★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

本質論的な

2024-09-30 22:41:34 | 文学


然し又、自由詩をつくる人々は自由詩だけが本当の詩で、韻のある詩や、十七字、三十一字の詩の形式はニセモノの詩であるやうに考へがちだけれども、人間世界に本当の自由などの在る筈はないので、あらゆる自由を許されてみると、人間本来の不自由さに気づくべきもの、だから自由詩、散文詩が自由のつもりでも、実は自分の発想法とか構成法とか、自由の名に於て、自分流の限定、限界、なれあひ、があることを忘れてはならない。
 だからバラッドやソネットをつくつてみようとか、俳句や短歌もつくつてみたいとか、時には与へられた限定の中で情意をつくす、そのことに不埒のあるべき筈はない。
 十七文字の限定でも、時間空間の限定された舞台を相手の芝居でも、極端に云へば文字にしかよらない散文、小説でも、限定といふことに変りはないかも知れないではないか。


――坂口安吾「第二芸術論について」


むかし、君の論文はいまどき珍しいカテドラル型の論文だと言われたが、たしかにわたくしはそんなつもりがある。ただ目指すは交響曲のような論文である。最近書いたやつはちょっと思弁的になりすぎたかと思ったが違うと私自身は思う。もっと緻密につめられたはずだと思う。論の整斉ではなく交響曲になっているかどうかのほうが重要である。

横道誠氏なんかは、音楽を奏でながら絵を描くかんじで執筆しているらしい。見ることと書くことが近い論者がいる。わたしはそうでもない。

坂口安吾は、散文でも「詩」のつもりだったんだと思う。芥川龍之介なんかはそうでもなく、絵描きである。「沼地」なんか読んでいてどきどきする。

真空地帯

2024-09-29 23:46:38 | 文学


 急に高まつて来た室内のざわめきに、さつきから、睡るでもなく睡らぬでもない状態でうつらうつらとしてゐた鶏三は、眼を開いた。やうやく深まつた秋の陽が、ずつと南空に傾きながら硝子越しに布団を暖めてゐる。空は晴れわたつて、真空のやうに澄みきり、風もないのであらう、この病院の大煙突の煙が、真直ぐな竿になつて立ちのぼつてゐる。鶏三は横はつたまま、さういふ風景を暫く眺めてゐたが、ふとかるい不安が頭をかすめるのを感じた。真空を思はせる澄みきつた空は、どこか、かへつて頼りなかつた。また、真直ぐにのぼつて行く煙は、陽の光りを受けてゐるためか幾分黄色味を帯び、なんとなく、屍を焼く煙を連想させる。彼は、死んでいつた何人かの友人たちを想ひ出し、彼等を焼いた煙がみな黄色く真直ぐに立ちのぼつたのを思ひ描いた。
「疲れてゐる。」
 やがて鶏三は独り呟くと、寝台をぎつときしませて身を起した。頭は妙に冴え切つてゐるのに、体は綿のやうに疲れ切つて、坐つてゐるのも苦痛に感じられた。さういへばこの頭の冴え方も、どこか正常なところを失つてゐるやうに思はれた。…………


――北條民雄「朝」


北条民雄にとってだって、「真空のやうに澄みき」っていたのは空だけではなく、世の中全体もそんなものであったにちがいない。映画「真空地帯」の音楽、しっかりしたつくりだなとおもったら團伊玖磨であった。たぶん、原作の本質を團は捉えていると思うんだが、ほんとはペンデルツキのトーンクラスターのようなものが状況にはあってるようなきがする。

世の中には「真空地帯」というものがたくさんある。学校や大学なんかもそうなりがちなところだ。世の中には面白い公開講座とか学会がたくさんあり、いっぱい勉強したいとますます歳をとって思うようになったが、出勤するとたんにその向上心が吹き飛ぶことがあるのはもう末期症状だなと思う。大学なのか私なのか、どっちもなのかは知らないが末期は末期である。

*記念としての人生

2024-09-28 23:18:19 | 文学


蒲団を引っかぶって固く目を閉じると何も見えぬ。しばらくすると真赤な血のような色の何とも知れぬものが暗黒の中に現れる。なお見ているとこれが次第に大きくなって突然ぐるぐると廻り出す。それはそれは名状し難い速さで廻っているかと思うと急に花火の開いたようにパッと散乱してそのまた一つ一つの片が廻転しながら縦横に飛び違う。血の色はますます濃くなって再び真黒になったと思うとまたパッと明るくなって赤いものが廻りはじめる。こんな事を繰り返しているうちに眠りの神様は御出でになる。きっとこの血のような花火のようなものが眠りの神の先駆のようなものであろう。

 熱帯地方の山川草木禽獣虫魚は皆赤いもののような気がして仕方が無い。これは多くの地図に熱帯を赤く塗ってあるからであろう。

 先生赤い涙があるもんですかと、真面目で聞いたのは僕の友達じゃ。

 赤とは火の色なり、血の色なり、涙の色なり。


――寺田寅彦「赤」


レヴィ・ストロースがだれかと中国の革命を睨みながら「赤はストップなのかススメなのか」みたいなことを、何かの対談を言っていたが、いまは、さしあたり、どうでもよい。このまえFMでやっていた、エルランジェの歌劇「赤い夜明け」はなかなか良い曲であった。解説者は、暴力的な手段で世の中を変えるのは今に至るまで変わってませんねみたいなコメントをしていたが、思うに「赤」はその意味でも止まれなんかの意味ではないであろう。そりゃそうだろう。暴力がこのよからなくなるわけないではないか。

敗戦国の負け犬から言わせれば、――大谷くんを見ていると大艦巨砲主義は必ずしも悪い事じゃないと思わざるを得ないが、大谷君だって暴力をうまく使っているだけなのである。松田華音さんの「展覧会の絵」をCDをきくと、腕の根元から力を鍵盤に対して殴打するロシアのピアノの弾き方を思った。

午前中、水槽の水かえたらとてもメダカが元気になったのであるが、――われわれも基本的にこんな感じだと考えた方が良い。しかしこの環境変更というのも暴力の一種である。

暴力といわずに力と言っても同じことで、我々はバットに衝突にした玉のように永遠に反応しなければ死んでしまうのであろうか?

そういえば、細は大学四年の時友達と一緒にアナウンサーの試験を記念受験したらしいんだが、「県庁の☆」にも素人なのに秘書役で一瞬出てたし、わしと結婚したのも記念の可能性が高いかもしれない。別にふざけているわけではなく、――思うにこれは案外いい作戦かも知れないのである。「活動」は、物理的法則じみている。人生のすべてを「*活」にしてしまうとそれは所詮労働にならざるをえないが、いろいろなことを「*記念」と考えればよいのではないか。お墓なんか死すら記念碑にしているわけで。

そういえばいまでもアンチ巨人というひとたちは存在しているのであろうか?彼らが、「巨人」(物理的に大谷みたいである――)に権威をみて反抗していたときは良かった。いつのまにか、それは反応に過ぎなくなった。ついにもう巨人が優勝しても何も起こらない。巨人よりも巨大なのは大谷君である。アンチ大谷は現れるであろうか。相手はアメリカと一体化している巨人である。なんと彼は犬をてなづけているから、負け犬国としては、どう反応していいかわからんぞ。思うに「負け犬」だって紀念碑だったのである。それがなくなっただけだ。

小泉の後の安倍+αの時代は、普通の対話がなりたたんとか言われていた。安倍首相なんかを代表とする修辞的?な空間でふわふわしながら、――すなわち、自らも安倍的な言辞をしながら、秘かに現実的にどうにかならんか大衆が手探りを続けた時代でもあったと思う。それは国全体の雰囲気で、ある種の紀念碑だけが作動しているような奇妙な空間であった。しかし、今回、議論をストレートにするオタクなおじさんが首相になりそうで、ちょっとまともに話をしようぜみたいになったときに、それに堪えられんので変に空想的に「現実な」方向に走りたがるやつも出てくると思う。

こうみんなが総裁総裁と云うと是公と呼ぶのが急に恐ろしく

2024-09-27 23:08:54 | 文学


小蒸気を出て鉄嶺丸の舷側を上るや否や、商船会社の大河平さんが、どうか総裁とごいっしょのように伺いましたがと云われる。船が動き出すと、事務長の佐治君が総裁と同じ船でおいでになると聞いていましたがと聞かれる。船長さんにサルーンの出口で出逢うと総裁と御同行のはずだと誰か云ってたようでしたがと質問を受ける。こうみんなが総裁総裁と云うと是公と呼ぶのが急に恐ろしくなる。仕方がないから、ええ総裁といっしょのはずでしたが、ええ総裁と同じ船に乗る約束でしたがと、たちまち二十五年来用い慣れた是公を倹約し始めた。

――夏目漱石「満韓ところどころ」


権力が移動するときに生贄が生じるのはもう意識を超えた事態である。これは今回の自民党の総裁選挙のことを言っているのではない。ごく普通の組織でよく起きている事態を指している。むかしは、権力者と幇間がいるのかと思っていた。しかしほんとは、おかしな人と生贄がいるだけだった。そのほかは庶民である。責任は庶民にある。

タカ派の石破氏が総裁になったらしい。やたら論「破」とか津「波」注意とか言っている世の中だからじゃないかなと思う。「マルクスは生きている」を書いたのは彼ではなく、不破の方である。不破哲三はいま何歳だろう?おそらく石破氏の父親の世代である。石破氏はたしか鉄道オタクで、新幹線に乗った思い出なんかを語っていた。キャンディーズのファンでもあったと思う。石破氏は、共通テストを廃止し、戦艦プラモデルの出来で大学に入れるようにするかもしれない、あるいは情報をやめて戦艦にするかも(それはない)。しかし、石破氏のXのプロフィールに「カレー/読書/ラーメン」と書いてあって、なにゆえこの順番なのかと思わざる得ない。この人は優先順位を好きな順番と混同する我々みたいなタイプとみた。

およそ政治に向いてねえんじゃないかと思わざるを得ないが、われわれはこれからこういうタイプを選ばなきゃならんのである。

そういえば、中沢新一氏の『構造の奧』は面白かったが、ほんとは「構造と奧」みたいな気がしないでもない。石破氏みたいなオタク世代にとって、世の中は「構造」で、自分は「奧」なのである。

誰か舊き生涯に安んぜむとするものぞ。おのがじゝ新しきを開かんと思へるぞ、若き人々のつとめなる。生命は力なり。力は聲なり。聲は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり。

藤村にとって人生百年みたいな時間の引き延ばしは生涯ではなかった。自らの内なる生命から言葉に至る「なり」の無時間の連続性こそが生涯であった。それは、古い構造の中で闘うことによってしかなし得ない。

餘白をめぐるエトセトラ

2024-09-26 23:19:09 | 文学


鬼婆々の話の元は、安達ヶ原の黒塚のあるじが鬼であつて、旅人を取つて喰つたといふのであるが、更に其話の火元は、かの平兼盛の歌の、「みちのくの、安達ヶ原の黒塚に、鬼こもれりといふは誠か」といふ歌だ。而も其の歌は、其の詞書きによると、みちの國名取の郡黒塚といふ所に、源重之の妾が大勢居るといふ噂を聞いて、其の妾を鬼に見立てゝ、からかつたに過ぎないので、安達ヶ原ではなかつたのだ。安達ヶ原は、鬼と言はんが爲の言葉の遊戯に外ならぬ。本當の黒塚は、今の仙臺在秋保温泉のあたりにあつた。大和物語に、「名取の御湯といふことを、常忠の君の女の讀みたると云ふなむ、これ黒塚のあるじなりける」とある。
それが本當の安達ヶ原の鬼の話になり、武藏までも、大和までも、更に豊前までも飛んで行く。恐ろしこ事だ。(喜)


――喜田貞吉「安達ヶ原の鬼婆々(餘白録)」


創造性とか独創性みたいなことを言おうとしたら、差別化ということですねと、人間の腹を切ったりする学部の人に言われたことがある。ここでいう「差別」というのに餘白はない。差別がだめなのは、この餘白のなさによる。ユダヤ人とアーリア人の餘白がないのだ。

考えてみると、ネット世界は常時アンケートみたいなものであるが、ここでも餘白が無限化しているので事実上0になってしまっている。アンケートという意見聴取のやりかたも最近は組織の中で行われても、かなりうまくいかない。あたりまえだが中にはいい意見もある。しかし便所の落書きも多い。おなじような意味で、アンケートに過剰によりかかった研究の意味を再考することは必要だと思うが、――それはともかく、落書き自体が餘白に見えてくる効果があるので、意見聴取自体がそういう餘白を感じるだけのものになってしまうのである。

もう2年前の文章だが、『季報唯物論研究』に載ってた吉永剛志氏の、柄谷行人『ニュー・アソシエーショニスト宣言』の書評を読んだ。そこに書いてあったのは、人しれずデモに皆勤する柄谷の姿で、まさに餘白を埋めるものであった。氏は、運動とは余白を繋ぐのだみたい言い方をしていたが、それはよかった。少数派の連帯というよりよいと思う。「透明になっている人たちを可視化する」というのもあまり好きじゃない。実際は透明でないのだから。マジョリティとやらをあまりに盲目扱いにするのは思い上がりであって、見えているものをちゃんと見ることが大事なのである。

田中東子氏の『オタク文化とフェミニズム』買ってたので、少しこの前読んだが、これはなにか、見えているものをちゃんと見すぎた結果、それが自動化しかかっているような気がした。

なぜそういうことが起こるかというと、オタクやフェミニズムが相手にしているが、群衆で、そのラディカルさを見つめようとしているからだと思う。この前、つい文藝春秋の十月号を買ってしまったのだが、精神的に不安定のときに、こういう雑誌をただめくっていると落ち着いてくることはたしかだ。スマホだと記事の向こう側に記事がある無限性が怖ろしい。雑誌はそれがなくて安心だ。菊池寛はそういう心理も分かっていたような気がする。文藝春秋なんか幕の内弁当だと揶揄されながら保守の本質をわかっていた気がする訳だ。おなじ雑誌でも純文学だけに特化されているそれには別の意味で無限がある。愚にもつかないことが書いていないからだ。

後期の授業で「天声人語」を注釈して徹底批判する体の演習があるんだが、小峰ひずみ氏の『悪口論』が参考になるかも知れない。悪口とは庶民の営みであり、ブーメランが飛びかうそれだけの世界だ。大事なのは悪口ではなく罵倒だ。授業は、天声人語の悪口を言っていいんだという前提から入り、自らの「庶民」の自覚というブーメランで自決しようというわけだ。罵倒はロケットだから大学では扱わない。

『老人ホームで死ぬほどモテたい』論の半期の授業もなんかうまく行く気がしねえな、緊張してきたわ。わたくしは、そもそも餘白が多い定型の世界が苦手なのだ。

通訳にお金を盗まれたので、大谷君は盗塁に執念を燃やしていると同僚に言ったら無視されましたが、――わたくしは、かかる定型に慣れない冗語がすきなのである。これはわたくしがいまだに独身者の性格を引き摺っているからではないかと思うのだ。

二十代の頃、なんとか研究会とか読書会で出会ったひとと付き合ったことがあるが、――未熟な文学青年と文学少女のあれで、頭の悪い紀貫之が頭が悪い紫式部とつきあったらどうなるかというディストピアを生成させることがあるので気を付けた方が良いと思う。ここでわたくしは、バイナリー的世界というか、そういうもんへの恐怖を植え付けられた。

大谷選手の映像見ていると、大リーグの選手ってけっこうみんなちっちゃいし玉もあまりとばせなくてたいしたことないなとガリバー的勘違いを起こしかねない。これも餘白なしの反転であって面白いが明らかに間違っている。いまだに、大谷が憧れを勝手に超えてしまった世界は、向こう側にあるのだ。これは餘白ではなく、まっさらな目標的な世界である。アメリカなんかは表象に過ぎない。

ある数学の研究者の計画書みたら、なんとか予想のある条件下の解決をこの際このメンバーでめざします、みたいなことが書いてあって、たぶんもう少しで解決しそうなのでこういう書き方になってるんだとおもうが、わしもいつも目指してんだけどなと思った。

environmental accelerationism

2024-09-25 18:50:33 | 大学


一、牛込神楽坂上のさる古本屋には伊仏の新刊書時々ありダンヌンチオが散文集(伊語)アダネグリ女史の詩集「母の心」(同じく伊語)なぞ有りしを見たり。
一、西洋出版の美術雑誌名画集の類は購ふ人多きにや神田本郷始めいづこの古本屋にも沢山あり。
一、江戸時代の読本は馬琴の八犬伝弓張月をはじめとして今も猶得るに難からず。然るに紅葉露伴等の小説は僅二十余年程前の出版なるに早くも湮滅して尋ねんやうなし。一体近頃の出版物は凡て出版の当時にのみ限りて数年を経れば忽ち散逸して古本屋の手にも残らぬなり。何処へ行きてしまふものなるや。或人のはなしによれば当今の出版物は古本にしても売買するほどの値段にならぬ故紙屑になし原の製紙原料にしてしまふなりと。或は然らん。


――永井荷風「古本評判記」


東京大学が学費値上げすると決定したというので、紛糾している。大学紛争のころもそうであったが、その政策の妥当性よりも、非人間的な人間のうごきがある場合――例えば「人々はそうかんがえるであろうが、合理的に考えてみろ」と主張するルサンチマンに満ちた高学歴自意識のおひとが出てくる場合――に紛糾する。

そういえば、大学時代でよかったことといえば、下宿代の安さであった。東大の場合も、ただ同然の寮があって多くの不良思想家達に宿を貸していた。私が4年生の頃いた下宿も一ヶ月2000円だった。そこは、むかし学生運動の連中のたまり場だたったらしく、大家さんも集会にお茶出したりしてたそうだ。そういう感じの過去のためか、九十年代になっても下宿代を上げることができなかったときいた。そのかわり下宿の環境は――廊下を鼠が運動会、雪が天井のどこからか降ってくるありさまであった。わたくしはそこで「ブリダンの驢馬」に関する論文を書いた。だめな論文だが、いままでで一番一生懸命な文章だ。

学費もそうだが、生きるのにあまりに金がかかりすぎる。そして人も金がかかった環境を望んでいる。そういう人間に生産性などあるはずがないというのは人間的常識であろう。

だいたい、環境があまりに整った部屋に古本なんかが置いてあると嫌われるのである。お金持ちのボンボンであった荷風の家なんかもわりと汚い方向に向かって加速していった。彼にとって、戦争で古本が焼けた経験がいろんな意味で大きかったのである。

二方面への抵抗の困難

2024-09-24 23:23:37 | 文学


「玄洋日報社」と筆太に書いた、真黒けな松板の看板を発見した吾輩はガッカリしてしまった。コンナ汚穢い新聞社に俺は這入るのかと思って……。
 古腐ったバラック式二階建に塗った青い安ペンキがボロボロに剥げチョロケている。四つしかない二階の窓硝子が新聞紙の膏薬だらけだ。右手に在る一間幅ぐらいの開けっ放しの入口が発送口だろう。紙屑だの縄切れだのが一パイに散らかっている。


――夢野久作「山羊髭編輯長」


メアリ・ダグラスの「汚穢と禁忌」のはじめに確かかいてあったが、穢れに関する研究テーマがじぶんの夫とか子育てと大いに関係あったと。。当然なことだけど重要である。もともと、出産と子育ては全体的に汚穢の観念に近づけられ避けられていたところが社会ではあった。いろんな差別的な閾をつくってやり過ごしていたわけだ。閾の撤廃を目的とする近代社会が、ついにその差別性に直面している。

政治も特に言説のあり方が基本的にクリーンになっている。例えば、われわれの文化の中に露払い的なものは大きかったと思うのだが、最近はそれも忘れられ、露骨にプロパガンダ的な手法がめだつな。プロパガンダはその目的に対してクリーンなのである。そうでない時代を知るふるい眼にはそれがあまりに露骨すぎるので道化に見えたりすることもあるが、そうではなく力の本体なのである。

スポーツもクリーンになった。例えば、大谷のことだ、力が衰えたら衰えたで、死球記録とか連続三振記録とかでやってくれそうな気がする、とか考えてしまうのが昭和野球脳なのである。落合や野村の家族のスキャンダル、清原の薬や病、これなんかが汚れ=禁忌ではなく、まぜたら面白いみたいな表象となっていたのが昔の「普通」の世界である。

大学の世界もそうである。研究なんかやるやつは「普通の変人」の集まりだった。汚れている奴という意味である。そういえば、研究者が雑用?まみれで息も絶え絶えみたいな当事者報告、いくつか読んだことある(昨今は、「当事者エッセイ調」というやつすら存在するようである――)、たまたまよく知っている人間が書いたものがあった。読んでみると、当事者(本人)的にはそういう考えかもしれんが、そこまで他人に尻ぬぐいさせといてその言いぐさはねえわ等等と思った。家族はさぞかし激怒したのではないか。思うに本人は、「普通の変人」ではなく「社会に圧迫される被害者」だと思っているのである。これが文章のクリーンさを生む。

学者にかぎらず、人間の言い訳能力、合理化の動機のからくりなど、――ほんと素晴らしきかな人間というかんじで、自省の対象にはなるわな、といい子ぶっている場合ではない。むろん、学者のやることは日々増えており、明らかに厭がらせみたいなものもある。しかしだからといって、ウソでまぶした抵抗者面をするのはどうなのであろう。人を道具みたいに扱うやりかたが猖獗を極めると、人間のこういう動きは止まらなくなるのもわかるが、それに対する道徳やら倫理による「抵抗」がますます強調され、それが学問や文学だみたいになることもさけられない。それはそれで言説のロボット化なのである。

大学に限らないが組織全体が信用されなくなると、そこに入って来る人間が、キャリアあっぷとか業績upをきにすること以上に、組織の業務をなにか「政治」や「抑圧」と同一視してしまうような弊害が出てくる。こういう対立は、社会性のなさを正義と過剰に変換してしまうことなど、様々な認識の歪みを伴うものである。それは不可避なのだが、それへの抵抗は、その歪みと信用されない組織への二方面の抵抗とならざるを得ない。

媒介・函数・二人

2024-09-23 23:24:27 | 文学


 犀星君は無論詩人である。生れながら詩を欠いでいるような私の窺い知らない純粋な詩人であるらしい。氏は自分の好みの庭を造るとか、さまざまな陶器を玩賞することに心根を労していたらしい。そういう芸術境地が氏の小説その他の作品に漂っているのである。私の作品にはどこを捜しても、そういう芸術心境が出現していないようである。私の住宅に庭と称せられる物があっても、それは荒れ地に、樹木雑草が出鱈目に植っているだけである。私の文学もその通りであろう。こんなものが芸術かと室生君には感ぜられそうである。庭や陶器など別として、君の小説を観ると、女性に関する関心が丹念に深さを進めていることが、私にも感ぜられるのである。ねばり強い事一通りでなさそうである。私はそれ等の点から新たに犀星君の作品検討を試みようかと、普通一般の宗教形式に由らない追悼の席に坐りながら思いを凝らした。室生君とは軽井沢に於いて親しくしていたのであった。心に隔てを置かず、世間話文壇話をしていたのであったが、陶器や庭園に関する立ち入った話、或いは文学そのものについての立ち入った話は一度もしたことがなかった。淡々とした話で終始していたのだが、それだからお互いに気まずい思いをしなかったのであろう。

――正宗白鳥「弔辞」


最近、いろいろな人がお亡くなりになる。昨日は、フレドリック・ジェイムソンの死去のニュースがきた。90歳。二〇世紀のマルクス主義哲学から構造主義?みたいな新興勢力を横目に事態を収拾しようとしていたようにみえた。柄谷行人の序文なんかも書いていた。むかし、留学生と一緒に飜訳して楽しんだことがある。媒介者として生きようとしていた人であるようにみえた。

人が作品を残すにもいろいろなかたちをとる。――例えば、ブルックナーにたくさんの版があることはとてもおもしろいことで、みんなおれのベートーベンとかおれのマーラーをつくろうとおもわないのに、おれのブルックナーをつくることにためらいがない。彼の音楽は、ポップスに近い何かで、ブルックナー自身、違うおれのブルックナーをその都度作り出している。音が音を呼ぶ現象が個人の中でアイデンティティを更新するレベルで作動することがある。

音や玉は人間よりも激しくうごく。

アメリカから飛んで来たボールが日本に着弾して変容した。大谷君なんかもそれの一変種だ。彼が高校時代につくった曼荼羅チャートは有名だが、高校時代にここまでやれるのが、日本のある種の「優等生」なのである。西洋の?発明した合理化は日本で別の合理化となって花開く。大谷君は、トヨタやアニメと似ているのである。

だから我々は大谷君をみても少し元気はでるかもしれないが、別に変容するわけではない。我々自身は函数に過ぎない。体が少し楽になってきたと思ったが、大谷君のせいではなく、最高気温が三〇度をようやく切ったからだ。

今日は、もと国語の教師で在野の研究者になったある人が亡くなった。退職してから二〇年間研究を志した。多くの大学の研究者だって二〇年間全力でやれたら良くやった部類だ。戦前生まれは、二人分やろうとするひとがおおい。キャリアアップみたいなかんじで生きていないから可能なんだと思う。二人分やることは、自らのうちに二人のブルックナーを響かすことだ。この方は女性であって、これも重要な点であるのは言うまでもない。すなわち、働き盛りの頃二人分やらざるをえない状況になっている人が多い。そして、長生きすると、いままでの自分を捨てて別のものにならなきゃいけないこともある。この意味でも二人分であった。

産褥と怨霊

2024-09-22 23:36:04 | 文学


 婦人問題を論ずる男の方の中に、女の体質を初から弱いものだと見て居る人のあるのは可笑しい。さう云ふ人に問ひたいのは、男の体質はお産ほどの苦痛に堪へられるか。わたしは今度で六度産をして八人の児を挙げ、七人の新しい人間を世界に殖した。男は是丈の苦痛が屡〃せられるか。少くともわたしが一週間以上一睡もしなかつた程度の辛抱が一般の男に出来るでせうか。
 婦人の体質がふくよかに美しく柔かであると云ふ事は出来る。其れを見て弱く脆いと概論するのは軽卒で無いでせうか。更に其概論を土台にして男子に従属すべき者だと断ずるのは、論ずる人の不名誉ではありませんか。

男をば罵る。彼等子を生まず命を賭けず暇あるかな。

 わたしは野蛮の遺風である武士道は嫌ですけれど、命がけで新しい人間の増殖に尽す婦道は永久に光輝があつて、かの七八百年の間武門の暴力の根柢となつて皇室と国民とを苦めた野蛮道などとは反対に、真に人類の幸福は此婦道から生じると思ふのです。是は石婦の空言では無い、わたしの胎を裂いて八人の児を浄めた血で書いて置く。


――與謝野晶子「産褥の記」


大河ドラマで、「紫式部日記」に基づく彰子の出産の場面があった。学生時代、現代語訳に青くなりながら読んだ紫式部日記の彰子出産の場面が映像化されて嬉しかった。わたくしは道長が祈祷の声をかき消すほどに指示を怒鳴り散らしてた場面がみたかったんだが、――あの場面、怨霊と闘う僧達の大仰な祈祷など、はじめてみるけどただ事じゃねえぞ、お米シャワーで着物が台無しヨー、みたいな紫式部の新人君みたいな心理とあいまってドタバタさえ感じられるんだが、ドラマは滑稽にせずにうまくやってた。もう三〇年の前の本文の記憶だから本文をたしかめてみなくちゃならぬ。

われわれはなぜか多くのことに対するやる気を失って、実際体が動かなくなってきつつアルのだが、家族と革命を両立するみたいなこともそうである。左翼は家族を破壊すると思い込んでいる皆さんは、ただちにレーニン全集の家族への手紙の巻ぐらいは読んでから考えて欲しい。レーニンは異常な筆まめな男で、いまだったら、ツイッターなんかにも怖ろしい勢いで論敵を二四時間体制で論破しつづけるやつであろうが、母親なんかにも実にまめに手紙を書いている。家族にもわりと気を遣う。

そういえば、香川県における例のゲーム条例の震源が政治家だったのは広くしられているが、本人の意図はともかく、政治離れはゲームによってかなり進むとみられる。(この前、宮台真司の番組でも言ってた――)政治家達は、ゲームそのものよりもその作用に本能的に抵抗しているのかもしれない。

いまどれくらい興行的なものにヤクザな方々が関わっているか知らない。しかし工業に類する事柄において、最初の渡りをつけたりする役目の性格はあまりかわらない。だから、それをヤクザが出来なくなったら、代わりにその役目が政治家に移動したり企業に移動したりといったことはおこる。マルクスのいう共産主義者とおなじで、ヤクザも普遍的にいつもいるのだ。こういうものが、実際は怨霊だと思うのである。だから、源氏物語の世界もほんものの怨霊を描いてはいないと思う。道長から平清盛に移ったようなものがほんものの怨霊である。

福田和也氏死去という歴史

2024-09-21 23:42:07 | 文学


柄谷氏は、日本が誇るべきたった一つの「原理」である「平和憲法」を守って、「われわれは核戦争を体験した」のだから、世界最終戦争は終わったのだ、もう軍事力行使はしないのだ、と「言いつづけるべき」だと語っている。だが一体誰に「言いつづける」のだろうか。フセイン大統領にだろうか。 クウェートも「平和憲法」を採択して、イラクの機甲部隊に「言いつづけ」ればよかったのだろうか。いくら柄谷氏といえども、そこまで「理想」を信じてはいないだろう。それでは誰に向かって「言いつづける」のか。
 アメリカにたいしてである。
 なぜなら、「西洋諸国の理想」を憲法に「書き込んだ」、「核戦争」を日本に「経験」させたアメリカにたいして「言いつづける」時にだけ、「平和憲法」は、「軍事行動」の拒否としての意義をもちうるからである。


――福田和也「二重の拘束」


日本エルンスト・ブロッホ研究会の『マテリエ』1を読みふけってしまって思ったが、日本の思想家であたかも隠された希望のように復活してくる人間はいるのだろうかというと、どうもなにか紫式部とかになりがちだと思ってしまう國文学徒であるわたしであるでことだ。

福田和也氏が亡くなった。

福田和也が最後のあたりで書いてた本が、うどん屋を守れではなく「蕎麦屋を守れ」みたいな題名であったことには個人的に同意する。思想的にはどうか?

氏の功績はいろいろあるんだろうが、『批評空間』で「あんたがた日本古典読まなくちゃいかんよ」とみんなをたしなめたことと、批評家なのに授業ちゃんとやるらしいぞという傳説をつくったことがイイと思う。結局、彼は心優しすぎ、媒介者としての役回りを終えたらいなくなった、と解すべきであろうか。

政治を語るには文学的な韜晦が好きすぎた。『奇妙な廃墟』的な主題を反復している学者なんか結構多いと思うけれども、彼らこそ政治的だ。

誰かが、ネット時代に福田和也のやり方というのはペダントリーの浅さがすぐバレて無理だったのだ、と言っていた。本人達の意識と知のありようはともかく「保守」は沈黙を保持することと関係あり、所謂ネトウヨ?的なものは、保守のネット時代への無理やりな適応の結果かも知れない。福田氏はそれにのるほど馬鹿ではなかった。左派も沈黙を失うとどうなるかを考えていなかったところからみると。福田氏は日本の今日的左翼でもなかった。福田氏は、保守論壇の紋切り型さえ無理やり使って自ら沈黙の言葉を作り出そうみたいなかんじにみえた。しかし、だから結局、蕎麦屋を守ろうみたいなかんじにならざるをえないのだ。気持ちはなんとなくわかるきもするが、それだと沈黙の言葉の意義すらも失うのではなかろうか。蕎麦は蕎麦である。

そういえば、福田氏が家出してたのは、『福田和也コレクション1』の解説で知った。2011年ごろのことだったらしい。氏にあった個人的な事情をすっとばして2011年頃というのにわたくしは共感する。ここらあたりからの世の中の狂いっぷりは、アベノミクス云々ではなく、すべてを捨てたくなるものがあった。

体調が悪かったという。私レベルのものでさえ三十代までは学会や研究会に出かけるときに数冊は読んで臨んだわけであるが、福田和也ともなると下卑た座談会にも何冊読んでいったか分からない。それが常軌を逸すると――その冊数分だけトンカツと酒の本数が増えるという生理になってたにちがいない。

時代は、個人に起こったさまざまな事件を歴史にする。福田氏は思想家というより歴史をつくる人だったと思った。

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2024-09-20 22:52:38 | 文学


○ベースボールの球 ベースボールにはただ一個の球あるのみ。しかして球は常に防者の手にあり。この球こそこの遊戯の中心となる者にして球の行く処すなわち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戯の中心も常に動く。されば防者九人の目は瞬時も球を離るるを許さず。打者走者も球を見ざるべからず。傍観者もまた球に注目せざればついにその要領を得ざるべし。今尋常の場合を言わば球は投者の手にありてただ本基に向って投ず。本基の側には必らず打者一人(攻者の一人)棒を持ちて立つ。投者の球正当の位置に来れりと思惟する時は(すなわち球は本基の上を通過しかつ高さ肩より高からず膝より低くからざる時は)打者必ずこれを撃たざるべからず。棒球に触れて球は直角内に落ちたる時(これを正球という)打者は棒を捨てて第一基に向い一直線に走る。この時打者は走者となる。打者が走者となれば他の打者は直ちに本基の側に立つ。しかれども打者の打撃球に触れざる時は打者は依然として立ち、攫者は後(一)にありてその球を止めこれを投者に投げ返す。投者は幾度となく本基に向って投ずべし。かくのごとくして一人の打者は三打撃を試むべし。第三打撃の直球(投者の手を離れていまだ土に触れざる球をいう)棒と触れざる者攫者よくこれを攫し得ば打者は除外となるべし。攫者これを攫し能わざれば打者は走者となるの権利あり。打者の打撃したる球空に飛ぶ時(遠近に関せず)その球の地に触れざる前これを攫する時は(何人にても可なり)その打者は除外となる。

――正岡子規「ベースボール」


歳くってきて昔は良かったねという人はまだ現在に対してもある程度良かったと思っている可能性が高い。中年の危機においては、現在、それにもまして自分の過去の価値が怖ろしく下がる場合がある。現実逃避が出来なくなるのだ。若い頃の現実逃避はある種の現実肯定の上に成り立っているのである。

現状肯定は、動くボールに対して動く棒が衝突するにもかかわらず、跳ね返ったボールが拍手に迎えられた空間に着弾するという軌跡のようなものだ。それが追えなくなってくると肯定はむずかしくなる。

今日は、大谷翔平選手が、50ホームラン、50盗塁をきめ、観客がそれに浸ろうとしているところにもうひとつずつ加えて51-51の記録を作った。もはや「ドカベン」や「巨人の星」みたいな現実に着弾してしまったものはもちろん、「アストロ球団」みたいなものも現実が越えてゆく事態を示しており、――つまり、日本人による日本文化の否定が行われ、遂に「近代の超克」はフィクションに因ってではなく、現実によって為されたのである。思うに、米国と日本はしらないうちに思ったよりも一蓮托生であり、民主主義は理念の残余を引き摺った上でサブカルチャーの英雄であったトランプという現実によって超克され、ベースボールは日本でサブカル化した野球を吸収して自らを超克しつつある。

民主主義やベースボールは宗主国の佇まいを我々に感じさせるから大谷が化け物に見えない。しかし、日本文化的にいうならば、大谷のやってることは、あれだ、「好色一代男」が女護島でも順調にモテてウルフの「オーランドー」に勝ったみたいなかんじなのである。

中国籍の王選手が世界記録を作り、大リーグで大きい日本人が活躍する、こういう越境的な情況でしかおれたちはアイデンティファイできない。

もっと大谷の行為を日本に取り戻したいと思いたい御仁のためにも、暑いので、大谷さんがホームランを撃った数だけ夏休みを長くすることを激しく提案する。

感情に決せずして之を条理に決せよ

2024-09-19 19:08:42 | 文学


あわれ、渠の胸には、清水がそのまま、血になって湧いて、涙を絞って流落ちた。
 ばらばらばら!
 火の粉かと見ると、こはいかに、大粒な雨が、一粒ずつ、粗く、疎に、巨石の面にかかって、ぱッと鼓草の花の散るように濡れたと思うと、松の梢を虚空から、ひらひらと降って、胸を掠めて、ひらりと金色に飜って落ちたのは鮒である。
「火事じゃあねえ、竜巻だ。」
「やあ、竜巻だ。」


――泉鏡花「爪の涙」


ネット上のスラング「炎上」なんか、言葉上、自然鎮火するのが当然であるようにおもわれるから、――せめて驚擾とか言った方がいいのではないか。島田三郎の足尾鉱毒事件のときの「民衆の驚擾を鎮めんことは吾人の佇立して期待する處なり」というかんじが大事だ。同じ文章で島田三郎は「感情に決せずして之を条理に決せよ」みたいな素朴な言い方をしているが、これが原則的に政治には必要で、いまは逆に、条理はあれだが思いがある、みたいなことを政治家が言う、庶民にうけるためだとはいえ。島田の言いたいのは条理に決する感情の欠如であるのだが、――現代は、ギデンズではないが「感情の政治」の季節なのである。左派が思うよりもそうなのだ。

感情に決する――そのなかでも、たしかに、なんだか涙が出ちゃうみたいな人は思ったよりも多い、とインテリははやめに気付いておいたほうがよい。インテリには怒りと快活さを組み合わせることに成功した人間が多いのだが、悲しみと怒りの紐帯をなめてはいけない。教師なんかをやってると忘れがちなことだ。

ネットがない時代の新聞というのは、子供なんかにに与える影響は甚大である場合があって、わたくしの場合、中日新聞と中日スポーツとときどきくる赤旗の日曜版の影響が大きいに違いない。そこに抜けているのは、うえの「悲しみと怒りの紐帯」である。そのかわりに心に繁茂するのが、アイロニーと真面目さと批判である。

むかし柄谷行人が、負け続ける阪神を応援し続けているファンを、地域共同体とは違った交換D的なよい?共同性の何かとして説明していたと思うが、なぜかそういうかんじが負け続ける中日のファンから感じられない。やはり山本五十六が生きていたら(落合監督だったら)勝ってた的なかんじになっているからであろうか。もう30年近く読んでないからわからないけど、中日スポーツの文章のありかたも関係しているじゃないかと思う。なにか駄洒落に走ったりして、阪神の新聞(なんだっけ)の突き抜けた素朴さがない。もう記憶だけで言っているんでまったくの戯れ言なんだが、こういう細かいところは案外重要だと思う。

宮台真司は、柄谷とちがい、共同体の条件を悲惨の共有とか言ってしまうから、読者達がやたら躁鬱的に陰険になってゆく傾向がある気がする。たしか、宮台は野球が嫌いだそうである。柄谷の読者が快活に批判的でありわりと社交的であるのと対照的である。――いや、そうでもない。思い返してみると、柄谷の読者もかなりルサンチマンに満ちたやつが多かった。彼らが忘れるのは、悲しくてしょうがないみたいな心である。

墓碑である

2024-09-18 23:46:09 | 音楽


 音楽の構想は意識的に生まれるのだろうか、それとも無意識のうちに生まれるのだろうか。これを説明するのはむずかしい。 新しい作品を書いてゆく過程は長く、複雑に入り組んでいる。いったん書きはじめてから、あとで考え直すようなこともよくある。いつでも、あらかじめ考えていたのと同じような結果になるとは限らない。もしもうまくゆかないような場合には、その作品をそのままにしておいて、つぎの作品で、前に犯した誤りを避けようと努力する。これはわたしの個人的な見方であり、わたしの仕事の仕方である。もしかしたら、これはできるだけたくさんの作品をつくりたいという願望から出たものなのだろうか。ある作曲家のひとつの交響曲に十一の改訂版があるのを知ったとき、わたしは思わず、それだけの時間があれば、どれほど多くの新しい作品を書けるだろうか、と考えずにはいられなかった。
 いや、わたしの場合でも、もちろん、古い作品に立ち戻ることもあり、たとえば、自作のオペラ《カテリーナ・イズマイロワ》の総譜にはたくさんの訂正を加えている。


――ヴォルコフ編「私の交響曲は墓碑である」(『ショスタコービチの証言』水野忠夫訳)


小学校六年生頃からの愛読書がこの本で、偽書の疑いもなんのその、わたくしはこの日本語訳のあちこちを諳んじている。上のような部分については昔はあまり気にならなかったが、いまは深刻な問題だ。思うに、上の「ある作曲家」というのはおそらくブルックナーのことであろうが、彼の曲が供物であるに対して、ショスタコービチの場合は墓碑であることが大きいんじゃないかと思う。わたくしはこの二つを使い分けようとしているが、一人の人間がそういうことをするのはかなりしんどい。

それにしても、「わいの交響曲は墓標である」というの、むかしはふーんと思っていたが、E・トラヴェルソの本を読んでたら、彼こそ左翼の伝統の本質をやっていたということになるかもしれんと思った。彼の交響曲こそソ連邦ということになる。

名月にルサンチマンを

2024-09-17 23:37:12 | 文学


 今は百日紅が美しい。私の庭には、たつた一本あるばかり、それもさう大して大きいのではないが、亡兄の遺愛の樹であるので、私は大事にした。今年はそれでもかなりに花が着いて、深く緑葉の中から微かにチラチラと見え透いてゐる形は私を慰めるに十分であつた。これからは木犀だ。玄関の傍の金木犀、銀木犀の匂ふころには、村の鎮守の祭礼が近く、村の若者達の練習してゐる馬鹿囃の太鼓の音が夜毎にきこえて、月は水のやうに美しくあたりを照した。

――田山花袋「中秋の頃」


自然主義の時代は違ったのかも知れないが、まだ中秋の名月だかの頃は36度あるんだけども、みなさんいかがお過ごしですか。

ラインをやってていいことといえば、――今日なんか頼んでもいないのにこちらの月だとかいうて月の写真がたくさん送られてくるのは面白い。みんな同じ月です、そして全然別物に見える。環世界だかパースペクティズムだかがテクノロジーをかいして判明する昨今、離れた二人が月を眺めて愛を感じるとかは難しいが、フィクションではまだよくある。

昨日も大河ドラマで紫式部が道長と一緒に月を眺めていた。話はずれるが、――この源氏物語の作者が美人女優(吉高由里子様)なのがなっとくいかんという人もいるであろうが、普通に考えて、文学少女や文学者の色っぽさはすごいだろ、頭んなかすごいぞ。源氏物語かくやつだぞ。(むかし宮台真司もそんなこといってた)あまりにひどい目に遭った天才を除けば。

こんなよい月を一人で見て寝る

――尾崎放哉『尾崎放哉選句集』


そういえば、大学生の頃、将来像を示せみたいなアンケートに「インコと私で二人暮らし」と書いたことがあるが、ひょっとすると、今の細はインコかも知れない。あと、メダカは幻影であろう。

まことに他人というモノは生成変化するものであるし、自分とは明らかにちがう作用を持つものである、カウンセリングや集団治療なんかでも、人に話して楽になる効果が言われる。が、自分が言うとルサンチマンになるが、おなじことを人が言うと課題になるということもあるのである。研究でもそういうことある。研究史の研究なんかが必要なのはそのためである。より正確に言えば、人が言うのではなく「人が書く」ことが重要なのである。

で、最近はイブ・コゾフスキー・セジウィックの引用をみて、ちゃんとフェミニズムの勉強を再開しようと思った次第である。フェミニズムもマルクス主義と同じで、多くの怨恨を巻き起こした結果、それを相対主義みたいなところに着地せざるを得なくなっている。これじゃいかんと思うからだ。すくなくとも、セジウィックの本をさっき少し読んでみたら、はやりこのひとのニューチェ批判なんかはまだ有効だと思った。

そういえば、大学でも我々が大学生だった頃、どことなく女性の教員を馬鹿にする輩がいたことを思い出した。最近、古本で神山妙子先生の『イギリス文学史』買ったんだが、最初の頁に「先生が言った作者名や作品名は暗記しましょう」「出席はとーぜん。」と漫画文字でメモ書きがあった、昔の学生は勉強してたのう(棒読み)

いまさらわたくしの大学時代を思い出して如何するんだと思うが、定期的に勉強不足だった自分のおつむを思い出す必要があるのだ。

もっとも、わたくしは、「ル・サンチマン」の心情の回帰性ではないが、――いろいろなものを遅れて経験する才能がある。研究者によくあることでもあるが、わたくしは症状がひどい。例えば、さっきNHKで中年の危機を如何するかみたいな番組やってたが、わたくしはじめてスターバックスの飲み物をこの前飲んだから気分は小学生なのだ。

こういう才能は、教師向きでもあるのだ。高等学校の非常勤講師時代、――ある高校生が算数の初期段階でとどまっていたので、割り算とかを一緒にやってやり本人に喜ばれたことが、いままでで一番の教育者としての経験である。こういう作業はある程度まで苦痛じゃないのだ。

また、アスリートなどを学校の先生にできるみたいな話がもちあがっているが、教員養成における教科の専門性がそれなりに100年近く研究されてきているのを無視する馬鹿の所業といってもなかなかなっとくせん人もイルであろう。そもそも教師の才能とはわたくしの例を見てもあきらかのように、かなり特殊なのである。そしてそういう真実に対して向いていることが、本当に向いているとは限らないのである。例えば、人は、ヴィトゲンシュタインの小学校教師時代のエピドードや、「ジャン・クリストフ」の学校教師時代のエピソードを想起するであろう。

粗野と視覚

2024-09-16 19:32:32 | 音楽
ライヴ★ブルックナー:交響曲第8番〔1887年第1稿〕(ルイージ指揮:トーンキュンストラー管)


ブルックナーの第八番って、老年の憂鬱を奏でていたら音楽が自走して勝手に元気になって行くみたいなもののくり返しだと思う。

だれだったかブルックナーの音楽は素人芸を出ておらぬと言っていたが、確かにそんな匂いはあるのだ。しかし習作交響曲や0番あたりを聞いてみると、シューマンやなにやらみたいな交響曲に憧れてた青春がみえるようだし、そのみちで成熟してゆくみちもあったんだとおもうが、彼はどこか農民がじゃかじゃかステップを踏んで踊るみたいな音楽が性に合っていたのであろう。素人と言うよりそれは粗野な音楽なのである。

このまえ学会でも研究者と話したんだが、中原中也とか坂口安吾のことばの下卑たダサさというのは非常に重要であると思う。町田康氏なんかはどことなく洗練を目指しているとこがあるから本性はかっこよさを追究する博学な音楽家で、それに対して上の人たちは単に粗野なのである。

それはどこか、言語を食い破った視覚的なものを思わせる。例えば、五十嵐大介『ディザインズ』、――絵がひたすらすごくてせりふが全くはいってこないが、その昔の肉体だ肉体だと繰り返す某「東京大学物語」とかがおそろしく言語的密林な作品なのと対照的である。さすがに時代は変わったとも言うべきであろうか?わたくしはもともと、肉体だ肉体だみたいなことを主張する芸術家や学者たちの、自意識過剰な観念論がいやなのである。それにたいしてひたすら視覚的であろうとするうごきの方が信用に足る。

「スパイの妻」のなかで「河内山宗俊」が流れる場面、最初は「秀子の車掌さん」を使う予定だったと監督が蓮實重彦と濱口竜介との鼎談で言っていた。たしかに秀子様でよかったと思う。わたくしが好きだから――というのもあるが、アイドル映画である「秀子の車掌さん」のほうが、視覚的であろうとする動きがすごくて、「スパイの妻」の後半のテーマが、観念的な決断を行ったらあとはひたすらものごとを無視出来るのか、というものであるのに即していると思うからである。

現実は粗野でリズミカルでもない。ブルックナーの三拍子なんか、足踏みであって、ダンスですらないような気がする。