★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

八坂神社を訪ねる(香川の神社35)

2017-09-10 18:11:40 | 神社仏閣
木太町の八坂神社に行きました。

平成二十二年の参道大改修で綺麗に整備されたらしいです。そのときの鳥居がそびえ立ちます。


いつかは知りませんが橋まで出来ちゃいました――

 


長いぴっかぴかの参道……並び立つ燈籠や石柱。さすが郷社は違うぜ


明治三十四年――埋まっておる

 
大正八年の狛犬さん


子どもたちが登ってしまうようです……

 
大人達も高いものがお好き


縁結びの神様らしいです。わたくしの人生の中で一番信用できない神社は、筑波山の縁結びのアレですね。何回も行ったせいか、縁が縺れに縺れてしまいました。


縁結びに木太来たカップルを背後から熊が狙っておりました。「遊んでないで」祈ってないではやく結婚しろという意味でしょうか。さすれば、また子どもが生まれた時かなんかに神社に来てくれますからね……

 
もうほとんど立ち上がってカップルを脅してますね

 

 

本殿に回り込む



やっぱりこの辺は入江だったのだ……。牛頭天王という名前がイイね。

「歴代領主の御加護を受け、地域住民の崇敬の中心でありました。明治初期に神仏分離令等により祭神を須佐之男命に変え、八坂神社と改称されました。」

結局、偉いのは歴代領主と明治政府。牛頭さんが、疫病を防ぐというておるのに、スサノオごときに変えおって。まあ、名前が変わったからといって牛頭さは牛頭さんである。

牛頭山前よりは共にと契りたる寒月子と打連れ立ちて、竹屋の渡りより浅草にかかる。午後二時というに上野を出でて高崎におもむく汽車に便りて熊谷まで行かんとするなれば、夏の日の真盛りの頃を歩むこととて、市中の塵埃の匀い、馬車の騒ぎあえるなど、見る眼あつげならざるはなし。とある家にて百万遍の念仏会を催し、爺嫗打交りて大なる珠数を繰りながら名号唱えたる、特に声さえ沸ゆるかと聞えたり。
上野に着きて少時待つほどに二時となりて汽車は走り出でぬ。熱し熱しと人もいい我も喞つ。鴻巣上尾あたりは、暑気に倦めるあまりの夢心地に過ぎて、熊谷という駅夫の声に驚き下りぬ。ここは荒川近き賑わえる町なり。明日は牛頭天王の祭りとて、大通りには山車小屋をしつらい、御神輿の御仮屋をもしつらいたり。同じく祭りのための設けとは知られながら、いと長き竿を鉾立に立てて、それを心にして四辺に棒を取り回し枠の如くにしたるを、白布もて総て包めるものありて、何とも悟り得ず。打見たるところ譬えば糸を絡う用にすなる篗子というもののいと大なるを、竿に貫きて立てたるが如し。何ぞと問うに、四方幕というものぞという。心得がたき名なり。


――幸田露伴「知々夫紀行」


為政者は、たぶん、民衆の姿を見ていつも気が気じゃないのである。

……つづく


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