エゴイストの強権主義者と、
札束が命の拝金主義者と、
惰性態の官僚主義者が三者一体となっているのが日本の現状ですが、
その改革への希望を、内面=良心=人間性に乏しい男権主義・父権主義の男たちに託すというのでは、ブラックユーモアにしかなりません。
「真実」はどこにもなく「政治主義」(効果だけを追求する外面主義=ウソの正当化=ご都合主義)が跋扈するわが日本の現実は、嘆かわしいというのを通り越して、すでに終わっている、とすら思えます。
人間愛と民主的倫理に基づく生を貫く人は、どこにいるのでしょうか。
主権者としての自覚と誇りを育て、人権思想と民主主義と平和主義を生む「ほんものの教育」は、どこにあるのでしょうか。
男も女も、
米兵に犯される沖縄の女性のように、日本の強権主義者・父権主義者に犯され、権力遊戯に翻弄され、惰性態の官僚主義者に税金をいいように使われています(沖縄の人は被害者であることを明晰に自覚している点で異なりますが)。
【上位者】(地位・金・肩書き・学歴・・・)に従うにすぎない老若男女。
犯されることに慣れてしまい、【私】の尊厳を持てず、外なる価値に支配され、内からの輝き・よろこびのない人は、醜いエゴイスト=国家主義者の扇動に乗せられて堕ちていきます。人の心・良心を持たない検察官を番人とする官僚組織とマスコミ権力に騙され、操られてしまいます。
善美に憧れるソクラテスの態度や、王権を否定し、一人ひとりの「私」の存在を何よりも大切にするという釈迦の教え=「ダルマ帰依・自帰依」とは正反対の生き方をしていては、内的な豊饒・充実は何一つ得られないはずです。外なる価値を追いかけ回す強迫神経症では生きている価値がありません。
政治の世界では、国家主義者が幅を利かせ、ふつうの市民は投票行動だけを求められるという哀れな存在に貶められています。それは、近現代史を教えず、上位者に従うだけの道徳を植え付け、対等・自由な討論能力を育てず、という非民主的教育によりつくられた偽りの政治です。直接民主的言動は、40年近くもの間抑えられてきましたが、原発問題でようやく息を吹き返し始めました。
こうした状況の中で、嘉田由紀子滋賀県知事による『未来の党』には、希望の光を感じます。近江聖人と呼ばれた中江藤樹(私塾を開いた陽明学者)の地から未来が拓かれる思いです。民主主義の原理を貫いてきた大物政治家の小沢一郎さんや、外務省(背後にはアメリカ)による謀略に負けない新党大地の鈴木宗男さん、社民党や共産党内の民主派、志を失わない民主党員、主権在民の原理を守る自民党内や公明党内の良識派とも連携して【オリーブの木】が豊かに育つように祈ります。わたしも出来ることをしたいと思っています。
また、東京都知事選挙では、人権思想と民主主義の実践者で人格者の宇都宮健児さん(日弁連会長)を応援したいと思います。今は都民ではないので選挙権はありませんが。
武田康弘