★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

「浮世」とは何か

2020-03-18 23:35:27 | 文学


まして、思ふことの少しもなのめなる身ならましかば、すきずきしくももてなし、若やぎて、常なき世も過ぐしてまし。めでたきこと、おもしろきことを見聞くにつけても、ただ、思ひかけたりし心の引く方のみ強くて物憂く、思はずに、嘆かしきことの増さるぞ、いと苦しき。「いかで今は物忘れしなむ。思ふ甲斐もなし。罪も深かるなり」など、明けたてばうちながめて、水鳥どもの思ふこと無げに遊び合へるを見る。
 水鳥を水の上とやよそに見む我も浮きたる世を過ぐしつつ
「彼もさこそ心をやりて遊ぶと見ゆれど、身はいと苦しかるなり」と思ひよそへらる。


仏教の影響もあって現世は憂き世になってしまうわけでもあろうが、それは同時に浮き世でもある。これは洒落である以上に本質的なのであろう。水鳥が水上で水をこぐ感じ、この足が重たいくせに浮いている感じ、これが我々の憂鬱を形作る。いまでもそうであるが、放浪者になってしまうのではないかという恐怖は我々にはどうも歴史的にあるような気がする。この恐怖はしかし文学的快楽につねに昇華されてきた。ヤマトタケル、伊勢物語、源氏物語、土佐日記、などなど……。これは常に都とへその緒で繋がれている感じを持たされているので、その快楽はある種の甘さと同居していて、ふわふわとした感じを伴っている。紫式部も宮中に放浪しに来ているのであった。何かトラウマがあって鬱になっているのではなく、放浪自体が鬱的なのである。そういえば、芭蕉はもっと自由な存在として思われていたのに、いつからか忍者説がでてきた。芭蕉にもへその緒を期待する心性が我々に残っているのではなかろか……。

しかも、上にあるように、執着の罪というものがあるからよけい動く必要がでてくるのだ。 我々は家に対する執着に対していまでも少し恥ずかしさを感じる。昭和の初期まではかなりあったが――わたくしの祖母なんか、ほぼ外婚みたいな結婚をしている。これが可能であるためには、家に執着することが禁じられていなくてはならない。

ヤマトタケルなんて、なんだかエディプス的な人生を地で行ったあげく白鳥になって飛んで行かざるをえない。三島由紀夫は「日本文学小史」で、天皇の気持ちを過剰に忖度しすぎて兄を殺したヤマトタケルに、感情的な過剰さが文化的意志となり、しかもそれが天皇の存在を根拠としていたことに注目した、というか、かように強弁している。たぶん事実としてはあやしい推測だと思うが、我々が何かを忖度しながらそれに向かって行動するパッションに自然さを感じていることはあり得る。三島としては、崇高さに通じる道は自然さに裏打ちされている必要があった。そうでないと、全共闘みたいに自由のために人を不自由にするような、不自然な感じになるからだ。

三島由紀夫ができなかったのは、ヤマトタケルみたいなものが不能になった事態を、出家という形でみたすようなやり方だ。どうも三島はそんな風に世の中から消えてしまうのは何もしないことと同じようにおもったのではなかろうか。

大正十一年の十一月、酉の市で、人混みのなかをぼくについてきた小物の雑種の迷子犬に、買った八つ頭の芋をやって、本所太平町まで犬がいるので電車へも乗れずに連れて歩いて帰ってきたことがある。
 俗に「犬猿の間柄」というが、明治、大正時代まで猿廻しが犬を馬のかわりにして、犬の背に乗って往来を猿が廻っていたこともあるし、縁日の猿芝居で犬と猿がお軽勘平の道行なぞを演っていた。犬の乳を猫が飲み、猫の乳を子犬が飲んで育つこともある。
 本所押上の普賢横丁の小鳥屋の隠居所の六帖と四帖半の二間の家を借りて、ここへ引越してからもこの犬を寿限無と名づけて可愛がっていた。


――三代目 三遊亭金馬「犬」


われわれにとって浮世の人生とは、このような犬であるところがある。


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