わたしは、首相の安倍晋三による学校の一斉休校という愚かな独断にたいして、発表の当日にこのBLOG=思索の日記で批判しましたが、
https://blog.goo.ne.jp/shirakabatakesen/e/7a9b90244c43224f3140612b3dc9feec
地方政府や教育委員会は、いつまで不合理な愚策に振り回され、従うのか、イイカゲンに目を覚まさないといけません。理性を持て!です。
以下の東京新聞編集部の記事は、正鵠を射るものです。
(なお、日本では、30代以下には死者はいません。ゼロ人ですー厚労省による)
国ではなく、政府ですね。
政府にいちゃもんつけないマスコミでないと、民主政の国にはならないのです。それは恐ろしいことなのです。
時と場合による。
信号待ちがバカバカしくなるような場合でも、赤信号なら止まる。
それが交通事故のリスクを減らしているのは事実。
嫌ならイギリスみたいにロータリーにするか。
信号をつけすぎるとドイツみたいによく分からなくなる。
確かに旧民主党政権のときのマスコミの政権批判は、批判ではなく、悪口の言い放題で、冷静な論理を欠いていました。批判とはいえないイチャモンで、感情的でした。
今は、過激な長州閥の政治家で、こわいので、黙らされています。
どちらもおかしいのです。
要するに、どの程度、国民のコンセを得られているかで法律も制度も変わるから、批判より要求ですね、大事なのは。
日本車は、安全運転機能はオプションなんですが、ドイツだと小型車でも標準装備。
安全についての考え方が違う。
日本ならセイフティドライブは高いから要らない人は付けないでも構わないけど、ドイツだと要らないという選択肢はない。
悪口・罵倒ではない「批判」は、デモクラシーの基本要件です。
主権者を人民とするのが民主政国家ですので、公民=市民国家では、一人ひとりの主権者の意思を行使する者を選んで政治を行います。
ドイツは徹底した民主政を志向しますので(戦前思想のナチズム=全体主義は禁止されていて取り締まりの対象です)。日本とは元が異なりますが、日本もこれから民主政の社会・国にしていく他はないはずです。異論や批判により内容を豊かにするのです。それが民主主主義の手法であり、思想です。
民主主義がいらないという選択肢はない、それは多くの先進国の基本条件です。個々人の主権者の自由と責任によりつくるのが公民=市民国家ですから。従って、主権者教育を学校でやらないとなりません。
様、具体的には政府の政策についての批判なら構わないけれども、どうして安倍総理だけが批判になるのか不思議です。
議会政治だし、政党で話し合って決めているし、与党内野党である公明党の意見も反映されているわけで、支持する国民も多い。
安部首相のやり口の凄まじさゆえです。故中曽根元総理も福田総理も厳しく批判した通り、その方法は、国会を実際上なきものとしたヒトラーの手法にダブります。内閣ですべて取り仕切るのです。この危うさを認識すべきでしょう。
なお、個々の政策への批判はもちろんしてきました。
武田さんのほうが洗脳されていますね。思想にバイアスがありすぎ。
誰でも皆、状況の中で感じ、想い、考えるのですから、その人が生きる社会の思想・価値観を身に付けています。
フィロソフィーは、それを当たり前とせずに、大元から、白紙に戻して考える営みです。
そうしないと、状況に飲みこまれるだけになりますから。
わたしは、できるだけ白紙に戻して考えたことを提示しますが、なぜそう考えるのかを説明しています。
その提示と説明に対して、異論があれば出してもらい、検討することで、見方・考え方は段々と深まっていきます。
「思想にバイアスがありすぎ」(白石)とは、状況からの自由を得ている証左ともいえますが、バイアスが悪い意味でかかっていると思われたら、どのようにマズイのかをお話ください。
他人への押し付けが迷惑です。
白石優子さんが、はっきりと、とても強く自説を言われるので、
それに対して、わたしの見方・考え方を示す必要にかられた、というわけです。
違いが鮮明になるのは、よりよき見方・考え方を得るためにはよいことと思いますが。・・・
というか、私はリアリストなんです。現状認識のほうが遥かに重要だし、今は中国やWHOを批判していますが、それはアメリカに感染拡大する前からです。アメリカに同調しているのではなく、どうして中国をもっと早く入国拒否にしなかったかというと、WHOの判断を参考にしていると政府が言っていたからです。
それ以来、WHOがおかしいと思い始めた。
それは思想とは関係ありません。
その際に、WHOに乗って中国を入国拒否にしてなければ当然政府を批判するし、果たして武漢だけでよかったのか?
先に中国から日本人を入国拒否にしてくれてよかったです。
思想から批判するタイプではないんで。
ただし、共産党は嫌いです。
リアリストの対語はロマンティストですが、どちらも思想です。思想のない人間はいません。人間は価値観の束=思想をもち、それにより判断し行為するので、意識するとしないに関わらす、思想をもっています。その内実がどのようなものかをよく見て自覚することは、自分の判断の良否や浅深を知る上でとても重要です。
父が思想かぶれを嫌っていたので。
「思想カブレ」は、確かにダメですね~
リアリストだと、人間の反面しか見れていないですし、ロマンティストもそうですね。両面があるのが人間精神のよさ、ではないでしょうか。
実験実証主義です。
精神物理学というのもありましたが、今は認知心理学、そこからAIへ。
思考と感情は違います。
かつては行動から人間の研究をしていて、それ以外はブラックボックスと言われていたけれども、知覚の研究は人間の可視範囲を周波数から捉え、精神にもいろんなジャンルがある。
個人の内観を精神と定義するだけでは、人工知能は生まれなかった。
人間の意識は、なにものかについての意識ですので、意識の本質を「志向性」と呼びます。
各科学の対象となる意識は、まさしく「対象化された意識」に留まり、意識の働きの意味は、志向される事象と共にしか考察できないのです。
AIの出現は、問題の本質を少しも変えるものではありません。個別の科学の進展と人間の認識問題の本質とは次元を異にする話なのです。
志向性は、選択的注意と呼びます。
脳内伝達物質の構築が違うので、話は噛み合わなくなりますから。
メルロ=ポンティはNGで、ノイマンだったらギリギリかなあ。
それは、フッサール現象学における志向性の概念を呼び変えたものですね。
志向性という言葉=概念を最初につくったのは、フッサールの師のブレンターノですが、
フッサールは、志向する働きに意味付ける意識の働きを含めて「志向性」という概念をつくりました。詳しくは、「イデーン」Ⅰの あとがき にあります。
私は読んでないから知らん。
思想というと、その人の社会的な行動規範といったもんでしょうかね。
志向性は、型にはまった行動様式でしょうかね。
意識というのは脳の仕組みですね。
それは全く違うのです。
例えば、セザンヌがつかった絵具の化学的分析をしても、あるいは絵画様式上の研究をしても、セザンヌの絵の意味は分かりませんし、絵からのよきもの(感動)は来ません。
人間の意識の意味も同じように、大脳の仕組みを研究しても分からないのです。
仕組みの問題と本質は違うのです。「主観性の知」こそ人間知性の目的だと言われるのもこの文脈においてです。
意識の意味と価値を問題を扱うのが哲学の認識論です。
その認識本質論の土台の上に、各精神科学があるのですが、日本では精神分析や精神医学が、認識論を踏まえずに行われるために、土台がない状態で、そこに不毛性の原因があります。
臨床は専門外だから知らん。精神科は薬。診察3分。診断学としては、目だそうです。日本ではカウンセリングでもいろいろな療法が行われていて、分析より正常なコミュニケーションの回復。
何をもってして正常とするかは職業的バイアスもあれば、人種や国籍、文化によっても違う。
アマゾンでの普通が、日本で普通かどうかは違いますからね。
感動は脳をアクティブにします。セザンヌに感動するかどうかを質問した結果、瞳孔反射による矛盾があれば、彼は嘘をついている可能性が高い。
実際、運動や学習に意識は必要ではないし、意識せずとも心臓は動き呼吸はできる。無意識に歩行できるし、学習により、無意識に信号に従う。
前意識や無意識領域も含めて意識活動と呼びます。意識は氷山の海面上の部分で、大部分は海面下です。それが前意識さらに無意識領域です。
ただし、この無意識領域もなんらかの方法で意識化しないといけませんが。
ここからが面白いのですが、これをやると夜が明けるので、また明日にしましょう。
(4月15日・小貝川)
自民党安倍政権の大本営発表を増幅して、国民を洗脳する役をこなすNHKと民放は、本質は戦前とまったく同じですが、言い方はソフトで上手に(時に強面の「専門家」が極論で脅しを入れる・笑)で、その点だけが違います。
新型コロナ問題でも、五輪が延期になる少し前までは、「五輪の開催を危ぶむ意見」には、せせら笑うがごとく態度でしたが、そういう報道をしていたことには謝罪も反省もなしで知らん顔です。
今も、繁華街に行かない、人が集まるところに行かない、というのではなく、家から出ないことを求めるような宣伝一色です。集団ヒステリーもいいところで、思考力のなさには呆れるほかありません。
こういう思考のない報道を見ると、戦前・戦中の一人ひとりの思考を潰してニッポン挙国一致という恐ろしさを実感しますが、ふだんの生活が自分の意思と行為に依らず、「理性道徳」をもたずに流されていくだけの人は、抵抗感がないのだな、とも思います。
そのための報道は、戦前・戦中とは違い、記号学を用いての染脳・占脳で、とても上手で、北朝鮮とは次元が異なります(笑) 欧米の哲学科の大学教授まで出して、誘導し、都合のよい話に上手にまとめるなど芸が細かく、流石です。欧米に弱い日本人ですからね。
一人でクルマを運転している人もマスク! 広い公園で散歩しているお年寄りやベンチに座っている人もみなマスク! なんとも異様な光景です。都会の狭い場所でも田舎の広々とした場所でもみな同じ。溜息が出ます。意味を考えないでムードに従うのです。状況の違いを弁えずに恐ろしまでのワン・パターンです。受験勉強そのままでステレオタイプ、思考を管理された人は、メダカや昆虫の属性を示します。
そういう人たちは、昨年の日本でのインフルエンザの死者数も知らないようですし(数千人)、新型コロナによる死者は30歳以下はゼロ人(4月12日まで厚労省発表)であることも知らないのでしょう。だいぶ以前から10代までの重篤者・死者は世界でほとんどいないことは知られていましたので、学校、とりわけ公立の小中高校を休みにするなどは意味のない話なのです(わたしは、安倍首相が学校の休校政策を発表した当日にBlogで批判しました)。
多様な思考・見方を公平に取り上げ、より普遍性を求める努力が必要なのに、全体一致への誘導はおそろしく危険です。普遍性ではなく一般性への矮小化は、愚かです。集団ヒステリーは、よい結果を生みません。
人の少ない空間で心身ともに健康な生活をしましょう。手の菌類も、アルコールで全部殺してしまえば、常在菌(生体を守る菌)までゼロになってしまいます。過剰・過激こそ恐ろしい。意味と目的をよく考えて、です。
武田康弘
誰でも簡単につくれる布マスクを、466億円かけて国民全員に配るという世界に例がない珍策・愚策には、批判の言葉もありませんでしたが(バカバカしい)、
品質チェックもせずにマスクをつくり配った為、不良品の山、これを回収してまた配るので、いったいどれくらの費用がかかるのか? 開いた口がふさがらない。
安倍政権のお粗末は、はるかに旧民主党以上で、批判を強めて、退陣してもらうより他はありません。お軽い思い付きで政治を行い、何事にも責任を取らずに、下の者が悪いとする世界最低の首相であることは、どなたもお分かりでしょう。いま、このような政権を批判するのは、国民の権利どころか義務でさえあります。
戦中のインチキな大本営発表を増幅させたのは、マスコミ各社でしたが、今また同じ愚を犯しているようです。わたしの妻は、テレビをよく見てチェックしていますが、NHKも民放も(池上彰の番組など)、アベのマスクの問題には触れず、中国への批判ばかりとのこと。他に目を向けさせて、われわれの政府への批判をさせないという番組づくりは極めて危険です。
こういう時だからこそ、理性道徳をもち、人間としてのプライドを持たなけければ、なにもかもお終いになります。きちんとした公共的批判のない国に未来はありません。
以下は昨日(24日)の東京新聞朝刊です。
いうまでもなく、家に、部屋に閉じこもるのは、心身ともに不健康です。
家の近くの広いところで、日を浴び、空気(風)を感じて、ストレッチに筋トレです。自分が気持ちよくなるようにね。
スポーツなんとかというお節介な輩は困り者。一人ひとり人間は異なるので、自分にフッィトするように楽しむのがよいのです。
創意工夫、臨機応変です。おバカなテレビのいうことなどを聞いていると、気の毒で残念な人になります。
「日本人はレジャーでさえ、どこに行き、何をするかが決まっている」(「人間を幸福にしない日本というシステム」ウォルフレン)
という現実を変えないと、ですね。
ステレオタイプ=紋切型の優秀者=東大病からの快癒が必要です。
写真は、近くの広い公園までサイクリングし、素足になり(アーシング)、運動をして帰宅したところです。1時間半で、気分も頭も爽快です。これから授業です。
なお、アーシング(マイナス電子を取り込む)は湿り気のある土の上でないと効果は少ないです。
武田康弘
事実として、日本は、
極端なまでに少ない新型コロナウイルスによる死者数。
アメリカのジョンズ・ホプキンズ大学による。4月20日
▼ベルギー 死亡者 5683人 (人口10万人あたり49.75人)
▼スペイン 死亡者 2万453人 (人口10万人あたり43.77人)
▼イタリア 死亡者 2万3660 (人口10万人あたり39.15人)
▼フランス 死亡者 1万9744 (人口10万人あたり29.47人)
▼イギリス 死亡者1万6095 (人口10万人あたり24.21人)
▼アメリカ 死亡者 4万 661 (人口10万人あたり12.43人)
▼日本 死亡者 236 (人口10万人あたり 0.19人)
さらに若年層においては、ほとんどいません。(「東洋経済」)
また、極端な封鎖をした場合は、逆に被害が大きくなることも事実です。
英国(都市封鎖)とスウェーデン(穏やかな規制のみ)との比較ですが、他の国でも同様です。
財界人や政治権力者たちや不労所得者たちは、自己権力や自己財力のために生きているのが見え見えの日本という国家。
道徳も倫理もない。自我主義だけがある。自我の欲望・お家の安泰と拡充のために生きるのが当然といういまの日本国。
公共善など言葉だけ。綺麗な言葉、さもさもの言葉、言い訳、誤魔化し、エゴイズムの正当化のための論理を堂々と。
実際にやっていること、何をしたのか、しているのか、を見れば、底知れぬウソとズルは明白だ。
老子は、そのような国家主義者・愛国を謳う者、権力と金を追いかけるエゴイストたちを、国賊とよんだ。
いまの日本で、権力や財力を得ている人、肩書人の多くは、まさしく国賊と呼ぶにふさわしい。
武田康弘
インチキな患者数! 検査の数が大幅に違うので、まったく比較できない。
検査数を大幅に上下させて、感染者数のコントロール??
愚かというより、悪どい政治のわが日本、もう終わっているように思えます。
世界の中で、検査人数(青線)をこんなに上下させる国がどこにあるのでしょうか?
(渡辺正さん訳によるCDジャケットより、抜粋と要約と強調は武田)
実は、わたしがその困難なプロセスを経て、この音楽を新しい何かとして見聴けるようになるまでに20年かかった。この新しい何かこそが必要なのであり、それは、ベートーヴェンが絶対に求めていたに違いない「最初の衝撃」をもたらすからだ。
ベートーヴェンの音楽は、あまりに巨大すぎるし、また大変な愛情と注意と尊敬とが絶対的な黄金比で配分された形式の中で形作られている。それゆえに、それを表現するためのなにものをも(演奏だろうと言葉だろと)まったく必要としていない。
わたしがこのの録音でただ一つ望んでいるのは、いわゆる「カタルシス」を第5交響曲の音楽的ドラマとして示すことである。
第5交響曲が示している強烈な意思のすべて、そしてこの途方もないエネルギーのすべては、聴き手を浄化し、その意識と精神の中に一筋の光を投げかけてくれるだろう。
----------------------------
新型コロナウイルス騒ぎの今、何よりもみなが必要とする音楽は、このクルレンツィス指揮ムジカエテルナによるベートーヴェンの交響曲5番「運命」です。
カタルシスを味わい体験することで、心身に強い一筋の光がもたらされます。彼がいうように、5番は、生存のためのコスチュームなのです。
武田康弘
Amazon トップレビュー 武田康弘
5.0 唖然・呆然・感激・感動、世界が変わる! 2020年4月9日に日本でレビュー
タワーレコードで先行予約購入。昨日7回聴き、今日また聴いているーなんということ。
劇的だ! 始原的・根源的な音楽に震える。横に流れゆく外面音楽(カラヤンが象徴)とは対極。
実に気持ちのよい運動性と楔を打ち込むようなベートーヴェンのイデー・精神の強靭さに圧倒されてしまう。
全身が浮き上がるような身体性は快感で、踊り出したくなる。
オケの過度応答のよさは驚異的。
ピリオド楽器の音色は自然でピタリと嵌る。
音量の自在でダイナミックな変化の面白さは無類。
ウキウキドキドキが続き、もうやめられない~~誰か助けて~~(笑)
興奮、興奮、興奮。 細かく書いたらキリがない。
今まで聴いたことのない鋭いアタック、音色の変化、変幻自在な表現の面白さ。
全体はベートーヴェンの強靭無比な音楽イデーが横溢し、確信の強さは、なんとオットー・クレンペラーと双璧だ。
その理念は、これ以上は不可能なほど緻密な音楽と化している。
それに、個性豊かな人間たちによる超絶のオーケストラ、その上手さには舌を巻く。
閉塞する世界に風穴をあけ人間精神の変革を促すような演奏は、まさにベートーヴェンの精神そのものだ!
東京や大阪の大都市の真ん中に住んでいる人だけに当てはまるような「外出自粛」の要請を
郊外に住む人にもアテハメるような間抜けな言説が流布されるこのごろです。
自分の頭を使って生きるという当たり前のこともできない人々が多いのには呆れます。
家の中にいないで、近くの自然に親しみ、日を浴びて、ストレッチや筋トレをし、楽しむ。集団ではなく、個人として。
自転車やクルマで野原や山に行き、汗をかく。英気を養う。気分よく過ごす。
沢や川でのんびり。海辺に行き、歩き、走り、思い切り遊ぶ。
もちろん、観光地ではなく。
家の中では、音楽を聴き、奏で、庭の花々の写真を撮り、絵を描く。情報知の本やハウツーものではなく、本格的な読書をする。
老子はとくにお勧め。中村元さんの著作でブッダの思想を知り、プラトンによるソクラテスの対話編を読みながら考える。等々。
生誕250年のベートーヴェンの音楽を意識を集中して聴く。等々。
とにかく、心身と精神を強く豊かにする生活をすること。そういう意味での楽しみを広げることは、何よりよいことです。
家の中にいよう??特定の場所(都市の真ん中)に住む人にのみあてはまる話を一般化するTELEVISIONを見ていると、
イマジネーションのあまりの貧困に絶句するほかない。
都会に住む人も屋上利用が出来れば、日光浴に運動です。
武田康弘
まず、白樺教育館の「恋知の会」で聴き、その後、恋知の会をしながら音量を下げて1回、終わってから連続で2回、家のキッチンで聴き、いま、居間の大きなオーディオで2回聴きました。半日で「運命」を7回聴くとは、おかしい~~(笑)
衝撃の演奏で、これは、みなさま、ぜひ、お求めください。
白樺教育館で4回聞いたあとに、fb「クルレンツィス愛好会」(私がつくった同好会)に出した感想を以下に貼り付けます。
劇的だ! 始原性・根源性を強く感じる。横に流れるカラヤン流とは対極。
実に気持ちのよい運動性と、楔を打ち込むようなベートーヴェンのイデーと精神の強靭さに圧倒されてしまう。痺れる。
全身が浮き上がるような身体性は快感で、踊り出したくなる。
オケの過度応答のよさはには舌を巻く。
ピリオド楽器の音色は自然でピタリと嵌る。
音量の自在でダイナミックな変化の面白さは無類。
ウキウキドキドキが続き、もうやめられない~~誰か助けて~~(笑)
興奮、興奮、興奮。 細かく書いたらキリがない。
今まで聴いたことのない鋭いアタック、音色の変化、変幻自在な表現の面白さ。
全体はベートーヴェンの強靭無比な音楽イデーが横溢し、確信の強さは、なんとオットー・クレンペラーと双璧だ。
その理念は、これ以上は不可能なほど緻密な音楽と化している。
それに、個性豊かな人間たちによる超絶のオーケストラ、その上手さには舌を巻く。
武田康弘
「白樺教育館の生きている物たち」 part1 です。
ぜひ、ご覧下さい。
この写真 故酒本雅行さんの作品=「回起」は、PARTー2のアルバムに入るものですが、
酒本さんの作品集の表紙になった代表作です。死を前に彼から寄贈されたものです。
武田康弘
何にせよ現実=実際をしらない首相の安倍晋三は、やることなすことみなピント外れ。
以下の東国原さんの指摘は正鵠を射るものと思いますので、そのままシェアします。
東国原英夫氏、政府の30万円現金支給の方針に激怒「天下の愚策で論外です。地方自治を一から勉強し直せ!」
4/6(月) 13:26配信 東スポ
6日放送のフジテレビ系「バイキング」(月~金曜・前11時55分)では、世界的に流行している新型コロナウイルス感染症について特集した。
政府が収入が落ち込んだ世帯に1世帯あたり30万円の現金給付の方針を示したことについて、コメンテーターで出演の元宮崎県知事でタレントの東国原氏(62)は「天下の愚策。論外です」とバッサリ。「消費税減税か、一律10万円しかないんです。一律10万円の意味は国民の皆さんに協力して下さい、迷惑をかけましたっていう慰謝料です」と説明。「所得制限なしの一律10万円。百歩譲って所得制限を設けるのであれば、低所得者に世帯でなく、一人ずつ10万円です」とした。
その理由として「自己申告? 自治体窓口? 自治体がどれだけ大変か。地方自治を一から勉強し直せ! 生活保護の方たちに対応するのが大変なように今回のこれをプライバシーの相談しながらやったら、1件に付きどのくらいかかるか。自治体の職員はパンクすると思います」と話した。