思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

冷酷で底意地が悪い人の象徴ーー検察官と裁判官たちの非人間性。

2016-05-31 | 社会批評

冷たい、機械的、硬直、型はまりで、フィロソフィ(恋知)がない。
人間味ある優しさや、他者への思いやりとは無縁。
杓子定規で、豊かさやほんものの知性=理性をもたない、
パターン知の組み合わせー本質的に愚か。
そのような構造の頭脳は、人権感覚を持てないので、冷酷非道な行為が可能です。

生きた人間のもつ自由でしなやかな精神とは無縁だからです。意味に乏しい受験知の所有者は、己を優秀だと思い込みます。底なしのお馬鹿ですが、そういう人間たちがトップに立つ日本には救いがありません。

罪なき者に死刑を言い渡し、死刑を執行する、これは、【人間に可能な最大の悪】です。
制度によって合法として行う「悪」は、あらゆる悪の中で最も酷い悪であることを知らねばなりません。

殺人では、殺される人間は死の瞬間までは、まだわずかでも逃れられる可能性もっていますし、場合により失神状態ですが、制度による殺人=死刑は、逃れることが不可能で、かつ、殺す側に正義があり、冷静に殺すのですから、残酷この上ありません。
無罪で死刑とされ、死刑囚(=最大の悪人)として殺されるその日がいつ来るか、毎夜、毎夜、その瞬間を恐怖し、獄中で生き続ける。   人間にできる最大の残虐行為です。

そういうことのできる人間にだけはなりたくないですし、なってはいけません。
こういう裁判官や検察官の家庭は、内的な心の世界に乏しい不幸な外面主義でしょう。そういう親のもとで育つこどもたちが心配です。


武田康弘




 

 

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ビクトリア・ムローヴァ =「雪の女王」を聴く。シベリウスとバッハ。

2016-05-30 | 学芸





昨日、池袋の国際劇場で、ビクトリア・ムローヴァを聴く。

ひんやりとした空気、凜とした美しさに息を飲んだ。
http://yomikyo.or.jp/2015/11/187-1.php
ムローヴァのシベリウスのヴァイオリン協奏曲は、ピンと張り詰めた実に美しい音。一歩も引かぬ意思に打たれた。
21世紀の天才・イブラギモヴァとはどこも似ていないが、共に得難い強烈な個性で、痺れる。
アンコールのバッハの無伴奏1番、ムローヴァは、まるで氷の女王エルザ(アナと雪の女王)のように、美しく透明な音と音楽で会場を凍らせた。弓を下げてもまだ誰も拍手しない。感動で2000人を支配した。

読売日響は、相変わらず太いというか、上質さのないのが特徴(失礼)。今度は、彼女の独奏だけの演奏会に行こう。
蛇足だが、ムローヴァの水平に腕を上げた弾き方=姿勢に、レオニード・コーガンを想った。
いつか最高の音響をもつ所沢ミューズの中ホール(マーキーホール)でやらないかな~~~?  浜離宮でのバッハは逃したので。

明日、池袋の国際劇場よりも音響の美しいサントリーホールに行かれる方は、楽しみに~~~~~


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




バッハ無伴奏の双璧、イブラギモヴァとは異なる透明な美を放つムローヴァ。
人生経験からくる味わいの深さではムローヴァに軍配が上がり、主観性の豊穣ー革新性ではイブラギモヴァです。
しかし、両者(静・直線的と動・曲線的)を比較することは、実は不可能です。あまりにも異なり、共に「我独り尊い」を実現していますので。
世代の違う二人のロシア人、共通するところはどこにもありません。あえて言えば、個性への徹底だけが共通。
ビクトリア・ムローヴァ と アリーナ・イブラギモヴァ。二人を聴くことのできるのは、なんという幸せ。

(20世紀の名盤ーシェリングや、それを範としたのであろうヒラリー・ハーンは、ああ、古いな、と時代を感じます。)



武田康弘



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オバマ大統領の今回の広島スピーチは、安倍首相ら復古的思想への批判という意味ももちます。

2016-05-29 | 社会批評

 連合国にとって「ポツダム宣言」で絶対条件とした日本の民主化にあたって、明治憲法の改正は必須でした。民主政の根幹は主権在民(個人の意思の集合で政府=国家をつくる)ですが、日本は天皇主権だったからです。

 しかし、その要求はのめないとして、政府も、保守二大政党も、天皇主権のままの改正案を示したので、GHQは「ありえない」と突っぱねたのでした。そこに鈴木安蔵(治安維持法での初の逮捕者となった憲法学者)と高野岩三郎(東京帝国大学の教授でしたが帝大に反旗を翻した反骨の人で初代NHK会長)ら民間人7人による民主的な憲法草案(主権は国民にあり、天皇は儀礼を司るのみ)が出たので、これはよい、として参考にもしながらGHQ案をつくったのです。

 「個人の意思で国をつくる」は、基本中の基本ですが、「アメリカ占領軍による押しつけ憲法」を排して新しい憲法をつくるという安倍自民党の憲法改正案からは、「個人」という言葉=思想がすべて削除されました。これは、アメリカのみならず、西側諸国の基本思想(社会契約論)の否定ですので、彼らはみな極めて不愉快です。

  根本的な思想において、欧米と異なる国体思想(天皇を頂く国家がまず先にあるとする)による憲法は、アメリカ民主政とは相いれませんが、それを、9条改定で、アメリカ軍と一体化する日本軍にするという戦略により、アメリカの反対を抑えて、復古的な自民党憲法を可能にしようという魂胆をもつのが安部首相です。

 その腹をよく知っているオバマ大統領は、終始、苦虫を噛み潰したような顔でした。愛想笑いがせいぜい。

 今回の広島訪問とそれに向けて入念に練られた見事なスピーチは、たぶんに安倍首相の思想と行動への批判が刷り込まれています。安倍首相の言動を大元から覆そうとする思想が明瞭に示されているのを、わたしは感じ取りました。アメリカ良識派=知性派の平和宣言と見ることも可能です。もちろん右派の意向は異なりますが。

 

武田康弘(元参議院行政監視委員会調査室・客員ー「日本国憲法の哲学的土台」を講義)

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昨日のオバマ大統領の言葉。内的な理念から発する人間の声。段ちがいのレベルに改めて唖然。

2016-05-28 | 社会思想

   昨日のオバマ大統領の言葉(毎日新聞による邦訳ー太字・赤字は武田)。

安部首相のみならず、日本の政治家とのあまりの違いに、改めて唖然とします。
おおいなる矛盾の中を、それでも大統領を8年間続けてき「一人の人間」の声を聞きました。感動せざるを得ません。

武田康弘





  71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光(せんこう)と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。

 私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか。それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために来ます。また、10万人を超える日本の男性、女性、子ども、多数の朝鮮半島出身者、12人の米国人捕虜の死者を悼むために来ます。その魂がもっと心の内を見て私たちは何者なのか、私たちはどのようになれるのか、振り返るよう語りかけてきます。

 広島を際立たせているのは戦争という事実ではありません。人間が作った道具は暴力的な紛争が古くから行われてきたことを教えてくれます。私たちの先祖は石から刃物を、木から槍(やり)を作ってきました。これらの道具はただ単に狩りをするためでなく、人間に対しても使われてきました。どの大陸においても文明の歴史は戦争に満ちています。食料不足や黄金への渇望、民族主義的、宗教的な熱狂から戦争が起こり、帝国が台頭し、衰退してきました。そして、人々は支配され、解放されてきました。その時々で数えきれない犠牲者が出て罪のない人々が苦しみ、犠牲者の名前は時とともに忘れ去られました。

 広島と長崎で残虐的な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国々の間で戦われました。その文明は世界にすばらしい都市や美術を生み出してきました。そして、思想家は正義や調和、真実という進んだ考えを見いだしてきました。しかし、最も単純な部族同士の紛争の原因のように、支配、征服を欲する本能という同じ根本から戦争は起きてきました。つまり、古いパターンが制約が働くことなく、新しい能力により増幅されてきました。ほんの数年間で6000万人が亡くなりました。男性、女性、子ども、私たちと全く変わらない人たちです。銃で撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、拘束され、飢餓に苦しみ、毒ガスにより、亡くなりました。

 世界にはこの戦争を記録している施設がたくさんあります。記念碑は勇ましさや英雄的な物語を伝え、墓地や収容所の跡は言い表せないほどの恐ろしい行為がなされたことを示しています。しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、最も明確に人類が抱える矛盾を想起させます。思想、想像、言語、道具作りなど、人類が自然界から離れ、自然を従わせることができると示す能力は、同時に、比類のない破壊力も生み出したのです。

 物質的な進歩や社会の革新が、どのくらいこうした真実を隠してしまっているでしょうか。私たちはどれだけ簡単に、暴力を崇高な理由によって正当化してしまっているでしょうか。すべての偉大な宗教は、愛や平和、公正さにいたる道を説いていますが、どの宗教も信仰の名のもとに人を殺す信者を抱えることを避けられません。

 国は犠牲や協力によって人々が団結するという物語を語り、台頭して偉大な成果を生みました。その同じ物語は、自分とは違う他者を虐げたり、非人間的に扱ったりすることに使われてきました。

 私たちは科学によって海を越えてコミュニケーションできますし、雲の上を飛ぶこともできます。病気の治療や宇宙の解明もできます。しかし、そうした発見が、効率的に人を殺す機械になり得るのです。

 近年の戦争は私たちにこうした真実を伝えています。広島も同じ真実を伝えています。技術のみの発展だけでなく、同様に人間社会が進歩しなければ、我々を破滅させる可能性があります。原子を分裂させた科学の革命は私たちに道徳的な進歩も要求しています。

 これが私たちが広島を訪れる理由です。

 この広島の中心に立つと、爆弾が投下された瞬間を想像させられます。混乱した子供たちが抱いた恐怖感を感じ、声にならない叫びを聞きます。むごたらしい戦争、これまで起きた戦争、そしてこれから起こるかもしれない戦争による、罪のない犠牲者に思いをはせます。言葉だけでは、このような苦しみを表すことはできません。しかし、私たちは正面からこの歴史に向き合い、このような苦しみを再び繰り返さないためにできることを問う責任を共有してきました。

 いつの日か、証言をする被爆者の声を聞くことができなくなります。しかし、1945年8月6日朝の記憶は決して消してはいけません。その記憶があるからこそ、我々は現状に満足せず、道義的な想像力の向上が促され、変われるのです。

 あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択を行ってきました。米国と日本は同盟を築いただけでなく、友情をはぐくんできました。それは戦争よりもはるかに人々にとって有益でした。

 欧州の国々は貿易と民主主義の結びつきによって戦場に代わって連合を作りました。抑圧された人々や国家は自由を勝ち取ってきました。国際社会は戦争を避け、そして核兵器を規制、削減し、最終的には廃絶することを求めた機構や条約を設けてきました。

 しかし、私たちが世界で目にする、すべての国家間の侵略行為やテロ行為、腐敗、残虐行為、そして抑圧は、私たちの仕事がまだ終わっていないことを示しています。

 私たちは悪を行う人類の能力をなくすことはできないかもしれません。だから、私たちが築いた国家や同盟は、私たち自身を守る手段を持たなければなりません。しかし、我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはいけません。私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます。

 私たちはこれらの核兵器をなくす道のりを描くことができます。私たちは新たな(核兵器の)拡散を止め、狂信者から核物質を守ることができます。これだけでは十分ではありません。なぜならば、原始的なライフルや「たる爆弾」ですら、非常に大きな規模での暴力をもたらせるからです。

 私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません。外交を通じて紛争を防ぎ、始まってしまった紛争を終わらせる努力をする。相互依存が深まっていることを、暴力的な競争ではなく、平和的な協力の名分にする。国家を、破壊する能力ではなく、何を築けるかで定義する。そして何よりまして、私たちは人類の一員としてお互いのつながりを再び想起しなければなりません。このつながりこそが我々を人類たるものにしているからです。

 私たちは過去の失敗を繰り返すよう遺伝子で決められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに違う方法を伝えることができます。共通する人間性を説明し、戦争が起こりにくく、残虐性が簡単には受け入れられないようにする物語です。被爆者の方たちの話から、それらが分かります。原爆を落とした爆撃機を操縦したパイロットを許した女性がいました。それは彼女が、自分が本当に嫌悪しているのは戦争そのものだと気付いたからです。広島で殺された米国人の家族を捜し出した男性がいました。なぜなら彼は、その米国人たちの喪失感は彼自身のものと同じだと確信していたからです。

 私の国の物語は(独立宣言の)簡単な言葉で始まります。「すべての人類は平等に創造され、創造主によって奪うことのできない権利を与えられている。それは生命、自由、幸福追求の権利である」。しかしその理想を実現することは、米国内や米国民の間であっても、決して簡単ではありません。しかし、その物語にあくまでも忠実であろうとすることに価値があります。それは努力しなくてはならない理想であり、大陸と海をまたぐ理想です。

 全ての人のかけがえのない価値です。全ての人命は貴重であるということです。私たちは一つの家族の一部であるという根源的で不可欠な考え方です。それが私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

 だからこそ私たちは広島に来るのです。それによって、私たちは、愛する人たちに思いをはせます。朝一番の子供たちの笑顔。食卓での配偶者との優しい触れ合い。親の心地よい抱擁。そうしたことを思い、そうしたかけがえのない瞬間が71年前のここにもあったのだと考えることができます。亡くなった方々は私たちと全く変わらない人たちでした。

 普通の方々はこうしたことを理解できると思います。彼らの誰もがこれ以上、戦争を望んでいません。むしろ科学の驚異を、命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立ててほしいと考えています。

 国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう。

 世界はここで永遠に変わってしまいました。しかし、広島の子供たちは平和に日々を送っていくでしょう。なんと価値のあることでしょうか。それこそが守り、そして全ての子供たちに広げていく価値があることなのです。

 これこそが、私たちが選択できる未来です。広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきです。

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オバマ大統領の今回の広島スピーチは、安倍首相ら復古的思想への批判という意味ももちます。
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アレルギー見落とし誤って給食ーー「個人」を嫌がり「集団主義」を前提とするニッポンの悲劇。

2016-05-26 | 学芸

アレルギー見落とし誤って給食、児童が発熱 大阪府立東淀川支援学校

産経ニュース

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 大阪府教育庁は25日、府立東淀川支援学校(大阪市東淀川区)小学部で、チーズなどの食物アレルギーのある児童に、誤って給食のピザを食べさせたと発表した。児童は発熱するなどしたが、回復しているという。

 府教育庁によると、19日午前11時40分ごろ、40代の女性教諭は、児童がピザからチーズなどを取り除くのを見て、生地だけなら食べても問題ないと思い込んでいた。児童は数時間後に発熱し発疹が出るなどした。

 児童にはピザを配らないことになっていたが、女性教諭は事前に献立表を確認していなかったという。

 4月には、府立茨木支援学校(茨木市)で牛乳などに食物アレルギーのある小学部の児童に、教諭が誤って給食の牛乳を飲ませ、入院する事案があった。

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  わたしが言いたいのは、この教諭に対する非難ではなく、

みな同じはず、みな一緒がいい、みな同じ気持ち、という大ウソが前提の教育が日本では行われているということです。

食べ物も、着るものも、思いも考えもみな一緒!! 「個人」という概念=言葉を理解せず、個性のない人間はいないという事実を消し去るような、みんな一緒病。統一された価値観をよしとする恐ろしさです。元から人権はありません。

「個人」に冷たい国とは、恐ろしい国、と同義語です。

 

武田康弘

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驚愕の事実ー『琉球新報』へのリークがなければ、米兵の日本女性殺害は闇にされた可能性(怖)。

2016-05-23 | 社会批評

http://lite-ra.com/2016/05/post-2260.html


   その“本土”マスコミの問題を指摘する前に、まず第一報の経緯をおさらいしよう。そもそも、逮捕された男が島袋さんの失踪に関与している疑いを最初に報じたのは、沖縄地元紙の「琉球新報」だった。 「琉球新報」は18日朝刊で、沖縄県警が男を重要参考人として任意の事情聴取していることをスクープしたのである。

 沖縄の警察当局は通常、米軍が絡む事件には異常に神経を使い、慎重に慎重を期して捜査を進める。これまで事情聴取段階で情報が漏れることなどあり得なかった。

 ところが、琉球新報の記事には「捜査関係者」の情報であることが明記されており、明らかに捜査していた沖縄県警から情報が流れていた。これはなぜか。

「沖縄県警はすでに、事情聴取段階で相当な証拠を固めていた。ところが、県警内部で、捜査に圧力がかかっていたようなんです。安倍官邸の意向を忖度した県警上層部が『オバマ大統領の訪日前でタイミングが悪すぎる』と、言いだしていた。それで、このままだと、捜査を潰されてしまう、と危惧した現場の捜査関係者が琉球新報にリークしたということらしい。つまり、新聞に報道をさせて、既成事実化して、一気に逮捕に持って行こう、と」(在沖縄メディア記者)

 実際、この琉球新報のスクープは「沖縄タイムス」も後追い。沖縄では一気に報道が広がっていった。

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米兵の言葉にならぬ悪行ー女性を凌辱し続ける歴史。日本に政府はない。






武田康弘

 

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米兵の言葉にならぬ悪行ー女性を凌辱し続ける歴史。日本に政府はない。

2016-05-21 | 社会批評
  以下は、沖縄の1995年までの記録ですが、泣き寝入りで犯罪とならない強姦は、日常的であることが、アメリカ人の強姦被害者の女性の聞き取り調査で明らかになっています。(東京新聞掲載)  米兵とは何なのか? 長いこと自国の女性をいいようにされて黙っている日本の政治家たちは、まちがいなく万死に値します。不平等協定=人権侵害の見本と言われる「日米地位協定」を根本的に変えることもしない政治なら、政府の存在理由=価値は、ありません。

  戦後体制を変える、などとイキガッテいる安倍などのウヨク政治家は、ますます対米従属路線を走ります。

  わたしは、結婚を目前にした女性を凌辱=殺害した米兵への怒りがおさまりません。フィアンセと両親の悲しみは、言語に絶するものと思います。


武田康弘


沖縄の女性グループ「基地軍隊を許さない行動する女たち」がまとめた【米兵による戦後沖縄の女性に対する犯罪】
年代
月 日
事  項
処罰の方法
出典
1945 3.26 沖縄戦で米軍が初めて座間味村に上陸。数カ月後、米兵による強姦事件が発生。拉致してボートで連れ出し、裏海岸で強姦した後、放置。 不明 8
  4月 米軍上陸後、強姦が多発し、各地域で住民による自警団が結成される。   8
  8.20 祖母と食料探しのため海岸に出た32歳の女性、米兵につかまり強姦される。翌年4月、混血の男児を出産。(玉城村) 不明 10
  8.21 友人2人と、子どもをおぶって薪取りに出かけた31歳の女性、米兵3人に拉致され消息を絶つ。(座間味村) 不明 2
  9.8 子どもをおぶってヨモギを摘んでいた39歳の女性、4人乗りの米兵のジープに拉致され、カーブで道ばたに放り出される。背中の子どもは死亡。(羽地市) 不明 2
  9.24 男性2人と石川の収容所に親戚を訪ねていく途中の19歳の女性、子どもをおぶったまま3人の米兵に拉致される。男性2人は米兵に銃を向けたれ、抵抗不可能。母子は2年後に白骨死体で見つかった。(石川市) 不明 2
  10.24 46歳の女性、道路で米兵2人に襲われそうになり、がけ下に飛び降りて大腿骨折。その後、追ってきた2人に強姦される。(本部町) 不明 10
  10.25 家具を失って岩の下で居住していた35歳の女性、夜トイレからの帰りに米兵2人に強姦される。翌年8月、男児を出産。(知念村) 不明  
この年   宜野座米軍野戦病院に収容された重傷の女性を、MPが強姦するのを沖縄人労働者が目撃。 不明 4
1946 1.21 草刈り作業中の23歳の女性、米兵に森の中に連れ込まれ、ナイフでほおを切られたあと強姦される。その後、妊娠、出産する。(兼城村) 不明 10
  1. 草刈り作業をしていた19歳の女性、米兵にすすき林の中に連れ込まれ、強姦される。混血の女児を出産。(糸満町) 不明 10
    この月から、沖縄の女性たちに混血児が生まれる。(沖縄本島上陸から10カ月)   5
  3.10 農作業中の30歳の女性、米兵3人に拉致、強姦される。12月に男児を出産。彼女の姉も、前年、出産直後、寝ていたところを米兵に拉致されそうになったが、住民の騒ぎで未遂に終わった。(具志川村) 不明

2

10

  7.26 川に洗濯に出かけた34歳の女性、行方不明になる。8月1日に死体で発見されるが、口にぼろ切れが詰め込まれていたことと、住民の立入禁止地区で発見されたことから、米兵による強姦、殺害と推定された。(北谷村) 不明 10
  8.30 芋の積み込み作業をしていた24歳の女性、米兵に捕まって強姦されそうになったところを抵抗。ナイフで切りつけられ重傷を負う。数人の男性の騒ぎで米兵は逃げてしまう。(具志川村) 不明 10
  10. 農作業中の39歳の女性、米兵3人に山中に連れ込まれて強姦される。(具志川村) 不明  
46~47   本土や海外からの引揚者が収容されていたキャンプのテント村では、米兵が進入して女性を強姦した。乱暴された後、自殺する娘も多かった。母、娘とも強姦されたケースもある。   9
47 3. 大勢の人たちと農作業をしていた女性、逃げ遅れて3人の米兵に拉致、強姦される。後に赤毛の男児を出産。(具志川村) 不明 2
  5.8 34歳の女性給仕、所用で出かけて戻る途中、米兵に拉致され、浜辺で強姦される。農作業中の人たちに助けを求めたが助けられなかった。
(大宜味村)
不明 10
  8.20 外出から帰ってきた24歳の女性、屋敷に潜んでいたフィリピン兵に強姦されそうになり、抵抗したところをナイフで刺殺される。(コザ市) 不明 10
  9.9 28歳の女性、自宅にピストルを持った米兵が侵入したため、一旦逃げるが、生後6カ月の子どものことが気になり、戻ってきたところを畑に引きずり込まれて強姦され、ピストルで殴打されて死亡。(コザ市) 逮捕されるがその後、不明  
  10. 畑を開墾中の42歳の女性、フィリピン兵らに強姦される。(具志川村) 不明 10
1948 7. 中部農林高校の寄宿舎が台風で破壊されたため、民家に下宿していた女子高生、家主の知り合いの米兵に強姦される。助けようとした家主はナイフで切りつけられる。(具志川村) 不明 10
  8. フィリピン兵の集団に女性が拉致される。救出に行った地元の男性2人のうち、一人は殺され、一人は負傷。 不明 9
    このころ、米兵が基地のまわりの民家に昼夜なく現れ、片言の日本語で女性の名を呼びながら、うろつく。(沖縄本島中部) 不明 6
  9.14 生後9カ月の赤ちゃんが米兵によって強姦される。 不明 3
1949 9月

混血児人口450人
(那覇94人、前原50人、コザ73人など)

米国の「タイム」誌(1949.11.28)は、沖縄に駐留する米兵が「米軍の才能のないものや、のけ者のていのよいはきだめになっていた。9月までの6カ月間に米兵は18件の犯罪を犯罪を犯した」と論述する。(抜粋)

 

7

1

  12 米軍部隊のメイドとして、働いていた17歳の女性、兵隊宿舎の中で米兵に強姦される。翌年、混血の女児を出産。(具志川村) 不明 2
    1945年の上陸から、この年までの米軍人による沖縄住民に対する強姦、及び致死傷76件(うち強姦致死4人、拉致をおそれて車または崖からの転落死7人)-表沙汰になったもの   5
1950 2.17 夜11時頃、那覇市内で芝居見物帰りの2人の女性が米兵にカービン銃で脅迫されて連れ去られ、一人の女性は6人の米兵に、またもう一人は8人の米兵に強姦される。 不明 1
  7.5 民家にフィリピン兵が侵入してピストルを乱射。主婦が捕まって強姦される。(具志川村) 不明 10
    この年の朝鮮戦争勃発で沖縄における米軍基地建設はピークに達し、沖縄は朝鮮への発進基地となって米兵があふれる。   6
1951 5. 戦後6年間の強姦事件は278件   1
1952 3.25 那覇市内の民家に米兵がCIDと偽って入り込み、21歳の女性を強姦。さらに1時間後に引き返してきて逃げ回る女性を殴りつけ、再び強姦する。米兵はエンジニア部隊所属。 不明 1
1955 9.3 永山由美子ちゃん(6歳)が、嘉手納高射砲隊所属の米兵に拉致され、強姦された上、惨殺される。(石川市) 死刑判決後、45年の重労働に減刑

1

3

  9.9 9歳の少女が就寝中に海兵隊所属の一等兵に強姦拉致され、重傷を負う。(具志川村) 終身刑

1

3

1956 9.23 特飲街でホステスが海兵隊伍長に惨殺される。変態性欲者の犯罪といわれる。(宜野湾村) 懲役8年 1
1959 3.17 20歳のハウスメイドが那覇航空隊近くで一等兵に強姦される。 陪審員合議で懲役10年、
平籍はく奪
1
  10.28 22歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。死体は全裸で発見される。(コザ市) 懲役3年 1
3
1961 7.11 47歳のホステスが部隊を脱走した19歳の海兵隊員によって殺される。 逮捕され、一人は無期懲役 1
3
1963 7.3 22歳のホステスが那覇航空隊所属の上等兵に惨殺される。ふられた腹いせによるもの。    
  10.1 20歳のホステス、キャンプ・シュワーブ所属の米兵2人に野原に引き出されて強姦される。犯人はMPに現行犯逮捕される。(久志村) 不明 10
1965 1.24 28歳の女性のホステス、自宅で殺害される。米兵が容疑者として、取り調べを受ける。(金武村) 不明 3
1966 7.21 勤め先から帰宅途中の31歳のホステス、米兵に強姦、殺害され、全裸死体となって下水溝で発見される。(金武村) 迷宮入り 1
1967 1.24 32歳のホステスが18歳の海兵隊員によって絞殺、全裸で発見される。(金武村) 重労働35年の判決 1
3
  4.2 34歳のホステスが米兵に強姦、絞殺される。(コザ市) 不明 1
  11.20 20歳のホステス、自宅で就寝中に米兵にハンマーで頭を殴られ死亡。(金武町) 迷宮入り 1
   

この年、ベトナム戦争からの帰還兵による強盗、ホステス殺しが続発する。

このころ、米兵相手のバーでは、女性が一人でトイレに行くのは自殺行為だと言われた。

 

1

9

1968 3.29 浦添村の米軍施設内に努めていた35歳のメイドが同施設内に勤務する米人女教師に殺される。 米軍当局の許可で本国帰還 1
  5.19 52歳の主婦、自宅前の路上でミサイル基地所属の上等兵に強姦、殺害される。(読谷村) 韓国へ出動させるが沖縄県警の捜査で逮捕。終身刑。

1

10

  6.20 23歳のホステス、海兵隊MPに強姦される。その後短銃で殴りつけられたため、重体。宜野座村) 逮捕後不明 1
1969 2.22 21歳のホステス、砲兵連隊所属の二等兵に絞殺、全裸死体で見つかる。(コザ市) 逮捕後不明 1
  3.3 20歳のホステスが死体で発見される。司法解剖の結果から米兵の犯行と断定。(那覇市) 迷宮入り 1
  11.21 アルバイト帰りの25歳の女性を路上で上等兵が強姦。抵抗するたびにナイフで切りつける。(那覇市) 俸給二カ月分の罰金、降等 10
1970 5.28 出勤途中の21歳の軍雇用女性、米兵に襲われる。(浦添村) 証拠不十分で無罪 3
  5.30 下校途中の女子高生が軍曹に襲われ、腹部、頭などめった刺しにされる。強姦が目的だったようだが、騒がれて未遂。教職員会、女性団体、高校生らの抗議で逮捕。(具志川市) 懲役3年の重労働、降等  
この年   朝7時半頃、高校3年の女性とが登校中に、突然体が宙に浮き、上半身裸の3人の米兵に腕を捕まれたままジープで数秒間引きずられた。(宮古)    
この頃   バーを経営していた女性が、カウンター内に入り込んで来た米兵に強姦される。その際、足と首に大けがをし、働けなくなる。 犯人は裁判中に配置転換 9
1971 4.23 22歳の女性ホステスの全裸死体が墓地で見つかる。目撃者の証言で海兵隊所属の伍長が逮捕される。(宜野湾市) 血液型が被害者と同じため証拠不十分で無罪 1
  5.1 41歳の女性が海兵隊二等兵にドライバーで刺殺される。指紋体液の血液型などの証拠で逮捕。(金武村) 不明。本人は否認 1
  5.21 女子中学生が米兵に強姦される。(コザ市) 犯人あがらず 1
  5.23 出勤途中のホステスが米兵に空き家に連れ込まれ、強姦される。(コザ市) 迷宮入り 1
  7.10 自宅前で遊んでいた12歳の精薄児を3人の米兵が輪姦。(宜野湾市) 逮捕後不明 1
1972 4.10 25歳のホステスを陸軍軍曹が殺害。排水溝に投げ捨てる。(泡瀬ゴルフ場横) 懲役18年 1
  8.4 37歳のホステスが二等兵によって強姦、絞殺される。(宜野湾市) 無期懲役 1
3
  12.1 22歳のサウナ嬢を海兵隊二等兵が強姦、シミーズのひもで絞殺。(コザ市) 無期懲役 1
1973 3.18 42歳のホステスが全裸絞殺死体で発見。第二兵たん所属の兵隊の血液型、指紋が現場のものと一致したが、物的証拠がなく、逮捕不可能。地元警察の米軍側への申し入れにも関わらず容疑者は二ヶ月後に除隊し、本国に帰る。(コザ市) 迷宮入り 1
1974 5.8 叔父と共に農道を歩いていた17歳の少女が、米少年兵3人に全裸にされたうえ輪姦される。叔父が殴られて気絶していたときの犯行で、叔父の訴えにより、犯人が判明。(金武村) 不明 1
1975 4.19 海水浴に来ていた二人の女子中学生をキャンプ・ハンセン所属の二等兵が石で殴って気絶させ強姦。米軍は容疑者の身柄引き渡しを拒否したが、地元住民、県議会の抗議行動で地元警察に引き渡す。(金武村) 懲役6年

3

10

1982 8.1 33歳の女性ホステス、新築工事中の部屋で、上等兵に絞殺される。強姦しようとしたところを抵抗され、殺す。(名護市) 懲役13年 1
1984 9.30 19歳の米軍一等兵女性、一等兵と二等兵に強姦され、車ごと焼かれて死亡。(宜野湾市) 懲役13年 1
1985 10.29 40代の女性が帰宅途中、キャンプ・ハンセン所属の二等兵と上等兵に拉致・強姦される。(金武町) 現行犯逮捕刑は不明 1
1993 5. 19歳の女性が陸軍軍曹に拉致、強姦される。被害者は告訴取り下げ。 除隊 3
1995 5.10 24歳の保険外交員の女性、米兵にハンマーで顔面を殴られ死亡。(宜野湾市) 係争中 3
  9.4 米兵3人による小学生拉致、強姦事件発生 2人懲役7年・1人6.5年 3

 作成:高里鈴代・宮城晴美(1962.2.2)

〔出典〕

1.比賀朝進「戦後50年犯罪史」(風土記社)
2.福地廣昭「沖縄における米軍の犯罪」(同時代社)
3.沖縄タイムス
4.那覇市「那覇市史 飼料第3巻8」
5宮里悦編「沖縄・女達の戦後」(沖縄婦人運動史研究会)
6.「島マスのがんばり人生」(回想録編集委員会)
7.「うるま新報」
8.証言
9.NHK/ETV特集「沖縄は何を怒ったのか-軍隊と性暴力を問う女性たち」
10.福地廣昭「米軍基地犯罪」(労働教育センター)

〔凡例〕

1.「具志川村」は現在の「具志川市」のこと
2.地名は、事件当時の市町村名を使用
3.新聞の表記では「乱暴」「暴行となっているものでも、状況から「強姦」と思われるものはそのように表記している。
4.出典名が二つあるのは、両方を参考にしたと言うこと
「不明」派、操作自体が行われていないと考えられるものもある。

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白樺文学館・白樺教育館は、ル・コルビュジエ「国立西洋美術館」のコンセプトによります。

2016-05-19 | 学芸

http://www.shirakaba.gr.jp/genesis/hiwa/hiwa7.html

6年前の記事です。

西洋美術館ルイ・コルビジェーおめでとう!!
わたしが小学生のころから親しみ、大好きだった西洋美術館に乾杯!!

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西洋美術館

国立西洋美術館
撮影:武田康弘

 

白樺文学館

白樺文学館外観
撮影:武田康弘

白樺教育館

白樺教育館
撮影:武田康弘
● 誕生秘話 ●

7.『白樺文学館』と『白樺教育館』の設計は、『国立西洋美術館』がモデルでした。

 わたしは、1999年に始まり2001年に落成した『白樺文学館』をつくるとき、建物と家具等のデザインのコンセプトを『国立西洋美術館』のイメージに求めました。建築会議で、設計士や施工者にその旨を説明し、具体的な作業を行ったのです。家具はわたしが絵を描きディテールに至るまですべて責任をもちました。
 玄関から志賀直哉邸跡地を結ぶスロープの緑色の丸石は、西洋美術館の正面壁と同様にしてみました。

 また、2002年に始まり2004年に落成した『白樺教育館』も同じく、西洋美術館の基本思想を意識し、細かな仕様までわたしの意思を徹底しました。取っ手や看板に至るまですべて同一の考えで貫かれています。また肝心な部分は、具体的な作業もわたしが自ら行いました。

 施工は共に大成建設です。

 わたしがルイ・コルビジェのデザインに見てとったコンセプトとは以下のようなものです。

1.モダンであるが、クールではない。
2.繊細・優美であり、かつ揺るぎない強さをもつ。
3.展示という行為が過去の賛美ではなく、未来を拓く現代的意味を持つ。
4.ディテールを大切にする。ていねいなつくり。
5.新鮮さと落ち着きの両立した空間。
6.こけおどしがない。自然である。

武田康弘 2010年6月10日


参考  
(1) 白樺文学館 開館顛末記
22.できたてのホヤホヤ 建物見学
白樺文学館オリジナルホームページより

 

 

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「おどけ、ふざけ、わるさ、が、何より大切」 ープリントアウトして貼っておいてください。子育ての大前提

2016-05-17 | 教育

2004年に出したものを簡潔にしました。
ぜひ、プリントアウトして、壁に貼っておかれることをおすすめします。



 お母様、お父様、 教育とか躾(しつけ)と思って子どもの心を抑圧し、歪めてはいませんか。

 発育、発達には順番があります。子どもは、十分にふざけ、おどけ、ばかを言い、けんかをし、悪さをしなければ、まともな大人にはなりません。早く大人にしようとすれば、小利口のつまらない人間か、外見だけを整えた偽善者か、心の深部に不満を抱えた犯罪予備者にしかならないのです。

 高校生になり、二十歳になって「狂って」いる青年は、幼少期―小学生までの時期に、十分にばかを言い、やれなかった(親や教師によって抑圧された)子どもたちの姿です。

 順を踏むこと、「飛ばし」の英才教育をしないこと。これは教育の原理です。子どもは自分でいろいろと試してみる時間的ー精神的余裕を持てないと、主体性を持ち、自分で考える人間にはなれないのです。子どもを「病気」か「ロボット」にするために必死で努力する!?愚かです。

 生活=体験=直観に根差した「意味」の分かる心と頭を育てる条件は、子どものありのままの心を受け入れ愛すること、急がずに順を踏むことです。必要なのは、「おどけ・ふざけ・悪さ」を許容し、楽しむ心です。一段ずつ階段を上ること。「飛ばし」をすれば、内的には悦びをもてない人となり、不健康な人生を招来します。





写真は小学生ですが、
一番大事なのは、1歳~3歳の幼児です。


武田康弘

 

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芸大ー「サティ150周年」 サティの精神と正反対の演奏が生まれた訳。そこからの脱出のために。

2016-05-16 | 学芸
  まず、人間としていかに生きるかを考え、ダイナミックに実践しないと、音楽表現も始まらない、ということを深く自覚しないと、音楽にはなりません。
芸大生だけがダメというのではないでしょう。たぶん音大生に共通でしょう。昔の斎藤秀雄の「桐朋」黎明期は例外。
 
  もちろん、東大をはじめとする受験主義の学校もみな同じで、なんのための学問なのか、芸術なのか、全然自覚なく、ただ知る、ただ技術を磨く、というテイタラクなのは日本全国同じでしょう。フィロソフィ(恋知)の実践なき営みは、人格がない人の生に過ぎず、「習い事」「おままごと」以上にはなりません。超上手なおままごとを目がけるのがわがニッポン人!?
 
  あなたは、何をしたいのですか!何を言いたいのですか!
  なぜ、それをするのですか?なんのためにしてるのですか?
 
  サティ150周年の芸大の催し、
「サティと正反対の演奏だったわね」、というかみさんの言葉はまことに正しいと思いました。おこさまランチなのです。
 
  音符を読んでいいるだけ、楽譜に従っているだけ、それでは全く音楽にはならないのですよ。自動演奏と同じ。
  音大生に限らず、人間としての考えと人間としての力をつけないと、何をやっても「なぞり」でしかなく、平面でしかなく、影に過ぎません。立体として生きる人間になりません。
 
  まずは、手始めにサティの最高傑作「ソクラテス」(=昨日もメインとして最後に演奏していましたが)の本質を露わにした演奏であるルネ・レイホヴィッツのCDを聴くことからはじめ(おそらく芸大の演奏者は誰も聴いていないでしょう)、また、ノンブレスの水泳(平泳ぎ)で大きい呼吸ができるように身体を鍛えることが必須です。声が出ていないことには、上手いも下手もありません。基本=土台がないのですから(器楽奏者も同じこと)。さらに、それ以上に重要なのは、意味ー歌詞や楽曲の理念を明晰につかみ、それをクリアーに表出しようとする強靭な意識です。
 
  音楽に限らずですが、何事も全身でするものなのです。人間は全身で生きているのです。心と体と頭の全体存在ですし、また必ず社会的=公共的存在です。
「これをしたい、言いたい」という心に支えられた強い意思をもつことはあらゆる営みの基盤です。
 
  わが日本人は、「ほんものの人間」になるための努力をはじめないと、永遠に「人間を幸福にしないシステム」を支えるツマラナイ存在のままで一生を終えるだけです。学歴と金と権力をめがける昆虫?精神世界=内的宇宙を知らない人間の形をした外套。
 
 
  さてと、「明治維新の富国強兵=滅私奉公」による「個人の内的宇宙なき空洞のニッポン人」からの解放をめがけたいものです。それにはまず、戦前レジームへの郷愁をもつ愚かな安倍晋三とその一味との闘い(低レベルでばからしいですが)が必要でしょう。
 
  ああ、そう、芸大生も社会悪=政治悪と闘うことを始めると、人間力がつきますので、始めたらよいのです。闘わずしては、人間としては何事もはじまらないのですから。お人形でも奴隷でもなく、人間。 サティは、一生涯、闘いつづけた人間でした。子どもたちと社会的弱者の側に立ち、人間の尊厳のために闘い続けた心優しい革命家でした。「こどもの心を失わない存在の大きな大人」でした。
 
 
クリックで拡大
「家具の音楽」を聞いている
 
武田康弘
 
 
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東京五輪招致に絡み2億円超の支払い、仏検察当局が捜査ーー汚れた招致の可能性

2016-05-13 | 学芸

どうやら、「原発はコントロールされていいる。」という大嘘の安倍晋三にふさわしい裏金による招致(犯罪)の可能性が大きいようです。
安倍君の言動は、あんまりデタラメとウソばかりで批判するのも大変ですが、マスコミ脅して批判はさせない体制づくり、これほどまでに愚劣な政権を支持する国民なら、みな同罪というほかありませんね。
権力に迎合するダメ~~~な日本人をやめないと、大損を被ります。


ーーーーーーーーーーーーー

東京五輪招致に絡み2億円超の支払い、仏検察当局が捜査=欧米ネット「IOCがこういう環境を作った」「不正があったのなら、東京開催はやめるべき

Record China / 2016年5月13日 10時20分

12日、ロイター通信によると、フランス検察当局は2020年の東京五輪・パラリンピック招致活動に絡み、日本の銀行から国際陸上競技連盟のディアク前会長の息子に関連するシンガポールの会社宛てに約280万シンガポールドルが送金されたと発表した。

2016年5月12日、ロイター通信によると、フランス検察当局は2020年の東京五輪・パラリンピック招致活動に絡み、日本の銀行から国際陸上競技連盟のディアク前会長の息子に関連するシンガポールの会社宛てに約280万シンガポールドル(約2億2200万円)が送金されたと発表した。

フランス検察当局が12日に発表したところによると、東京側は2013年にシンガポールにあるディアク前会長の息子パパマッサタ氏の会社に2度にわたって送金しており、名目は「2020年東京五輪招致活動」となっていたという。東京五輪開催が決まった2013年当時、ディアク前会長は国際オリンピック委員会(IOC)の委員を務めており、息子のパパマッサタ氏は国際陸連のコンサルタントだった。フランス検察当局は、東京五輪招致活動で不正がなかったか捜査を進めていくという。菅義偉官房長官は12日の記者会見で、「招致はクリーンな形で行われたと認識している」と語り、政府が調査を行う考えはないと述べた。また、フランス当局から要請があれば、適切に対応すると述べた。

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新たな日本人誕生のために!

2016-05-12 | 学芸

  昨日の「恋知の会」では、20年後を見据えて、新たな日本人の誕生を考えたのでした。 

  実は、日本人の生き方と日本の国のありようは、【ブッダの根本思想】(自帰依―法帰依・天上天下唯我独尊)+それと本質的に重なる【ソクラテスの恋知】に基づくようにするとよいのです。その思想は、世界的にも最も深い普遍性をもちます。

  無神論の仏教思想とエロース神を中核とするソクラテス出自の恋知の営みが一体となれば、最高に魅力的でかつ現実的な人間主義&生物尊重が誕生します。この二つの思想を日本人の精神の中心に据えると、豊かな実存の冒険が可能となり、民主的倫理に基づく民主社会&平和国家が誕生し、それは、21世紀の全世界の手本になるでしょう。

  日本発の世界を変える思想の営みです。実に楽しく有意義な革命です。みなで取り組む最高に価値ある活動となるでしょう。

 
武田康弘




以下に、わたしの『恋知』(白樺教育館刊)から一部を写します。


   わたしの長年の哲学講座で「エロース」というと皆さん驚かれます。
テツガクとエロス!?!? どういう意味ですか、と聞かれます。ソクラテスの弟子のプラトンが創った歴史上最も名高い学園『アカデメイア』の主祭神はエロースですので、これについて少し説明してみます。

 恋愛の神は、ギリシャ語では「エロース」、英語では「キューピット」です。「エロース」は、哲学(正しくは恋知)の動力源であるゆえに、「アカデメイア」の主祭神とされました。
 ソクラテス‐プラトンの思想の核心は、人間の欲望を肯定するところにあります。荒々しい欲望も否定するのではなく、飼い馴らすものとされます。飼い馴らすことで、人間の最高の欲望=よいこと・美しいことそのものを求めるためのエネルギーとして生かせ、と言います。生命を支える荒々しい闘争心は、そのままでは人間性を破壊してしまうので、それを真善美=普遍性を希求する方向に変え・活かすというのが恋知(哲学)の核心です。
 このように、恋愛の「聖なる狂気」(「俗なる正気」の対)をつかさどる「エロース」神は、深い納得=恋知(哲学)をつくるための動力源であるがゆえに、学園「アカデメイア」の主祭神となりました。後に現れたキリスト教の「アガペー」(神の愛)とは発想が根本的に違います。
 なお、廣川洋さんによると(講談社学術文庫1361「プラトンの学園 アカデメイア」) 「アカデメイア」は、プラトンの私邸と小園と小規模な図書館と体育館兼対話場からなり、アテナイの市民は、自由にこの学園の教育と研究の様子を見学することができたといわれます。階級の別はなく、授業も形式ばらない友達どうしのような話しことばで進められていたので「友人たちの学校」と呼ばれていました。宗教的な匂いは全くなく、プラトンのシュンポシオン(英語読みではシンポジューム)は、くつろぎと対話の愉しみを求めて、知的香気の高い雰囲気のうちにお互いに愉快に交わるのが常であったと伝えられています。

 そのような訳で、恋知(哲学)とエロースは、何よりも深く結びついています。エロースとは、人間的な魅力の源泉のことであり、また人を惹き付けるあらゆる事象の総称でもあるのです。

 

 では、この小見出し(3)の最後に、最高のイデア(理念)とされる【よい】の意味について、簡潔に書きます。


  女性と対話するソクラテス
  (レリーフ制作は紀元前2世紀)

 恋知(哲学)でいう【よい】とは、かたまじめな善(ぜん)のことではありません。生き生きとしていること・輝いていること・しなやかなこと・瑞々(みずみず)しいこと・溌剌(はつらつ)としてること・高揚感のあること・囚われのないこと・愉快なこと・・・ を言います。

 「まじめ」ということも、学校や官の世界でいう「真面目」、厳禁の精神・既成秩序に盲従する「真面目」ではありません。ソクラテスとプラトンのいうまじめとは、恋愛におけるまじめ=真剣と同じです。興味のある方は、世界文学最高の古典の一つと言われる『饗宴』(プラトンによるソクラテスの対話編)をお読みください。

 

武田康弘


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ウヨク=国体主義者は、心が歪み、頭が悪い人の典型です。

2016-05-09 | 社会思想


 いわゆるニッポン主義者は、他者や他国への悪口を言い、ニッポンが一番と言い、「愛国心」を言い、既存の日本の政治と文化にみなを従わせようと画策します。

 国家権力を用いて、個人の「思想及び良心の自由」を抑圧することをよしとするのですから、恐ろしい人権抑圧者ですが、安倍首相の親友にして思想的ブレーンである麗澤大学教授の八木秀次は、「反人権宣言」(ちくま新書)を出し、「人権という思想は西洋の闘争の歴史が生んだイデオロギーに過ぎず、日本人は、人権という言葉に怯えずに国民の伝統と道徳に従うべき」と宣言しますので、右翼=国体主義者は、人権抑圧の確信犯です。「個人」という思想=ことばを消去する自民党憲法案は、この思想=国体主義をバックボーンとしています。

 愛に不足し、愛に飢えた人は、他者や他国への愛情を持てず、自分に閉じこもり近親者以外の人間を避けたり、排除します。心が歪んでいる証拠ですが、自己の心がなぜそうなるかを知る本質的な意味で頭のよい人(受験知に代表されるパズルを解くような形式知ではなく)は、その不利を逆転させて「優れた仕事」をすることもできます。それができないウヨク=国体主義者は、心が歪み、頭の悪い人の典型というほかないのです。

 そのような人(安倍少年が親の愛に飢えていたことはよく知られています)が用いる「権力」ほど危険でおぞましいものはありません。主権者の代行者という意識がなく、自分の想念を現実化するのが政治だというまるで古代国家や独裁国家の権力者のようにふるまい、恥じるところがないのですから、救いがありません。

 安倍晋三やその仲間と取り巻きの所業は「底知れない悪」というほかないのでしょう。民主的な制度を使っての権力は、古代王政などとは比較にならぬ巨大なものです。多数決民主制の悪用は、「社会の過半数の成員の合意であるという体裁を装うことのできる権力」になるので、どの政体における権力よりも強大になります。ヒトラーの巨大な成果は、民主的制度を用いることで可能になったのでした。

 民主政を、単なる制度=形式としか理解しない国民では、恐ろしい結果を招きます。人権思想を内容として持ち、広義の意味の福祉を実現するのが民主政の目的であることを知らないようでは、民主制度の名のもとに「国体主義というイデオロギー政治」で全国民が縛られてしまいます。内容としての民主政(民主的倫理という思想に基づく)は、死んでしまいます。人権は空語となり政財界のエリートにより支配される独裁国家になるほかありません。

 主権者であるわれわれ市民の対等な自由対話に基づく自治政治を生む努力がないと、優れた日本、愛すべき日本は永遠に現実化しないはずです。

 愛と自由に溢れ、人間存在の対等性に基づく自由対話のある社会、各自が「個人」として尊重される国でなければ、愛することはできませんし、愛する国にはなりません。愛するに値する人間愛ある国をつくりたい、わたしは、そう思い続けてきました。



武田康弘

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ルネサンス資本主義=人間的資本主義を生みだしたい。

2016-05-07 | 学芸

 
(マイヨール作ヴィーナス・写真は染谷裕太君)
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ルネサンス資本主義=人間的資本主義
を生み出したい。

弱肉強食資本主義
格差資本主義

管理主義的資本主義
国家資本主義

金融主義の資本主義
為替主義の資本主義

金の亡者資本主義
死の商人資本主義

下品な資本主義
俗悪資本主義

反民主的資本主義
反倫理資本主義

を元から廃して、

新しい豊かで民主的な資本主義を生み出すための思想と実践を進めたい。それなくしては、人間に未来はありません。

ルネサンス資本主義。

ーーーーーーーーーーーーーーーーー

わたしが、1990年の日本オラクル創業時(正確には創業の3年前)より考え、主張したこと(社員の自由と自発性を引き出し「個人」が輝く自由対話に依拠する会社)ですが、わたしの思想を受け入れ従った初代社長の佐野力さんは、成長を超えた爆発的成功を得ました。現在のオラクルについてはわたしは知りませんが。

また、経済学者でIT企業の経営者のビル・トッテンさんの思想と実践はまことに「正しい」ものと思います。

日本では、未来工業の社長(少し前に亡くなりました)が、平等と自由の理念のもとで大成功を収めていますし、

欧州最大のドラグストアの経営も然りです(社員ではなく皆が経営者)。



一人ひとりの「個人」を大事にする組織の先駆にして代表は、世界最高の光学綜合メーカーのツァイス社(財団)です。財団の創設者で最高の光学博士かつ欧州労働運動の中心者であったエルンスト・アッベの偉さは、とても一口では説明できません。



武田康弘

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民主憲法無視ーおぞましい国家権力者の安倍晋三に従う国民では、愚かで哀れ、危険極まりありません。

2016-05-06 | 学芸

  これほどデタラメな超憲法の【国家主義】=非民主的な言葉と行為を繰り返すやりたい放題の首相を支持する国民では、自分で自分の首を絞める愚か者というほかありません。

  長州の過激な暴力主義を抑えようとした孝明天皇(明治天皇の父)が怪死(伊藤博文らの長州グループに暗殺されたとの見方が極めて有力)することで、明治維新という名の暴力革命が成就し、伊藤ら長州藩の下級武士たちは、自らの権力を正当化して国民を支配するために≪天皇現人神の思想≫をつくったわけですが、そのために『大日本帝国憲法』(伊藤博文が仲間4名と極秘裏に作成)は、天皇から臣民に与えられる恩寵としての憲法(したがって本来の意味の憲法ではない)にすぎませんでした。

  主権者を天皇とする欽定憲法の下では、国民は【自立した個人】としては認められず、天皇の赤子=日本の国体を構成する一員としての存在と規定され、学校教育でその思想を教え込まれました。ニッポン国の一員として人々は存在する(存在を許される)のであり、一人ひとりの赤裸々な現実=「感じ・想い・考える」から出発して主権者としての意思で「政府という意味での国」をつくるという社会契約(民主政の基盤)の思想は、弾圧され排除されたのでした。その国体思想を受け継いだ国家権力者の一人が安倍晋三の祖父である岸信介で、彼は東条内閣の重要閣僚として対米戦争の決定者=責任者でもあります。

  その祖父を敬愛し、戦後民主主義を嫌う安倍晋三は、「戦後レジーム(体制)からの脱却」をスローガンに掲げ、数々の非民主的な言動を繰り返し、それを国家権力を用いて全国民に強要(教育とマスコミの統制)しようと画策し続けています。

  安倍晋三という男ほど国体思想による「戦前日本」への憧れをもつ者も珍しいですが、主権者を「自立する個人としての国民」とする現日本国憲法を大元から変えようとする(立憲主義を知らずに「個人」という言葉まで消去した自民党憲法案)は、意見の違いというレベルを超えた根源的な悪行=民主思想への挑戦というほかないのです。

  こういう国体思想(明治の自由民権運動に対する国権派)を許す国民であるならば、内容としての民主政(人権思想に基づく自治政治)は不可能となります。いま、日本は、主権在民を思想の原理として踏まえる国となれるか否かの瀬戸際に立たされています。

  わが日本人が、理性をもち、思想=内容としての民主政(民主的倫理に基づく現実政治)を選択することができるか否か、再び、戦前の日本主義(明治維新の思想)に逆戻りしてしまうか、それは、わたしたち一人ひとりの言動にかかっています。皆が個人としての精神の自立=責任意識をもち、国家主義=国体思想の政治家にすり寄る人にならないことを祈ります。

 

プラス

  宮内庁は、明治天皇が小型の額に入れて所持していた有力政治家の写真をしばらく前に公開しましたが、その中で伊藤博文の写真は、われわれの知っている顔とは似ても似つかぬもので、ずる賢い策士のような顔(視線も横)です。父の孝明天皇が怪死した理由をおそらくは知っていた睦仁(わずか16歳のとき、伊藤や山縣らが「現人神」として仕立て利用するために京都御所から江戸城に連れてきた)に見えていた顔、それが彼が所持していた伊藤博文の写真です。わたしは、彼が歴史の真実を残す=伝えるという意思があったように思えてなりません。さらに言えば、睦仁は殺害され、明治天皇は替え玉であるという説もありますが、それについてわたしは判断できません。


 明治天皇所持の伊藤博文の写真(クリックで拡大)




武田康弘

 

 

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