思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

「日本会議」の主張ー神武天皇から続く男系の伝統を変える権利は、天皇にも国民にもない。(拡散をぜひ!)

2015-07-28 | 社会批評

「日本会議」の中心者の一人、藤原正彦 お茶の水女子大学教授(数学者で『国家の品格』でベストセラー)は、以下のように書いています。

 「伝統とは、時代と理屈を超越したものである。・・
天皇家の根幹は、万世一系である。万世一系とは、神武天皇以来、男系男子のみを擁立してきたということである。男系とは、父親→父親→父親とたどると必ず神武天皇にたどりつくということである。・・

 十親等も離れた者を世継とするなどという綱渡りさえしながら、必死の思いで男系を守ってきたのである。

 これを変える権利は、国会にも首相にもない。天皇ご自身にさえない。国民にもないことをここではっきりさせておく。飛鳥奈良時代から明治大正昭和に至る全国民の想いを、現在の国民が蹂躙することは許されないからである。」(「皇位継承の伝統を守ろう!」日本会議編より抜粋)

 
 神話上の神武天皇(126才の長寿で弥生時代前期の人)が実在!し、そこから男系遺伝子が連綿と125代にわたり続いているという話ですが、反論などする必要はないですね。もう完全にイカレテるとしか言えませんが、こういう大学教授の主張を「真理」だとして打ち出すのが「日本会議」というウヨク団体で、みながその思想を共有しています。

  その団体に、国会議員281名が参加していて、閣僚は3名を除き全部がメンバーです。安倍君や麻生君は偉い役職です。
わが日本という国は、すでに終わっているような気がしますが、そうはさせじ、で、われわれ市民の理性と良識で治しましょう~~~~!!

武田康弘

 

 以前のblogからですが、
「日本会議」の思想は、精神倒錯者に共通するものです。その本質を以下に記します


【日本会議】などのニッポン主義者たちに共通する思想は、
天皇=皇室主義ですが、
それは、現実に存在する天皇や皇太子などの人間の意思とは関係を持ちません。

 彼らの天皇-皇室主義とは、記号としての天皇であり、記号としての皇室です。...
人間としての天皇や皇族ではありません。
天皇制というシステムそれ自体を崇拝するfetishism(物神崇拝)なのです。天皇と呼ばれる人間の意思・思想・行為ではなく、システムを神とします。ちなみにfetishismとは、人間ではなく衣服などを性欲の対象とする〈異常性愛〉のことです。

現代の知的教育と呼ばれるものは、学習する「内容」への興味を消し、無目的に「勝つため」の人生を歩ませますが、そう扱われた人々は、精神の健全性を保てません。成績上位者でなくとも、「形式知」(パターン知)の中での順位が絶対という世界では、なぜ?なんのために?の追求に基づく心の内側からの〈理念〉の導出が不可能です。そういう精神構造の人に可能なのは、ただ一つ、システムそれ自体の維持です。

種々のシステムの中でも天皇制が最大だと思う人は、それを維持するために必死となります。彼ら(彼女ら)は、天皇制や国家システムそのものを欲望の対象とする精神疾患=fetishism(フェティシズム)なのです。その精神疾患者が、自民党を中心として国会議員中280名以上いるのは、まさに異常で、唖然としますね。

学習院での成績はビリに近かったですが、鋭利な剃刀のような感性をもった志賀直哉の若き日(24才)の天皇制批判の言葉は、さすがというほかありません。
「天皇とは一体なんだろう?どうして何のために出来たのだろう? 天皇とは恐らく人間ではあるまい、単に無形の名らしい。その名がそんなにありがたいとは実に可笑しい」(抜粋・1906年=明治39年)。
形式知とは一番遠いところにいた志賀直哉の直観は、極めて短い言葉で事の本質をえぐっています。

この天皇システムの崇拝という【日本会議】などのニッポン主義者たちは、その必然として、市民主権を嫌い、人権思想を嫌うのですが、それはまた明日にでも書きましょう。彼らの思想は、民主制の原理と背反し、ほんらいは「ネオナチ」などと同じく禁止のはずです。

 

『日本会議』などに集まるフェティシストの思想、【2】です。

 第一回目でも書きましたが、天皇制や国家という概念から出発し、それ自体を愛するという倒錯をフェティシズムと呼びます。
  
 では、なぜ、『日本会議』などに集まるフェティシストは、天皇主権で、基本的人権に大きな制限を設けた戦前の日本思想(国体主義=皇室崇拝)をよいとして宣伝するのでしょうか。

 フェティシストとは、物を神とする、システムや名前やその序列を神(=絶対)とする、また、人間ではなく下着などに欲望する性癖で、〈精神倒錯者〉のことを言いますが、それは、幼少期から「おどけ・ふざけ・イタズラ・悪さ」などを十分に肯定され、順を踏ん で発育した健全な人とは異なり、大人の理想像にハメられて幼少期~青年期の生命の輝きを抑圧された人に多い倒錯で、偏執や異様な拘りをもちます。
 
 自分の周りの自然・事物・世界を五感=全身で感じ知り、想いを広げ、自分の頭で元から考えるというよき人間性の基本に欠ける人です。
 情報知と実体験を似たようなものと思い込みます。 生きた人間や動物と交わることが苦手で、いつも形式(特定の規則や解釈の枠内)でしか他者に接することができない人です。組織や権威に守られないと生きられません。

 だから、安倍首相が自著『美しい国へ』で書くように、個人とか市民という概念を嫌い、「日本人ないし国民という概念を第一にすべきだ。」 と言う主張が出てきます。  いま、ここで、イキイキと生きている一人の人間、一人の女・一人の男から始まる世界という現実が受け入れられないのです。

 これを象徴するのが、第一次安倍内閣時の国会での発言(党首討論)です。
「金や物だけの価値だけになった現状を変えて いくために、家族・地域・国を愛する態度を養うという目標をもった教育を行う必要がある。そのために、『教育基本法』を制定したが、これは戦後レジームからの脱却を意味する」(2007年5月16日)
と述べました。
 ここには、「家族・地域・国」があるだけで、肝心かなめの「私」・「個人」が抜け落ち、「世界」も抜けています。わたしはこのことを、日本人が「私」から始まる人生を可能とするために必要な批判として『ともに公共哲学する』(東大出版会)の91ページに書いたのですが、 それから8年が経とうとしています。はじめはかなりの孤軍奮闘でしたが、今は、多くの方々が立ちあがって嬉しい限りです。

 話を戻します。

 ともあれ、いまここで生きている「私」からの出発という実存の原理から目を背け、特定 のイデオロギーを優先させるニッポン主義者=ウヨク思想の根は、フェティシズムという倒錯にあるのです。

 だから、『日本会議』などに集まるフェティシストは、人権思想を嫌います。とりわけ子どもの人権(国連で採択)という思想には、ひどく難色を示します。
 イキイキとした一人ひとりの個人、民族や国籍の違いを先立てずに〈裸の個人〉から立ち上げる「人権」という思想は、できるだけお題目に留め、実質的には旧来の上下倫理で人々を縛りたいと考えます。

 端的な例は、安倍首相の旧友で政府の「教育再生実行会議」の委員を務める八木秀次 麗澤大学教授です。彼は、自著『反・人権宣言』(ちくま新書2001年刊)で、
「ヨーロッパの生んだ『人権』というイデオロギーは裸の個人を前提とする戦闘的で抽象的な思想に過ぎない、われわれは、『人権』に惑わされずに歴史と伝統に根差した知恵=『国民の常識』に戻るべきである。個人としての人間の権利は、家族共同体を破壊し、秩序を混乱させた。『ジェンダー・フリー』とは雄雌の区別がつかないカタツムリのような生き物に人間をしてしまおうという発想である。子供の人権は少年犯罪を増やし、女性の人権を振りかざすフェミニストは、母性を否定し家族を解体させる。」と主張しています。

 人民主権ー市民主権ー国民主権に対しても同様の論理で、「国体」という日本独自の戦前体制を復活させるために、言葉上だけのものに留めるのが彼らフェシティスト(倒錯者)の基本思想です。詳しくは次回にまた。


武田康弘

「日本会議」の精神構造 第三回   ネクロフィリア  (英仏誌も安倍首相らのウヨク団体「日本会議」に注目)

クリックして下さい。

 

 

 

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最も賢く、最も現実的なのは、「一国平和主義」なのです。 世界に広げましょう!

2015-07-26 | 社会思想


最も賢く、最も現実的なのは、「一国平和主義」なのです。

戦争に巻き込まれる考え方や行為ほど愚かしく、バカげたものはありません。

わざわざ平和主義を改めて、海外に自衛隊(その時点で自衛隊ではなくなり、単なる軍隊になります)を出すというような仕業をよしとする日本国民は、ごく少数です。

経団連に所属する企業経営者から、「経済のために戦争が必要だ」という発言もありましたが、そういう考え方をよしとする国民は、ごくごく少数です。

一人で偉がっている変人、アメリカのアミテージとかいう軍人(脳細胞まで筋肉でできている?・笑)にペコペコして「集団的戦争権」を認める安倍クンのようつまらない独裁的政治屋のために「戦争する国」に改めるほどの国益損=国民益損はありません。

憲法9条を盾にして「一国平和主義」を堅持するのは、最も賢い政治です。世界最良の方法が、一国平和主義で、一国平和主義の国が増えれば増えるほど、世界は安全・快適になります。

ちゃんと自分の頭で考えれば誰でも到達できる結論です。

他国の戦争に参加したい=アメリカ軍と一体化したい=それが国際貢献だ、と思うのは自由ですが、そのような人の巻き添えを喰うのは、真っ平御免ですし、そういう狂ったニッポン主義者(「日本会議」に代表される精神倒錯者)たちが、わたしたち良識ある「一国平和主義者」を巻き込む自由はないこと、これだけはハッキリ言っておきましょう。

アメリカ軍との一体化の戦争行為を肯定する者だけ=自民党員と公明党支持者と橋下クンに従う維新の会だけが、それをすればよいのです。巻き添えを喰わせる自由はありません。

戦争への参加は、君たちだけがやりなさい。ただし、それにより日本国内でテロが起きれば、その損害賠償は安倍支持者たちにありますので、しっかり払って頂きます。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員=(「日本国憲法の哲学的土台」を講義」)


fbのコメントです。

 

  •  
    澁谷 浩之
    正に仰る通りです。平和の尊さを知らない人は国を導くべきではありません。
     
  •  
    冨岡 尚志
    本当にそう思います。
    積極的平和主義の国はコスタリカしかありませんから!
     
  •  
    武田 康弘
    いきなり全世界の平和というのは、理想主義にしかなりません。一神教の国々の敵対や、民族対立、米国のユダヤ主義と英国によるだましの深い後遺症のパレスチナ紛争、こういうものを今われわれは、どうすることもできません。介入すれば害の方がはるかに大きくなります。

    まず、経済的大国の中で日本だけでもよいから「平和主義」を貫く、ということが、結果として世界の平和に貢献する最大の道です。
    一国、そう、一国こそがすべてなのです。

 

 

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『恋知』とは、自分の「内的な善美を意識的に座標軸にする」ことー超越項(神、国家、伝統・・)を置かない

2015-07-25 | 恋知(哲学)

fbの友人、小林 秀晴さんからコメントがあり、わたしは、それを普遍的な問題だと思いましたので、以下のように返信しました。

「 「ニッポン偉がり症候群」 (武田の指摘=言葉)ーーー これに関して下世話な思いを書きますが・・ 民主的な人間でありたいと思う自分の中にも、近隣の者より「偉がりたい」という潜在意識というのが存在するのではないのかと・・(小林 秀晴)」

というコメントを受けて、確かに、自他を比較して自分の優越を思ったり、他家と自家を比較して家柄を誇ったり、他国と日本を比較して偉がったりするのは、人の常かもしれないと思いました。

 わたしの提唱するフィロソフィ=『恋知』とは、自分の「内的な善美を意識的に座標軸にする」ことで、【自他の比較を無意味・無価値なものとする】生の態度ですので、それをコメントにしました。

 

「小林さん、正直に赤裸々に、よいコメントありがとうございます。これを受けて、わたしの思想の核を簡単に書いてみます。

 釈迦は哲学者でしょう(「神」という超越者を置かず、世界説明もしない)。
  彼の天上天下唯我独尊(人はみなほんらい「唯我独尊」である)という見方に立ち、「自帰依・法帰依」(自分の心と法則に従う)という基本の思想につくならば、
 国家や民族やなにがしかの伝統を偉がるという想念は生まれようがないはずです。 生の意味と価値は、「私」の存在からはじまるほかはないという原理の明晰な自覚は、深い「精神的自立」を生みますが、どこかに【超越項】(たとえば「絶対神」とか「国家」とか「日本民族」とか「天皇・皇室」とか「伝統」とか「マルクス主義」とか「他者」とか「東大」とか・・・)を置けば、そこを座標軸に物事・事象を見ることになります。
  【超越項】を置かずに、「私」の善美の座標軸(深く納得できる内からの声)につく生き方の実践が最も「よき生」だ、というのが わたしのフィロソフィ=恋知です。ぜひ実践され、広めてくださいませ。」(武田)


なお、以下は10年以上前に出したものですが、関連しますので、貼り付けます。

    哲学の答え-ー人間の生きる意味

  人間が存在している理由を問うことはできません。
「私は何のために存在しているのか?」と問うことは背理なのです。何のために、誰のために、という目的はありません。私は、ただ一人の人間として存在しているだけで、定まった理由はないのです。
 
 わたしを取り巻く一切の世界を意味づけ、価値づけ、秩序づけているのは、人間の意識=私です。私の意識が出発点であり、究極の動因であり、それが何のため?を問うことは、悪しき形而上学=宗教にしかなりません。

  この世のすべてに意味を読みこんだり、与えたりしてるのは、私の意識ー私の関心であり、人間は、自分の存在を肯定できるような理念やロマンを産み出し続ける存在です。産み出し続けることができなくなった時、人間は人間性のよさを失います。ただ生存しているだけの存在になります。

 人間は、「自分の抱く理念やロマン」を他者に示し、試すことで、それを吟味し、豊かにしていく存在であり、その営みが、人間の生きる意味をつくり出すのです。生きる意味とは、私が読み込み、私がつくりだすものなのです。

 

  唯一、人間の人間的な生を支えるのは、憧れ想う世界です。

 よいことや美しいこと(真善美)を希求し続ける心が失われれば、人間は実存するのではなく、ただ生存しているだけの存在に陥ってしまいます。

  手に取ることも目に見ることも出来ないロマンや理念の世界 - よいこと・美しいことそのものの世界 - 憧れ・想う世界、この「幻想価値」の世界が唯一、人間の人間としての生を支えるのです。

   即物的 - 現実主義的な想念の中では、人間は人間として生きることができません。人間にとって真に実在するものとは、価値と意味の世界=「幻想世界」であって、【意味】のない只の事実や只の物質というものは、存在しないからです。

   ロマンや理念、憧れ・想う世界を失えば、人間は、輝き、張りや艶、悦びや愉しみを失って、灰色の固まりへと転落してしまいます。

  心は消えてしまうのです。


   7月22日 白樺教育館屋上 2才の孫

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「集団的自衛権」という言葉自体が、おお嘘です。バカやウソは、やすみやすみにしてください。

2015-07-25 | 社会批評

いまさらですが、よくもこんな嘘を平然と言い続けるものだと感心しています。

自然権でもあり憲法9条でもある「正当防衛権」を認めるのは当然で、それを自衛権というのはまったく正当な話ですが、
海外に行って戦争に参加する権利が自衛権とは、言葉の常識を超えていますよね、これでは国語になっていません。

自衛隊とは自衛のための存在ですが、
海外で他国(主にアメリカ軍)と一体になり戦争を行うのでは、自衛隊ではないですね。たんに「日本軍」です。
安倍首相や麻生副首相ら閣僚ほぼ全員がメンバーの『日本会議』の思想では、日本軍ではなく「皇軍」でしょう。今の皇室は大迷惑でしょうが。

自衛権ではなく他衛権です。安倍クンのたとえ話の説明では、「友達の麻生クンが不良に喧嘩を売られていたので、僕は助けに入る」と言います。麻生くんの喧嘩に僕が加勢するというわけです。なんで自衛!!??満点大笑いですね~~~~~

集団的な戦いの権利です。

集団的自衛権ではなく、【集団的戦争権】です。こんな簡単なことも分からないのなら、ただの低能にすぎません。

今までの自衛隊は、万一、他国から攻められてきた時に防衛する権利を行使できるとする「自然権」(正当防衛)の立場ですから、確かに自衛権でよいですが、海外に軍隊として出ていき、戦争に参加するのも自衛だと言うのなら、戦争はすべて自衛だ???ということになります(笑)

【集団的戦争権】を「集団的自衛権」と言う大嘘をまずはやめてから議論をして頂きたいものです。

バカも休みやすみにしてほしいですね。日本中、日本語も満足に使えない人ばかり?

 

武田康弘(教師)

追加(コメント欄に)

なお、膨張する中国との関係で、アメリカ軍との一体化が必要であるとの主張とリンクさせて、国連でも「集団的自衛権」と呼んでいるではないか、という意見を言う人がいますが、いま安倍政権が審議している「違憲」法案の主目的であるアメリカ軍への加勢と一体化は、国連が特例として認める「集団的自衛権」と呼ぶ事態には全く当たりません。中国は国連の五大常任理事国であり、その中国との戦争を想定して「集団的自衛権」ウンヌンなどは論外も言いところです。

また、集団的自衛という言葉が可能な事態は、きわめてわずかの特例しかありません。過去のアメリカ軍の戦争は、到底「自衛」とは呼べません。ベトナム戦争→アフガン、イラク戦争まで、自衛とは縁もゆかりもないのは誰でもが知る通りです。

 

今行われているアメリカ軍の要請で自衛隊を出せるようにすることが主目的の法案(違憲の法案)は、集団的自衛ではなく、集団的戦争そのものです。

 

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日本に民主政は根付いているー若者のスピーチに感動!「あなたを権力の座から引きずり降ろす権利がある。」

2015-07-24 | 社会批評


日本に民主政は根付いている! 若者のことばに感動!


以下、寺田ともかさんのスピーチ(7月15日大阪梅田)全文書き起こし   原 祐介


「こんばんは、今日はわたし、本当に腹がたってここにきました。

 国民の過半数が反対しているなかで、これを無理やり通したという事実は、紛れもなく独裁です。

 だけど、わたし、今この景色に本当に希望を感じてます。

 大阪駅がこんなに人で埋め尽くされているのを見るのは、わたし、初めてです。この国が独裁を許すのか、民主主義を守りぬくのかは、今わたしたちの声にかかっています。

 先日、安倍首相は、インターネット番組の中で、こういう例を上げていました。『喧嘩が強くて、いつも自分を守ってくれている友達の麻生くんが、いきなり不良に殴りかかられた時には、一緒に反撃するのは当たり前ですよね』って。ぞーっとしました。
 この例えを用いるのであれば、この話の続きはどうなるのでしょう。友達が殴りかかられたからと、一緒に不良に反撃をすれば、不良はもっと多くの仲間を連れて攻撃をしてくるでしょう。そして暴力の連鎖が生まれ、不必要に周りを巻き込み、関係のない人まで命を落とすことになります。

 この例えを用いるのであれば、正解はこうではないでしょうか。

 なぜ彼らが不良にならなければならなかったのか。そして、なぜ友達の麻生くんに殴りかかるような真似をしたのか。その背景を知りたいと検証し、暴力の連鎖を防ぐために、国が壊れる社会の構造を変えること。これが国の果たすべき役割です。

 この法案を支持する人たち、あなたたちの言うとおり、テロの恐怖が高まっているのは本当です。テロリストたちは、子供は教育を受ける権利も、女性が気高く生きる自由も、そして命さえも奪い続けています。

 しかし彼らは生まれつきテロリストだった訳ではありません。なぜ彼らがテロリストになってしまったのか。その原因と責任は、国際社会にもあります。9.11で、3000人の命が奪われたからといって、アメリカはその後、正義の名のもとに、130万人もの人の命を奪いました。残酷なのはテロリストだけではありません。

 わけの分からない例えで国民を騙し、本質をごまかそうとしても、わたしたちは騙されないし、自分の頭でちゃんと考えて行動します。

 日本も守ってもらってばっかりではいけないんだと、戦う勇気を持たなければならないのだと、安倍さんは言っていました。だけどわたしは、海外で人を殺すことを肯定する勇気なんてありません。かけがえのない自衛隊員の命を、国防にすらならないことのために消費できるほど、わたしは心臓が強くありません。

 わたしは、戦争で奪った命を元に戻すことができない。空爆で破壊された街を建て直す力もない。日本の企業が作った武器で子供たちが傷ついても、その子たちの未来にわたしは責任を負えない。大切な家族を奪われた悲しみを、わたしはこれっぽっちも癒せない。自分の責任の取れないことを、あの首相のように『わたしが責任を持って』とか、『絶対に』とか、『必ずや』とか、威勢のいい言葉にごまかすことなんてできません。

 安倍首相、二度と戦争をしないと誓ったこの国の憲法は、あなたの独裁を認めはしない。国民主権も、基本的人権の尊重も、平和主義も守れないようであれば、あなたはもはやこの国の総理大臣ではありません。

 民主主義がここに、こうやって生きている限り、わたしたちはあなたを権力の座から引きずり下ろす権利があります。力があります。あなたはこの夏で辞めることになるし、わたしたちは、来年また戦後71年目を無事に迎えることになるでしょう。

 安倍首相、今日あなたは、偉大なことを成し遂げたという誇らしい気持ちでいっぱいかもしれません。けれど、そんな束の間の喜びは、この夜、国民の声によって吹き飛ばされることになります。

 今日テレビのニュースで、東京の日比谷音楽堂が戦争法案に反対する人でいっぱいになったと見ました。足腰が弱くなったおじいさんやおばあさんが、暑い中わざわざ外に出て、震える声で拳を突き上げて、戦争反対を叫んでいる姿を見ました。

 この70年間日本が戦争せずに済んだのは、こういう大人たちがいたからです。ずっとこうやって戦ってきてくれた人達がいたからです。

 そして、戦争の悲惨さを知っているあの人達が、ずっとこのようにやり続けてきたのは、紛れもなくわたしたちのためでした。ここで終わらせるわけにはいかないんです。わたしたちは抵抗を続けていくんです。

 武力では平和を保つことができなかったという歴史の反省の上に立ち、憲法9条という新しくて、最も賢明な安全保障のあり方を続けていくんです。わたしは、この国が武力を持たずに平和を保つ新しい国家としてのモデルを、国際社会に示し続けることを信じます。偽りの政治は長くは続きません。

 そろそろここで終わりにしましょう。新しい時代を始めましょう。

 2015年7月15日、わたしは戦争法案の強行採決に反対します。ありがとうございました」(寺田ともか)


 

以上は、IWJ Independent Web Journal  よりの転写です。 武田康弘

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米軍と一体化して世界で戦うと日本の安全になる!?(驚)NHK「クローズアップ現代」で安倍派の主張

2015-07-24 | 社会批評

米国軍の仲間になって、世界の「悪」(国連ではなくアメリカが悪を決める)を叩くと日本の安全保障になる!!アメリカはいつも正義なのだ!!
というのが、安倍君や、軍事力大好きな制服組の言い分です。NHKのクローズアップ現代でインタビューに答えて言っていました。

こんな低能な輩には反論するのも愚かしいですが、それで日本の安全になると思う人が一人でも存在するのでしょうか??

魔訶不思議な話でしかありません。

アメリカ、それも右派=軍事派しか見えない輩は、大多数の日本人の敵でしかありません。そういう輩は必ず「愛国」を言いますが、すでに歴史は、愛国主義者ー国家主義者が戦争を起こすこと、国を未曾有の大厄災に落とすことを一点の曇りなく証明しています。愛国主義者=ニッポン主義者こそが国を亡ぼす張本人なのです。

アメリカ命、ヤンキー命、かってにやってる分にはよいですが、全国民を巻き込み、わたしとあなたの税金でそれをやるというのですから、もう、極悪人(公共悪の見本)とし言えません。

小沢一郎のように(石橋湛山→田中角栄→小沢一郎)中国と政治的に太いパイプをつくれば問題ないことを、わざわざ対立して危ないというムードを作り出し、米軍と共同作戦しかないと強弁する。

アメリカ軍の手先となって働く安倍君や、軍事力大好きな制服組は、相手を挑発してわざと不安定を作り出し、日本の国民全体を危険な目に合わせるとんでもない人たちです。

愚かしい限り。公共悪そのものです。彼らこそ非国民!!



武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員=「日本国憲法の哲学的土台」を講義)


fbにプラスしたのを貼り付けます。

夜遅くの「クローズアップ現代」を見ていて、腹の底から怒りがこみあげてきました。
中国がその経済的発展に合わせて一定の膨張戦略を取るのは、よいことではありませんが、近代国家の常態です。そんなことはどこの大国を見ても同じで織り込み済みの話のはず。
では、それをどう向き合うか?が課題ですが、中国の大国化を日本にとっても利するようにすべきなのは理の当然のはず。その路線を築こうと努力して成果をあげていたのが小沢一郎さんであることは承知の事実です。
日本の最良の総理であった(病気で倒れ在任期間が短かったのは深い悲劇)そして誰よりも良心の人であった石橋湛山の意思を継いだ田中角栄(アメリカ諜報部にハメられて失脚ーそれが元で早死)とその意思を継ぐ小沢一郎(検察庁の国家犯罪=おそらく裏にはアメリカの力=により政治生命を断たれるが、いまも活動しているのは奇跡としか言えない)...
その当然で賢明な政策を根こそぎにしたのが、石原→(とその尻馬に乗った頭の軽い野田)→安倍で、
安倍は、「天皇と皇室が続いてきた日本の伝統は絶対的尊厳で〈憲法も民意も超えた世界一の奇跡〉であり、皇室が存在する日本は世界最高」という自身の宗教=大多数の閣僚がメンバーとなっている『日本会議』の中心思想=に則り、
大国となった中国の存在が目障りこの上ないのです。
もともと日米安保による「日米地位協定」はアメリカによる日本支配そのものですが、その属国路線をさらに進めてアメリカ軍に完全に従属し、手足となって働くことが「日本の安全」に寄与するという妄想のお喋りを繰り返すのは、中国憎しの感情がなせることで、「公人」としての責務ではなく「私人」としての絶対感情=日本会議(フェティシズムとネクロフィリアの精神倒錯の集団)という名の宗教感情です。
だから、日中国友好からわざと中国敵視政策に転換し、アメリカ軍との一体化を促進して、中国と対抗するのです。
石原がインタビューに答えて「一番やりたいことはシナと戦争すること」と言っていたように、彼ら「反中国」を掲げるニッポン主義者たちは、その非現実的思想を現実化するために、全実存をかけるのです。民意に逆らい国民益を元から消す彼らのイカレタ言動(国家宗教)は、民主政社会では決して許されないものです。
日中友好こそ一番現実的で安全を担保する道です。中国の強権的国内政策や近隣諸国との軋轢を批判し修正するのも、友好関係が出来なければ果たせないです。


 武田康弘

 



 

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NHKのニュース=「自衛隊は、すでに多国籍軍を指揮!」ー安倍応援は当然という誘導報道は、「大本営」以上。

2015-07-21 | 社会批評
松崎 菊也さんのfbの記事をシェアします。見事な正論です。NHKニュースとは恐ろしい「洗脳放送」であることがよく分かります。
 

NHK夜のニュースでたった今伝えたこと。7月20日    松崎 菊也

「自衛隊の中東での対海賊作戦で、日本の司令官が多国籍軍をすでに指揮している。多国籍軍の中には日本政府が安全保障法を成立させることで、テロ対策にも十分な貢献ができると期待する声も聞かれる」
現場では司令官を自衛隊員がやってるんだから、当然自衛隊の活動範囲は広げるべきだ、という論調。
「現場の実情に即した議論が国会でもなされるべきではないでしょうか」
と男のキャスターが結んだ。

なあ??
この時期に、このタイミングで、これほど政府寄りの自衛隊賛美。

裏じゃ、アメリカの司法長官が戦争法が成立するまで日本に滞在中だったり、
アメリカの軍事予算の肩代わりを日本に期待する予算が組まれようとしていたり、

それを伝えてるか、おまえたち?

全国的に広がる戦争法案、違憲、廃案の空気を堰き止める、なりふり構わぬ政府広報の片棒をNHKが露骨に担いだぞ~。

「現場じゃもう自衛隊が司令官になってて、多国籍軍である米、英の海賊対策で派遣された軍に命令してるんだぞ!
勇ましいねえ、頼れるねえ、立派だねえ自衛隊は。
ここまで現場はやってるんだから、何をいまさら戦争法反対だよ。
時代遅れも甚だしいぜ。
海賊殲滅テロ殲滅、米国に逆らう不逞の輩は米国になり替わって成敗する、正義の味方日本の自衛隊。さあ、米軍の代わりに次代を担う世界の警察は、日本軍の双肩に掛かっておる!!
国民がぼ~~~っとしてる間に自衛隊は凄い仕事をやってるんだぜ。
ん~な甘っちょろい平和ボケ反対運動でデモやってる暇はねえぜ」

お~~い会長、これ大本営発表をそのまま垂れ流す戦争中より、もっと足を突っ込んだ戦争賛美報道じゃねえのかぁ?

野党は呼べよ~参議院の特別委員会にNHKのガマを。

 

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元BC級戦犯飯田進さん(92歳)の話ー「間違いなく、日本はまた来た道をたどることになる」

2015-07-20 | 社会批評

元BC級戦犯飯田進さん(92歳)の話。

 初年兵に中隊長が命令して現地住民を殺させた。血みどろになるまで突いたが致命傷を与えることができず日本刀でけさがけに斬った。
なぜ殺害したのか戦後そのことをずっと考えて過ごしてきた。これが私の戦後だ。
間違いなく、日本はまた来た道をたどることになる。

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先週の訪問者は13万4千人(アクセス数は22万件)ご愛読、とても感謝です。  220万Blog中の6位

2015-07-20 | その他

たくさんの方のご訪問、とても感謝です。これからもよろしくお願いします。

 

過去1週間の閲覧数・訪問者数とランキング(日別)

日付閲覧数訪問者数ランキング
2015.07.19(日)  24150 PV  13559 IP  10 位  / 2228543ブログ中
2015.07.18(土)  36790 PV  22536 IP   5 位  / 2227879ブログ中
2015.07.17(金)  63498 PV  38771 IP   3 位  / 2227173ブログ中
2015.07.16(木)  60154 PV  38069 IP   3 位  / 2226366ブログ中
2015.07.15(水)  18223 PV  11927 IP  12 位  / 2225514ブログ中
2015.07.14(火)  12926 PV   6986 IP  16 位  / 2224721ブログ中
2015.07.13(月)  16553 PV   8498 IP  14 位  / 2223956ブログ中

 

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民主憲法下では、いまの安倍政権は、国家権力の正当性を失っています。主権者への反逆とみなされます。

2015-07-19 | 社会思想

「日本国憲法」は、いうまでもなく社会契約の思想により出来ています。

社会契約では、主権者を市民(シチズン)と規定します。これを主権在民と言います。

その主権者が、互いに対等な権利をもち、互いの自由を承認し合うことでつくるルール社会が民主政治=民主制国家です。

この思想と制度の下での政治家の権力行使は、憲法を順守し、主権者の一般意思に従う場合には正当なものとなります。

その正当な権力には、主権者は従う義務があります。主権者の自由と責任で選んだ彼ら代行者の決定に従うのは、国民の義務なのです。

しかし、今回の集団的自衛権の行使を可能とする法案は、国民の多数と憲法学者のほぼ全員(90パーセント以上)が違憲と判定していますので、それに従わない安倍政府の行為は国家権力の正当性をもちません。

違憲の政府の命令に従う義務は国民にはありません。政府が権力の正当性を失っているからです。いまの事態は、民主制国家では、政府による国民=主権者への反逆とみなされます

政府の行為に従うことが「公共悪」となり、政府に従わないことが「公共善」となるのです。これが、民主政社会の原理上の結論です。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員=哲学講義)

 

写真は、7月15日、国会前で。

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戦地に赴く人間は、悪人です。倫理に反する人間です。

2015-07-19 | 私の信条

イラクやアフガンの空爆での死者、アメリカ軍の死者など問題にならぬ数。

アメリカ人を助けなくていいのか???

は~~~~、安倍クンは底抜けのバカか。そう、イカレているのですね。

アメリカ人が他国人を戦争で殺した数は、恐ろしいほどの数。

それが、アメリカ人が少し殺されれば大騒ぎ。ただの間抜け。

殺し殺されるな戦争に参加する権利などないのが正しいのです。

これは、議論の余地ない話、誰も反論できません。

戦地に赴けという政府の命令には従わない人こそ、まっとうな人間であり、正しい人生を歩む人です。

戦争を命じる政府に従う者は悪人であり、倫理に反する人間です。

もちろん、それを命じる首相らは反倫理の代表であり、極悪です。

わたしは、真理を述べているのです。

反論できる者がいるなら書きこみなさい。

武田康弘 写真は7月15日、国家前

もし、海外派兵となれば、行くのは、自民党と公明党の支持者だけです。当然の話ですが。

コメント (3)
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彫刻【ボコス】に、【戦争法案反対のポスター】を貼りました。みなさまも~~~。

2015-07-18 | 社会批評

自家の彫刻【ボコス】  (友人の中津川督章ーなかつがわよしふさん作ーディスプレィ器具デザインの日本の第一人者。バレンシア国際陶磁器デザイン・コンペ'84年銀賞受賞。作品は海外の博物館にも収蔵されている)。
に貼った【戦争法案反対のポスター】(古林治さんがプリント
【ボコス】との名称は、ロゴス=論理をもじったもの、正四面体にまるい凹みをもたせたので、ボコス!(笑)で~~す。


 

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白紙に戻すか、総辞職(あるいは解散)するか、それ以外の選択肢はないのです。ー民主政の原理中の原理ー

2015-07-18 | 社会思想

   民主政社会では、主権者はシチズン=市民ですので、国家権力は、市民の「一般意思」に従う時に正当性を持ちます。

そこが全体主義や独裁制とは異なるところです。総理大臣をはじめ政治家から権力が生まれるのではなく、権力は市民(シチズン)にあります。その代行者が議員であり、大臣です。

   だから、民主政では、人々の「一般意思」に従って国家権力を行使するのが政治家の役目とされます。人々の代行ですから、【総理大臣が自分の思想で政治権力を発動することは、原理上できない】のです。

   もし、市民・国民の多数が違憲の法案であるとした場合(今回のケース=国民の多数と憲法学者のほぼ全員が違憲と判定)は、その法案を通すことは出来ません。その法案を出した元となる集団的自衛権を行使可能とした閣議決定を白紙に戻すことが、権力の正当性にとって絶対的要件となります。

   これは、わたしの私見ではなく、民主政国家の原理(数学の証明のようなもの)ですので、白紙に戻し、法案を引っ込めない現政権は、すでに権力の正当性を失っています。このまま国家運営を担えば、民主政の原理に反する独裁政府となります。

   白紙に戻すか、総辞職(あるいは解散)するか、それ以外の選択肢はないのです。これは原理中の原理です。民主政を止めるなら話は別ですが。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室 客員=哲学講義)



7月15日、国会前で。

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7.15 国会前、すごい熱気! 写真速報!! プラス 安倍自民の「公共悪」「倫理悪」

2015-07-16 | 社会批評

5時に我孫子を出て、6時半に国会前に。9時半までいましたが、すごい熱気!!
若者が多く、子どもや幼子を連れたお母さんらも。日本の未来は暗くない!!!感激です。

民意に従わない安倍晋三の独裁政権にみなNo~~を突きつけたのです。
大組織でなく、個人や小さな単位での集まりが凄い人数になり、各自が自由に思い思いの方法で、訴えていました。

「安倍晋三から日本を取り戻せ!」
「安倍晋三からこどもを守れ!」 
 「戦争反対!」
 「九条壊すな!」  
 
「民主主義ってなんだ!」
 「政治ってなんだ!」  
大シュプレヒコールがドンドンガンガン。
 いや~~~、感動で涙がでました。


 この二枚以外は、fbを見てください。

 

 自民党政府、戦前からの権力エリートとは、公共悪を為す者であり、倫理的には悪人であること。これだけは確かです。

 いま、シチズンシップ(市民精神)=「私」が主権者であること、「私」の意思と税金で社会=国をつくっているという自覚を持つ者が大量に誕生し、その輪はどんどん広がっています。市民は、権力エリート=主に自民党に集まる国家権力者に従うことは、「悪」をなすことと同義であると明晰に自覚しています。

 自民党のつくる官僚政府の言動は「悪」であり、良心をもつ者、正義を志す者、よき優れた人生を歩もうとするする者、人間としての誇りを持つ者は、みな、「反政府」です。

 わたしたち市民は、思想および良心の自由(憲法19条)の下で、よき人生を歩むものであり、「戦前思想」につくウヨク団体に転落した自民党とは、公共悪・倫理悪の存在ですので、これに賛同する者も「同罪」と言うほかありません。

 市民=シチズンとは、権力主義の政府の言には従わず、良心に従い、よき人間として生きる者です。未来永劫に、孫子にもその正しい生き方(「私」の善美の座標軸につく)を伝え、ほんとうの意味で価値ある人間を育て、この社会と国を創っていこうではありませんか。 文部科学省や政府自民党とは、〈市民精神を抑圧する悪者の集まり〉と言うほかありません。

 わたしたちは、古代ギリシャの直接民主政の伝統にならい、それを現代の日本社会に適合させるようにして活かし、新たな輝かしい未来を拓こうではありませんか。わが日本には、500年以上前からの直接民主政の伝統があります。戦国時代とは日本全国に、惣村、一向宗(浄土真宗)自治区、堺などの自由都市が広がり、自治政治を行っていたのです。

 自民党の戦前思想(国体思想=靖国思想)の【悪】には未来永劫、従ってはいけません。


武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員=哲学講義)

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スポーツの最も優れた姿勢とは?ーー押すこととその姿勢が何より大切ー完璧なジョコビッチ

2015-07-15 | 趣味

わたしは、もう40年間もこどたちと青年たちに、優れた姿勢、押すこと、と、その姿勢=方法を教えてきましたが、

偶然にも先日テレビでみたテニスのジョコビッチという選手(わたしは競技スポーツは見ないのですが偶然流れてたTVの映像で知った)は、わたしが40年以上にわたり実践し、皆に教えてきた姿勢が完璧なので、たいへん嬉しく思いました。下の私の写真は完璧とはきません(やはり63歳なので~)。

いま、国会前のデモに参加する前にいつものわたしの運動場(手賀沼遊歩道)に行きましたが、珍しく(1年に一回かな?)妻が一緒だったので、写真を撮ってもらいました。
この姿勢が何より大事で、生まれつき虚弱で、幼少のころから内臓疾患の連続だったわたしの今の強さ(不思議なことに20代、30代でもわたしに勝てない・笑・ホントウ)の秘密はこれです!!
あ~あ、ただで教えちゃった。

では、支度して今から国会前に!!




 



 

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