは、わたしたちの未来だ。
正しく教え、そして子どもらに導いてもらおう。
子どもらの示す美質をよく引き出し、...
子どもらの心にプライドを与え、
子どもらの笑いに、私たちの幼き日を想い出そう。

皆がヒーローを求めている。
皆が尊敬できる人を必要としてる。
だが、わたしは、求める人をどうしても見つけることができなかった。
わたしは、孤独な場所に生き、
そして、学び続けた。わたし自身で独立することを。

もうずいぶん前のことだ、
けっして誰にも頼らないと決めたのは。
もし、わたしが失敗しようと成功しようと、
わたしは、わたしの信じるままに生き続ける。
わたしから何を奪おうと、わたしの尊厳だけは奪えない。

なぜなら、最も偉大な愛が、生まれているからだ。
わたしは、わたしの内面に、最も偉大な愛を見つけた。
最も偉大な愛は、誰でもが獲得できる。
自分自身を愛することを学べば、それは最も偉大な愛となる。

(訳ー武田康弘)


https://www.youtube.com/watch?v=IYzlVDlE72w
ユーチューブで、歌は、ヒューストン

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