豊かな「主観性」を育むことのない日本社会では、「客観主義」(それを生みだす「受験主義」の勉学)は、神話化するに到っています。
型・パターンが支配して、主観性が削(そが)れてしまう状況の中での「優秀者」とは、「紋切り人」の別名に過ぎません。心身ともに、固く形式優先で、死んだ頭でしかありません。愉悦とはまったく無縁です。
そうだからでしょうか?
自由の代わりに大麻!?主観性の代わりに2チャンネル!?豊かさの代わりにメタボ!?(笑)。
おっと、脱線、失礼!
「自問自答と自由対話」はちっとも流行りませんね~~(嘆)
正々堂々とできず、隠れてコソコソ。
偽(いつわ)り、騙(だま)し、誤魔化(ごまか)し、が常態化しているようです。
厭ですね~~~。
ノビノビ、充実。
自由と、セルフコントロール。
明るく快活で、情緒安定。
感情豊かで、論理的。
しなやか、柔らかで、揺るぎなく。
といきたいと思います。
さあ、思い切りよく、「自分の内なる声」に従って!!
あれ~、なんだか「死語」のようですね。
でも、こんな時代だらかこそ、ユートピアの精神が現実を突き動かすのではないですか?
現実的は、現実的でなく(なぜなら、それはちっとも自分と社会の現実をよくしませんから)、
ユートピアを忘れない強靭なパワーのみが、現実的である。
それが「白樺派」の精神でした。蘇らせたい、と思います。
武田康弘