思索の日記 (クリックで全体が表示されます)

武田康弘の思索の日記です。「恋知」の生を提唱し、実践しています。白樺教育館ホームと共に

2月7日(日)は、『ソクラテス教室』(in白樺教育館)の40周年記念会です。

2016-01-28 | 教育

2月7日【日】は、
ソクラテス教室(in白樺教育館ー旧称は「我孫子児童教室」)40周年記念会です。

武田の考えと行動に共鳴され応援して下さる方は、ぜひ、お出かけ下さい。OBの方は特に歓迎です。午後2時からです。

新しい、人間味あふれる生き方・考え方・教育と文化を希求して40年。もう思い出すと目まいがしそうな、詰まり過ぎの40年で、呆れるほど(笑)

これからの10年の新たな始まり、50周年に向けて、未来を開く活動をますます盛んにして行きます。

「偉大」と見せるような思想、知、芸術、生き方、人物、モノ、建築、生活は、みな本質的に詐術に過ぎません。

ほんものは、生活世界の中で有用で、美しく、愛に満ち、エロースに溢れる等身大の考え方と行為です。

【恋知の生】 (五感で感得し、自分の頭で考えるフィロソフィの生)ーそれをつくる「意味をつかむ学習と自立の心を育くむ教育」をみなでドンドン!!


1976年 開塾の年。わたしは、24歳。


1978年 。


1978年 ダイビングの練習と磯遊びに鵜原理想郷(千葉外房)に行く。


1979年 サイクリングで小貝川に。


1981年 12月、
教室で。
最初のこの教室は、トタン屋根の古い平屋の木造で、トイレも汲み取り便所でした。
この写真は、古い教室の最後の一枚です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



1982年1月、友人の飯泉さんが建てた建物に教室を移動、その最初の写真。
   (手前は息子の弘人で1歳半、みなに可愛がられて育ちました。)


1984年 奥多摩で。

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 
あらゆる意味で、たいへんな難産の末、
「白樺教育館」の新築を果たす
。2004年1月から新スタート。


2014年 2月 新館落成10周年記念会。創立38年


2014年8月 第39回キャンプダイビングー式根島 で。


山川亮君と坂巻晴花ちゃんと63歳なったわたし。
2015年 第40回 式根島キャンプダイビングで

武田康弘


 

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フィロソフィの核心=唯名論を了解するには、『ことばと文化』(鈴木孝夫著・岩波新書)が最適です。

2016-01-23 | 恋知(哲学)

フィロソフィとは、人生や物事・事象の意味と価値を問う知的営みですが、わたした ち日本人は、技術的なノウハウや事実情報の取得には長けていますが、どうも意味と価値を問うことが苦手です。

哲学、てつがく テツガクーーなんだか難しい話ですね~~と言われてしまいます。

意味を外して事実だけがある、というのはあり得ない話ですが、その肝心の意味の探求である哲学=フィロソフィが苦手では、残念ながら知的営みは人間的意味と価値を持ちません。

で、フィロソフィとは何か?どのように人生や物事・事象を見るとよいのか、の基盤 を得るためには「唯名論」の理解→了解が不可欠です。

わたしは、フィロソフィの核心を理解→了解するための必読本は、 『ことばと文化』(鈴木孝夫著・岩波新書)だと見ていますので、長年、ソクラテス教室(白樺教育館)で授業に使い続けてきました。これは、いわゆる哲学書ではなく、言語学の基礎を分明に記した本ですが、これほど役立つ「哲学書」(哲学の本質論)はありません。読みやすい本ですが、ゆっくり読まれることをお勧めします。1973年刊ですでに現代の古典です。

難解と言われるプラトンのイデア論(ソクラテス出自)も、唯名論という発想が分かると、「な~るほど」と了解できるはず。

哲学(フィロソフィー=正しい訳語は「恋知」)って、なにより必要で面白~~い、となるでしょう。

実は、怖い話ですが、唯名論の発想をきちんと了解しないままに思想や哲学の本をたくさ~~ん読んでいる人が結構います。大学人にも多いのです。



武田康弘

 

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マリア・ルス号事件ーー欧米より進んでいた「人権先進国」の日本

2016-01-23 | 社会批評

  かつてわが日本は、人権先進国で、人間愛に満ちていた証拠の一つが、以下の「マリア・ルス号事件」です。
安倍首相以下、いまのなさけない官府の人間は心して知りなさい。また、大学人らのヒドイ嘘=キリスト教などの
一神教がないと、人権や民主政は不可能!?という言説の観念性もよくわかります。


 (注) この風刺画は、マリア・ルス号事件のものではありません。

   以下、友人の泥 憲和(どろ のりかず)さんのfbをご紹介します。泥さんは、元防空ミサイル部隊の自衛官です。2014年の7月にこのブログで泥さんの初街頭演説をシェアしたところ、記録破りの31万件以上(多すぎて正確な数字が表示されない)の「いいね!」を頂きました。読者のみなさまに感謝です。

 

「マリア・ルス号事件」知ってる?
  1872年(明治5年)、横浜港に入港したペルー船"マリア・ルス号"。
  船にはだまされ奴隷として乗せられた清国人が231人もいました。脱走して救助を求めた彼らを救ったのが、外務卿の副島種臣と神奈川県権令の大江卓でした。

 外務省はマリア・ルス号の船長を裁判にかけました。
  ドイツ、オランダ、デンマーク、ポルトガル、イタリアの各国領事は「日本の行為は度を過ぎている。越権行為だ」との意見書を、裁判長を務める大江に送りました。
  黄色いサルが白人に歯向かって奴隷貿易を邪魔するとは!と怒ったのです。

 大江はそんな諸外国の圧力を振切り、有罪判決を下して清国人231人を解放しました。
  その後もアメリカ公使から清国人slaveを船に戻せという圧力を受けましたが、外務卿・副島がはねつけました。

 開国したての大日本帝国は列強と堂々と渡り合って、人道の道に立ち切ったのです。
  すごいでしょ?
  でもこれ、ネトウヨ理論では奴隷解放じゃないんだよね。
  なぜなら判決書には奴隷という言葉が一度も出て来ないから。

 判決は清国人slaveを「拐買」と表現しています。
  さらわれ、買われたという意味です。
  slaveは「拐買」であって奴隷じゃないという、世界のどこに出ても通じない珍論をありがとう。おお恥ずかしい。

 話はもう少し続きます。
  この後すぐ、帝国政府は窮地に立たされます。
  ペルーが反論してきたからです。
  「貴国はslaveを解放すべきだといって清国人slaveを帰国させてしまったが、それなら貴国のslaveも同じように解放しなさい。そうしないなら判決は不公平で間違っていることになるので、われわれのslaveを返しなさい」

 「貴国のslave」とは吉原の娼婦のことでした。人身売買された娼婦を解放しないなら、同じく人身売買で手に入れたペルーのslaveも解放しちゃいけないだろうというのです。
  この正論に直面した帝国政府がとったのは、奴隷解放の立場に立ち切って国内の娼婦を解放する道でした。
  そのために出したのが、人身売買を禁じる太政官布告第295号(芸娼妓解放令)と司法省達第22号でした。
  そこに書いてあったのが「娼妓・芸妓は人身の権利をなくした者であって牛馬と変わりがない(娼妓芸妓ハ人身ノ権利ヲ失フ者ニテ牛馬ニ異ナラス )」という一文です。
  この文言は、まさしく奴隷解放のために書かれたのです。
  奴隷という用語がつくられるより以前の奴隷解放宣言だったのです。

 「拐買」。「牛馬に異ならず」。
  英語のslaveを当時の人たちが知恵を絞って表現した言葉です。
  列強のすさまじい圧力をはねのけながら、貧しく弱小だった帝国日本は正義実現のため、それも清国人の権利のために懸命にがんばったのでした。
  その栄光の言葉を、現代の愛国者さまたちが筆先三寸でくしゃくしゃと丸めてゴミみたいに捨て去ってしまう。
  なんともいやはや、坂の上にかかる一朶の雲を見つめて登って行った明治の青年たちは、140年後の子孫がこんなくそいまいましい連中だと知ったら、草葉の陰で号泣することだろうよ。(泥 憲和)
 


 

 武田康弘

 

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男権主義と女性の現実主義の双方を超えて。新しい豊かな人間性を~~~!!

2016-01-21 | 教育

男権主義者ー権力主義者には、わたしは、腹の底から怒りが湧き上がります。「おい、ふざけんじゃないぞ!いつでも相手になってやるからかかってこい!とね」(笑・ホントウ)。
そういう愚かな(人類以前の)男権想念が生まれる大元を断ち、どこまでも広がる善美へのイマジネーションと共にエロース溢れる豊かな世界を目がけたい、と思い続けているのですが、

でも、わたしは、女性のもつ現実対応主義にも大いに批判的なのです。

なにか大きなものに従い、既成の枠内での「よい」に子どもを押し込めようとする狭い想念との闘いが、わたしの『ソクラテス教室』(白樺教育館)における日常。今年で40周年!!

男のいやらしさと女のいやらしさの両方を超えて、新しい人間性を生みだしたいというのが、わたしの長年の夢であり、実践です。
両方から嫌われるかな~~(笑笑笑)もう嫌われている?
否、そのうち両方から好かれるのは間違いない(笑)。

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イブラギモヴァ率いるキアロスクーロ弦楽四重奏団に驚嘆!20世紀の名盤は過去のものに。

2016-01-17 | 芸術


(クリック)

 

既存の足かせなどない。
本質的に新しく、古いクラシックの堅苦しさや権威主義は、微塵も感じられない。

古代ギリシャで、港町のミレトス(いまのトルコ)において世界のいくつもの国が集まり貿易を始めたとき、各地方の宗教による世界理解ではない「普遍了解的な思想」が必要とされ、それがフィロソフィの起こりとなったのだ~~~
そんなことまで連想してしまったのが(笑)この演奏。 鳥肌立ちっぱなし!!
古きよきクラシックファンは、拒否反応を起こすであろう凄まじい演奏です。これぞ、21世紀に新たな命を与えられたモーツァルト(弦楽四重奏曲15番ニ短調K.421)で、四人の奏者の「高み」の自発性に基づく感動的名演です。

申し訳ないのですが、かつての名盤、ウィーンのアルバン・ベルクの演奏が退屈(甘いお菓子)にしか感じられません(失礼)。
同じピリオド楽器(ガット弦)を使用したクイケンの名盤とは音色に少し共通性がありますが、解釈と踏み込みの深さ、情報量は大きく異なります。ああ、時代は進むものだな~~、というのが実感。

先月、ベートーヴェンの245回目の誕生日に聴いたポール・ルイスの驚くべき名演。聴衆は拍手ができず、「あまりの高み」の演奏に、「このまま家に帰らず、蒸発してしまいたい。」との感想を書いた人まで現れたピアノソナタ30~32番の王子ホールでの演奏会、
それは、21世紀のいま、ベートーヴェンが新たに作曲したかのような生命の躍動感に満ち溢れたピアノでしたが、このモーツァルトもまったく同じです。

だから、ロマン派のメンデルスゾーンの四重奏曲はさらに大胆な演奏で、聞いたことのない新曲のように聞こえます。

良い時代になったものだな~~~~。
こんなに自由に、のびのびと演奏できるとは。20世紀の古きよき時代の演奏は、もう博物館に展示しておけばいいです(笑)。


キアロスクーロ・カルテットは、第一ヴァイオリンがイブラギモヴァ(ロシア生まれ) 第二ヴァイオリンがベネディ(唯一の男性で、スペインのマドリード生まれ)、ヴィオラがヘルンルンド(スェーデンのエーテポリ生まれ)、チェロがティリオン(フランス生まれ)です。素敵なことに、今年4月6日、銀座の王子ホールでモーッアルト、ベートーヴェン、シューベルトを演奏します。




武田康弘

 

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自民党桜田よしたか議員への質問状ーー桜田事務所からの確認メール。

2016-01-14 | 社会批評
以下は、わたしがいま出した、「桜田よしたか自民党衆議院議員への質問状」を受理したとの桜田事務所からの自動返信メールです。
 
 
お問合せありがとうございます。下記の内容を承りました。 追ってご連絡差し上げますので、しばらくお待ち下さい。


 ご質問内容 

 わたしは、我孫子市に住む一人の主権者ですが、
あなたの従軍慰安婦にたいする発言は、事実認識と総合判断に著しい誤りがあると思いますので、訂正し、謝罪してほしいと思います。

 従軍慰安婦問題では、わたしの友人の泥憲和さんが、以下にようにきわめて説得力ある説明をし、わたしの主宰する「白樺教育館」ホームページでも紹介していますので、まず、これを読まれ、認識を新たにしてください。

http://www.shirakaba.gr.jp/home/tayori/k_tayori157.htm

 
次に、Fbの泥さんの今日の発言ー説明をお読みください。公平・公正で極めて説得力に富む言説と思いますが、如何ですか。

 【慰安婦強制連行説について】

 朝鮮半島と台湾において慰安婦を強制的に拉致連行したことを証明できる史料はなく、元慰安婦でそういった証言をしている人は、少なくとも韓国側にはきわめて少なく、拉致連行を見たという目撃証言は皆無です。
  そこで私は当該地域での拉致連行は確認されていないと述べています。
  これは事実を述べているだけなのですが、これについてあろうことか、第三者に対して以下のように詰問している人がいました。

 「おい、泥さんは少なくとも銃剣突きつけた日本軍による拉致はないと認めたぞ。日本が何を謝ればいいのか、答えなさい。元慰安婦の方のどんな証言に基づくどんな行為に対して日本は謝罪しろって言ってんの?」

 おいおい、待て待て。早とちりするな。人のツイートを都合よく使ってくれるなとちょっと腹立ったんで、以下の通り連続ツイートしました。

①私は「日本軍による拉致はないと認めた」のではなく「確認できない」と述べています。あと、なぜそんな偉そうな態度がとれるのか不思議です。拉致的連行が確認されていなくても日本側はそんなに大威張りできない理由があるので連ツイします。

②A氏がB氏を殴る蹴るし、抵抗しても無駄だと思い知らせたあとで「財布を出してくれないか」というので、B氏は大人しく財布を差し出しました。これは合意に基づく自発的行為でしょうか、それとも強要でしょうか、あるいは強盗でしょうか。

③慰安婦の募集はかなりの程度、A氏とB氏の関係性の中で行われました。日本軍は甲午農民戦争や三・一独立運動などを血みどろの弾圧で鎮圧しました。日本に抵抗するあらゆる社会運動を厳しく弾圧し、強権支配体制を敷きました。

④戦時動員に関しても朝鮮の末端行政機構を用いての強制的な人員徴発は、日本側の資料から明らかです。朝鮮の民衆は大日本帝国政府の要求を拒むことができなかったのです。そのような力関係の下で、軍の意向を受けた業者が面長を通じて女性を募ったら・・・

⑤数万人の民衆を殺害して打ち立てた大日本帝国の長年の支配の下、あえて暴力的手法を用いなくても、官憲と業者は平穏に強制力を行使することができる状態でした。殴る蹴るしたあとで「財布を出せ」というようなものです。この関係性を無視してはなりません。

⑥軍の威光を背景に軍属の身分で女性を集めていた業者は、それ以前から内地で内外両務省のお墨付きも得ています。求められた面長が後難を恐れて貧しい家の家長に因果を含める、家長は高額の前借金に納得して娘を差し出す。これ果たして自発的な応募なのかなあ。

⑦行き先も告げぬまま娘を軍の御用船で運び、娘に軍属のような身分を授けて軍が宿舎等の手配を行い(昭和43年の日本の国会答弁)、女性との契約では現金を支払うはずが軍票を渡すという騙しの手口で働かせて、憲兵の監視下に置いた。どうなのこれ。

⑧応募にはさまざまな事情や形態があったとはいえ、総じて本人の自発によらない形で徴募され、強制的環境の下で過酷に使役され、敗戦となれば連合国司令官の命令がなければ現地に置き去りにされていたかも知れない。貯めた軍票は紙くず。これが慰安婦の境遇でした。

⑨こういったことすべてを国家や軍が指図したのではありませんが、小さな違法行為を要請し、あるいは黙認し、積み重ねたあげく、大きな悲劇を招いたのは逃れられない事実です。こういったことについて政府が責任を認めて総理が謝罪するのは当然ではありませんか?

⑩「いいや、もっと酷いことを日本はしたのだ」と韓国の人々はいいます。そうかも知れないし、そうでないかも知れません。多くの資料を焼いてしまった所を見れば、よほど後ろ暗いことがあったのだという疑いを否定し去ることはできません。

⑪「文書がない、資料がない」といいますが、「あったはずの渡航資料などを焼いてしまったのが日本の官憲だったくせに虫の良いことを言うな」、被害側はそういうだろうし、言われるのは日本側の不徳のゆえなのだということを忘れてはなりません。

⑫ともかく、一切の資料がないとしらを切り続け、ないはずの資料が出てきたらその範囲内のことだけをしぶしぶ認めるということを繰り返してきたのが日本政府なのです。「大ウソつき」と非難されるべきは、まずは日本政府であることを肝に銘じましょう。終わり

 ということで、「韓国政府は態度を二転三転して日本を攻撃するな」という人は、そのような行為を誘発しているのが日本政府の二枚舌、三枚自他なのだという面を無視してはなりません。
  私も韓国政府の手のひら返しが正しいとは思わないし、そのことを批判もしていますが、他人のことを言う前にまずわが身を顧みるのが人の世のルールであり道理です。

 相手を非難するばかりでは相互理解は進みません。
  私はそういった立場に立つので、ときには慰安婦問題で共通の立場に立つべき人たちから批判されても、自分の原則に立ち続けます。

 事実は曲げない、話を盛らない、一方的な事ばかりいわない。
  これが私の三大原則です。

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自民党本部で十四日開かれた外交・経済連携本部などの合同会議で、同党の桜田義孝元文部科学副大臣(衆院千葉8区)が慰安婦について「職業としての売春婦だった。それを犠牲者だったかのようにしている宣伝工作に惑わされすぎだ」と発言した。日韓両政府は昨年十二月末、慰安婦問題に関し、日本が軍の関与や政府の責任を認める内容で合意している。

 菅義偉(すがよしひで)官房長官は記者会見で「いちいち議員の発言に答えるべきではない。昨年に日韓両外相が合意したことに尽きる」と述べた。政府筋は、日韓関係に与える影響について「全く心配していない。日韓合意で決まったことを、それぞれが行っていく」と話した。

 桜田氏は十四日の会議で、売春防止法が戦後に施行されるまで売春は仕事だったとして「売春婦だったということを遠慮して(言わないから)、間違ったことが日本や韓国でも広まっているのではないか」と述べた。

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武田康弘

我孫子市白樺文学館初代館長
元参議院行政監視委員会調査室客員調査員(日本国憲法の哲学的土台について講義)

 




 
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優れた主張を簡潔に! 「白樺教育館」の意見ポスターです。ー白樺とオリーブの木ー

2016-01-11 | その他

優れた主張を簡潔に!!
以下のように、『白樺教育館』の意見ポスターをつくりました(白樺教育館のシンボルは、玄関前に植えられた2本のオリーブの木)。
ご自由にご利用ください。

常識のある人ならば、誰でも賛同できる内容と思います。

制作:武田康弘(白樺教育館館長、我孫子市白樺文学館・初代館長)

 

 

 

 

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ヤンソンスのショスタコーヴィチの交響曲全集を購入、いまAmazonで格安です。

2016-01-10 | 芸術


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第二次大戦のヒトラーの恐怖とスターリンの全体主義による個人の圧殺

すさまじい時代を生き抜いた大作曲家ーショスタコーヴィチの交響曲全集を買いました。

ヤンソンス(今年も「ウィーンフィル:ニューイヤーコンサート」を指揮-3回目)による丁寧につくられた全集(録音は1991年~2004年)が、いまアマゾンで格安で入手できます。
10枚組で72ページのブックレット(英文他、日本語はない)付き、3400円です。音も優れています。

HMVでは1万円以上ですので、話題になるとAmazonも値上げになるかもしれません。お早めにどうぞ。

演奏ですが、ムラヴィンスキー直伝のヤンソンス、現代的にして正統です。
たとえば9番にはバーンスタインの名演がありますが、比較すると、ヤンソンスの表現が本来のショスタコーヴィチの音色・音楽だな、と感じます。
オーケストラは、ベルリンフィル、ウィーンフィル、バイエル放送交響楽団、オスロフィル、フィラデルフィア管弦楽団など多彩で、この違いも興味深い。


(クリックで拡大)


武田康弘

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初詣や神前結婚式や見合い結婚や天皇現人神は、日本の伝統!?みな真っ赤なウソです。

2016-01-08 | 学芸

初詣は伝統?
神前結婚式は伝統?
見合い結婚は伝統?
天皇現人神は伝統?

いいえ、み~~~んな明治以降のお話です。

いまのような初詣が始まったのは、ようやく明治も中期からですし、
神前結婚も明治30年代以降のことですし、
見合い結婚は、明治政府が、恋愛を邪なものとして明治中期から「見合い結婚」を強力に推進したもの。それまでの長~~~い日本の伝統は、ずっと恋愛結婚(男女の結び付きの自由)でした。
もちろん、天皇現人神などという思想は、江戸の後期国学や水戸学の思想で、一部の特殊な人のものでしかなく、ぜんぜん伝統などではありません。
靖国神社は、政府がつくった施設で、神社ですらありません(明治2年に明治政府がつくった「東京招魂社」を10年後に神社と改名)。古来
の神社ではなく、明治政府のつくった新興宗教=政府神道の施設なのです。

みな、明治維新を成し遂げた志士たちが、自らの権力を正当化する必要から拵えた代物でしかないのです。
神道を排して仏教による国づくりをした聖徳太子とは正反対の廃仏毀釈が、明治維新政府のイデオロギーでした。



こういう類の話は、歴史家に聞けば山のようにあり、大論文になってしまいますが、
肝心なことは、安倍首相の一派や日本会議にあつまる人々の言う日本の伝統なる話は、元からデタラメで、みな明治維新政府の作成でしかない、という歴然たる事実を明晰に自覚することです。

ついでに言えば、大安とか仏滅などとカレンダーに書かれているのは、無根拠の俗信で明治政府により一度は廃止(=これは明治政府が正しい)されましたが、昭和のはじめにカレンダー会社の販売戦略で記載されたものでしかなく、お菓子会社よる「バレンタインデー」と同じです。

考えることなく従う、というのは、これまた明治維新以後の日本人の特徴ですが、
われわれ日本人も、そろそろ自分で考える=根拠を知るという脳作業を始めたいもの、と思います。


 
「戦前思想」の代表者
=岸信介と東条英機
(昭和天皇が後ろ盾)


武田康弘

 

コメント
山田 勝義
 
山田 勝義シェアしました。
 
 
保田 猛
保田 猛こういう書き方、いいですね!ブログへシェアさせていただきます。
 
 
前田 誠一
前田 誠一シェアします。な〜も考えないで周りがしているから・・・民主主義って何だ!
 
 
黒田 宗之
黒田 宗之ブログで読んだこと本当にその通りと思います。特に何も考えない無関心層が多いのは教育の敗北なのか日本人の民度が低いのか、、、両方でしょうか?
 
 
武田 康弘
武田 康弘北欧やオランダなどとは対極にある教育(学習への考え方と方法)は、人間的な個人の内面世界を育てませんが、これは実に深く大きな問題と思います。
 
 
高城 久
高城 久本論とは少しずれますが、幕末維新の歴史小説の影響も大きい気がしてなりません。
特に維新賛美の流れは司馬遼太郎の作風で司馬史観なる見方もあり、ノンフィクションのように受け入れている人も多いのではないでしょうか?
 
 
武田 康弘
武田 康弘
ノンフィクションとして見ているのは間違いないと思いますが、そもそも歴史とは何か、という問い自体がないので、歴史を「事実」の集まりとしてしか意識できない人が多数でしょう。
 
 
 
染谷博美
染谷博美タケセン、強烈!わかりやすい!ともかくシェア大公開ー!後ほどコメントさせていただきます。
 
 
武田 康弘
武田 康弘柔軟で豊かな心ではなく、固い自我=自己感情を絶対化する心だと、大きな力や組織の言うことを鵜呑みにし、従ってしまう傾向をもつようです。
自分の目で見、自分の頭で考え、自分の心身で感じる人でないと、現実をよく知ることはできないでしょう。
理論に頼り、権威に頼り、ではなく、自分で調べ、自分で考える自由な人として生きたいですよね~~~
 
高木 道郎
高木 道郎つまり、日本会議が取り戻そうとしている「美しい日本」は明治以降の作り物であり、それを取り戻すことは明治以前の「日本」を封殺もしくは削除することになりますね。本気で「日本の伝統」を守るつもりなら「取り戻す」ことを拒否しなければなりませんね。ややこしい話ですが。
 
武田 康弘
武田 康弘まったくです(笑)
 
 
門脇 尚人
門脇 尚人現代人は江戸時代を封建的で身分制度が重苦しい時代であったと考えがちですが、実は江戸時代は内需型の経済でおおらかな社会であったと考えられます。鎖国というのはある意味優れた経済システムでしたが、明治以降日本は輸出入を通じて世界的な資本主義のシステムに取り込まれていきます。それを近代というのなら確かにそうでしょうがそれにより全ての国民が幸せになったかはまた別の話です。明治政府は富国強兵をする必要性を大いに感じていましたがその為に天皇制を利用したことは確かです。古来からの神道信仰と国家神道は別物と考えるべきで、現人神という極めて特異な国家的宗教を作り上げてしまいました。
 
 
武田 康弘ええ、同意見です。
 
 
武田 康弘
武田 康弘簡単に書いたBlogでしたが、多くの方にシェアをして頂き、感謝です。読み返して、少し加筆しました。
 
 
 
 
武田 康弘
シェアされた先から、安倍首相の敬愛する祖父ー岸信介についてのコメントがありましたので、
以下にご紹介します。

『法学館憲法研究所』のホームページから。

“昭和の妖怪”岸信介―戦前との連続性

H.T.記

 1957年は、東条内閣の重要閣僚として日米開戦の詔勅に署名し、戦後A級戦犯として逮捕された岸信介が首相になり、戦争の指導層が戦後も引き続いて日本の指導層となった象徴的な年となりました。特殊日本的な「戦前との連続性」です。ナチズムを生んだドイツでは、戦後に旧ナチの幹部が政界の指導者として復活することは決してありえないことでした。戦争国家体制と民主主義・人権の抑圧は不可分の関係にあります(治安維持法体制)。この体制の責任者が日本の指導者となったことは、現在に至るまで日本のあり方に多大な影響を与えています。

 岸は山口県の官吏の家に生まれ、大資産家である実家・岸家の養子となりました。島根県令などの要職を務めた政治家である曽祖父の残像が幼い頃から色濃く刻み込まれたと言われます。東大時代は、当時の右翼のトップリーダーだった北一輝や大川周明に面会を申し入れ、深い影響を受けました。天皇制絶対主義を唱える憲法学者・上杉慎吉に見込まれ後継者にと誘われましたが、当時の農商務省に入り、戦時統制経済を立案・推進した「革新官僚」を代表する存在となります。間もなく、東条らと共に満州国の5大幹部の1人として植民地経営を指導、軍・財・官界にまたがる広範な人脈を作り、政治家としての活動の基礎を築きます。東条内閣では商工相、軍需次官を歴任し戦時経済を指導しました。

 45年9月、岸はA級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収監されました。しかし、アメリカの対日政策が大きく転換(逆コース)、多くの戦犯と共に不起訴となり釈放されます。さらに、52年4月、単独講和条約の発効に伴って公職追放解除になりました。直後に復古的な「自主憲法制定」を最大の目標に掲げることを主導して「日本再建連盟」を設立、翌年には衆議院議員になりました。56年の自民党総裁選では巨額の資金をばらまき、金権総裁戦の原型を作りました。首相は60年の安保国会後に退陣しましたが、以後も田中角栄と並ぶキングメーカーとして、89年に90歳で没するまで政界に隠然たる影響力を及ぼし、「昭和の妖怪」と呼ばれました。岸の政治の最終的な目標は最初から最後まで「自主憲法の制定」でした。
 
 岸は晩年のインタビューで語っています。「大東亜共栄圏は随分と批判があったけど、根本の考え方は間違っていません。日本が非常に野心を持ってナニしたように思われるけど、そうではなく…」(塩田潮著「『昭和の怪物』岸信介の真実」)。
 戦前との連続性は今、戦争を知らない世代によって「日本の伝統・文化・歴史の尊重」というスローガンで語られています。

  岸に代表される政治家については、①戦前との連続性の他、②戦前はファシズムに傾倒して国民を「鬼畜米英」に誘導したことと対照的に戦後は民主主義を標榜しアメリカへの従属を推進した無節操(非連続)、及び③戦争責任が話題になりました。日本国憲法については「押付け」が論じられています。しかし、GHQによる「逆コース」の支配(「逆押付け」)がなく、日本の民主化が促進されていたならば、戦争を指導・推進して内外に天文学的な犠牲者を出した政治家・官僚の政治的・道義的な免責はあり得たのか、問題となるところです。

 

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フィロソフィの営みのない昆虫人間をつくるTV

2016-01-07 | 社会批評

テレビを見ていると、その背後にあるイデオロギーがよく分かります。

すべて勝ち負け、どんな愚か者でも分かる勝った負けたのオンパレード。

学問や芸術も、〇〇賞を取れた、逃した、という話題ばかりなり~。

自分の目で、自分の心で、自分の意志で、自分のフィロソフィで見るという人間の人間的生の基本がなく、TVはただのバカ騒ぎ。

外的価値のみを追いかける生、みな同じ価値観で生きる人たち、このような集団同調の生は、【内的世界=真善美への憧れと沈思】がつくる人間的精神とは無縁です。

ハチやアリのような《昆虫的属性》をもつ存在に陥る勧め??
そこにはフィロソフィの営みによる内的世界の豊穣がありません。外に見えるものしか見えないのでは、人間固有の生がない証拠です。内的世界を生むフィロソフィの営みがなければ、人間は、機械的存在に陥ります。

TV番組の大部分は、昆虫的属性をもつ人間を培養するシャーレとなっていますが、それは視聴者との共犯でしょう。

全体一致、ニッポンチャチャチャの愚か極まる右派政治(ばかの集合)、儀式・様式しかなく中身のない皇室の伝統という「明治政府がつくった靖国思想=国家宗教」(明仁さんや美智子さんらも嫌う)を喧伝する「日本会議」なる右翼団体(イカレタ新興宗教)さえ批判できぬようでは、もうわが日本も終わってしまいそう。

団子集団、一億総〇〇という呆れる愚かさに縛られたままでいいはずがありません。

勝ち負け主義に代表される外的価値に金縛りにされている心=精神ほど哀れなものはありません。

それでは人間としての生とは言えないでしょう。

安倍サイドからの声、いやいや、日本人は、人間である前に日本人の自覚(???)を持つべきだ!(安倍首相の自著にそう記載されています)。

君らはもう終わっていますね~~~違憲政治屋さんとそれを支える愚かなTV。


武田康弘

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「つまらない顔はイヤ」からはじまったーー武田哲学のルーツと本質。 内田卓志によるインタビュー

2016-01-04 | 恋知(哲学)

インタビューの続きです。

最近は、プラトンを30年ぶりに再読しています。ちょっとですが。納富信留教授の『プラトン―理想国の現在』も読んでみました。さすが納富教授、素晴らしいプラトン論のひとつと拝読しました。

そこで、質問します。プラトンが、『ポリテイア』で主張している「イデア」についてです。この著は、日本では「国家」と訳されていますが、かつては「理想国」と訳されていたようです。

プラトンは、武田先生に最も影響を与えた人ですね。そのプラトンの国家編でプラトンは、イデアについて主張します。イデアは、ある絶対的な超越性を言っていると思います。先生は、超越性原理を批判されますが、その文脈の中での「イデア」について教えてください。 その意味とその役割について。イデアを絶対的な超越と考えると武田哲学とは、相いれないことになるとおもうのですが、如何でしょうか。 

内田卓志

ーーーーーーーーーーーーー

内田さん、そう、「理想国」なのです。プラト ンは、「ポリティア」の最後に、今まで書いてきたことは紙の上の話である、と明言しています。まさに、紙の上の「理想」であり、思考実験 です。

また、「イデア」を絶対的超越と読むのは、キリスト教を常識とした16世紀に始まる近代の西ヨーロッパ人による読み方です。日本の学者も ずべてそれにならっていますので、同じです。

イデア論は、唯名論として見れば、現代では言語論の常識であり、すんなり理解できるとするのが、わたしの考えで、そのような読みにより武田思想は成立しています。

プラトンのソクラテス対話編は、「絶対的真理を求めるもの」とは読めません。「絶対的真理」とは異なる「普遍性の探求」として捉えない と、古代ギリシャのフィロソフィとキリスト教ーー大きく異なる思想を同一のものとする愚を犯してしまいます。

そうなれば、近代の西ヨーロッパのキリスト教化された哲学の見方で、ギリシャのフィロソフィを知ることになるわけです。

なお、わたしとソクラテスの行為(プラトンの著作)との関係についてですが、
ソクラテスを知った後で、わたしのフィロソフィ(自分で自分の経験を基に考える営み)があるのではありません。小学生以来の考える=哲学 する営みが先にあり、そのわたしの思考方法をサポートしてくれるものとしてソクラテスを見つけた、というのが事実です。

プラトンの著作を読んで、今のわたしの思想があるのではなく、いまに役立つように使用してきたのです。

プラトンの後期はピタゴラスの神秘思想の影響で難しいものとなっていますが、それについての解釈は別の人に譲ります。わたしの興味の埒外 ですので。


武田康弘

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

武田先生

 

『わたしのフィロソフィ(自分で自分の経験を基に考える営み)があるのではありません。小学生以来の考える=哲学する営みが先にあり、そのわたしの思考方法をサポートしてくれるものとしてソクラテスを見つけた、というのが事実です。』

先生の発言は、私には誠に羨ましいかぎりです。私には、このような体験が無いので最初は信じられなかったのです。まず本を読んで勉強した後に気づいたり、考えたりして、世界の見かたが変わる。つまり視線が変わることはあります。その上で考えてみて、実行したりします。私は、この繰り返しです。

私が、先生のような思考の訓練をしてこなかったせいなのか。理由は、分かりません。その意味で羨ましいのです。「哲学する営みが先にあり」との発言を信じるしかないのです。理由を少し述べます。

私は、10年以上白樺教育館の仕事を見ていますが、さて学問の研究家に「このような仕事ができるかな」といつも思うのです。教育論のところで詳細を語って頂きましたので、ここでは省略します。

ただ、一人で、40年こつこつと自らの思想に基づく教育活動により、生活を建てていることが凄い。このことは、特に強調しておきたい事実と思います。

私も優れた研究者の方々に接する機会がありました。研究者は文献を正確に読み緻密に解釈して、自らの考えを表現します。「初めに文献ありき」、ということでしょう。文献学的な知のあり方や使い方では、白樺教育館の維持は困難だとわかったのです。どちらが、優れているとかいっているのではなく、白樺の活動を行おうとすれば、そのような文献学的知の使い方は、むいていない、効力が少ないということです。「自分で自分の経験を基に考える」営みから導かれた、フィロソフィーに基づき子供に対峙し交わる。私は、その活動の成果を見ていますので、信じると申し上げるのです。つまり、学問の世界と具体的な経験の生活世界とでは、知のあり方、知の使い方が、異なるということでしょうか。

武田先生の主張するフィロソフィーは、学問ではないので、非学問的な知恵に支えられているのですね。

ーーーー

続けて、

次にプラトンのイデア論のこと、

先生のお立場は、「絶対的超越」と読むべきではない、イデア論は、唯名論として見れば理解できるとのことですね。そのような文脈の上に、武田先生の思想は成立していると理解しました。

プラトンのイデア論は、いまだに議論のあるところで学問的にどう理解すればよいのかは、分かりません。後期プラトン哲学は、先生もご存じの通りイデア論を否定しているとも解釈されます。この問題は、学者におまかせしましょう。

ただ、私もプラトンのソクラテス対話編は、「絶対的真理を求めるもの」と理解すべきではないと思います。自らの不知を最も自覚したソクラテスが、絶対的な真理を追い求めるのは、言語矛盾のようにも感じます。それよりソクラテスは、普遍性の地平を探求していたという先生のご解釈のほうが私には、「ピン」ときます。先生は、プラトンいうイデアは、あくまでも「理想」(追い求めても離れていく存在、どこまでも到達できない場所)を語っているので、それを絶対的超越とか超越性原理と考えることはできない、というご主張だと分かりました。

フェイスブック上でも、先生へのインタビューから対話が始まっているようですね。私も楽しみです。

 ※イデア=理想とは厳密には理解すべきでないとか、研究者の間では議論があります。納富教授もそのような見解ですが、結論は結構武田先生のプラトン理解ににも近いと感じます。その他プラトンのことで語りたいことは、つきません。戦前の南原繁の『国家と宗教』でのプラトン理解は、学者の良識の頂点のような勇気ある著作でした。 

内田卓志

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内田さんの実存的レベルの話が入ったので、とても分明で、優れたインタビューになりました。ありがとう!

 
7さいー小学2年生のわたし
 (
撮影は、父)

なんで、皆、つまらない顔をしているんだろう?
楽しそう、とか、嬉しそうではなく、曇った顔をしている。
生き生きしている人は少ししかいなくて、かたい顔、濁った顔が多くて、魅力のある人は少ないな。

小学生のわたしは、学校でも街でも電車の中でも、つまらない顔をしている人が多いのが疑問でしたし、嫌でした。

それが人間の生き方を考える一つのキッカ ケとなりました。

どのように生きるのがよいのか?
何と、どう向き合って生きるのがよいのか?どんな態度で生きるのがよいのか?
楽しく、イキイキと、よろこびの多い生き方、意味の濃い、深く納得できる生き方、それは何か?どう考えればよいのか?

そう思い、悩み、、考え、試して、対話して、という人生は、そのようにして始まったのです。
幼いころから、父への質問は毎日のようでしたし、友人との話も、意味や価値を問う内容で、知らずに、フィロソフィの毎日だった、というわけです。

だから、書物もよく読みましたし、これは、と思う本は、書き込みをしながら熟読しました。中学2年生の時にお小遣いではじめて買ったのがヤスパースの『哲学入門』でしたが、感動しつつも、賛成できないと思うところもありました。

書物は書物としてしっかり読み、わたしが思考する訓練や手助けとしましたが、哲学書が真善美の基準になることはなく、ある考えが、【私の赤裸々な精神= 頭と心身の全体で感じ知る現実】に如何に応答するか、それが基準なのでした。
『聖書』などの宗教書は真面目に読むほどに、その独特の雰囲気=超越的思想に嫌気がさし、わたしの宗教(一神教)嫌いを決定的にしました。イエスその人への評価とは別の話ですが。

 
また、それと同時に、真理とは何か?どの ように考えるのが「正しい」のか?という純哲学的=学的追求も執拗なまでに(笑)行いました。認識論の原理としての現象学です。

簡単ですが、これが、内田さんの最初の質 問へのお応えです。

ーーー

次に、フィロソフィの本質に関わる核心点についてお応えします。

内田さんは、思想や哲学について、【学問的・文献学的】と【非学問的知恵】という区分けをされましたが、大事なことなので、確認します。

ソクラテスは、話しことばによる問答的思考で、本を書かず文字を残しませんでしたので、彼の知的営みは、文献学的・学問的とは言えません。

またインドの釈迦の解脱、自帰依ー法帰依の思想も文献学とは無縁で学問的ではありませんでしたし、イエスの既存の世界の常識を覆して新たな世界を拓いた言辞行為も、少しも学問的ではありません。

近代の西洋哲学の始まりはデカルトですが、彼の有名な『方法序説』は、書物を捨てて体験に基づいて考えることを宣言した本で、まったく文献学的ではなく自説を述べた本ですので、少しも学問的ではありません。

また、『社会契約論』を書き近代民主政の原理を提示したルソーは、恋愛小説家として知られ、家庭教師もして生計を立てていた人で、社会思想の研究者ではありませんでした。『社会契約論』は、新しい社会原理のアイデアを打ち出した書で、文献学的ではなく、これもまた学問的著作ではありません。

それらはみな「文献学的・学問的」でないのですが、彼らの本を研究する今の学者の営みは、文献学的・学問的です。そうすると、人間の生き方を考察し、新たな人間観や社会観を示した人や書物は、非学問的で、彼らの本や人となりを研究するのが学問的だと言うことになります。

 
思想や哲学においては、「文献学的・学問的」というのは、過去の人や書物の研究ですが、それが思想や哲学という営みの中心・本体なのでしょうか。思想や哲学の中心・本体は、過去・既存ではなく、未来に向かう精神から生まれる知的営みではないでしょうか。飛翔するイマジネーションによる思考こそが思想や哲学の中心・本体ではないでしょうか。

わたしが思うに、思想や哲学の中心となる営みは、学問的というのでなくて、ストレートに【知的】なのです。

ここで、ひとつ大事な知識を披露しますが、知的という「知」とは、「知恵」という意味に限定されません。知識と知恵を分けてしまうのは、分類好き(分類趣味)のアリストテレスによるもので、ソクラテスとその弟子のプラトンには、知識と知恵を分ける考えはありませんでした。知的とは、よくみなが言う「知識」と「知恵」の双方を合わせた概念なのです。わたしの言う「知」とは、そういう意味の「知」です。

思想や哲学の営みは、【知的】なのであり、学問的なのではありません。過去に囚われた文献学ではないのです。過去は手段としてあり、中心・本体は、未来への豊かなイメージに支えられた今なのです。

以上は、核心中の核心(原理中の原理)と思います。

 
武田康弘

 

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政治と神道が直結 恐るべき『神社本庁』の策謀 安倍首相と共謀し「日本国憲法」の全否定へ!!

2016-01-04 | 社会批評

中野耕司さん(長年の教え子のお父様)のfbページで知りましたが、
神社本庁の広報紙「神社新報」は、とんでもない政教一致で、全国民が怒るべきことです。


これは、文字通りの『戦前回帰』ですが、明治政府がつくった「国家神道」(戦後の民主化で完全に否定されたイデオロギー)の再興をめがける驚くべき行為です。
戦前の国体思想の復活を許せば、近代市民社会の民主政は、大元が破壊されてしまいます。日本は、政府と宗教が直結した「宗教国家」に戻ります。

以下のblogより転写。
http://ameblo.jp/et-eo/entry-12104038134.html

神社本庁の広報紙「神社新報」11月23日号


「『今こそ憲法改正を!一万人大会』が十一月十日、
 東京・九段の日本武道館で開催された。
 当日は衆参両院の国会議員や全国の地方議会議員なども含め
 一万一千人以上の改憲運動推進派の人々が参集し、
 憲法改正を求める国民の声を真摯に受け止めて
 すみやかに国会発議をおこなひ、
 国民投票を実施することを各党に要望する決議をおこなった。

 昨年十月一日に『美しい日本の憲法をつくる国民の会』が
 設立されて以来、
 日本会議神道政治連盟が中心となって国民運動を推進してきたが、
 すでに賛同署名は四百四十五万人に達し
 国会議員署名も超党派で四百二十二人を獲得するに至ってゐる。
 これは大きな運動の成果であるが、
 今後なほ一千万の賛同署名の達成と、
 国会議員署名及び地方議会決議の獲得を目指して
 邁進していかねばならない。」

「自由民主党は立党六十年を迎へた。
 …国会の憲法審査会での早期の審議促進を誓ひ、
 立党以来、変はらぬ党是としてきた『現行憲法の自主的改正』を
 再確認し、安倍晋三総裁のもとで必ず憲法改正を実現すること
 決意表明をぜひともおこなってもらひたい。

 先の国会における憲法審査会では、
 こともあらうに自ら選んだ参考人の憲法学者に、
 安保関連法案は憲法違反と言はせる大失態を演じた。
 緊張感の欠如と言はざるを得ない。
 一連の安保法制は何とか成立を見たが、
 これは憲法九条改正までの、
 現在の厳しい国際情勢下における
 いはば緊急避難的措置に過ぎない。
 一方、これに反対してきた市民団体などが、
 『総がかり実行委員会』をつくって『戦争法』の廃止を求め、
 憲法を守る二千万人署名の活動を開始してゐる。
 勢ひを増してきた共産党がこれを応援し、
 同党で半分の一千万人署名を集めると表明してゐるのである。
 来年夏の参議院議員選挙が、
 改憲の大きな勝負時となってくるであらう。」

「現在、憲法改正の秋がやうやく到来した。
 すでに衆議院では改憲派の勢力が三分の二に達してをり、
 安倍総裁の任期も三年ある。
 あとは来年七月の参院選で改憲派の勝利を目指して
 全力を集中することだ。
 参議院で改憲派が三分の二の議席を確保できれば、
 いよいよ国民投票に持ちこめる。


「神社界の中には未だ、
 なぜ神職が憲法改正の署名活動までやらなければならないのか、
 といった疑問を抱く人もゐると聞く。
 しかし、もしも神職が宮守りだけを務め、
 国の大本を正す活動に従事しなかったら、
 この国は一体どうなるのか。
 心して考へてみなければなるまい。
 我々自身の熱意と活動努力によって
 憲法改正はぜひとも実現しなければならないのである。」

 -----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

 

この「一万人大会」のあとは、
「国民の1000万賛同署名」を目指しています。
すでに、445万筆を集めているとは、驚きです。

内閣支持率43%(4ポイント増)
不支持率 37%(6ポイント減)
政党支持率  
自民29%  公明3%  民主7%  大維6%  
共産3%  維新1%  無党派層37%

このように、安倍内閣の支持率が上がっているのも、
なまじ情報操作ではなく、
その背景に宗教団体による信者への呼びかけがあるのでしょう。



******



私たち日本人が、
それぞれの郷土で親しみと有難さを感じ、
七五三のお祝いをし、
お正月には揃って初詣し、
人生の折々で幸福を祈願してお守りを頂く全国の神社。

これを包括する神社本庁が、
改憲を呼びかけているのです。

私たちが、親しみ有難く感じる地域の鎮守の神々とは、
政府が押し付けるような種類のものでしょうか?
私たちが、愛する神々とは、
明治政府が押し付けた国家神道とは無関係です。

日本の神々は、一万年二千年に近い時間の中で
西から北から南から大陸から島々から、
何層にも波状的に渡ってきた、
さまざまな信仰と生活形態をもつ部族集団が
日本列島に住みつき、
長い時を経て、それぞれの神と神が習合し、
神と仏が習合していったものです。(*哲学者・鎌田東二氏の論考を参考に。)

南方熊楠は、このような日本人のスピリチャリテ―を
このように表現しました。

封建制より一層古く国民一般に
 粛敬謹慎の念を心に刻ませているものがある。
 何か。最寄り最寄りの古神社である。
 いわゆる何ごとのあるかは知らねど
 有難さに涙こぼるるのも、これである。


その教えは多大繁雑の斎忌 taboo system をもって成った
 慣習条々(不成分律)を具えているだけで、
 他に何という難しい道義論や心理論はない。
」と。


「日本人の可能性の極限だ(弁:柳田国男)」と言われた
知の巨人熊楠は、
前代未聞のエコロジー思想を説いた
日本で最初のエコロジストでした。
明治政府は記紀神話や官社以外の神々を排滅することによって、
神道の純化を狙いました。
この歪な宗教政策、鎮守の森を破壊する「神社合祀」に
熊楠は、強い危惧を感じ、猛烈な反対運動を行ったのです。

熊野信仰は、古来の自然崇拝に仏教や修験道などが
混交して成り立った土着の宗教です。
高い樹の梢から神が伝って降り樹々に神が宿るという信仰は、
鎮守の森が育む池、水、木、動物、生命の生態系を守る
エコロジーという考え方に叶ったもの。
熊楠は言いました。

それなのに、当国ただ今のように逼迫の世に、
 神道のような不文不典の教えを、
 強いてこの無智、無学、浅見、我利我欲の劣○神機の輩に
 拡張させようとして、
 強いて旧史、地誌、土俗、郷風に大関係のある神社を
 滅却してまでも、その俸給を増やそうとするのは理解できない。


途中投獄をされるも、不退転で神社合祀令が撤回されるまで、
徹底的に闘い抜きました。

****

熊楠のような知恵ある偉人のおかげで、
バカ共が、どれほど荒らし、踏みにじり、乗っ取ろうと、
私たちは、鎮守の森の、そこここに、
放射能の空爆に痛めつけられる私たちの傍らで
共に涙を流し、ひっそりと佇む神々を
透かし見ることができます。

しかし、今また、戦争と支配を好むバカ共が、
私利私欲のために、宗教を利用しようとしています。

神職が、改憲を支援するなら、
もう、絶対に、お賽銭も投げないし、お守りもお札も買わない!

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安倍晋三政権から 命 を守る闘いーー手をつなごう! 『女性自身』より。

2016-01-02 | 社会批評

「楽天ニュース」より、以下、『女性自身』をシェアーします。安倍晋三から 命 を守ろう!手をつなごう!という主張です。

デモ、憲法カフェ…「安倍政権から命を守る」私たちの闘い

WEB女性自身 / 2016年1月2日 6時0分

写真 (わたしは、安倍晋三という男は、ほんとうに厭な顔=表情をしていると思います。権力を私物化する小心にして悪徳の顔です。「顔は顕現する」エマニエル レヴィナス)



安倍政権によって海外の戦争に参戦することを可能にする安保関連法」が成立した2015年。ほかにも「派遣法改正」「辺野古新基地建設」など、個人をないがしろにする政策が進められそんな政権に危機感が強まった1年だった。
 
そのなかで、一人ひとりの存在ははかなくても、実はその力は大きいのだということにも気づかされた。今、それぞれの命を守るための活動がつながって、ひとつのうねりとなって、日本を変えようとしている。
 
「この1年を振り返ると、やはりSEALDs(シールズ)のコたちの頑張りが大きかったですね。著名な憲法学者も弁護士も、年配の方やママたちも シールズ菌 に感染して、声を上げざるをえなくなったのでは?」
 
シールズの前身「サスプル」時代からシールズを見守ってきた弁護士・武井由起子さん(48)は、自身もシールズ菌感染者だと笑う。武井さんは、デモに参加する市民の《表現の自由》が侵害されることがないようにと、弁護士有志で結成した「官邸見守り弁護団」の1人だ。
 
1児の母でもある武井さん。震災がれきの広域処理問題で、地元・神奈川のママ友と「ストップがれきの会」を結成してから、「明日の自由を守る若手弁護士の会(あすわかの会)」で、憲法カフェを開き、憲法の理念を広めるなど、八面六臂の活躍を続ける。
 
「憲法カフェの依頼が、秘密保護法の強行採決後、増えたんですね。しかも、母親グループから。やはり、モノ言えぬ社会になり、子どもが戦場に駆り出されるのではと危惧する母親が増えたんですね」(武井さん)
 
7月、「安保関連法案に反対するママの会@神奈川」が結成され、武井さんもメンバーに。9月の強行採決後、メンバーが脱力してしまったとき、「絶対、活動をやめないで!」「家庭に戻らないで!」と真っ先に声を張り上げたのが武井さんだった。7月から走り続けで、家は足の踏み場もないと嘆くママには、「うちなんて、もっとぐちゃぐちゃだから大丈夫!」とハッパをかけた。
 
「安保関連法に反対するママの会@石川」の呼びかけ人の市井早苗さん(37)も、安保関連法成立後は、起き上がれないほど疲れ切っていた。それでも数日休むと、再び、精力的に動き回っている。モチベーションの源は、子どもたち。市井さんには8歳と5歳の息子がいる。
 
市井さんが政治に開眼したのは、原発事故からだ。当時は東京に住んでいたが、4歳だった長男が頻繁に鼻血を出して心配になり、当時1歳4カ月だった次男と母子3人で、夫の実家がある北陸に移住した。その次男は、未熟児で生まれ、生後1カ月半までNICU(新生児集中治療室)に入っていた。
 
「NICUでは、皆、生と死の境を行ったり来たり。昨日まで泣き声を上げていた子が、今日は亡くなっている  。うちの子はたまたま生き残ることができたけど、命って、あっという間に失われてしまうんだと思って」(市井さん)
 
命の尊さを痛感したからこそ、命を守るために活動したいと考えた。しかし、身近な人でさえ、わかりあえないことも少なくないという。
 
「私の身内でさえ『隣国の脅威が高まっているのだから、安保法制は必要。誰かが行かなきゃ』って。でも、そこには圧倒的に想像力が足りない。その 誰か が、わが子だったら、孫だったら、同じように言えるのでしょうか」
 
こうして 命 に重きをおいた価値観が、ママたちによって積み上げられていく  。12月2日。金沢で開かれた「戦争法案廃止!憲法壊すな!石川県民集会」の壇上に立った市井さんは、スピーチをこう締めくくった。
 
「今、必要なのは対立することじゃなくて、手をつなぐこと。一人ひとりが自分でできる 不断の努力をふだんから をして、笑顔と愛を絶やすことなくママレボリューションを起こしていきます!」


(※色字・太字は、武田によります。)

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2016年の年賀状です。明けましておめでとうございます。

2016-01-01 | その他

明けましておめでとうございます。

今年は(も)飛躍の年になりそうです。

皆さまのご支援、ご協力、よろしくお願いいたします。

なお、
2月7日)午後2時から、ソクラテス教室
40周年記念の集いを行いますので、ぜひ白樺教育館にお出かけ下さい。

以下は、2016年の年賀状の複写です。

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