わたしは、2012年8月の「戦後史の正体」(創元社)から始まった孫崎 亮さんの一連の著作を読みました。この書はアメリからの圧力の実態を暴き、戦後日本の歴史に新たな視点を与える優れた書で、わたしも多くの方にお勧めしました。
世界中の大使館に勤め、外務省国際情報局のトップとなり、退職後は防衛大学の教授であった孫崎さんの言説には説得力があり、従来の対米従属外交のゆがみを正すという意味では大きな価値を持っています。
しかし、残念ですが、「対米」(親米か、反米か)という視点でのみ政治のありようを見る見方は、より本質的な「主権在民による民主主義という座標軸」を後景に押しやり、政治好きのおじさんの「飲み屋談義」(他の外務省の役人たちと本質は変わらず)に陥っています。
孫崎さんは人間的には優しく良心的な人のようですが、現代の社会問題の根源を穿つに必要な「主権在民の民主主義」を座標軸としていないために、結局、何をしたいのかが分からなくなっています。民主主義の原理の自覚が少しでもボヤケれば、どのような努力も水泡に帰してしまうのです。
官僚世界に生きてきた人は、現状に反旗を翻す人も含め、国の事務仕事をしている(してきた)ゆえの「おかしな自負」を意識下に抱えているために、人間としての自由・しなやかさに欠けます。この牢獄から抜け出すには、恋知(哲学書を読むのではなく、大元に戻して考え、生の意味と価値を問う)の実践が必要だと思います。いかに生きるか、人間とは何か、の自問自答と対話が不可欠のはず。
武田康弘