暁に少将の君参りたまへり。もろともに頭けづりなどす。例の、さいふとも日たけなむと、たゆき心どもはたゆたひて、扇のいとなほなほしきを、また人にいひたる、持て来なむと待ちゐたるに、鼓の音を聞きつけて急ぎ参る、さま悪しき。
御輿迎へたてまつる船楽いとおもしろし。寄するを見れば、駕輿丁のさる身のほどながら、階より昇りて、いと苦しげにうつぶし伏せる、なにのことごとなる、高きまじらひも、身のほどかぎりあるに、いと安げなしかしと見る。
前半、現代語訳ではなんか説明的に調子が出ないところで、「さいふとも日たけなむと、たゆき心どもはたゆたひて」とか、ほんと怠そうです。帝の行幸の日の描写なのである。出来ない子の特徴で、勝手に逆算して大丈夫大丈夫とのんびりしているが、様々な可能性を考えたらのんびりしすぎなのであり、結局仕事したくないことを推測のかたちで合理化しているだけなのである。更に不安なので、「私の扇は普通すぎる、人に頼んでいるんだけど早く持ってこないのよ、なんなのよ~」とか言っているのだが、本当は扇なんかどうでもよいのだ、すべてが面倒なだけなのである。――出来ないやつほど「悩む」、これである。
こういう人は、人が苦しんでいるところには非常に同情する。自分の内省は不得意でも、それを他人の姿に見てとる心の習慣は昔も今も同じである。ここで同情されているのは、神輿を担いでいる人達である。近代であれば、
おやじさん、云うとったるがのう、あんたは初めからわしらが担いでる神輿じゃないの。組がここまでなるのに、誰が血流しとるんの。神輿が勝手に歩けるいうんなら、歩いてみいや、 お?(「仁義なき戦い」)
みたいになってしまうであろうが、さすがに紫式部はこうは考えていないであろう。むしろ、我々がお祭りで神輿を担ぐのは大変だよねえ、みたいな感覚であろう。天皇というのは、あるいは、いまの神社みたいな感じなのかもしれない。天皇制が神社に具現化しているのではなく、神社みたいなものが天皇に具現化されている感覚である。
大切なことは祭の準備、即ち古来定まつた手続き規則が、少しもぬかり無く守られてゐたといふ自信さへあれば、神様は必ず来て下さるものと安心してゐられたのである。皆さんにはちとむつかしい言葉かも知らぬが、昔の人はこの用意を、ものいみ(物忌)と謂つてゐた。後には仏教の方の精進といふ言葉を、おもあひに使つてもゐたが、祭の精進は身を清潔に保つことが主であつて、魚や鳥などは食べてもよかつた。たゞそれを煮る火を穢れさせぬことが大切であつたのみである。
――柳田國男「祭りのさまざま」
この手続き主義みたいなものはいまでも我々の心の中に残っている。我々の仕事観にはそういうものとの葛藤が含まれているのであろう。いまのように、時間だけ減らして仕事の合理化をしようとすると、本当に必要な仕事がむしろ脱落し、上のような手続きみたいなものだけ残る傾向がある。大学内の仕事をみていても本当にそうなのだからびっくりする。